蛍火は円(まどか)に舞う   作:三流FLASH職人

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第108番 ポプラの大樹

「ひがぁ~しぃ~、草薙、くさぁ~なぎぃ~」

 

 呼び出しの声と共に土俵に上がる大関、草薙関。それを合図に国技館が熱狂する。

「来たーーーっ!頼むぞ草薙ぃーっ!!」

「待ってましたぁ大関ーーーっ!待っているぞ横綱ーーーーっ!」

「やっぱお前しかいない、行け行け大和国二世ーーー!!」

「夢を見せてくれーーーっ!」

 

 -くっさなぎっ!くっさなぎっ!くっさなぎっ!くっさなぎっ!-

 -くっさなぎっ!くっさなぎっ!くっさなぎっ!くっさなぎっ!-

 

「さぁ、いよいよ次代の綱を巻く男、草薙関の登場に国技館も興奮を隠せません!

先場所ついに幕内最高優勝、しかも全勝でこれを勝ち取り、今場所に横綱昇進を賭けます。

その初日の入り方、ここはやはり大事ですよね、大和国親方。」

 興奮気味にアナウンサーがそうまくしたてる。だがそれも無理のない事だろう、長年の

相撲ファンの悲願であった日本人横綱の誕生、その栄光の15日間が今日からスタートする。

TVも、メディアも、そしてネットもこの草薙の今場所での横綱昇進を待ちかねていたのだ。

 

「いえ、楽観はいけません、文字通りふんどしを締めてかからないと足をすくわれますよ。」

「いやいや、相変わらず親方はご子息に厳しいですが、先場所を見る限り期待するなと言う方が

無理でしょう、今の草薙関は本当に強いですよ。」

 先場所の全勝優勝は、その相撲内容もあらゆる面で完璧だった。数珠丸を真っ向から寄り切り

大典太の突きを捕らえてネジ伏せ、三日月の攻めに耐えに耐えて万全の態勢で決着、

鬼丸や童子切をも正面から切って落とし、ついにあの横綱刃皇すら上回って見せた。

その強さを目の当たりにしていれば、今場所で彼が綱を巻くのは誰もが確実だと思うだろう。

 

 だが、熱狂する会場にあっても大和国は、この一番を楽観視してはいなかった。

「相手が会っての相撲ですからね、相手の圧切関は先場所で十両優勝して勢いに乗っていますし

草介・・・草薙にとっても初顔の相手ですから、なおさら油断は禁物ですよ。」

「いやぁ問題無いでしょう、圧切関はぶちかましの力士ですし、部屋には同じタイプながら

一回り大きく経験も豊富な大和号関がいらっしゃるんですから、対策も完璧では?」

 

 アナウンサーにしてみれば、大和国親方のその辛口な物言いに少し不満があるだろう。

局も世間の風潮に乗る気マンマンで、とにかく草薙推しで中継を進めたいのが本音だ。

それでわざわざ初日の解説にお招きしたというのに、こうも期待感を薄れさせられるのは

今後の青写真を考えたら少々勿体ない。

 まぁ今日の一番で草薙が完璧に勝って、親方の目じりを下げさせることになればそれで

問題は無いだろう、と切り替えて中継に戻る。

 

 草薙のプロフィールやら、その強さの秘訣やら、大和国の血統がどうだとかを

まくしたてるアナウンサーの言葉に耳を貸さずに、大和国親方は心で息子に檄を飛ばす。

「(草介・・・油断するなよ。その男はお前が思っているより、この一番に・・・)」

 

 土俵上、蹲踞して塵手水をし、時間前の仕切りに入る両者。熱狂の後押しにもかかわらず

淡々と仕切る草薙に対し、対戦相手の圧切は今まさに人生の天王山、剣ヶ峰に立っていた。

 

どれほど待ち焦がれただろう、この瞬間を。

どれほど恐れただろう、この一番を。

 

 5年前のあの日、目の前の男に睨み出されてから、今の彼の人生が始まった。

屈辱と、自虐と、自責と、後悔と、そこから這い上がるための唯一のか細い糸を頼みに

ドン底から這い上がって来た、永久に届かないと思われたその場所へ。

 

