大相撲名古屋場所、千秋楽の中入り直前の一番、十両最後の取組に会場のドルフィンズアリーナが
沸きに沸いていた。
”蛍丸回る、まわる、回転し続ける!蜂須賀も懸命に堪えるーーっ!”
アナウンサーのその絶叫の通り、相手の懐を捕らえた蛍丸はそこからひたすら円運動を続ける。
上から覆い被さった蜂須賀はその回転に巻き込まれながらも懸命に堪える。
十両東の筆頭、蜂須賀と西3枚目の蛍丸の一番、12勝2敗の蜂須賀が勝てば文句なしの優勝で
2場所ぶりの幕内復帰が確実となる。対する蛍丸が勝てば、十両で実に22年ぶりとなる快挙が
起こり得た。両者とも個性的な人気力士ではあるが、それ以上に会場が沸く理由がそこにある。
かつて大学時代、この蜂須賀こと菅正一に潜る相撲を引っこ抜かれて負けた経験がある蛍丸。
そんな相手の攻略のヒントとなったのが、柴木山部屋の大関、鬼丸の使う
『懐に入って振り回す相撲』と、大河内こと國平の『相手のマワシをハンドルのように
回しながら自分も回転する』戦法のミックスだった。
自分には鬼丸のような大型力士を振り回す膂力は無い、ならば自分が相手の周りを回転しつつ
相手をマワシごと回して回転に付き合わさせるこの『蛍の円(まどか)』で相手の足を土俵に
噛ませず、投げを打たせない戦い方で翻弄しにかかる。
蛍丸は回りながら、冷静に相手の呼吸を測っていた。相手の胸に付けた額から肺の呼吸を
読み取り、相手の反撃の瞬間を、その意思を察知せんとする。
胸の圧迫感が額に伝わる、息を大きく吸い込んだ!そして止まる呼吸、来るっ!!
「けえぇぇらあぁぁぁぁぁっ!!」
気合一閃、回転の逆方向に上手投げを放つ蜂須賀。彼の象徴とも言える雄叫びと共に
恐るべき勢いの上手投げが蛍丸を逆方向に吹き飛ばす。
「なっ!?」
思わぬ相手の軽さに驚愕する蜂須賀。飛ばされた先で蛍丸はそのまま逆方向に回転していた。
投げが来るタイミングさえ察知できれば、彼にとって残すのは十分可能だったし、その勢いを
逆に利用して止まらずに攻め立てる、昨年来のトレーニングで十分に養ってきた持久力を武器に
土俵上を動き続ける、止まらない。
「くっそ、がぁっ!」
なんとか回転を止めようと外から蹴たぐりに行く蜂須賀、それを視界の端に捕らえた
蛍丸の血液が沸き立つ。
「(来たあっ!)」
その左足に蛍丸の右足が、内側からまるでヘビのように巻き付いた。間髪入れず右手で
右足首を掴み、相手の足を重心ごと引っこ抜く蛍丸。
-自足取り内掛け『根太起こし』!-
相手をこの回転技の流れにハメた時、相手の反撃方法はいくつかに限定される、
蛍自身も部屋の稽古で草薙や大欧牙を相手にそのパターンを研究して来た。
この蹴たぐり等、足を出して回転を止めようとするパターンに根太起を合わせる流れは
既に彼の手の内にあったのだ。
-ドォンッ!-
背中から豪快に落ちる蜂須賀。爆発する会場内の歓声に負けない声でアナウンサーが
絶叫する。
”蛍丸勝ちましたーーーっ!これで、これで十両なんと8人での優勝決定戦ーーーっ!!”
