「くっ、すまん。荒木、沙田・・・頼む!」
呼吸を荒げながら土俵を降りる美馬、後に続く2年生二人に望みを託す。
荒木は立ち上がり、ひとつ、すぅっと深呼吸すると、格闘家の目になって土俵を睨む、
昨年の団体戦、荒木は二陣戦で出場するも國崎に敗れ、石神の県予選敗退の一端を担ってしまった。
そんな雪辱の場面に力が漲る。
が、土俵に向かおうとしたその時、主将、間宮の手が彼の肩に置かれる。
「あれこれ考えるな、お前の相撲を取ってこい。」
そう告げる間宮に、荒木はため息ひとつついて答える。
「土俵の下に置いていけ、でしたね、わーってますよ。」
-副将戦。東、松本君。西、荒木君-
2-1で迎えた団体戦決勝の副将戦、今年の関東新人王の松本と、一昨年の全中柔道王、荒木の対戦。
しかし観客も、ダチ高相撲部の面々も、有利なのは松本の方だと睨んでいる。
重厚な受けの相撲を取る松本に対し、荒木の相撲はどこか腰高な、柔道癖が抜けきらない感じある、
投げ主体のイメージがあったからだ。
腰をがっつり割ってくる、粘りのある松本にその投げが決まるとは思いにくい。
まして荒木は今年の春、団体のレギュラーからすら外れていた。ここにきて復調したとしても
今の松本に通用するとは思えなかった。
「(ここで決めろよ、松本・・・)」
土俵を見る桐仁の拳に力が入る。もし松本が破れ2-2のイーブンになったら、自分が大将として
あの沙田と戦うことになる。無論その覚悟はあったが、体調がそれについてきていない。
ここまで5戦、休憩を挟みながとはいえ連戦。肺の弱い桐仁の『戦える時間』は確実に削られていた。
松本もそんな事情は良く分かっている、自分がここで決めなければダチ高の全国が危うくなる。
大丈夫だ、普段通りの相撲を取れば勝てる。そう自分に言い聞かせて荒木に対峙する。
相手は見た目も自分よりずっと小さい、何をしてこようと対応できる、勝てる!
-はっきよい!-
両者が立つ!荒木は頭から突っ込み、松本は胸で受ける。
そのまま体格差で一気に荒木を押し込む松本ではあったが・・・
「(な、何だ?軽い・・・変化?い、いや違う)」
手ごたえが無い。軽量どころではない、ほとんど空気を押しているかのように重さを感じない、
改めて凝視するまで、そこに荒木がいるのかどうかさえ疑うほどに。
が、彼はそこに居る。頭を付け、腰を落とし、姿勢を固定したまま滑るように押されていく。
そして足が俵にかかった瞬間、右に円を描くように移動、体を入れ替えようとする。
松本もそれに反応、出し投げを食らわないように足を運び、再び正面に向かい合う。
そして、松本が右上手を引こうとした瞬間、荒木は動く。静かに、気配無く。
左手で松本の右手首を掴む
右手を相手の左わきに差し込む
やや体を開き、右足を松本の左足の内側に添える
その3動作を同時に、スッと自然な形で行う。まるで武道の『型』のごとく。
松本もその動きを把握してはいた。しかしあまりに力感のないその動きに、作為を感じ取れずにいた。
むしろそれがフェイントではないか、とすら思う。
次の瞬間、荒木の体が、力が、弾けるように爆発する!
まるで暴れ馬が騎手を振り落とさんかのように右足を跳ね上げる、同時に右腕ですくい投げを打ち
左手で掴んだ松本の右腕を巻き込む。
左内股を跳ね上げられた松本の、唯一地面に接していた右足が浮き上がる。と同時に
松本は正中線を軸にして一気に空中で半回転!
-掛け投げ『天地返し』!-
145kgの松本が宙を舞い、もんどりうって背中から地面に落ちる。
そのあまりに一瞬の出来事に、会場からは声が出ない。多くの人があんぐり、と口を開けて固まる。
投げられた松本の視界は、その技名の通り土俵と屋根が、地と天が入れ替わったかのごとく映った、
「(僕は負けた、のか?何をされて・・・?)」
「さ・・・三点投げ、だと!?」
桐仁が声を絞り出す。自分の元祖でもなく、火ノ丸の百千夜叉落としでもない、
『腕取り』『掬い』『足跳ね上げ』の3つの合わせ技!
