「(なんだぁそりゃあぁぁぁっ!)」
土俵上、本年度高校横綱、国宝『七星剣』こと久我北斗が心で絶叫し、国技館の観客が
その光景に思わず絶句する。
叩き込みに崩れ、前傾姿勢になっている彼のその背中の上、そこをなんと前転で
転がっているのは対戦相手の三ツ橋蛍だ。
およそ相撲と言う競技でありえないその絵、そこに至る過程を久我は絶望的な思いで回顧する。
全日本選手権の決勝トーナメント1回戦、相手があの大太刀高校出身の三ツ橋と聞いて
久我は大いに意気上がっていた。今年のIH、唯一黒星を付けられた学校の出身者であり、
2年前には自分も所属する栄大付属を団体戦で敗北せしめた時の部長でもある男。
既に相撲部屋への入門が決まっている久我、手土産にアマ横綱の称号と共に
大太刀出身者に一矢報いるチャンスに熱が籠る。
立ち合い、久我はIHの再現を警戒する。大太刀の柳沢に頭をみぞおちにめり込まされ、
内臓を直接押されながら両ハズを押し上げられ、得意の剛腕を封じられて寄り切られた。
コイツは柳沢よりずっと小さいが、確か潜る相撲を使っていたハズ、同じ戦法を狙って来る
可能性を警戒して低く突進した。
-ゴッ!-
『蛍火の如し・潜』で頭をはね上げられた彼は、ならばと下に構えていた両腕で相手を
ハネ上げに行こうとする。
だがその刹那、間髪入れずの十字かち上げで逆に下から上半身を突き上げられる久我。
そうはいくか、と出しかけた手を戻し、相手の体を諸手で止めて潜り込みをガードしようとする。
次の瞬間、相手は後ろに飛んでいた、寄りかかる相手を失ったことで体が前に泳ぐ。
覚えている、覚えているぞ蛍丸!この連携はかつてIHで立花寺の黒田相手に見せた、
突き上げてから叩き込みつつ『八艘飛び』で飛び越す流れ。俺がそれを知らないと思うか、
対策が無いと思うのか!
左右どちらに飛んでも俺の腕でとっ捕まえて薙ぎ倒す、あの幸田とかいう奴と同じにな!!
前に泳いだ久我の肩に両手を添えた三ツ橋は、そのまま久我を下方向に押し付け、その反動で
宙に舞う、ここまでは予想通りだった。ただひとつの事を除いて。
三ツ橋蛍は、何と久我の真上に宙返りしながら飛ぶと、そのまま首から相手の背中に着地し
久我の背中をマットのように前転して転がって見せたのだ。
八艘飛びでも普通は左右どちらかに飛ぶものだ、いくら相手の肩に手を置き、跳び箱みたいに
飛び上がれたとしても、相手の真上に飛び、その背中を転がるなど考えもしないだろう。
相手を捕まえようとした両手は空を切り、前に流れた体制の状態で85kgの三ツ橋の体重が
背中の上から圧し掛かる。
「(なんだぁそりゃあぁぁぁっ!)」
-叩き込み『大引波・海猿(おおうねり・うみざる)!』-
背中を前転し終えた蛍が腰を割って地面に着地し、すかさず久我の方に向き直った時、
すでに相手は四つん這いになって土俵に落ちていた。
「ひ・・・東、三ツ橋の勝ち!」
行司の判定と共に大いに沸き立つ国技館。かつての三ツ橋を知る者にとって、今日ここまでの
彼の相撲はどこか正統派なものが感じられていた。それだけにかつての彼を彷彿とさせる
この奇想天外な戦い方に、やっぱこいつとんでもない!とヤンヤの声を上げる。
