〈中庭〉
あれから数日が経過した。その間、ボランティア部に行く事も……柏木先輩と会う事も無く時間は過ぎて行った。元々学年が違うから、どちらかが会おうとしなければ、秀知院の広い敷地内で会う機会は激減する……つまり、そういう事だ。僕も……柏木先輩も……お互いに会うつもりは無く、会わない様にしているって事だ。
「アー……」
久々に気分がダウナーに入った所為で、何もやる気が起きない……やり直す機会に恵まれてからは、ここまで精神的に参る事は無かった。元々陰気な性格をしてる事もあり、前回はよく落ち込んだり、死にたくなったりしていたけど、ここまでの精神的ダメージは……
「……」
じゃあ、なんで僕と寝ようとしてるんですか……
……好きになってくれてありがとうの気持ち?
「……ッ」
甦って来た記憶に、心が荒んで行くのを感じた……
「ははっ、僕はまだ引きずってるのか……」
奇しくも……あの時の僕と柏木先輩は、前回の僕とつばめ先輩を踏襲する様な状況だった。だからだと思う、一瞬で感情が昂ってしまったのは……
僕を見上げる顔も……
横たわる柔らかそうな身体も……
僕を見ていない澱んだ瞳も……
様々な要素が、あの時と重なって見えてしまった。後悔してもし切れない程の……苦い体験。僕だって全く考えなかった訳じゃない。もしあの時、つばめ先輩と身体だけでも繋がっていたら……別の結末もあったんじゃないかって。でもやっぱり僕は……ちゃんと付き合って、心が繋がってからしたかった。でも……そうはならなかった。
「僕は何を自惚れてたんだ……」
そして今度は柏木先輩だ。好かれているかもしれないと自惚れて、勝手に傷付いて……馬鹿みたいだ。
「……」
それに……もし何かが原因で、柏木先輩が前回の記憶を取り戻す様な事があれば……僕は殺されるかもしれない。だから、柏木先輩と一緒に居続けるなんて事は……するべきじゃ無いんだと心の何処かで思っていた。でも……
「それでも……」
一緒に居たいと思ってしまったんだ……
「……」
「随分と凹んでるわね?」
「……マキ先輩? どうしたんですか?」
「ちょっと話があってね……」
「……話?」
「渚と何かあったんでしょ?……話しなさい、余す事無く全部。」
「……」
そう言って僕の言葉を待つ顔には、誤魔化す事は許さないという強い意志が宿っていた。最近の僕達の様子を見て、何かに気付いてしまったんだろう……観念した僕は、ポツポツと事のあらましを話し始めた。
………
「そう、そういう事だったのね……」
全てを話し終えると、マキ先輩はポツリとそう洩らした。マキ先輩の表情からは、何を考えているかは上手く読めなかったけど、これだけはハッキリしておきたかった。
「……言っておきますけど、柏木先輩は何も悪くありません。僕が勝手に自惚れて、勝手に凹んでるだけなんですから……」
「はぁ、優も割と面倒くさい性格してるわね。」
「え、マキ先輩よりもですか?」
「……」ペチンッ
「痛っ!?」
「……話はわかったわ。とりあえずは、いつも通り過ごしなさい。」
「いつも通り……」
「生徒会は奉心祭の準備で忙しいんでしょ? 忙しいなら少しは気も紛れるわよ……ほらほら、さっさと行く。」パンパンッ
「わ、わかりましたよ……」
マキ先輩に促され、少し早いが生徒会室へと向かった。
「……」
その後ろで……何かを考えているマキ先輩には、気付く事はなかった。
あれから数日、石上君とは会えない日が続いている……うぅん、違う。私が逃げてるから、会えないだけ……何処かで見掛けても、その度に逃げる様に隠れてしまう……まぁ例え逃げなかったとしても、何を言えばいいのかすらわからない私が会った所で……また傷付けてしまうに決まってる。そうやって、逃げる言い訳ばかり考えている私の所へ……あの子は来た。
「……渚、ちょっといいかしら?」
「眞妃……」
「優から聞いたわよ。」
「そう……」
その言葉を聞いても、別に驚きはしなかった……眞妃に聞かれれば、私も全部話したと思う。要は石上君に先に聞いただけの話だし、もう……どうでもいいという気さえしていた。
「一応、貴女にも確認させてもらおうかしら?」
「……うん、いいよ。なんでも聞いて。」
それから眞妃は、ひとつひとつ……念入りに確認を入れて来た。私から石上君に形だけの恋人関係を持ち掛けた事から始まり……保健室で私がしてしまった事まで抜かり無く確かめた。
