〈バッティングセンター〉
「フッ!……ンッ!」カキーン、カキーン
11月も終わりに近付き始めたある日……私は待ち人が来るのを快音を響かせながら待っていた。既に待ち人である会計君には、メッセージを送って呼び出している。そろそろ来る筈だけど……
「早坂先輩、今日も飛ばしてますね。」
「あ、会計君やっと来たし。」
「遅れてすいません。結構待ちましたか?」
「んー……まだ3ゲームくらいしかしてないから、そんなに待ってないよ?」
「それなら良かったです。それで、今日はどんな事が原因でストレスが溜まってたんですか?」
「……ん?」
(……あれ?)
「……先輩?」
ん? あれ? 今日は紀さんや巨瀬さんに捕まってしょうもない話をされた訳でも無いし、かぐや様に無理難題を押し付けられた訳でも無いし、書記ちゃんに任務の妨害をされた訳でも無い……
「……」
にも関わらず会計君を呼び出したって事は……
「……ッ!?」
私は普通に……ストレス関係無く、会計君と遊ぼうとしてたって事……?
「……先輩? どうかしましたか?」
「……なんでも無いし! ほらほら、今日はホームラン3回打つまで帰さないよ!」
「ハードルが地味に高い!?」
「わかってるなら、さっさと打つし!」
「お、オス!」
先程浮かんだ考えから目を逸らし、ホームランを打とうと四苦八苦する男の子を横目で見つめる。私に聞きたい事や確認したい事もある筈なのに、会計君は何も聞いて来ない。
「……」
会計君と会ったあの日、どうして変装をして話し掛けたのか、どうして学校と違うキャラを演じていたのか……彼は何も聞いては来ない。私自身も……会計君のその気遣いに今まで甘えて来た。文句も言わずに愚痴を聞いてくれて、ストレス発散に付き合ってくれる年下の男の子。そんな彼と関わる内に、私自身も彼との時間を心から楽しむ様になっていた。それはまるで……
「友達、みたい……」
そう言って良いのなら、そう思って良いのなら……
いいかい、今日からお前の主人はかぐやだ。言う事をよく聞くように。そして……かぐやの信頼を勝ち取り、一挙一動を報告しろ。
「……」
10年前の記憶に、自分の罪を自覚させられる……わかってる。私はそんな事を望める立場でも、そんな事が赦される人間でもないんだから……
「…ッ!……ッ!」カキーン
私は鬱屈とした気持ちから目を逸らす様に、無心でバットを振り続けた。
「はー、スッキリしたぁ……」
「満足しましたか?」
「ん、まぁね……」
ボールを打ちまくり、ストレスを解消し終えた早坂先輩が振り返りながら微笑む。
「じゃ、会計君……帰ろっか。」
いつものギャル仕様では無く、かと言って夏休みに変装していた早坂先輩とも違う。鬱憤を発散して、少し気が緩んだ所為だと思うけど……帰りを促すこの瞬間、
「……」
だけど……今日の表情は、今まで見たどの表情とも違っていた。上手く言えないけど、何かに耐えている様な……それがバレない様に取り繕っている様な……そんな雰囲気を感じた。
「……早坂先輩、何かありました?」
「え? 何かって何だし?」
なんでもない様にギャル口調で答える早坂先輩を見て、それ以上の追及を止める。しつこく聞いても躱されるだろうし、何よりも……僕は早坂先輩に内心を話して貰える程の人間なのか……それがわからなかったから。
「いえ、なんでもないっす。」
愚痴やストレス発散に付き合う関係……僕個人の認識で言えば、それは友人関係と呼んで良いと思う。早坂先輩が僕の事をどう思ってるか、それはわからないけど……そう言って良いのなら、そう思って良いのなら……早坂先輩と僕は友達だ。だから、これだけは言っておこうと思った。
「ただ……何か悩みがあるなら聞きますからね。」
「……えー? 悩みなんて別に無いよ? 会計君たら、いきなりどうしたし?」
「……何となく、早坂先輩が悩んでる気がしたので……」
「……」
「僕の気の所為なら、それで良いんですけどね。」
「そーそ、気の所為だし! ま、でも折角だから……もし悩み事が出来たら、その時は頼らせてもらおうかな?」
「任せて下さい。こう見えて、会長の相談に乗った事もあるんですよ?」
「あはは、会計君頼もしい〜!」
会計君と出会い、バッティングセンターへ呼び出したり愚痴を聞いてもらう度に、私の中で彼の存在が確かなモノになっていく。だけど私は、彼が尊敬している
