相対する蛍と市橋。168cm77kgと182cm122kg。小兵と巨漢。
この二人が向かい合う様、そして今やよく知られた三ツ橋蛍の相撲スタイル『変化』を考えれば、
この取り組みの先がおのずと予想される。
が、石高相撲部は誰一人として「変化気を付けろー」と声を飛ばす者はいない。
それは市橋に対する絶大な信頼を示していた。
市橋 義彦
今年の春、団体準決勝の中堅として出場した彼は、川人高校の桜本に引き落としで敗れた。
それは彼が相撲を始めてからこっち、初の『引き技』に落ちた一番でもあった。
昔から反射神経には自信があった。太っているにもかかわらず、その俊敏さや反応速度は
一般生徒のそれをはるかにしのぐほどの能力を備えていた。
それだけにあの敗戦は彼にとってショックだった。二度と同じ失態はすまいと彼は毎日
稽古を積んできた、つまりは『変化に対する反応と対応』を磨いてきたのだ。
その彼が『変化の三ツ橋』と対戦する。これはもう相撲の神様が石高に「勝て」と言っている
ようなものだ。もちろん真っ向勝負では相撲にもなるまい、石高側の誰もがそう確信し、勝利を期待する。
-手をついて-
さぁ、どう来る、と蛍を睨む市橋。蛍もまたそのベビーフェイスに似合わない険しい眼光で
市橋の目を射抜く。
「(相撲取りの目じゃねぇな・・・まるで子供の目の光だぜ)」
蛍の眼の光は格闘技者にありがちなスレた目ではない、らんらんと輝くその目の光は、まるで
暗闇に光る電球のような、透明感のある光を備えている。
-はっきよい!-
両者が立つ!胸を起こして受ける市橋に対し、蛍は全力でぶちかましを仕掛ける。肩口あたりに
激突する蛍は、続いてもろ手突きを放つ。
-パチィンッ-
平手で両肩を張った蛍と市橋の距離が空く、だが蛍の突きは市橋の上半身を少し起こしたに過ぎない、
にもかかわらず両者の間合いが広がったのは、蛍がもろ手突きと同時にバックステップしたからだ。
「何!?」
思わぬ展開に市橋が困惑する。立ち合いで変化せず当たった後で後方に変化、しかも叩くならまだしも
逆にこちらの上体を起こして後ろに下がるとは!
一瞬の後に市橋の思考は切り替わる。これは絶好のチャンスだ。迷わず突進し、土俵際の蛍を
外に叩きだす!
土俵際まで飛んだ蛍は、そこで腰を割り、再び真っ向から市橋に突撃する。
-ガツゥン!-
再び激突する両者、今度は頭と頭で。
その瞬間、蛍は相手のぶちかましの軌道をずらし、そのまま市橋の左下にすべるように体を潜り込ませる。
「ウナギの如し!」
柚子香が叫ぶ。ぶちかましで当たった瞬間に高速変化する蛍の得意技。どんなに鍛えた人間であっても
頭と頭が当たった瞬間は反射的に目をつぶる、そんな反応も利用した動き。
そして蛍は市橋の脇の下をすり抜け、後方に回り込もうとする。しかし市橋は目で追えずとも
肌を伝う三ツ橋の感触から、相手が脇を抜けて背後に回ろうとしていることを察する。
「後ろかぁっ!」
素早く反応し、振り向く市橋。まだマワシを掴まれた感触はない。これなら間に合う、
奴の姿を正面に捕らえられる!
そして彼が目にしたのは、目線の高さにある蛍の『足』だった。
「八艘飛び!」
後ろに回った蛍はなんと、そこからさらに市橋を飛び越しにかかる。もし彼が振り向かなければ
わざわざ後ろから彼の目の前に着地してしまう危険な行為。だが市橋が反応良くふり向いたおかげで
相手の後ろ後ろへとその身を踊らせる。
「させるかぁっ!!」
飛ぶ蛍を目で追い、上を仰ぎ見る市橋。見失っていた蛍の全身を、その眼の光を再び捉える。
そして蛍が着地すると同時に、その体を正面に向ける。横に上にとくるくる回りながら、
ついに彼の変化に体ごと追いついた!