そう、今場所の十両の全取り組みが終了して、何と首位に12勝3敗力士が実に8名並ぶ、
22年ぶりとなる珍事かつ快挙。
薫丸、國平の柴木山勢、清心道、蛍丸の大和国勢、そして荒浜部屋の陽鉈、安曇野部屋の
春嵐(本名:ジョン・J・オーリス)、四ツ谷部屋の七星剣(本名:久我北斗)、青雲部屋の
蜂須賀の8名がこれよりトーナメントで雌雄を決することになるのだ。
ここ最近の相撲界は、十両上位と幕内中位~下位の差がほとんど無い状態であった。
場所ごとに入幕する力士、十両に陥落する力士が入り乱れ、番付は大荒れに荒れていた。
台頭する若手、奮起するベテラン、それぞれの意地が土俵で激突し、名勝負を生み出す、
力士ごとに個性的な強さを持つこの階層は、目の肥えたファンを大いに満足させてきた。
そんな中、十両に昇進した蛍丸は、その飛び抜けた個性的な相撲を存分に発揮する。
初場所8勝7敗、春場所9勝6敗、5月場所10勝5敗の好成績で、この名古屋場所には
いよいよ幕内入りが射程圏内に入る西3枚目まで番付を上げて来た。
飛び、変わり、潜り、掛け、叩き、時には寄り、吊り、ぶちかます。その変幻自在の相撲を
得意の心理戦が支え、鍛え続けた持久力とケガをしない心構えが15日の長丁場を
乗り切らせるどころか味方にさえしていた。
角界入りして以来、未だ優勝経験のない蛍丸にとって、ここでの優勝は幕内入りを
より確実なものにするだろう、名実ともに天王山となる優勝決定戦である。
くじ引きにより、組み合わせが決まった。
・蜂須賀-清心道
・七星剣-國平
・陽鉈-春嵐
・薫丸ー蛍丸
初戦は運不運が大きく作用した。先程取り組みを終えたばかりの蜂須賀はやはり
疲労が隠せず、逆に清心道は今日の一番を早い相撲で終え、体力に余裕が十分あった。
万全の体勢からの寄りで清心道が勝ち進む。
2戦目は國平が得意の変則的な相撲でかき回すが、ついには七星剣の剛腕に捕らえられる。
一気の寄りを懸命の打っちゃりで返そうとする國平だが、惜しくも逆転はならなかった。
3戦目、春嵐はその長い腕と絶妙の間合い取りで陽鉈を近づけさせない。2年前に
引退した大兜に変わって安曇野部屋に入門した彼は、ここまで一気に番付を駆け上がって来た
勢いそのままに陽鉈を土俵下に吹き飛ばす。
そして4戦目、苦労人として積み重ねを続け、ケガを克服して這い上がって来た
ベテラン薫丸と、幕下から観客を沸かせ続けて来た曲者力士、蛍丸の対戦。
「ほったるまるーっ!今日も魅せろよーーっ!」
「薫丸、行けよぉーっ!」
土俵上で仕切る両力士に声援が飛ぶ。両者とも十両では人気がある力士だが、そのファンの
付き方は全くの逆方向だった。
蛍丸ファンは薫丸を『面白味の無い地味な力士』と一蹴し、薫丸ファンは蛍丸を
『奇抜なだけのフザケた相撲』と斬って捨てる。
取り組みの後、歓喜するのは果たしてどちらのファンか・・・?
-はっきよい-
両者頭で激突する。蛍丸は『蛍火の如し』で横っ飛びに移動するが、やはり柴木山部屋の
薫丸にはその手は通用しにくい、飛んだ方向に素早く向き直り、得意の突き押しで
土俵際まで押し込んでいく。
「(やっぱり・・・強い)」
蛍丸は心で呟く。地味な印象のある薫丸だが、その『心』の強さはよく知っている。
彼が初めて十両に昇進した時、直後の合宿で大怪我を負って陥落してしまった事、
引退が囁かれる中、それでも諦めずに少しづつ番付を這い上がってきて、ついにまた十両に
返り咲いたそのベテランの意地を。
体を低くし、潜り込もうとする蛍丸だが、それをかち上げで跳ね上げる薫丸。突き押し相撲の
彼にとって懐に潜られるのは致命傷になりかねない、潜らせるものかと腕を振るう。
「(ここだ!)」
蛍丸はその腕を逆手で取り、空手の捌きのようにねじり、いなす。
「(逆とったり、喰らわない!)」
土俵際から脱出する蛍丸に素早く向き直る薫丸、取られていない腕で突っ張り、取られた腕を抜く。
通路から居並んで観戦する幕内力士、大関の冴ノ山が拳を握って心で薫丸に檄を飛ばす。
いいぞ、その調子だ、頑張れ丸!
