〈四宮邸〉
「は、早坂! 会長から勉強捗ってるかってメッセージが! な、なんてお返事したら!?」アワアワ
「落ち着いて下さい、かぐや様。先ずは、それなりに捗っていると送って会話を繋げて下さい。」
「わ、わかったわ!」ピコン
「……どうです、既読は付きましたか?」
「そ、そんな直ぐには……あ! 既読が付いたわ! ふふ、会長ったら直ぐに既読を付けるなんて、そんなに私からのメッセージが楽しみだったのね!」
「……」
早坂!! すぐ来て!!
……なんでそんな事を言うの?
今日はね……とっても良い日なのよ!
ち、ちょっと早坂!? 下手って何の話なの!? アレって何!?……ねぇ! 早坂ったら!!
四宮の人間たるもの、人を頼ってはいけません
人を使い、人を操り、必要であれば切り捨てなければなりません
気持ちを表情に出してはいけません
礼儀作法の笑みならば兎も角……怒りや悲しみを顔に出してはなりません
泣くなど以ての外です
幼少の頃から、私とかぐや様はそう教育されて育てられて来た。辛くて、苦しくて、メソメソと泣く私とは正反対に……かぐや様は淡々とその教えを吸収して行った。かぐや様は大概の事は1人で出来てしまうし、私の役目はあくまでサポートに過ぎない。でも……
………
「本日より、身の回りのお世話をさせて頂きます。早坂愛です、よろしくお願い致します。」
「嬉しいわ! そうだったら良いのにってずっと思ってたの!」
「……」
「赤ん坊の頃、私達は一緒に育ったのよ? 覚えてる?」
「いえ……」
「私はずっと覚えていたわ。よろしくね、早坂。」
………
そう笑い掛けてくれたかぐや様を……1人で頑張らせる訳にはいかないと思った。だから私は、必死に教育係の教えを吸収して一人前と言われる程の能力を身に付けた。その事実が……どれだけかぐや様の力になっていたかは、わからないけど……
………
「……ご立派です、かぐや様。」
「馬鹿を言わないで。溺れていたのは新聞社局長の娘……恩を売るのは後々得かもしれない、私は私の為に動いただけよ。」
「それでも……あの場で動いたのは、かぐや様だけなのですから。」
………
1年前、高等部に入学して間も無い頃……かぐや様は敷地内にある沼に誤って落ちた新聞社局長の娘を、身体がドブに塗れる事も厭わず助けた事があった。恩を売る為、自分の得になる可能性があったから、そう言って泥を拭う姿を見て……いつの日か、この子の不器用な優しさが報われる事を願った。
………
その数ヶ月後、かぐや様が生徒会に入って1ヵ月が経った頃……
「……」
「……かぐや様!? リボンなんか付けてどうしたんですか!?」
「ちょっとした、気分転換のつもりだったんだけど……上手くいかないわね。」
急に書記ちゃんみたいなリボンを頭に付けたかぐや様を見て、少し驚いたけど……直ぐにかぐや様の意図を理解した私は、リボンを結び直した。
「じゃあ……こういうのとか如何ですか?」
「これで良いわ。私はこういった事には疎いから……早坂、慣れるまで結ぶのお願い出来る?」
「……かしこまりました。」
………
何でも1人で出来るかぐや様から、初めて頼られた瞬間だった。その時から、毎朝かぐや様の髪を結ぶのが私の日課になった。成績は全国でもトップクラス、数々の分野で表彰され続けた孤高の天才……そんなかぐや様でも出来ない事やわからない事があるんだと安心したし、頼られる事が嬉しくて、主従関係を越えた発言もする様になった。
………
「早坂? どうしたの?」
「……いえ、何でもありませんよ。」
今、残飯処理って言おうとしませんでした?
えぇ、嘘ぉ……
ははは、早坂先輩言われてますよ?
え、ちょっ、早っ……!?
