「よし、潜った!」
「部長の形、来た!」
意気上がるダチ高陣営、この夏の部内戦以降、蛍のメインの戦法ともいえる『潜る相撲』の
形を作ることに成功する。だが・・・
「(荒木の腰が低い、全く体が浮いてこない。)」
桐仁が嘆く。潜れたはいいが荒木は存分に腰を割り、上から蛍にのしかかる。
その削ぎ落す精神で相手の動き出しを待ち構えている。
その状態で止まる両者を見ながら、柚子香は思い出していた。これがこの二人の
追い求めた形のひとつなんだ、と。
昨年春の全国大会、蛍と荒木は全国の強豪たちを並んで見物していた。
そんな中で蛍が感銘を受けたのは、栄大付属の国宝『小龍景光』こと狩谷俊の潜る相撲だった。
一方の荒木も、鳥取白楼の榎木の『相撲の重心の低さで合気道の技を使う』その戦いに
感銘を受けていた。
そして今、蛍は荒木の懐に潜り込み、荒木は存分に腰を割ってあらゆる攻めに対応しようと
待ち受ける。両者が追い求めた相撲が、今まさにがっぷり四つで相対している。
「(覆い被されているのに軽い・・・脱力で僕の動きを待っているのか!)」
蛍は考えを巡らせる。ここまで今日初めて使う戦法、蛍火の如くからの左飛びや
五條さんの張り手、もろ手突きからの猫だまし変化など、全て相手に見切られてきた。
その対応力を持つ相手に、下手な小細工は逆効果と判断する。
「(だったら、一番得意な攻めに行く!)」
意を決した蛍が体を後ろにそらし、荒木の上半身を自分側に引っ張り込む。
「居反り!」
仕掛ける蛍。対する荒木は大きく左足を踏み出し、蛍の反り技を止める。
だがそれは仕掛けの為の『崩し』に過ぎない。すかさずその足に自分の足を巻きつけ、
内掛けに持っていく。
-根太起(ねたおこし)!-
内掛けした足の足首を手で掴み、手と足の両方の力で引っこ抜く技。体格に劣る蛍が
力技で相手に勝つために習得した、乾坤一擲の必殺技!
-バシッ!!-
が、蛍が自らの右足首を掴もうとしたその瞬間、そうはさせじと荒木の左手が蛍の右手首を捕まえる。
その強靭な握力で蛍の右手を締めあげ、根太起に行かせない。
「・・・なっ!」
桐仁が嘆く。なんという反応速度、そして正確さだ!あの一瞬で三ツ橋の狙いを読み、
完璧に封じ込めにかかるとは!
「(いい技、いい発想だぜ、三ツ橋。)」
荒木が心の中でそう呟く。手で足の、足で手の補助をするのは柔道では寝技でよくある手だ。
「(だがな、俺にゃ通用しねぇんだよ!)」
蛍の手を掴んだまま、掛けられた足を逆に引きつける。蛍の『内掛け』に対して
表裏一体の『外掛け』で力任せに足を刈りに行く。
「くっ!」
蛍が吐く。純粋な力比べでは明らかに不利だ、特に足腰の強さは組んでいる蛍が
嫌と言うほど理解している。ダメだ、このままじゃ勝ち目はない、一度離れる!
すかさず右足を抜いて外掛けを躱す。抜いた足を後ろに踏み出しこらえる蛍、だが離れたため
折角の潜る形が終わってしまう。
と、荒木は素早く、しかも静かに蛍との距離を詰める。左手で蛍の右手を掴んだまま
右手を蛍の脇の下に差し入れ、右足を相手の内股に添える。
「マズい!!」
そう叫んだのはダチ高の松本だった。ちょうど1年前、彼は荒木にこの形を取られ
強烈な投げ技を食らって敗北を喫したのだ。
-天地返し-
相手の手首を引き込み、差し込んだ手ですくい投げを打ち、掛けた足を内股に跳ね上げる。
重力級の力士をも豪快にひっくり返す、3点同時の『掛け投げ』。軽量の蛍が食らえば
ひとたまりもないだろう。
だが荒木はその技を爆発させる寸前、ぞわっ!とした悪寒に晒される。
蛍が荒木に捕まれていた右手をなんと、地面に押し付けんばかりの勢いで押し下げたのだ。
「(お手つき!)」
荒木が準決勝で不覚を取ったその一手、蛍はこの一番でもし荒木の腕を掴めたら、
躊躇なくこの方法を試そうと思っていた。たとえ決まらなくても荒木の動揺を誘うことは
出来るかも知れない、諸岡顧問に指導を受けた『心理戦』はこんな形でも応用される。
今は逆に手を掴まれている状態だが、手首を押し付ければそこを握っている荒木の指の方が
先に地面に付く!