「おお、マジで決めやがった。」
「ほんっとにこれっきりの作戦だよな、アレ。」
倫平と焔が拍手しながらそう呟く。
この全日本に出る選手なら誰もがあの高校横綱、国宝『七星剣』久我の対策は
考えてはいるだろう、通用するかは別にして。
だが蛍が彼らに相談したこのあまりにアクロバティックな戦法に、さすがに「正気か?」な
感想しか出てこなかったものだ。
「久我君は膂力も腕力もケタ外れだよ、横に動いてもあの剛腕で捕まってしまう、つまり
横の変化は使えないんだ。」
ならば真上に飛ぶしかない、と考えた蛍は、その姿勢作りや状況の持っていき方を試行錯誤する。
久我に体格の似た倫平を相手に色々試した結果、かつての黒田との一番で使った『大引波』が
一番応用が利く事を確信し、この連携を何度も煮詰め、そして今日の一番に臨んだのだ。
久我はこの無茶な取り口にもかかわらず、自分が四つん這いで振り向いた時にはすでに
迎撃態勢を取っていたことで、それが即興技では無く磨きに磨いた練度ある技であることを知る。
礼をして土俵を降りる。見事にしてやられた、この借りは必ず大相撲で返す!と誓う。
「・・・アレに勝たなきゃいけないんだよな、俺。」
そう嘆いたのは栄華大学の金盛だ。彼も1回戦を突破し、この一番の勝者と対戦する事に
なっていた。両親に大相撲入りを反対され、どうしてもというなら付け出し資格を獲得してこいと
言われていた彼にとって、次の一番はまさにベスト8入りを賭けた天王山なのだ。
久我と当たるかもしれないことに脅威を感じていたが、まさか三ツ橋の方が来るとは。
そしてその一番をイメージした時、実は久我と対戦したほうが遥かにマシだったと
思わざるを得ない。
いかに強敵でも、普通の相撲を取る相手なら自分も普通に相撲を取ればそれでいい。
だがこの相手に自分は一体どういう相撲を取ればいい?どんな戦いをイメージして
土俵に上がり、どういう相撲を想定して立ち合えばいいのかが全く見えてこない。
-東、栄華大、金盛。西、流山流星大、三ツ橋!-
いよいよ付け出し資格習得のためのベスト8を賭けた一番。
大和国親方に宿題として出された資格を取るために負けられない蛍。
大相撲へ進むのにどうしても資格が欲しい金盛、共に負けるわけにはいかない。
準国宝『金剛力』vs国宝候補『蛍丸』。先に進むのは果たしてどちらか。
「「つよし先生ー、頑張ってーっ!」」
会場の一角から若い声援が飛ぶ。声のする先に居たのは15人ほどの中学生。
つい先月まで金盛が教育実習として出向いていた学校の生徒たちだ。
彼らを仰ぎ見て金盛はふっ、と力が抜ける。そうだ、俺は俺の相撲を取ればいい、
相手が誰だろうと、彼らに恥ずかしくない相撲を取るんだ。
-手をついて-
金剛力が仁王の様な目で相手を睨む、蛍もまたらんらんとしたその目で真っ向から
視線を返す。
「(お前と真剣勝負をする日が来るなんてな。)」
かつてモヤシみてぇな奴と一蹴し、タイヤすら持ち上げられなかった三ツ橋が今、
自分の角界入りの最後の関門として立ちはだかっている、だが思いは一つ、俺は勝つ!
-はっきよい!-
ガッツウゥン!両者頭から激突、真っ向勝負からのけ反ったのは、なんと金盛の方だ!