蛍は正面から組み付きに来るが、市橋は上からかぶせるように両上手を取る。あとはぶっこ抜いて
放り出せば全てが終わる。
が、次の瞬間、市橋はバランスを崩し、後方によろめく。懐に潜り込んだ蛍が、市橋の左足を
抱えて持ち上げていたからだ。
「な・・・」
市橋には理解できない。単に足を取られた程度でよろめくようなヤワな鍛え方はしていないつもりだ。
なのに今の自分は完全にバランスを崩し、後方に押されながらケンケンでかろうじて耐えている。
彼には真下にいる蛍の両眼が、その光が見えていた。鬼の表情の上にまるで蛍火のような光を
たたえたその眼光を。
「いったーっ!」
陽川が叫ぶ。この春以降、三ツ橋先輩が研究していた戦法、相手の下に潜りこむ『小兵の王道』。
春の全国大会、そこで蛍は栄大付属の小兵、国宝『小龍景光』こと狩谷俊の相撲を見る。
相手の下に潜り込み、足技や足取りで次々に大型選手に土を付けるその姿は、蛍の心に強く焼き付いた。
が、ダチ高に戻ってその戦法を試そうとするが、それは上手くいかなかった。蛍と狩谷では
上からの圧に対する膂力に差があったのだ。部内では松本や大峰は勿論、陽川にさえ引っこ抜かれて
空しく土俵を割る事になる。
「相手の腰が浮いてるならともかく、腰を割ってる状態じゃ無理だ、今後の課題だな。」
そう桐仁に言われ、落胆した三ツ橋先輩の姿を陽川はよく覚えていた。
だが彼は諦めてはいなかったのだ。腰を割っている状態で通用しないなら、相手の腰を
浮かせてから潜ればいい。
最初に正面から当たり、脇をすり抜け、上に飛ぶ。その姿を相手に目と体と意識で追わせることで
腰の低い市橋を棒立ちにさせる、八艘飛びさえも『撒き餌』にして!
「うおおおおおおっ!」
「「行っけえぇぇぇぇっ!」」
三ツ橋が吠える、ダチ高応援団が叫ぶ。足にタックルをしたまま、巨漢の市橋を土俵際まで運び
そのまま両者はもつれる様に土俵外に転がり落ちる。
-東、三ツ橋君の勝ち!-
「うおっしゃあぁぁ!」
ダチ高相撲部の全員がガッツポーズを決める。逆に顔色無しの石高相撲部、先鋒戦の借りを返し
勝負を振り出しに戻した。
起き上がる市橋。転がったせいで今は蛍の方が下敷きになっていた。息も絶え絶えな彼に
市橋は手を差し出す。
「大丈夫、かよ・・・」
「ええ、すいま、せん・・・」
蛍を引き起こす市橋。疲労を隠せない蛍のその表情に、今だ光をたたえた目が映る。
「消えたり現れたり、まるで蛍火、だな。」
「・・え?」
言葉の意味を理解できずに返す蛍。構わず続ける市橋。
「なんだよウナギって・・・どうせなら『蛍火の如し』とでも呼んでもらえ。」
円い土俵、その上で舞う蛍火。そんな一番を目にした相撲雑誌記者、名塚は思う。
「(三ツ橋蛍、か。もし彼が国宝になるなら『蛍丸』かしら。)」
そう思いつつも、次の瞬間にはそれを否定する。国宝とは本来『将来の日本人横綱候補』に
与えられる称号だ。彼の相撲はどう見ても横綱相撲には程遠かった。
でも、と思う。かつて大相撲にも彼のような力士がいた。変化に特化し『技のデパート』
『昭和の牛若丸』とまで言われた人気力士が。
今再び大相撲にそういう力士が現れて、大相撲を盛り上げてくれるなら、それは相撲の、
そして『国技』の『宝』と言えるかもしれない。
そんな名塚の予感が実現するのは、今少し先になる-
市橋君めっちゃいい人!