-なんだ・・・これは-
荒木は削ぎ落した時間の中、違和感に囚われ、嘆く。
-俺は耐えた。力士として成った。しっかりと腰を割り、三ツ橋の投げを凌いだ
あとは勝つだけ、体の崩れた三ツ橋をどうとでも料理すればいいだけだ、だが-
彼の目に映るのは、斜めに傾いた土俵。体に感じるのは、体幹の、軸のブレ。
-なのに・・・崩されている?なんで、俺が-
完全に凌いだハズだった。三ツ橋の百千夜叉落としを、その体さばきと足腰で。
力士として鍛えた、その全てを持ち寄って。
-どういう、ことだ・・・-
その嘆きは、すでに自分が崩されている事にでは無い。もっと別の、よりありえない事態に!
彼の腰のすぐ下で、らんらんと光る眼光をたたえ、腰を割って潜り込んでいる、一人の『力士』-
「なんでお前がそこにいる!三ツ橋ーーーーっ!!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ねぇ蛍部長、ちょっといいですか?」
夏合宿の帰りのバスの車内、ほぼ全員が疲れからこっくりこっくり舟をこいでる中で
通路を挟んで隣に座っている柚子香が蛍にそう声をかける。
「ん、なに?」
柚子香はタブレットを差し出し、蛍にこう問う。
「百千夜叉落としって・・・『連発』出来ないですかね?」
うーん、と首をひねって考える蛍。本来捨て身技であるこの投げが連発できるとしたら・・・
「火ノ丸さんはフェイントの『崩し』にも使ってたし、投げ切るつもりじゃなければ
十分可能だと思うけど。」
その答えに柚子香は首を振りつつ、タブレットを蛍に見せる。そこに映っていたのは
2年前のインターハイ全国個人戦、潮火ノ丸と天王寺獅童の取組のひとコマ。
火ノ丸の『寄り』からの百千夜叉落としを読まれ、回り込まれた瞬間で停止しているシーン。
全力の投げを躱され、完全に体が流れている火ノ丸。辛うじて天王子のマワシに捕まって
こらえてはいるが、完全に『死に体』になってしまっていた。
「まぁこうなるよね、捨て身技だし。これで残すだけでもさすがだと思うよ。」
蛍の答えに、柚子香はこう反論した。
「天王子さんはどっしり安定してますよね、で、火ノ丸さんはその相手のマワシをがっちり
掴んでいる。だったら・・・」
-マワシにつかまって、自分の体を引きつけられませんか?-
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その一瞬の立場の逆転劇に、会場が目を見張り息をのむ。何という展開か!
「源ちゃんのマワシに、しがみ付いて・・・!」
沙田が愕然とした表情で、声にならない声を出す。
「自分の体を・・・引き寄せやがった!!!」
桐仁が吐く。自らも信じられない事態を、まるで自分自身に言い聞かせるように。
「同時に・・・安定してた荒木君の体を、崩した!?」
名塚が、この戦法のもうひとつの効果に気付き、思わず声を上げる。
蛍の足元には、2本のレールのような擦り跡が伸びている。その軌跡に煙のように
砂ぼこりを舞い上がらせて!
投げを放った位置、躱されて死に体になっていた足の位置から、荒木の真下で腰を割って
地面を踏んでいるその足元まで!