「なるほどね……渚、顔を上げなさい。」
「……」
失望、されちゃったかな……話が始まってから逸らしていた目で、眞妃の姿を捉えた瞬間……
「っ!?」
パンッ……と乾いた音が響いた。ジンジンとした頬の痛み、眞妃の振り切った右手。そして……私を睨み付ける2つの瞳。
「ま、眞……妃?」
「……それで? 優を傷付けて、泣かせて満足? 貴女……それであの子が喜ぶと本気で思ってたの? そんな事をして、あの子を繋ぎ止められると本気で思ってたの?」
「ッ!」
1番後悔していた事を指摘され、一瞬言葉に詰まった……
「そんなっ……そんな事っ、眞妃に言われなくてもわかってるよっ!」
「貴女、わかっててそんな事をしたの?」
「ち、違う! 私はっ、私はただっ……」
「貴女の考えは知らないわ……理由は如何であれ、結果的にあの子を深く傷付けた……それが全てじゃない?」
「ッ!?」
その言葉に、私の身体から力が抜けていく……そんな事は眞妃に言われなくてもわかってる。
「眞妃には……眞妃には関係ないじゃない!」
違う、こんな事が言いたいんじゃ無いのにっ……その思いに反する様に、口から出る言葉は止まってはくれない。
「彼氏なんか作って……今までずっと一緒に居たのは私なのに! 眞妃の1番は私だったのに!」
「……」
眞妃は腕を組んだまま、黙って私の言葉を聞いている。
「彼氏が出来た途端、会う機会だって減っちゃうしっ……惚気話だって、私じゃなくて四宮さんに話しちゃうしっ……私に彼氏が出来たってなっても、全然寂しがってくれないし……もう私は、眞妃の1番じゃ無いの……?」
「渚、貴女……バッカじゃないの?」
「……え?」
「貴女に彼氏が出来たくらいで私が寂しがる? はぁ……そんな訳ないでしょ、馬鹿な事言ってんじゃないわよ。」
「どうしてそんな事を言うの!? なんで寂しがってくれないの……? 眞妃にとって私は……そんなにどうでもいい存在だったの!?」
「呆れた……貴女、それ本気で言ってるの? 私が寂しがらないのは、貴女に恋人が出来たくらいで私達の関係は変わらないっていう確信があるから。それに、嫉妬や不安なんてある訳ないじゃない……優が相手なら、私には何の文句もないわよ。」
そう言って、眞妃は自信ありげに笑った。
「それと……1番じゃ無いの、だっけ? 今でも貴女は私の1番大切な親友よ。」
「……彼氏が1番じゃ無いの?」
「翼君は1番大切な恋人よ。」
「え……?」
「かれんも、エリカも、優も……皆、1番大切な友達よ。」
「な、何を言って……」
「別にいいじゃない、1番が何人居たって。」
「ッ……!?」
1番が何人居たって良い……眞妃のその言葉に、私は衝撃を受けた。
「別に大切な人の数に制限が掛かってる訳じゃないんだし、好きにやれば良いのよ。」
「好きに……」
そっか、そんな事で良かったんだ……
「……眞妃は、欲張りだよね。」
「えぇ、そうよ。私は自分にとって大切なモノは決して手放したりしないわ。でも渚、貴女は違うのかしら?」
「私は……」
「優と一緒に居て、少しも楽しくなかった? このままだと、もう一緒には居られなくなるわよ? それでも良いの?」
「……」
眞妃の言葉に、石上君と過ごした3ヶ月の記憶が駆け巡る……そんな事は、聞かれなくてもわかり切っていた……
「楽しかった、嬉しかったよっ……! もっとっ、もっと石上君と一緒にっ……!」
そこまで口にすると……私の視界がユラユラと歪んで、涙が溢れて来た。
「はぁ……普段は立ち回りとか上手いのにね。器用な癖に、不器用過ぎるのよ。」
「ま、眞妃ちゃん……私、どうしたらっ……」
「……逢いに行きなさい。逢って、謝って……貴女が本当はどう思ってるか、ちゃんと言葉にしてあげなさい。」
「で、でもっ……私の所為で泣かせちゃったし、もしそれで嫌われてたらっ……」
「……ウジウジする暇があるならさっさと行きなさい!!」バシンッ
「は、はい!」
眞妃に怒鳴られ、背中を叩かれた私は……つい反射的に返事をして、そのまま駆け出した。
………
「ふぅ……後は自分でどうにかするでしょ。でも……」
ま、眞妃ちゃん……私、どうしたらっ……
(昔の渚を思い出しちゃったわ。メソメソする渚なんて久しぶりに見たわね、それはそうと……)
「