石上優はやり直す   作:石神

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風邪の功名

……なんだこの状況!? 確か伊井野を家に送り届けて、薬局で買い出しを済ませた後、魘される伊井野を看病していた……よな? そうだ……伊井野の体調もマシになって、呼吸も落ち着き始めたから、ソファに凭れて一息ついている内にウトウトして……それだけの筈だ。じゃあ、なんで……

 

「ふぁ……」

 

僕は伊井野を抱き締めてるんだ!? 足の間にスッポリと収まっている伊井野は、僕の腕をギュッと掴んで離さない……時折モゾモゾと小刻みに動いては、女子特有の甘い匂いに僕の鼻孔が刺激される。

 

「えへへ、次は……」

 

「……ッ」

 

次!? 次って何だよ!? や、ヤバイッ……流石にこれ以上はヤバイ! 僕は少し……ほんの少しの名残惜しさを感じながら、伊井野へと話し掛けた。

 

「……い、伊井野?」

 

その瞬間……伊井野は全身で驚きを表現する様に、ビクンッと体を跳ねさせた。

 


 

「……い、伊井野?」

 

耳元で囁かれたその言葉に、一瞬で頭の中が真っ白になった。でも、直ぐに我に返り状況確認に努める……風邪で体調を崩した私を心配して家まで送ってくれ、看病してくれたであろう石上が眠っている隙に、自分の欲求を満たす……は、はわああぁぁっ!? こ、これは……夜這いと言われても仕方ない行為なんじゃっ!?

 

………

 

「へぇ、伊井野ってそういう……」

 

「ち、違うの!? こ、コレは……」

 

「違う? 何が? 人の寝込みを襲っておいて、随分な言い訳だな?」

 

「あぅぅっ……違うのぉ……」

 

「風紀委員なのに、とんだ欲求不満女だな。」

 

………

 

ち、痴女と思われる!?

 

「〜〜〜っ!!? あ、あぅっ…い、石上……コレは、その……違うの!!」

 

私は誤解を解こうと、立ち上がって振り向いた瞬間……くらりと視界が僅かに揺れた。

 

「あ、あれ……?」フラッ

 

「っ!? 伊井野!」ガシッ

 

倒れそうになった所を石上に支えられる……そうだった。私、風邪ひいてたんだった。フラついた私は……カクンと膝をつき、そのまま石上に体を支えられる。

 

「はぁ、全く……まだ治りきってないんだから、無茶するなよ。」

 

「う、ごめん……」

 

「ほら、まだ寝てろって。」

 

「あ、待って……その前に着替えたい。」

 

「あぁ、制服のままだもんな……でも、1人で大丈夫か?」

 

「……うん、さっきよりはマシになってるから大丈夫。」

 

「キツかったら言えよ? また抱えて行ってやるから。」

 

「うん……ん?」

(あれ? そういえば私……石上にお姫様抱っこされたんじゃ……)

 

その事実に考えが及んだ途端……カァッと顔が熱くなる。

 

「はうぅっ……」

 

「伊井野? 大丈夫か?」

 

「う、うん、大丈夫……大丈夫。」

 

「……?」

 


 

リビングに戻って来た伊井野は……所謂、モコモコパジャマと呼ばれる格好をしていた。なんとなく伊井野に対して抱いていたイメージ通りの姿で、良く似合っている。つい、伊井野のパジャマ姿をジッと見つめていると……

 

「あ、あんまり見ないでよっ……」

 

伊井野はパジャマ姿を見られるのが恥ずかしいのか、そう言うと全身を隠す様に、毛布にくるまってソファに横になった。

 

「悪かったよ。それより伊井野、食欲はあるか? 色々買って来てるけど……」

 

「えっと……」キュ〜

 

「……」

 

「〜〜〜っ!?」

 

キュゥ〜っという可愛らしい音が伊井野から聞こえて来た……どうやら、食欲はあるらしい。僕は立ち上がり、冷蔵庫からゼリーとプリンを取り出してリビングへと戻る。

 

「伊井野、ゼリーとプリンどっちが良い?」

 

顔の半分を毛布で隠し、此方をジトっと見つめる伊井野へ問い掛ける。伊井野の名誉の為にも、腹の音は聞かなかった事にしておこう。

 

「あ、そのプリン……」

 

伊井野の目が、片手に持ったプリンへと釘付けになる。普通サイズのゼリーと違い、プリンはBIGサイズのデカプリンだ。伊井野ならこっちの方が喜ぶかな、と思って買って来た物だ。

 

「プリン、プリンが良い!」

 

「あぁ、なんだったら食べさせてやろうか?」

 

少しだけ元気になった伊井野を揶揄うつもりで、そんな事を口走った。僕としては、バカ! とか、いらないもん! なんて答えが返って来るもんだと思ってたんだけど……

 

「……良いの?」

 

「ンンッ!?」

 

伊井野ミコという少女は本来……甘えん坊に分類されるべき人間である。しかし、幼少の頃から両親という最も身近な人間に甘える事が出来ない生活が続き……余計な心配を掛けてはいけない、しっかりしなくてはいけないという強迫観念に囚われ続けた少女は、いつしか……人を頼り、他人に甘える事を避ける様になった。それは……親友である大仏こばちの前でさえ、泣く事を忌避する程である。そんな伊井野ミコという少女が……風邪により体力的、精神的に弱っているとはいえ、異性である石上優にその様な要求をした事はある種……成長とも、事件とも言えるモノである。それはともかく……

 

「お、おう……」

 

え!? 聞き間違いじゃないよな!? 僕の食べさせてやろうかって言葉に飛んで来たのは、予想していたモノと180度違う言葉だった。

 

「石上……?」

 

固まった僕の様子を窺う様に、伊井野は毛布から半分程顔を出し呼び掛ける。

 