相手のマワシに捕まって、崩れた体を引き付けて直す。と同時にこの引きつけによって
安定していた相手に目一杯体重をかけ、崩す。
もしこれを重量級の選手が行えば、その体重を引き寄せる力に耐えきれずに引っ張られた側が
上から覆い被さって潰されるだけだろう。そもそも重量級の選手には相手のマワシに捕まって
自分の体を引き付けるほどの力は出せない、自分の体重に力が負けるから。
軽量の蛍だから、そして掴まれる側の荒木がしっかりと腰を割って安定していたからこその
体の戻し技!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
かつて柚子香は、体操の鉄棒の選手を例に挙げてこう語っていた。
「ぶら下がった状態から体を引きつけて逆上がりとかしますよね。火ノ丸さんや蛍部長の
今の膂力と体の軽さなら出来ると思うんですよね。相手がどっしり腰を割ってれば。」
そう言われて蛍には思い当たるフシがあった。つい先ほどの部内戦の後の柚子香の挑戦。
「あ、ひょっとしてさっき、ソレ狙ってた?」
彼女の百千夜叉落としを躱した後、蛍はまだ彼女が『何か』をしようとしていた気配を察していた。
「バレました?」
てへへ、と舌を出し、ウインクして笑う柚子香。彼女の膂力では足りてなく、かつぶっつけ本番では
さすがに決めようも無かった。
蛍は翌日から柚子香と一緒に、ひそかにこの技が実現可能か試していた。
鉄砲柱にロープを巻きつけ、崩れた体勢から捕まって引き寄せる。かなりの膂力が必要だが
確かに出来なくはなかった。
ただ成功にはいくつかの条件を要した。相手が鉄棒や鉄砲柱の如くどっしりと安定している事、
また全力で投げながらも、この体の戻しと2発目を意識できている事。
相撲は裸で肌を合わせて戦う競技。言い換えれば相手の肌を伝わる感触から、相手の動きや
次の狙いなどを感じ取ることが出来る。そのセンサーを総動員すれば、今の自分の投げが
決まるか不発に終わるかを先読みすることが出来る。これなら!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
蛍は体を回す、両マワシを引いたまま、崩れた荒木を再び担ぎ上げる。
「連発・・・じゃと!?」
鬼丸が叫ぶ。自分では成し得なかった発想、なまじ『崩し』の重要性に気付いていたせいで
フェイントと真剣の投げの2面性にしか目がいかなかった。
あの蛍が、自分では到達しえなかった領域の技を放っている。その事実が彼の胸を打つ。
「に・は・つ・めぇっ!」
「行っけえぇぇぇーーーーっ!」
ダチ高の面々が叫ぶ。逆転につぐ逆転劇、もうこれ以上はいらない、ここで・・・決まれっ!
「荒木ぃぃぃぃ!」
「何だそりゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」
信じられない形勢逆転を受け入れられずに絶叫する石高相撲部。沙田に至っては声すら出ない、
この返し技が、極めて限定的な条件でのみ成功することを理解したがゆえに。
削ぎ落す時間の中、今まさに投げられつつある荒木が、心の中で憤りを吐き出す。
「(何をやってたんだ俺は!奴の技を耐えただけで勝ってもいないのに、何が力士に成った、だ!
あの貴重な時間、なんでそんな『雑念』に囚われてしまったんだ・・・)」
やがて荒木は気付く。そんな後悔すら『雑念』であることを。そうじゃないだろ、
今自分がすることは何としてもこの投げを凌ぐ事だ!
さっきと同じように体を回し、足を着地点に向ける。だがさっきより明らかに遅い、間に合うか!?
否、なんとしても間に合わせる!俺が負けたら石高の負けが決定するんだ、それが雑念でも何でもいい、
この想いだけは必ず遂げる、間に合えぇぇぇっ!!
-ドシンッ!-
-みきぃっ!-
間に合った!さっきとは比較にならないほどギリギリだが、確かに足から着地に成功した。
股関節からいやな音がしたが、遅れて激痛がやって来るがそれがどうした、俺は耐えたぞ!
あとはいつものように腰を割り、仕留めるのみだ!
荒木の視界が揺らぐ。またしても土俵が傾く。その原因はいくら頭の悪い荒木でも分かる。
崩され、蛍火の様な眼差しが再び自分の下にある。その足元には再び2本のレールが走り、
その軌跡に土ぼこりが舞う。
自分が腰を割った瞬間を見計らって、もう一度三ツ橋が、体を自分の下に引き寄せたのだ。
「・・・おい。」
そりゃねぇだろ、という声を出す荒木。投げられて耐える、引っ張られ崩される。それを2セット?
すでに彼の体はもう完全に崩れている、股関節が先ほどの着地から悲鳴を上げている。今の状態なら
寄りでも吊りでも叩きでも決め放題だろう。
だが、蛍にはこの流れを変える意志は全くなかった。3度体を反転させて荒木を担ぎ上げ、
力を振り絞って前方に投げに行く。百千夜叉落とし、3発目!
「お・お・お・お・おおっ!」
蛍が吼える。担ぎ投げも引きつけも全身の筋肉を酷使する技、それを3連発するのに体が
悲鳴を上げないわけがなかった。そんな体にムチを入れるような蛍の絶叫。
そして荒木の足が浮く。
今、長かった勝負が決着の時を迎える。
土俵上、蛍の腰を支点にして、両者の体が縦の円(まどか)を描く。
荒木のバリアート頭が、その足先が、蛍の頭が、跳ね上げた足が、そしてらんらんと輝く
蛍火のような瞳が、両者が撒き散らしたの玉の汗と共に光を放つ。
円い土俵のその上に、鮮やかな円が描かれた-
そのシーンを目に焼き付けた名塚が、誰に言うともなく、一言ごぼす。
「・・・国宝『蛍丸』・・・」
-どぉおぉぉ・・・ん!-
荒木が土俵にあお向けに倒れ、屋根を見上げる。その腹の上で蛍がやはり天を見上げ、
急いで起き上がり行司を見る。どうだ、どうなった、勝敗は?全国へ行けるのは、どっちだ・・・?