〈四宮邸〉
〈ピピピピピ!〉〈ピピピピピ!〉
仕事を終え自室で寛いでいると、ベッドの上に置いていたスマホから着信音が鳴り響いた。
「……」
非通知と表示されているスマホ画面を確認すると、私は浅く息を吸って呼吸を整える……この時間帯、私のスマホに非通知で連絡をして来る人間なんて、四宮本家の人間しかいない。
「はい、此方早坂……」
〈あぁ、俺だ。〉
「っ!?」
スマホ越しに聞こえて来た声に……心臓が慄いた。現四宮家の頂点に君臨する四宮雁庵亡き後……跡取りの最有力派閥と称され、次代の四宮家を担うと目される男、四宮黄光……私の本当の雇い主。
「だ、旦那様、本日の報告はっ……」
〈まぁ、そう身構えるな。いつもの定時報告は良い、それよりも……〉
「……ッ」
身体が硬直し、小さく喉が鳴った。黄光様自らが直接私に連絡をして来る事なんて、今まで一度も無かった事だ。突然の状況に、心臓の鼓動が早まる……ダメだ、落ち着け、動揺している事を悟られるなと、私は出来る限り冷静になる様に努める。
〈ははは、そんなに緊張するな。軽い雑談でもしようかと思ってな。〉
「……そうでしたか。それで、どの様な事を……」
〈いやな、お前は使用人としての仕事もしているし、かぐやのサポートも任せているしで、年相応の青春を送れているか心配していたんだ。〉
「……」
有り得ないと思った。四宮家の……それも直系の人間である黄光様が、そんな人並みの心配をするなんて事ある筈が無い……警戒心が警報を鳴らし、理性が早く話を終わらせろと叫び続ける。
「御配慮頂いて恐縮です。ですが、私には……」
〈だが、無用な心配だったみたいだな。〉
「ぇ……?」ゾクッ
得体の知れない怪物に、背中を撫でられた様な感覚を覚え……背筋が震えた。
〈最近は青春しているみたいで何よりだ……年下の男とバッティングセンターとは、色気は無いが青春そのものじゃないか?〉
「っ!?」
その言葉に……足から力が抜けて蹌踉めいた。壁になんとか手をついて体勢を維持するも……
〈……どうした早坂? 電話越しに動揺の空気が漂って来たぞ? それではまるで……〉
「…ッ…ハッ…ハァッ……」
心臓の鼓動が早まり、呼吸が浅くなる。私は無駄だとわかっていても、胸に手をやり動揺を抑え付け様と努力する。
〈誰にもバレたくなかった秘密がバレたみたいじゃないか?〉
「……ッ」
喉を鷲掴みにされた様な息苦しさに襲われ、嫌な汗が背中を伝って行った……
〈……別に深い意味は無い。ただな……自分の役目を違えるんじゃ無いぞ?〉
「ハッ…はい、勿論です。黄光様から与えられた役目は、しっかりと果たしますっ……!」
〈そうか……ははは、わかっているならそれで良い。では……引き続き頼んだぞ。〉
接続が切られた音が耳に響くと、無意識に止めていた呼吸が再開する。
「ハッ…ハッ…ハッ……ハァッ…ハァ……」
呼吸が落ち着いて来ると、少しずつ心臓の鼓動も落ち着きを取り戻し始める。あの電話は脅しだ、自分の役目を忘れるなという……もし私が満足に役目を果たせなければ、悪意の矛先があの子へ向く事になるのだろう。
「ここまで……かな。」
……あの子を巻き込む訳にはいかない。あの子との時間は、私が四宮家の使用人だという事を忘れさせてくれる……とても得難い宝物の様な時間だった。でもそれも……もう終わらせる時が来たんだ。
「……ッ」
現実は思い通りにはいかない……そんな事は分かり切っていた。いつか来るその瞬間が、来ただけの事……頭では理解しているその事実が、どうしようも無い程に……私の心に突き刺さっていた。
四宮家使用人、早坂愛の素行調査について……
1ヶ月の調査の結果……早坂愛は黄光様からの連絡後、件の男子生徒と一切の接触を絶った事を確認。
学内の素行調査については、Adolphe Pescarolo氏に学園の敷地内に設置されている監視カメラの映像提出を要請すると同時に、聞き取り調査を経て学園内でも接触が無い事を確認。
引き続き調査を行うか否か、判断求む。
調査任務ご苦労。早坂愛の調査は打ち切り、○○県に居を構える四宮系列会社○○に向かう事。此処一年間の経理報告書に齟齬が生じている為、原因究明の捜査をする事が決定した。経営者、若しくはソレに連なる者が着服している可能性がある為、社員として潜入し着服の証拠を掴む事。
尚、期限は6ヶ月とする。