「蛍丸関、十両昇進おめでとう!」
親方の言葉に拍手が起こる大和国部屋。九州場所で勝ち越した蛍丸は、ついに
関取の地位である十両への昇進が決まったのだ。
「ありがとうございます、ますます精進いたします。」
親方に、皆に礼をする蛍。先の九州場所は幕内で大関の草薙が2度目の優勝をした事もあり
祝賀ムードもひとしおだ。まぁ、その草薙は今日もTV番組に引っ張りだこなわけだが。
「さて、ここで紹介したい人物がいる、どうぞお入りください。」
親方の言葉に続いて稽古場に入ってきたのは、人の良さそうな笑顔をした初老の男。
白髪や顔のシワが年齢を感じさせているが、ピンと伸びた背筋は老人よりも紳士の
イメージを彷彿とさせる。
「初めまして蛍丸関、私、松本と申します。」
そう言って名刺を差し出す。蛍はそれを受け取りつつ、その紳士をまじまじと見る。
「・・・あ!思い出した。以前の祝賀会でお声をかけて頂いた方、ですね。」
2年前、蛍の初土俵だった場所の後、打ち上げ会で彼に声をかけてくれた人物だった。
名刺に目を落とすと『リーンカンパニー代表取締役』の文字。ええ!?あの大企業の?
「蛍丸関のタニマチ(個人スポンサー)を希望しておられる、光栄なことだぞ。」
親方の言葉に体がびんっ!と張り詰める。なにしろ相手は半導体の生産と輸出で
世界的なシェアを誇る大企業、それがまだ十両になったばかりの蛍を支援するというのだから。
「は、はいっ!ありがとうございますっ!」
固まった体を90度折り曲げて頭を下げる、相手は自分とは違う世界の人間、もし自分が
力士でなかったら影さえ踏めない存在なのが伝わってくる。
「それじゃ親方、今日一日彼をお借りします。」
そう告げる老人に、親方はよろしくお願いしますと頭を下げる。蛍は下の者が持ってきた
着物を羽織って一緒に外に出ると、止めてあった黒塗りの高級車の前に立つ。
運転手らしき大男がドアを開け、松本氏に続いて後部座席に蛍を誘導する。
「あ、あの・・・どちらへ?」
「ついてからのお楽しみさ。」
ゆったりと席に身を沈める松本氏。蛍は初めて乗る高級車の静粛性に驚きながらも
緊張を和らげんと、ふぅ、と息をついてシートに身を埋める。
しかし・・・この運転手すごい体してるな。ボディガード兼任だろうか、自分より
よっぽど相撲取り然とした体つきなんだが。
高速を駆け抜け、やがて車は千葉県内のインターに降りる。目的地はこのあたりのようだ。
果たして要件というか仕事は何だろう、まさかまだ十両の自分がいきなり企業のCMに
抜擢されるはずもないし、社の重役や取引先への紹介あたりが妥当だろうか。
が、目的地は意外にも、会社でも無ければ撮影スタジオでも無かった。
海にほど近いその、こじんまりした小料理屋の駐車場に停止する車。
松本氏に続いて車を降り、そのまま店内に入る直前、蛍はその店の看板を見る。
”海鮮小鉢あかいけ”
「へいらっしゃい!」
暖簾をくぐった先に居たのは、懐かしい顔の板前だった。
「赤池君・・・君の店だったのか、お久しぶり!」
「俺らもいるぞー。」
声の主に驚く蛍。なんと桐仁、陽川、大峰の3関取が座敷に座っているばかりか、別の
テーブルや座敷には幸田、沼田、柳沢、千鶴子に小林。懐かしいダチ高メンバー勢揃いだ。
「この店も松本さんに出資してもろて出せたんスよ。」
赤池がそう解説する。しかしよくこんな大企業のトップに出資してもらえたなぁ、と返すと
逆に赤池の方が『へ?』という顔をする。
「はっはっは、そろそろいいだろ、康太。」
松本氏のその言葉に、後ろに控える運転手がサングラスを外す。その顔を見た瞬間
蛍は愕然とした表情で口を開ける。
「ま・・・松本君!見違えたよ、君だったんだ!!」
かつての坊主頭の印象が強すぎて気付かなかったが、確かにその人のよさそうな顔と
鍛え込まれた巨体はかつての後輩のものだった。
「言ってたでしょ、いつか三ツ橋部長のタニマチになりたい、って。」
松本氏は彼の祖父らしい。企業人の道に進んだ彼は仕事に励む傍ら、かつての同僚への