体を入れ替えられたこともなんのその、再び蛍丸を土俵際まで押し込む薫丸。
蛍丸はそんな彼の実直さ、誠実な性格を計算した上で、この状況を変える奇策に出る。
-パシッ-
相手の突っ張りを左手で受ける、指を絡めさせて『片手の手四つ』の状態を作ると、
右手も掲げて両手の手四つに持っていこうとする、相手もそれに応え、蛍丸の右手を握・・・
-ドン!-
掌が合いかけた瞬間、蛍丸は組んでいた手を引きつけ、そのまま肩から体当たり!
その流れで体を相手の懐に滑り込ませる。さすがの薫丸も手を組まれた状態では
潜る相手をかち上げる事が出来ない。
形勢逆転!両下手を取った蛍丸が今度は相手を土俵際まで押し進める。相手は
押されながらも腰を割り、蛍丸の両手を閂に決める、俵に足が掛かり、寄りを押し止める。
-ゴッ!-
蛍丸は止まらない、すかさず『十字かち上げ』で相手のあごを跳ね上げる。軽量の彼にとって
動きを止める事はそれ自体が危険だ。
薫丸は衝撃を感じながらも、頭を下げ直して腰を割り、再び押しの体制を取る。
自分はこれしかない、親方と共に育んできた押し相撲、それが自分の相撲なんだ。
例え何度切り返されようと、土俵際まで押し込まれようと、そこから、ただ『押す!』
彼は虚無を押していた。目の前から蛍丸がかき消えていた、そのらんらんと輝く目と共に。
「おおおーーーっ!ちょっ!」
「うっそおぉぉぉーーーっ!!?」
声にならない声を上げる観客、力士、そして報道陣。
なんと蛍丸は相手を土俵際に押し込んだその状態から、八艘飛びで相手を『飛び越して』
見せたのだ。土俵の『外』に向かって。
下手をすれば自滅行為だ。それでなくても薫丸が残せば、わざわざ自分から絶体絶命の
土俵際に位置することになるこの行為。
それでも彼は飛んだ、生真面目な薫丸関の意識の裏をかけるこの一手を迷わず選択する。
相手の後ろマワシに手を引っかけ、辛うじて俵の上に着地する蛍丸。だがもしこの変化を
相手が残していたらそれで終わる、その相手、薫丸は・・・
土俵にばったりと、手をついていた。
信念、信条、そして積み重ねて来た物、それら全てが彼に虚無を全力で押させた。
勝者にも、そして敗者にも、惜しみない拍手が注がれる。
お互いの矜持をぶつけ合ったその両者に対し、誰が非難などできようか。
礼をし、土俵を後にする薫丸、その表情は凛として爽やかだった。
13枚目の自分にとって、優勝を逃したことにより幕内入りは来場所以降に持ち越しだろう。
花道の終わり際、冴ノ山が薫丸を出迎える。惜しかったな、と声をかける彼に
薫丸ははっきりと答える。
「なぁに、次は勝つさ。」
一方、勝って土俵下のたまりに腰を下ろす蛍丸、その表情はより一層厳しさを増す。
あとふたつ、あとふたつ勝てば幕内に、あの火ノ丸さんに手の届く所まで行ける!
そのために・・・
土俵の対面にいる大男にその視線を向ける、相手もその眼光を蛍丸に返し、睨む。
あの大兜関に引退を決意させた、彼の為に道を譲ったと言わしめるほどの力士。
ジョン・J・オーリス。四股名『春嵐』-
薫丸もいいキャラですよねー、星野君と似てると思うのは俺だけ?