瞬時の迷いが出た荒木、その瞬間を見逃さずに、蛍は掴まれた右手を引っこ抜き、振りほどく。
それと同時に荒木の足が豪快に蛍の内股を跳ね上げる。まるで暴れ馬に蹴り上げられたように
空中に舞う。
その豪快なリアクションに、会場がおおおおおっ!と沸く。だが引き手が切れているため
飛ばされた蛍も、跳ね上げた荒木も、共に前のめりに崩れた形になる。
蛍が空中でバランスを取り、荒木が足腰で体を残し、着地する両者、両者のこったのこった!
すかさず体制を直し、再び相手に突進する。
-ゴッ-
鈍い音と共に、蛍が再び荒木の懐に潜り込む。『蛍火の如し、潜!』
至近距離からとっさの激突でこの技が決まったのは、両者の身長差に加えて、もう一度
潜る相撲にトライしたいという蛍の意思の賜物だった。
荒木もまた、飛び回られるよりは確実に捕まえていられるこの形を望んだ。
再び両者の望む形で組み合って、止まる。
蛍は躊躇しなかった。根太起が通用しなかった以上、出来ることは多くない。だったら!
体を反転させ、相手の腰を担ぎ上げるように自分の腰に乗せにかかる。これならいかに
荒木の腰が低くとも浮かすことが出来る。
「百千夜叉落とし!!」
赤池が叫ぶ、先日ついに完成した鬼丸の3点投げ。完全に担いだ、意表を付けた、決まる!
ダチ高の面々も、観客席で見ている鬼丸さえもがそう思い、気勢を上げる。
「「行けえぇぇぇぇっ!」」
その光景を見ていた石高の沙田は、冷ややかに微笑んで、静かにこう呟く。
「・・・それは悪手だよ、三ツ橋君。」
荒木は得意の『削ぎ落した感情』の中で、『静かに』『猛って』いた。
「(その技はなぁ・・・2年前、俺たちの全国への夢を奪った技だ。)」
担がれながらも蛍の背中に手を添え、体重をかける荒木。
「(その対策を、この俺がしていないとでも思ったのかよ!!)」
投げられながら、蛍の背中の上で荒木は何と、自らの体を反転させにかかる。
蛍の背中に押し付けた胸を軸にして、投げられる方向に自分の下半身を持っていく。
本来頭から落とすこの技を、足から着地するべく身構える荒木。
捨て身技のこの投げを放った蛍にとって、もし耐えられれば最悪の結果になる。
-ドォンッ!-
そして荒木は右足から着地する。しっかりとヒザのバネを利かせ、確実に地面を踏みしめる。
その様は、相撲に関わる者であればだれもが知っている所作。
-地中の悪鬼を踏み殺す『四股』-
蛍が放った百千の夜叉は、この荒木の四股によって残らず踏み潰された。
後に残るのは、まだ片足立ちながらしっかりと腰を割った荒木と、捨て身技を残されて
完全に前に泳いだ状態で崩れている蛍の姿。
「(勝った!俺は確かに相撲の強さをこの身に収めた、今俺は確かに相撲取りに『成った』!!)」
荒木が感慨に浸る。嫌と言うほど踏んだ四股、何10km進んだかも知れないすり足、
追い求めてやまなかった力士としての強さ、それが今ここに実ったのだ。
止まる時間の中、石高に歓喜が湧き上がる、ダチ高を絶望感が支配する。
鬼丸が、柴木山親方が天を仰ぎ、佑真が顔を歪め、レイナが手で頬を覆う。
金盛が、真田が拳を握り、食いしばった歯を見せ、笑う。
誰もがこの勝負の決着を、石神の勝利を、ダチ高の敗北を確信していた。
ただ二人。三ツ橋蛍と、堀柚子香を覗いて。
「今だーーーっ!蛍ーーーーーっ!!」