支援をいろいろ画策してきたそうで、実は桐仁、陽川、大峰のタニマチでもあるらしい。
この店も赤池の為に支援し、赤池もそれに応えて父と共にしっかりと店を切り盛りしている。
「身びいきで言ってるかと思いきや、康太も見る目がある。」
おしぼりで顔を拭きながら松本氏はそう話す。彼が紹介した人物は皆、会社といい関係を
続けているそうだ。思えばダチ高時代から彼は温厚な性格で人当たりが良かった。
格闘家としての芯の強さも企業人として大いに貢献している事だろう。
「これでゆずが居たら全員集合なんだけどなぁ。」
かつてのメンバーでひとりだけこの場にいない。そう、堀柚子香だ。
女子相撲協会に所属した彼女は、女子相撲の普及のため、仲間と共に世界中を回っている。
時々届くメールで伝わる彼女の奮闘は、蛍にもずいぶん力を貰ったものだ。
「今は確かイギリスだよ、大変だろうによく頑張るよ。」
そう語る蛍。だが周囲の面々がややニヤついてたり、笑いをこらえて目を背けているのに
気付けていなかった。
「しかし女子相撲の普及に世界中飛び回るって、まるでエド〇ンド本田だよねぇ。」
ケラケラ笑ってそう話す蛍に周囲の空気が一瞬固まる。え、いや、その例えは?と冷や汗。
「海外でも鬼軍曹っぷり発揮してるのかな?あまり日本的な体育会系空気出してなきゃいいけど。」
蛍が一言発するたびに周囲の緊張感が増していく。だが蛍は場慣れしない場所のせいか
それに気付けない。
「海外でも肉体言語で説得してるんだろうね、目に浮かぶ・・・」
-がしっ!-
蛍の言葉を止めたのは、頭の上から彼をわしづかみにするその手だった。黒いオーラを
背後に感じ、蛍はま、まさか・・・と冷や汗を流し、ゆっくりと振り向く。
「ほほう、とりあえず百〇張り手でも食らってみる?」
『無道の相』を身に纏った堀柚子香がそこにいた。その流れる炎のようなオーラが
彼女の表情にクマドリのような模様を描く、これじゃまんまエドモ〇ド本田だ。
大相撲料亭場所 堀柚子香〇-蛍丸●(鬼無双)
「ふんだ!別に蛍に会いに帰国したんじゃないからね。お姉ちゃんの結婚式に出るだけよ!」
平身低頭で謝る蛍に、ぷんすかむくれてそう返す柚子香。こう言ってはいるが彼女の格好は
和服をばっちり着こなしている、ただ帰国しただけでここまでコーデする必要はないだろう、
元ダチ高のメンバーが仕込んだサプライズは大失敗に終わった。
「そっか、マネ・・・千鶴子さんもいよいよ。」
堀千鶴子。彼女は柴木山部屋の大関、冴の山と親密な仲だった。だが冴関のストイックな
性格ゆえに、横綱に成るという夢を遂げるまでゴールインはしないつもりでいた。
が、流石に待たせ過ぎだ!と親方からお叱りを受け、目先を変える意味でもこの度
めでたく結婚することと相成ったのだ。
「結婚といえば、テッツーと小林さんはいつ?」
沼田がカウンターでそう赤池に、そしてわざわざ皆に聞こえる声で言う。
その言葉に、ったく、と頬をかく赤池と、耳まで真っ赤にして俯く小林。
「ンなコトより、そろそろアレ行こーや。」
赤池の言葉に、蛍以外の全員が『そうだな』と頷く。蛍だけがその言葉を理解できずに
頭にハテナマークを浮かべている。
その蛍の後ろで柚子香がぴょん、と後ろにステップし、両手を広げる。まるで着物で
後ろにある壁を隠しているかのように。
「ま、気を取り直して、と。蛍、松本さんと私たちからの贈り物。」
「贈り物?」
柚子香の言葉と態度にいぶかしがる蛍。柳沢が「自信作ですよ」と解説を入れる。
うやうやしく体を横にずらす柚子香。その後ろにあったのは、壁にかかっているのは、
タテヨコ1mほどの、一枚の蒼い布。
「・・・あっ。」
蛍は知っている。その布を、用途を、そしてその価値を。
化粧まわし。
関取が土俵入りする際に身につける前掛け。十両以上に昇進した力士のみが身に纏う事が敵う
その力士を象徴する文字や絵が描かれる、力士の顔であり名誉でもある聖衣。
「・・・凄い。」
見入った蛍が辛うじて言えたのは、その一言だけだった。
ぱっと見は漆黒に輝く天の川を連想させる。だがその光の群れは星々では無かった、