 だがそこに立った時、彼の胸に去来するのはかつての弱い自分。

今日また草薙の圧に屈し、同じ負け方をするのではないか、自分は本当にあの時から

強くなったのか、変われたのか、そんな不安が押し寄せる。

 仕切りの度に脂汗が噴き出し、心臓が早鐘を打つ。相手は今やただの久世草介ではない、

幕内で全勝優勝し、会場の、いや日本中の期待を背負って立つ男なのだ。

自分に勝ち目はあるのか、いや、そもそも今自分がここにいるのは現実なのか、

そんな思いさえ頭をよぎり、全身がふわふわと芯を定められず浮足立つ。

いかん、こんなことじゃ・・・

 

「圧切ーーーっ!」

「クローっ!ファイットーーーっ!!」

 塩を取りに戻った時、草薙コールをかき分けて会場の一角から、彼の名を呼ぶ声が届く。

そちらに目をやり、あっ!と固まる圧切。視線の先に居たのはかつての立花寺高校の相撲部や

クラスメイト達、先生方や後援会のOBの顔も見える。

 皆、一様に声を出し、圧倒的な草薙の声援に懸命に抗っている。そして彼はそんな輪の中心に

ひとりの女性が抱え持つ額縁の中の写真に目を奪われる。

 

 ふっ、と圧切の力が抜ける。体が芯を取り戻し、漲るべき所に力が行き渡る。

土俵を踏みしめる足の裏、塩を握る右手、固く締められたマワシ、彼はその時、己を取り戻した。

「(よし!)」

 塩を撒き、仕切り線に向かう。腰を割り、時間前の仕切りを行い、目の前の『敵』を見据える。

そこにいたのは、相撲の神様ではない、自分と同じ『力士』でしか無かった。

 

「へっしきりぃーーーーっ!!」

 懸命に圧切を応援する20人ほどの一団。だがその周囲の人間にとって彼らはうっとおしい

だけの存在でしか無かった。折角草薙が日本人横綱になろうとしている時に、その敵を

応援するなんて!ウザい、邪魔だ。

 

「おいお前ら!日本人だろうが、草薙を応援せんか!!」

 中年のガンコそうな親父がその一団に向けてそう発する。そんなに圧切を応援したけりゃ

明日以降にしやがれ、と。

 

「キサン!なんば言っとっとかぁーーーっ!くらすぞコラァーーッ!!!」

 会場中に響き渡る声で絶叫したのは、何とそのオヤジの隣にいた華奢な若い女性だ。

あどけなさが残る博多美人にまるで噛み付かれんばかりにいがり倒され血の気が引いた親父が

持っていたカラのカップ酒をごとっ!と落とす。

 

 その絶叫に会場が一瞬静まる。周囲の圧切応援団はよくいった!という顔で、ここぞとばかり

圧切に声援を送る。

 彼らは知っている。圧切関こと黒田敦がどれほどの思いで今日に辿り着いたか、

自らを罰し、重責を背負い、己にひたすらムチをくれ続けて、ついに辿り着いた終着点。

かつての弱い自分を殺すためひたすらイバラの道を駆け抜けて来た、その出口のドアに

ようやく手がかかったというのに、言うに事欠いて明日にしろだ?できるわけなか!

 

 土俵上、両者が別れ力士にタオルが渡される、時間一杯の合図だ。

再び熱狂に包まれる場内、大半の草薙の声援に抗うように声を絞る圧切応援団。その中央で

1人の女性が大きな額縁を上に掲げていた。

 

 中に納まっているのは、一本の大きなポプラの樹の写真。

立花寺高校名物『不屈の樹』と名付けられたその大樹、かつて若木だった頃、とある理由で

根から薙ぎ倒されていた。

 だが再び植え直されたその樹は、再び雄々しく根を張り、花を咲かせ、実を付ける。

幹の一部を剥離させ、倒れても立ち上がるその強さは、いつしか立花寺男子の見本として

慕われる大樹と成っていた。

 

 そう、倒れてもまた立ち上がればいい、かつてのこの樹も、そしてこの樹を倒した

張本人である土俵上の彼も。

 

 -手をついて-

 

