「さて、手前みそで恐縮ですが、稽古の前にひとつ朗報があります。」
合宿二日目朝、栄大付属の三木監督が皆を前にしてそう切り出す。
「わが校のダニエル・ステファノフ君、および澤井理音君が正式に大相撲、大和国部屋に
入門が決まりました。」
おお~と言う声の後に拍手が起こる。元横綱の大和国といえば、この世代で相撲を取る者の
憧れの的の存在だ。栄大付属は昨年その大和国の息子、久世草介がいた事もあり、
部屋との親交も深かったこともある。
が、澤井はともかくダニエルの方は決定が遅れていた。現在、各相撲部屋に外国人力士は
1名しか所属できない。大和国部屋への希望者はダニエルの他にもうひとり競合していたのだ。
その選手が三笠部屋からの誘いを受け、そちらを選んだことによって、ダニエルの入門が
内定したのだ。
「今、この道場にいる者の中には当然、角界入りを目指してる者もいるだろう。将来のライバルの
顔を覚えていてくれたまえ。名勝負を楽しみにしているよ。」
日景典馬が、道場にいる幾人かの強者が、そしてダチ高の陽川がこくり、と頷く。
栄大、金沢北の名門2校と昨年全国優勝の大太刀。この中から将来、国技館を沸かせる者が出る
可能性は大いにあるだろう。
その日の稽古も大いに熱が入ったものとなった。陽川は典馬に何度も申し合いを挑み、
何番かは勝って見せた。稽古なので典馬も無茶な抵抗こそしなかったが、終わった後の
典馬の「いい稽古になったよ、礼を言うぜ」の言葉が、陽川の実力と成長を正しく評価していた。
蛍はこの日、栄大2軍に交じってハズ押しや申し合いに終始する。まだまだ体格的に不安な蛍が
変化を使わずに重量級に対抗する膂力を養うために番数を多くとる。正面から戦えるようになれば
変化もよりその効果を増すからだ。
松本、大峰、幸田の3人は桐仁の指導の元、栄大や北高の上位陣と汗を流す。全国覇者や上位との
稽古は確実に彼らの血肉になっていくだろう。
で、柚子香はというと、三木監督が紹介してくれた栄大付属の女子レスリング部の練習に
混ぜて貰っていた。相撲とレスリングの違いはあるものの、格闘技女子との取っ組み合いは
貴重な体験だ。
ちなみに姉の千鶴子ももっぱら同じ体育館で妹を見守っていた。さすがに自分以外全員男子の
相撲道場で残っているのはキツかったらしい。
男子の2軍道場で蛍を見ていた諸岡は、ふむ、と考え込む。
「(そろそろ三ツ橋君に『アレ』を教える時期かな・・・)」
諸岡は蛍にレスリングのテクニックの一つである『目線の誘導』を教えていた。
だがそれはレスラーにとっては基本のテクニックでしかない。元国際強化選手だった諸岡には
その先の技がいくつかあるのだ。
ひと息ついた蛍を諸岡が呼ぶ。
「いいかい三ツ橋君。番数を多く取るのもいいが、一番一番が雑になってはいけない。」
「え?・・・いえ、雑に取ったつもりは・・・」
「そうかな、格闘技である以上、相手があってのことだ。誰に対しても同じように当たってはいけないよ。」
蛍にはまだその意味が分からない。ちゃんと重量級や長身の選手、小柄な選手と組み方や力の入れ方
使う変化技などを使い分けてはいるつもりだが・・・
「相撲に限らず、格闘技は『心』『技』『体』が重要だ、それは分かるね。」
「はい。」
「でも君は相手に対する時、『技』と『体』しか見ていない、違うかい?」
その諸岡の言葉にしばし考える蛍。確かに、体格や取り口は意識しているが・・・
「『心』・・・相手の心理を読め、と?」
「その通り。」
笑顔で頷き、親指をぐっ、と立てる諸岡。
「相手をよく観察する癖を付けたまえ。相手を見、自分をよく理解すれば、相対する者が
何を思っているか読めるようになる、そうなればしめたもんさ。」
「は、はぁ・・・あ!」
内心『そんな無茶な』とか思い、生返事をする蛍。が、次の瞬間その頭に昨夜聞いた言葉が蘇る。。
-俺はな、立ち合いの時には必ず相手の目を見るようにしてる。それで大体、相手の手口も見えるしな-
澤井が昨日語った、相手の目を見て心理を洞察する眼力。だがそれはどう考えても天性のものだろう、
そう話す蛍に諸岡は返す。
「何も目を見るだけじゃないよ、相手の置かれている状況、直前の取組、疲労度、その一番の重要性、
ヒントはいたる所に転がっているもんさ、それを読むんだ。」
蛍は今、自分の前にいる人物が只者ではないことを改めて認識する。格闘技経験者の諸岡顧問は
現役時にはそこまで考えて戦っていたのか、と。
稽古に戻った蛍は早速、その教えを実行にかかる。
前の取組で引きや出し投げに落ちた選手はどうしても腰が引ける、そんな選手なら蛍でも
電車道で押し出せた。
投げを決めた選手は、その感覚をモノにしようと次の一番も投げを狙ってくる、マワシにこだわって
自分の形になるまで攻めてこない。それでは投げのタイミングを予告してるようなものだ。
寄りで勝った選手は疲労を感じながらも、自分の寄りへの自信が過信へと変わりやすく、
万全の姿勢でもないのに寄ってくるのでいなし技に落ちやすい。
確かに『見れば』見るほど、そこらじゅうに攻略のヒントが転がっている
蛍はこの日の後半の申し合いで、栄大2軍相手にその技を着々と身につけていった。
それぞれが充実した時間を過ごし、この日の稽古も終了する。
2日目のちゃんこ時の出し物は、相撲甚句に名を借りたカラオケ大会になった。
特に柚子香に稽古をつけてくれた栄大女子たちが大いにはっちゃけて場を盛り上げる。
普段女子に縁のない相撲部員たちが大いに楽しむ中、チッくだらないと不機嫌だった典馬は
高校横綱という事でトリに指名され時代劇の主題歌を披露、意外な上手さに感心する一同。
ちなみに隠れ音痴の柚子香とか、歌自体まったく歌えない桐仁が少々恥ずかしい思いをしたことを
付け加えておこう。
こうして合宿は幕を閉じる、3日目の早朝から金沢北、そして大太刀のバスが帰路に就く。
ライバル達の再会を誓い、また先に進む者たちの躍進を祈って別れを惜しむ。
次に会う時、それは彼らと雌雄を決する時になるだろう。
帰りのバスの中、先頭に座る桐仁は立ち上がって皆の方を振り返る。
「みんな、聞いてくれ。」
ひと息置いて、こう続ける。
「いけるぞ。」
それだけ言って着席する桐仁。一同がくっ、と体を傾ける。
「短っ!」
「相変わらず言葉足りなすぎ!」
「そんなんだから歌もアレなんですよっ」
ツッコみながらも、大太刀部員達はその意味を正しく理解していた。
全国の頂点達と肌を合わせた2日間、もちろん相手も全力で戦った保証はない。
それでも今のダチ高にとって、決して勝ちえない相手ではない、そのことを確信として感じていた。
それは来年の、大太刀の全国での大暴れを予感させるものであった。
蛍もまた、多数の収穫を胸に帰路を行く。
狩谷から習った潜る相撲、諸岡に教わった『心』の制し方、まだ見ぬ強敵の情報。
-そして秋が去り、冬が訪れる-