わたしは生まれたときから耳が聞こえなかった。
音の無い世界がわたしにとっては常識であり、日常だった。
太陽は"カッ"っと輝き、星は"キラッ"っと光る。笑えば"ニッコリ"と音がする。わたしはそう思って疑わなかった。
それが普通ではないと気付いたのは、公園で他の子どもたちと接するようになってからだ。わたしの口語はとても聞き取れたものではなく、怪獣の鳴き声のように聞こえたらしい。砂を投げつけられたのを今でも覚えている。
幼稚園には通っていない、おそらく入園拒否をされたのだと思う。
お祖母ちゃんはわたしを特別支援学校に通わせたかったらしいけど、お母さんは頑として承知しなかった。
幼少期のほとんどを家の中で過ごし、お祖母ちゃんと"会話"していた。そのため手話はかなり上手くなったと思う。その反面、口語は上達しなかった。
小学校に上がる段になって、ランドセルを買ってもらった。それがとても嬉しかったのを覚えている。お祖母ちゃんに友達百人できるかな、なんて言ったりもした。
でも、現実はそんなに甘いものじゃなかった。
最初はみんな興味を持ってくれた。手伝ってもくれた。だけどそれが段々と重荷になる。面倒になる。邪魔になる。
次第に手伝ってくれなくなった。いじめられることもあった。それが問題になって転校することになった。
お母さんには手伝ってもらうという考えを捨てなさいと言われた。甘えがあなたを弱くするのだと。
だけど、どうしたってできないことはある。わたしが頑張れば頑張るほど、一生懸命になればなるほど、みんながそれを疎ましく感じていると気付くのは、随分と後になってからだった。
次の学校も、程なくして転校することになった。
そして何度かの転校を繰り返し、わたしは六年生になった。
次の学校、水門小学校で、わたしは不思議な男の子と出会った。
その男の子は石田将也という名前だった。
釣り目で、パッと見た感じは怖そうだと思った。でも実は真逆だった。その子はとても優しくて、しかも手話が使えた。
凄くびっくりした。結絃以外で手話のできる子供に会ったのは初めてだったから。理由を聞けばお祖父さんが戦争で耳を傷めたとか、悪いこと訊いちゃったかな。でも本人は気にしてない様子だったから、ちょっと安心。
でも「授業中に質問はしないで」と言われた時はムッとした。その後、分からないところは放課後に説明するからと言われた時は、そんなに頭が良いのかなと疑ったけど、石田くんはとても頭が良かった。
わたしの質問には全て答えてくれるし、手話だからやり取りがスムーズに進む。そのうちに植野さんが合流して、暇つぶしだと言って手話を覚えるようになり、佐原さんも一緒に勉強するようになった。
今まで登校することが憂鬱だった。けど最近はそう思わなくなっている。
もっと話したい。もっと一緒にいたい。でも甘えちゃいけない。頼り過ぎたら、わたしのことが重荷になってしまう。そしたら離れていく。
それがとても怖い。
石田くんはどんな声をしているのだろう? 見た目通りにキツイ声かな? 意外と優しい声なの?
こんなことを願っても、叶うはずないと分かってる。でも願ってしまう。
彼の"声"が聞きたい。
わたしは無意識のうちに、人差し指同士を合わせていた。