アレから……どうやって帰ったのか覚えていない。気付くと私は、自宅の玄関に佇んでいた。
「はぁ……」
(こばちゃんが石上の事が好きだったなんて、知らなかった……)
……本当に?
思考に反する言葉が、心の奥から聞こえて来た。私は誤魔化す様にスカートの裾を握った……違う、私は気付いてた。こばちゃんが石上に、友達以上の感情を抱いていた事を知っていた。知っていて……知らない振りをした。その事実から目を背けて……知らない、気付いていない、わかっていないと、自分を騙し続けて来た。
「バカみたい……」
知らない振りをした所で、無かった事になる訳でもないのに……こばちゃんが石上の事を好きなのは、直ぐに気付いた。だって私も、中等部の頃から……石上の事が好きだったから。あの時、石上が助けてくれてから……私は無意識のうちに石上の姿を探し、目で追っていた。私とこばちゃんは、一緒に居る事が殆どだ。だから、私と同じ目で石上の事を見ているこばちゃんを見て……あぁ、やっぱりそうなんだと納得すると同時に……その事実から目を背けて蓋をした。
……その事実と向き合う強さを、私は持ち合わせていなかったから。
「石上は、誰か好きな人いるのかな? もし……」
もし、石上がこばちゃんの事を好きだったら?
「……ッ」
そこまで考えると、私の中でぐちゃぐちゃとした……言い表せない程の負の感情が、嵐の様に暴れ出した。
石上……好き。
大仏……僕もだよ。
「……ッ!」
友達なのに、親友なのにっ……こばちゃんと石上が幸せになるのは良い事なのに、その光景を思い浮かべるだけで……嫌だ、やめてと醜い感情が胸を掻き乱す。
「私、全然良い子じゃない……」
……最近、また伊井野の様子がおかしくなった。どういう事だろう? 伊井野の癒しボイスやらかし事件については、ちゃんとフォロー出来た筈だし……いや、多分その事が理由じゃない。何故なら……
「ミコちゃん、風紀委員の見回り時間だから行こ?」
「え、あ……う、うん。」ビクッ
「……ミコちゃん?」
「伊井野ー、どしたん?」
「な、なんでもない!」
「……うん?」
どういう訳か、大仏と小野寺に対しても……よそよそしくなっているからだ。僕に対してだけなら、この前のやらかしが尾を引いてると判断出来るんだけど……
「……伊井野、何かあったのか?」
生徒会室に向かう道すがら、俯きながら隣を歩く伊井野に問い掛ける。
「……何の事?」
「……誤魔化すなよ。最近、なんかおかしいぞ? 大仏や小野寺に対しても変によそよそしいし、何かあったなら……」
「なんでもない! 大体石上には関係ないんだから、余計な事に首突っ込まないでよ!!」
何かに怯えた様な声色で、伊井野は叫んだ。
………
そこまで口にして……しまったと思った。コレじゃ只の八つ当たりだ……恐る恐る、立ち止まった石上を見上げると……
「……わかったよ。悪かったな、余計な事に首突っ込んだりして。」
「……」
(私、最低だ。石上は心配して聞いてくれただけなのに……八つ当たりみたいな事言って……)
「まぁでも、困った事があったら言えよな。」
「……うん。」
(どうして……そんなに優しい事を言ってくれるの? 心配してくれた石上に、酷い事言っちゃったのに……でも石上とは、あんまり仲良くしない方がいいから……だから、コレでいいんだ……)
だってこばちゃんは……石上の事が好きなんだから、私が仲良くしちゃ……ダメ。そうやって、自分を無理矢理納得させた私は……俯いたまま、生徒会室へと歩いて行く。
………
「……」
(なんか……今日の伊井野は機嫌が悪いというか、無理してる様に見えるな、なんでだろ? ……あ! もしかして生○か? 情緒不安定になるって聞くし、キツイ人は本当にキツイらしいからな……じゃあ、しょうがないか。)
口に出さなかった事は褒めるべきだが、察した内容が最悪だった。
「はぁ……」
(石上、黙っちゃったな……あんな言い方して、傷付けちゃったかも……ホント最低……)