蛍は『蛍火の如し』のずらしを使いつつも、左右にも下にも飛ばずにそのまま肩から金盛を
突き上げたのだ。
「(これは・・・鬼丸の立ち合い!)」
蛍火の如しは元々、鬼丸の『火の如し』に変化をミックスさせた立ち合いだ。
それをあえてせず、ずらしの技術だけで金盛と互角以上に渡り合って見せる、いかに金盛が
変化を想定してたとはいえ、まさかの光景に金盛が、そして会場が騒然となる。
相手を押し上げた蛍はそのまま組み付き、低い背を利用して頭を相手のアゴの下に付け
腰を割って両下手を取る。ここまで見せなかった蛍のがっぷり四つに、倫平と焔は色めき立つ。
「やっぱりここで使うか!」
「行け!行け!三ツ橋っ!!」
蛍は彼らに話していた。本当に自分が大相撲に行く資格のある人間なのか、それを試すために
一度だけ小細工抜きの真っ向勝負をしてみせる、と。
蛍の目指した何でもできる相撲、それは言い方を変えれば真っ向勝負も出来るということ。
そのベースがあって初めて変化は生きてくる、正面から相手を圧倒する強さを持たなければ
所詮目指す所には辿り着けないだろうと。
金盛はその長い腕で蛍の外から両上手を取る。腕が伸びきっている状態ではあるが、その
金剛力の異名は伊達ではない、ここからの引き抜く腕力は絶大な威力を誇る。
「ふんぬーっ!」
気合一閃、蛍を吊り上げようとする金盛。だが蛍も両下手を引きつけ、なおかつ自分の
頭頂部を相手の顎に押し当てて吊らせない、土俵中央で両者の力が籠る、力相撲だ!
ぎりぎりと歯を食いしばって耐える両者。力では金森が、体勢では蛍が有利な状態で
拮抗して動かない、動けない。均衡を破るのは・・・
蛍だった。
「せぇやあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
会場に響き渡るその雄叫びと共に、ついに金盛を吊り上げる蛍。
かつて赤池が、彼の先輩の菅が得意としていた、気を吐くことで乾坤一擲の力をひねり出す方法。
蛍自身も黒田との一戦、『カッコ良くなりたい!』と叫んで相手を吊り上げたその気迫が今、実を結ぶ。
「ぐぅっ!」
金盛が思わず吐き捨てる。なんたる不覚か、三ツ橋に吊りが無いなんてどうして決めつけた?
相手の腹の上に自分の腹を合わせたこの体勢は吊って下さいと言ってるようなもんじゃねぇか!
懸命にもがく金盛、重心を前にずらし吊り出しに向かう蛍、硬直していた二人の力士が今、
土俵際に向けて動き出す。
「走れーーーっ!」
「持って行け、決めろっ!」
「止めろ金盛!間に合うぞ!!」
「引きつけろ、うっちゃれ!!」
倫平が、焔が、五條が、狩谷が声を出す。今のチームメイトの勝利を願って。
土俵際、金盛の足はなんとか土俵外に踏みとどまって着地する。のこった!と思った瞬間
蛍は素早く腰を切り、肩を跳ね上げて金盛の両上手を叩っ切る。
両腕を跳ね上げられ、バンザイをした金盛に蛍の最後の一歩がめり込む。まるでメダル落としの
ゲームのように金盛の体がずれ、土俵外に足を出す。
-寄り切って西、三ツ橋の勝ち!-
歓喜する流星大の二人。これであの三ツ橋の雄姿を大相撲で見ることが出来るんだ!
天を仰ぐ栄大の二人。だがすぐに顔を見合わせ、三ツ橋の成長に目を細める。
観客席で見ていた荒木は、思わずため息交じりに一言呟く。
「おーおー、ついに金盛さんにも勝ちやがったか・・・呆れたもんだ。」
礼をして土俵を降りる金盛。自分の夢が潰えたことに落胆を隠せないでいた。
だが、会場に来ていた生徒たちの事を思い出し、教師としての人生にも思いを馳せる。
「ああ、いい教材じゃないか、三ツ橋の奴は。」
今の一番、自分の最後に戦った相手の物語、ひ弱だった少年が数々の経験を経て、
強く、たくましくなった。それは子供たちに諦めない事、努力の大切さ、夢を追う事の尊さを
教えてくれるだろう。
そして土俵に向こうにいるその彼に目をやる。息も絶え絶えで、ふらつきながら
イスに雪崩れ込む、その姿に心からの声をかける。
「頑張れよ、三ツ橋。」