 草薙はいつもの通り先に両手を下ろし、辺りの景色が白く溶けていくのを感じる。

静謐で、自分と相手以外存在しないような世界。この時こそ自分は土俵に、勝負に

没頭できる、と。

 

 そして相手を見た時、草薙は己の認識の甘さに愕然とする。

そこにいたのは、数えきれない程の物を背中に抱え、それを後押しにせんと構える

まるで大波を背負った剣士のような『気』をまとった力士!なんなんだ!?彼は。

 

 -はっきよい-

 

 頭と頭で激突する、押し勝ったのは圧切のほうだ!草薙はのけ反りながらも反射的に

右上手に手を伸ばす。

 -ビチィン!-

 圧切の放った左ヒジのバックエルボーが草薙の右手を弾き飛ばす。乾坤一擲を全身に纏った

彼の突進が草薙を土俵際に追い込んでいく。

 

 悲鳴を上げる国技館、パニックに陥る草薙。

どうして安易に右上手を取りに行った?それじゃあ以前の僕と同じじゃないか。

彼は一体誰なんだ?どうして初日でここまで懸命になれるんだ、まるで明日引退する

力士の気迫じゃないか。彼の背中を押すその力は一体何なんだ?

 

「(バカ者が・・・)」

解説席で大和国がそう心でこぼす。悲痛に絶叫するアナウンサーの横で、冷静に、静かに、

そして『当然だ』という感情を込めて続ける。

「(自分の尺度で測れない『心』の強さ、これで思い知るだろう!)」

 

 草薙の足が俵にかかる。刃皇も、鬼丸も、童子切も、大包平も、大典太もその光景に

口を開けたまま呆然として固まる。

 押し込んだ圧切は素早く下手を引くと、瞬時に手前に引きつけて草薙の足を俵から離し、

次の瞬間に相手を吊り上げると、そこから一歩前に押す。

 

 -吊り出し『棚浮かせ』-

 

 吊られたわずかな時間、草薙の足は土俵の俵を奇麗に乗り越え、土俵外に足を下ろしていた。

俵を足にかけての抵抗をさせないための小技、先程のヒジ打ちと同じく、長年研究してきた

草薙を倒すための最後の一手、それが今、花を咲かせる、実を結ぶ。

 

 -へしぃ~きりぃ~-

 

 行司の軍配が上げられる。観客の悲鳴とアナウンサーの「草薙敗れるーっ、まさかーっ」

の絶叫をBGMにして、国技館に座布団が舞い踊る。

 

 粛々と勝ち名乗りを受ける圧切。だか彼の頭にはこの5年間の記憶が次々と

フラッシュバックして蘇える、それが心を揺さぶる。

 

 手刀を切り、懸賞金を受け取り、土俵を降りた彼の頬には、熱い玉の光が止め処なく

流れていた。5年間封印し、溜めていた歓喜が今、堰を切って溢れ出す。

彼の応援団も皆、涙を流す。ある者はハンカチで目を抑え、またある者は天を仰いで

「やったなぁ、クロ・・・」と祝福を思う。あの日から5年、ようやく彼は自ら課した鎖から

解き放たれたのだ。

 

「いやな予感はしてたんだ、あの時からなぁ。」

 支度部屋で蛍丸の横にいた清心道がそうこぼす。草薙の付き人である彼らは先日、

親方からこう言われていた。

「草介には圧切・・・黒田君の事は何も言わず、黙っておいてくれ。」

 てっきり雑念を排するために言ったのだとばかり思っていた。だが本当は草薙に

彼との一番を通じて何かを教えようとしていたのかもしれない、今日の結果を見る限りは。

 

 蛍丸はこの時、草薙の付き人として不謹慎とは思いながらも、ひとつの感情を抱かずには

いられなかった。かつて高校相撲で、意識を飛ばした僕をわざわざ起こしてくれた

そんな正道を行くライバル、悲願を達成した彼に対する祝福を。

自分より一足早く心の棘を抜くことに成功した、先駆者に対する称賛を。

 

「(おめでとう、黒田さん。)」

 

 

 圧切長谷部。

後に『草薙キラー』と称され、彼の横綱昇進を何度も阻む壁となる力士の、

幕内デビュー戦であった。

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