ここ数日……会う事を避けていた男の子の姿を思い浮かべる。そういえば……長い秀知院生活の中で、後輩と呼べる程親しくなったのはあの子だけだった。それは当然と言えば当然で、私の学園生活はかぐや様のサポートが最優先事項……だから親しくなる前に距離を取り、関係を絶った人間は沢山居た。
………
「……ふんっ!」ブンッ、スカッ
「全然腰が入ってないし!」
転々と転がるボールを一瞥すると、会計君は不思議そうにバットを掲げて見上げた。
「……?」
「コラー! バットの所為にすんなし!」
………
「フフッ……」
バットを振る事に慣れていないからか……最初の頃は全然打てていなかったし、ボールに当たらないのをバットの所為にしていた事思い出し、思わず笑みが溢れた。でも最近は慣れて来たみたいで、スイングも結構様になって来ていた。この前も……
………
「……はっ!」カーン、ボスッ
「あ、惜しい……」
「見ました!? もう少しでホームランでしたよ!」
「うんうん、ちゃんと見てたよー! ホームラン写真撮るのも近いし!」
「今日中に打って見せますから、期待してて下さい!」
………
そう言って喜ぶ姿は年相応で……あの子のそんな部分を見られる事が嬉しかったし、諦めていた青春を送れている様な気さえして……楽しかった。だからこそ、そんな青春を送らせてくれた会計君を思い出した時の最後の顔が……恐怖や苦痛で歪んだ顔になるなんて、私には耐えられ無い。でも……此処で終わりにすれば、まだ耐えられる。
「終わらせないとね……」
正義感からああいった事件を起こす人間は、いずれ本物の悪人と対峙した時に潰されるでしょう。
「……」
私があの子の事を調べて、そう評価した通りに……このままだと彼は、
「そんなの……」
ダメに決まってる……そんな事は許容出来ない。だから、もう終わりにしなければいけない。
〈昨夜未明……○○区にあるマンションの一室で、家族と見られる男女3名の遺体が発見されました。警察は事件性が見られない事から、一家心中の可能性を視野に捜査を進めており……〉
何気なく見たニュース番組で流れる、一家心中や自殺の記事……もしかしたら、その事件の中には四宮家が手を下した事で起きたモノが紛れているのかもしれない。もし私が黄光様の命に背き、利用価値が無いと判断されてしまえば……今度は、私の名前がニュースに載る事になるかもしれない。大好きなママも、私の巻き添えになってしまうかもしれない。だから私は、そんな目に遭わない様……かぐや様に対する罪悪感から目を背けて、黄光様にかぐや様の情報を流し続けて来た。
もし黄光様の脅しの標的が、かぐや様ならまだ対抗手段はあった。幾ら黄光様でも
今の私が……黄光様に対して持っている交渉材料では、1人しか守れない。彼を守るのにソレを使ってしまえば……かぐや様が守れない。かぐや様が政略結婚を強要されない為に……いつか、四宮家の呪縛から解放される為に……こんな段階で
「……」
……僅かに震える手でスマホを操り、最後のメッセージを送る。
〈もう私と関わらないで〉
「……ッ」
送信ボタンをタップし、思わず天井を見上げた……彼には友達が多いし、私の事なんて直ぐに忘れてくれるだろう……それに私は、いきなりこんな言葉を送ってしまう様な女だ。仲良くしても、得が無いと判断してくれるかもしれない。
「……」ギュッ
こんな言葉を送って……傷付けてしまうかもしれない。怒らせてしまうかもしれないし、嫌われてしまうかもしれない……でも、それは仕方がない事。
「ごめんね、今までありがとう……」
揺れる視界をそのままに、私は会計君のアカウントを拒否設定にして電源を落とした。後は学園内で会計君と会わない様にすれば、私の事なんか忘れてくれる筈だ。これでもう……
「大丈夫……」ギュッ
そう……大丈夫。私は耐える事には慣れている……こんなモノ、かぐや様を騙して裏切り続けた10年間に比べたら、何でもない……
「……ッ」
彼と出会う、少し前の状態に戻るだけ……それだけの事なのに、どうして私はこんなにも……