「あんな速い投げ、相撲じゃ見たこと無いわ・・・」
名塚が漏らす。確かに複数の合わせ技は、投げを主体とした柔道では珍しくはない。
だが、長年相撲を見てきた彼女をしても、ここまでの切れ味と速度を持った投げ技は見たことが無かった。
あー、と嘆く寺原の隣で、柴木山親方が唸る。
「『脱力』が生む『瞬発力』か。だが、ここまでとは・・・」
普段も彼は部屋の弟子たちに「力の入れどころ、抜きどころをしっかり見極めろ」と指導している。
それを承知でも、あの荒木の立ち合いからの力の抜き方は異常だ。
相撲は刹那の勝負。わずか4.55mの土俵から出ても、足の裏以外が地面についても負けの世界、
そんな勝負でそもそも「力を抜く」こと自体がリスクですらある。下手をすると力を込める前に
負けてしまう事すらあるというのに。
「よし!」
ぐっ、と拳を握り、手ごたえを感じ取る荒木。この脱力を生かした瞬間の破壊力、彼なりに出した
『相撲と柔道の融合』の結論の取り口に満足する。
彼が見本としたのは、春の全国で見た鳥取白楼の主将、榎木慎太郎の相撲だった。
合気道を習得している彼は、かつては荒木と同じように、やや腰高な相撲を取る傾向があった。
だが、この春の彼は、合気道のような自然体に近い立ち方は一切見せず、常に腰を割った状態で
見事に相手を捌いて次々と勝ち星を挙げていった。
あれ以来、荒木はひたすら四股を踏んできた。腰高にならない状態で、なおかつ相撲において
柔道の技を生かす方法を模索するために。
押さば引け、引かば押せ。そんな柔道の極意を応用するため、彼は力のオンとオフを使い分けを目指す。
勝負が一瞬の相撲では、それを使いこなすのは無理だと思っていた。しかし相撲の腰の低さを
身につけた時、それは不可能では無かったのだ、彼にとっては。
腰を十分に割れば、どんな技でも一瞬で負けることは無い。脱力した状態ならなおさら倒れにくくなる。
ましてや彼の『削ぎ落す』メンタルの強さは、オンオフの判断をより鋭敏なものにしていたのだ。
力強い笑みをたたえ、石高相撲部が小さくガッツポーズを作る。見たか、ウチの荒木の強さを!
部員全員がこの荒木の瞬発力を生かした投げを知っている、喰らっているからこそ、
それが味方であることに、頼もしさと誇りを感じながら。
-西、荒木君の勝ち-
土俵を降りる荒木を沙田が出迎える。拳で軽くハイタッチをした後、背中で語る荒木。
「お膳立てはしてやったぜ、国宝さんよ。」
「・・・プレッシャーかけてくれるじゃないの。」
お前がそんなタマかよ、と嘆いてすれ違う、石高内最大のライバルふたり。
試合を終えた荒木も、これから試合を迎える沙田も・・・共に笑っていた。
ふぅ、と息をついて桐仁が立ち上がる。眼鏡をはずし、三ツ橋に預ける。
「さて、出番か。」
結局こうなってしまった。というよりその予感はあった、沙田との一戦が個人の戦いではなく
大太刀と石神の雌雄を決する戦いになる事の。
不安はある。自分は20秒以上戦えない欠陥力士、しかも今日の連戦でさらに時間は短くなっている。
そして対峙するのは国宝『三日月宗近』。自分に負けず劣らずのスピードと技のキレを持つ男。
そんな苦境を背負って土俵に上がる自分に、むしろ喜びと、血の滾りを感じていた。
「大一番、望むところ!」
暗い顔に、それでも笑みをたたえて、呼び出しを受ける。
-大将戦。東、辻君。西、沙田君!-
一瞬の勝負を文章で表現するのって難しいです、どーしても説明的になってしまうんですよね
荒木同様に『削ぎ落す』文章を目指さねば・・・