静まり返る会場に、高らかに響く行司の声!
-西、三ツ橋の勝ち!-
「「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」」
大太刀の全員が歓喜を爆発させる。ついに、ついに優勝、ついに全国だ!
全国制覇から2年、主力のほぼ全てを失い再スタートを切ったダチ高相撲部。
彼らにとってその道は長く、そして険しかった。手が届かないと思ったことも何度もあった。
艱難辛苦を乗り越えて、ついにそこへのキップを手にしたのだ。
礼をし、土俵を降りる両者。蛍を迎えるチームメイト達は皆、目に涙をためていた。
桐仁がガッツポーズを決め、大峰は天を仰いで涙を流し、陽川は幸田に肩を貸して二人で
親指をぐっ、と立てる。
赤池は拭いても拭いてもあふれる涙を抑えられず、千鶴子は顔を手で覆って涙と感情を
隠そうとする。ようやく、ようやくこのチームが2年前に追いついた、その嬉しさ。
顧問の諸岡に至っては大泣きで、むしろ沼田に「みっともねぇなぁ」と笑われる。
柳沢も小林も感激の涙をためて、相撲って本当に凄い!と感動する。
蛍は松本に抱え上げられ、その上で拳を突き上げる。その時、場外アナウンスが
高らかにこう告げた。
-優勝は、大太刀高校ーっ!-
荒木は土俵の上から既に泣いていた。技を耐えただけで雑念に支配され勝機を逃した事、
自分の負けで石高が全国に行けなくなった事、そして、どこかで三ツ橋を侮っていた事。
観客は『蛍丸』と言っていたが、自分は果たして三ツ橋を国宝並みの相手と認識していたか?
(お前みたいな奴が、イジめる相手を間違えて、痛い目見るのさ)
かつての先輩の、あまりに刺さるセリフ。その通りだ、春の全国で相対した国宝『備前長船』と
戦った時の様な本気度がこの一番にあったなら、結果は違ったものになったかもしれない。
沈痛な空気の石高相撲部。と、ぱん!と手を打って、顧問の菅原がこう語る。
「負けたのは私がオーダーをいじったからです。皆さんよくやりましたよ。」
そんなことは、と言いかけたメンバーを菅原は次の言葉で封じる。
「さぁ、胸を張って退場しましょう。この日を胸に刻むためにも、ね。」
土俵を去る石高相撲部。未だ大泣きしている荒木に、沙田はこう声をかける。
「泣くなよ源ちゃん、金盛主将や間宮さんは、後輩の前では泣かなかったぜ・・・」
自陣のテントに引き上げたダチ高、今だ興奮冷めやらぬ中、柚子香が蛍の前に立ち
一言こう告げる。
「おめでとう、相撲やってて良かったね、蛍・・・部長。」
あ、という表情の後、柔らかく笑って答える。
「・・・うん、ありがとう。」
周囲からひゅーひゅー、という冷やかしが飛ぶ。さすがにここに至っても二人の関係に
気付かない者はいなかった。
だが、その言葉の裏を察するのは当人二人だけだった。蛍の心中に根差す後悔、
それに引きずられるように続けてきた相撲。そんな彼に相撲の神様が、ようやく対価とも言える
価値ある勝利を与えたのだ。
「そーだ、三ツ橋部長のあの技、百千夜叉落としの連発!アレの名前考えようぜ!」
沼田の能天気な提案にメンバー全員が乗っかった・・・のだが。
「ストーキング夜叉落とし!」
「スッポン投げ連打!」
「あわよくば不浄勝ち!」
「土俵懸垂(けんすい)!」
「下手な鉄砲数うちゃ当たる!」
「土俵上の尺取り虫!」
「線路敷設工事!」
「ホバリング粘着投げ!」
次々と上がるロクでもない名称に、真面目にやれー!と皆を追い回す蛍。
追う側も、追われる側も、皆いい笑顔だった
観客席の最上段、すぐ後ろで嬉々としている九十九里高女子の前で、相撲雑誌記者の名塚が
記事を書くための記録をノートに書き留める。
-大将戦、『無限蛍火落とし』で『蛍丸』の勝ち-