「いや、大丈夫……じ、じゃあ、少し体起こせるか?」

 

「うん。」

 

「ほら……あーんだ。」

(いやいや、落ち着け。前は……伊井野が腕折った時とか、普通に似た様な事してただろ? 今更コレくらいで……)

 

「あ、あーん……」

 

目を瞑り、プリンを待つ伊井野の口へと……プリンを乗せたスプーンを運ぶ。

 

「んむっ……」

 

プリンをモグっとスプーンから抜き取る伊井野の姿は、ハムスターの様な小動物を彷彿とさせる。もきゅもきゅと口を動かし続ける伊井野を見ると……何かこう、クるものがあるな。アレ? 前は何とも思わなかったのに……

 

石上の性癖が更新された。

 

「……石上、どうしたの?」

 

「い、いや……なんでもないよ。ほら、次だ……」

 

「うん、あー……」

 

再度、口を開ける伊井野へとプリンを運ぶ。少し目算を誤ってしまい、伊井野の口の端からプリンが零れ落ちる。

 

「っと、悪い。」

 

直ぐに手元のティッシュでプリンを拭う。その際、伊井野の頬に手が触れた……

 

「……まだ少し熱いな。」

 

伊井野の頬にピタっと掌を合わせて、熱を計る。腹一杯食わせて、水分補給も忘れずさせて、後は……

 

「ん……石上の手、冷たくて気持ち良い……」

 

これからの事を考えていると、伊井野の言葉に思考が中断される……伊井野は頬に触れた僕の手を両手で押さえる様にして、スリスリと頬を擦り付けている。

 

「……ッ!?」

 

「ご、ごめん! もう大丈夫だから……」

 

……伊井野はチョロい。そのチョロさは、道端でナンパされたら秒で持って行かれそうになる程だ。その度に僕や大仏、小野寺が目を光らせて連れて行かれるのを阻止する……という事を繰り返して来た。つまり、何が言いたいかというと……油断していると、伊井野を誰かに取られるかもしれない、という事だ。だから……

 

「……」

 

「……石上?」

 

頬に手を当てたまま黙り込む僕に、伊井野は首を傾げながら不安気に訊ねる……

 

「……伊井野。」

 

だから、様子見やもっと仲良くなってから……という安全策を取るよりも、僕を……石上優という人間を男として意識させる事が重要だと思った。

 

「……離したくないって言ったら、どうする?」

 

「えっ……あ……」

 

僕の言葉に、伊井野は顔を真っ赤にした直後……哀しい様な、困った様な表情を浮かべた。

 

………

 

「……離したくないって言ったら、どうする?」

 

その言葉に、顔が熱くなるのを感じた。勘違いじゃない、石上なら……きっと私を受け入れてくれる。私、石上の事……そう口にしようとした瞬間、頭の中に浮かんだのは……小等部の頃から、ずっと一緒に居てくれた親友の姿だった……ダメだ、少なくてもこばちゃんと、ちゃんと話をしてからじゃないと。こんな抜け駆けみたいな事、したくない。

 

私は……石上の手を頬から引き離すと、誤魔化す為の言葉を口にする。

 

「石上、プリンおかわり!」

 

………

 

「……じゃあ、しっかり休めよ?」

 

玄関で靴を履きながら、石上はそう言った。

 

「うん、今日はありがと。それと……ごめん。」

 

「気にすんな、僕が好きでやった事だし。」

 

「うん、風邪の事もだけど……その、誤魔化しちゃったから……」

 

「……」

 

「そ、その……嫌だった訳じゃないの! ただ、その……」

 

「いや……僕の方こそ、ごめんな。伊井野が体調崩してる時に、あんな事……」

 

「ううん……ね、石上。全部終わったら……私の話、聞いてくれる?」

 

「……あぁ、ちゃんと聞くよ。」

 

「……ん。」

 

……私は石上へと近付くと、目の前へと小指を伸ばした。

 

「あぁ、約束だ。」

 

石上の小指と私の小指が数秒……絡み合った形で上下に揺れる。お互いに無言で絡ませていた指を離すと……

 

「じゃあな、おやすみ。」

 

石上にくしゃっと頭を撫でられた。返事をする間も無く、石上は玄関のドアを開けて出て行った。

 

「指切り……約束……えへへ。」

 

昔から……何かある度に、パパやママに指切りの約束を強請って、その度に約束が守られなかった事が哀しくて、泣いたりして……でも、今回はきっと大丈夫。

 

「ん……」

 

先程まで石上の小指と絡ませていた私の小指は……まるで、小さな心臓が出来たみたいに……トクントクンと脈打っていた。

 


 

「〜〜〜っ!!!」ダダダダダッ

 

伊井野の家を出た僕は、歩いて駅へと向かう。途中からは徐々に歩くスピードを上げ、現在は全力疾走の真っ最中だ。

 

(耐えた、なんとか耐えたぞ! 色々ヤバい場面はあったけど、諸々含めて紳士的な対応は出来てたし、動揺してるのも気付かれなかった筈!)

 

自身の恋心を自覚した直後、座り込んで眠っている所に寄り添っていた少女……更にはプリンを食べさせたり、自身の手に子犬の様に頬を擦り寄せる行為など……思春期真っ只中の男子高校生には我慢を強いられるイベントの連続であった。更には……

 

……離したくないって言ったら、どうする?

 

「ぐうっ……!」

(あー!? 僕はなんてキザな事をおおおっ!!? 伊井野引いてないよな? あの反応はそういうんじゃないよな!?)

 

結局……石上は走り続け、駅に着く頃にはバテバテになっていた。

 

本日の勝敗、石上の敗北

冷静になって思い出すと、どちゃくそキザな事を言っていた事に気付いた為。


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