「……」
(そうとわかれば、今日はあまり無理はさせられないな。適当に伊井野の分の仕事も預かるか。)
石上は全然傷付いていなかった。
〈生徒会室〉
「……今日はコレで失礼します。」
ペコっと頭を下げて、生徒会室を出て行く伊井野を見送る。バタンッと扉が閉まるのを確認すると、四宮先輩が此方に向き直る。
「近頃、伊井野さんの様子が少し、おかしく感じるのですが……石上君、何か知りませんか?」
「いえ、僕も理由は分からずじまいで……同じクラスの友達相手にも、妙によそよそしいというか……」
「……石上くんが何かやったんじゃないんですか?」フンスッ
「……してませんよ、大体何かって何ですか?」
「そうですね……例えば、罰ゲームさせたり、オヤツあげ過ぎちゃったり、その所為で体重が増えちゃったりしたんですよ! なんて事してくれたんですか!?」
「藤原……滅茶苦茶私怨入ってないか?」
(それ、お前の事じゃん。)
「僕に言われても……っていうか藤原先輩、太ったんですか?」
「そういうのは思ってても、口に出しちゃダメなヤツでしょー!」
「まぁ、頑張ってダイエットに励んで下さい。呉々も激辛ラーメンを食べる傍ら、アイスクリームにも手を出すなんて真似はしない方が良いですよ。」
「……はい?」
「……?」
(石上って偶に、滅茶苦茶具体的な例出して来るよな……)
「……」
(どうせ痩せるなら、胸から痩せて欲しいモノね……)
〈生徒会室〉
「今日から生徒会も暫く試験休みを取る。各自、しっかりと勉強に励んでくれ。」
11月も残り数日までに迫ったある日の生徒会……白銀御行の発言により、生徒会は暫しの試験休みが設けられる事となった。
「わかりました。」
「まー、勉強はしなきゃですからねー。」
「了解っす。」
「ふぅ……」
(良かった……最近、全然勉強に集中出来てなかったから……)
石上に対する恋心の自覚と、それに伴う慣れないアプローチ、親友大仏こばちの石上に対する恋慕の発覚。そして……そんな精神的負荷が掛かった状況での、2学期期末テストに向けた睡眠時間を削る勉強……その全てが、伊井野ミコの体力と心を少しずつ消耗させていく。そして……
「あ……れ……?」フラッ
伊井野ミコは、他の女子と比較しても小柄である。当然、その小さな身体に存在する体力の限界値は常人より遥かに低い。更に最近では、親友と想い人が一緒だったという事実が発覚した事から、伊井野は石上に必要以上に近づかない様に努めていた。つまり……親友と想い人の板挟み状態から抜け出せない伊井野は、身体の疲労以上に精神的疲労が蓄積した状態だったのである。
「っ!? 伊井野!!」ガシッ
床に倒れそうになった伊井野を慌てて支える。伊井野はグッタリしたまま、僕の腕に身体を預けている……荒い息、紅くなった頬、額に浮かぶ汗、まさか……
「風邪……?」
「風邪? 石上君、伊井野さんは風邪をひいているの?」
「多分、絶対とは言えないですけど……」
「石上、とりあえず伊井野はソファに寝かせてやれ。藤原はタクシーを!」
「……うっす。」
「は、はい!」
………
伊井野をソファに寝かせ、タクシーが来るのを待つ……何に悩んでるのか知らないけど、体調を崩す程疲労が溜まっていたのか……
「ウ…ハァ…ハァ……」
苦しそうな呼吸を繰り返す伊井野を見ながら思う……伊井野、お前は何に悩んでるんだよ? 何か困ってる事があるんじゃないのかよ……
「……タクシーが到着したようだな。石上、伊井野を自宅まで送ってやれ。」
「はい。伊井野、立てるか?」
「ウゥ……大、丈っ……ハァ…ハァ……」
「……伊井野、治ったら好きなだけ罵倒してくれ。」
それだけ言うと、僕は伊井野の足と背中を支えながら持ち上げた。
「っし、じゃあ失礼します。」
僕は会長達の返事も聞かずに、生徒会室を出て行く。出来るだけ早く、だけど伊井野に負担が掛からない様に気を付けながら、タクシーへと乗り込んだ。