無数の蛍火の群れが、蒼い夜天に無数の輝きを散らせている。
中央には日本刀、それもまた柄のすぐ先から刀身が原子霧散するかのように幾多の光に分かれ、
光点の輝きを放ち、舞い踊る。
蛍丸、刃こぼれが蛍火となって剣に戻り、再生したという伝説を持つ名刀。
その物語が、それ以上の神聖さが、この一枚の布の中で『世界』を作っている。
「これを・・・僕に?」
絵から視線を離さずそう言う蛍に、周囲の面々が解説を入れる。
元絵を考えたのは他ならぬ柚子香で、その案に皆が細かい修正を入れて原案を完成させ
柳沢のいる帝都大学のCGデザイン部の協力を得て立体化時の色合いを決めたそうだ。
出資した松本氏も満足する出来に笑顔を見せる。
「みんな、そして松本さん、ありがとうございますっ!」
本日二度目の90度角の礼。サプライズの第二弾は成功してよかった、安堵し拍手する一同。
「どれ、ひとつ纏って見せてくれないか。」
その松本氏の言葉に蛍は頷き、着物をはだけて幸田と沼田に化粧まわしを当てがってもらう。
おおー!と沸く店内。小兵ではあるが絞り込まれた蛍の肉体に、その宇宙を思わせる
蛍火の群れは実に良く映えた。
「ぜひ『幕内』でこの化粧まわしを披露してくれたまえ。」
「はい、必ず!」
力強くそう返す蛍。そんな彼に桐仁たちは「お、言うねぇ」と返す。
「今の十両上位は超激戦区だぜ、そんな事言って大丈夫かよ。」
確かにそうだ。幕内上位に国宝の面々が定着している現在、幕内下位と十両上位のレベルは
非常に拮抗している。桐仁さえもが何度も幕内と十両の間を行ったり来たりしている状態なのだ。
そのすぐ下の地位、今一歩で幕内入りに届かない力士に至っても、彼の知る強豪力士が
ひしめいている。今この場にいる陽川(陽鉈)や大峰(薫峰)、柴木山部屋の薫丸や大河内(國平)
大和国部屋のダニエル(大欧牙)に澤井(清心道)、幕内復帰を目論むベテランの巌竜に三尾錦。
彼らを突破していかないと上には行けないのだ。蛍の目指す場所への道のりはここからが
いよいよ本番であるといえる。
「もちろん、負けるつもりは無いよ、君達にもね。」
化粧マワシを当てがってもらったまま桐仁たちに返す蛍。その言葉で力士の目になった3人が
蛍を睨み返す。本場所さながらのぴりっ、とした空気が店内を包む。
と、店の扉ががらっ、と開き、一人の大男が入って来る。
「おーいテツ!来たでー。って今日は偉い盛況やなぁ。」
マゲ頭に着物、その男も力士だ。赤池の旧知の仲であり、そして彼らの強敵となる一人。
菅正一、四股名『蜂須賀正恒』。
「また増えたよ。」
「今日は十両バーゲンセールの日だな。」
沼田と幸田がやれやれと呆れる。この面々が次の場所以降、幕内入りを目指して激戦を
繰り広げるその光景を想像し、相撲ファンとして心躍らせる。
松本氏が所用で退席し、皆と久しぶりのちゃんこを楽しんだ後、蛍は柚子香と店を出る。
夜風に当たりながら、二人は近況報告や、取りとめの無い話をする。
次々回のオリンピックで女子相撲が参考競技として選出される可能性が出て来たとか、
大和国親方の酒豪っぷりに部屋の皆が戦々恐々としている話など、この2年にお互いが
知らない時間を共有しながら歩く。
姉の結婚式が終わったら、柚子香はまた海外に戻らなければいけない。それはつまり
十両まで上り詰めて、結婚できる身分になった蛍と一緒になることがまだ叶わないと言う事。
「浮気・・・しないでよ?」
その言葉に、柚子香の頭にぽふっ!と手を置く、蛍なりの雄弁な返事。
「結構待たせたからね、僕も少しぐらい待つよ。」
その言葉に気をよくした柚子香が、たたっ、と数歩走り、蛍の方に向き直って言い放つ。
「どうせなら、夢を叶えて。私も叶えるから。」
白い息を吐き出しながら、着物を纏った少女はそう蛍に告げる。
4年前の雪の日、彼に道を示したそのままの姿で。
タニマチ・・・いくら調べてもどんな存在なのかさっぱり分かりませんorz
本作ではいわゆる『スポーツ選手のスポンサー』という体で扱っています。