-ビチイィッ!-
倫平のかち上げが蛍の顔面をはね上げ、強烈な打撃音と共に蛍を吹き飛ばす。
立ち合いを制したのは倫平の方だ!
だが、彼も蛍の突進と自らのかち上げにより、やや後ろにのけぞる姿勢になり、追撃の機会を逸する。
土俵際まで飛ばされた蛍は、顔面に焼けるような痛みを感じながらも闘志は萎えず、
相手を睨みつけて次の手に移る。
-パンッー
間合いを詰め、決めようとした倫平の顔面を、今度は蛍の張り手が捕らえる。
五條佑真の突きを取り入れた、張り手と言うよりは掌底突きのような打撃技。
相手を張りながら、蛍はかつて佑真に教えてもらった話を思い浮かべる。
(ケンカっ早いヤツとかな、大抵は何かされると同じ事を相手に返すんだ、倍返しでな。
つまりお前が突き押しを使えば、相手も当然突き返してくる、その覚悟は必要だぜ。)
「ンの野郎っ!」
倫平が吼える、こんなヒョロそうな奴に顔面を張られて黙ってはいられない、お返しとばかりに
右の突っ張りをフルスイングする、食らいやがれ!
が、その手は空を切る。反撃の張り手を見越した蛍は、その瞬間を狙って変化していた。
国崎の機動力を目指して練習を積んだその足さばきで倫平の左に回り込み、そのまま後方に
取り付こうとする。
「くっ!」
倫平の反応も早い。すかさず体を回して蛍の方に向き直ろうとする、その行動がもたらす結果。
―ガツッ!―
反転した倫平の左ヒジが、まともに蛍の側頭部に命中する。立ち合いのかち上げで既に
垂らしていた鼻血がこの一撃で飛び散る。
それでも蛍はマワシを引き、倫平の横に取り付くことに成功する。
相撲では後ろを取られることは死を意味する。そこまで決定的ではないが、横に取り付かれ
半身になることも相撲では絶体絶命のピンチと言えるのだ。
この機を逃さず蛍は押す。80kgに満たない彼が125kgの倫平を土俵際に追い詰める。
上体が浮き、蛍に潜られている倫平には既になすすべなしかと思われた。
が、ここで倫平は彼らしい反撃に出る。
-ゴツゥン!!-
素首落とし。というよりエルボーに近い勢いで蛍の首筋を打ち据える。
「ひっ!」
思わず悲鳴を上げる柚子香。桐仁が抗議の声を出す。
「おいおい審判!さっきからやり過ぎだ!」
かち上げ、ヒジ打ち、そしてこの素首落とし。いずれも相撲では反則ではないが、
この倫平のやり方は相撲というよりケンカに近いものだった。
それでも常磐第三の応援団は沸いている。優等生でガリ勉タイプの彼らは
倫平のそういう荒っぽさにこそ憧れを感じているのだから。
事実、素首落としの効果は絶大だった。蛍は撃たれたその瞬間、意識を飛ばす-
(相撲って言うのは、しっかり腰を落とすのが基本だよ、腰を割るって言うんだけどね)
前部長、小関の声が脳内に反芻される。
(相撲はしっかり腰を落とすのが基本だよ、腰を割るって言うんだよ)
自分が柚子香に教えた相撲の基本。ああ、そういえばアレは小関さんの受け売りだっけ・・・
そこで我に返る。今、組み合ってる相手が、まさに棒立ちの状態から腰を割って
自分を押し返そうと体勢を作っているのだから。
そうはさせない!落ちかけた体を引き上げ、負けずと腰を割って倫平の動きを止める。
未だ蛍が相手の横から組み付く半身の体制、まだわずかに有利なのは蛍の方だ。
「ここで決める!」
顔面血まみれの蛍が、意に介さずの鬼の表情で投げを打つ。右の下手投げ『鬼車』。
火ノ丸との送別相撲で決められなかったその技で勝利をもぎ取りに行く。
だがその技が、逆に倫平の闘志をも掻き立てる。
「野郎おぉぉっ!」
鬼車。昨年彼が火ノ丸に引導を渡された投げ技。2度も同じ技で仕留められてたまるか!
倫平は背中越しに取っていた上手投げで反撃、投げの打ち合いとなる。
「いっけえぇぇぇぇっ!」
レイナが、千鶴子が、柚子香が叫ぶ。ダチ高相撲部員が、常磐第三の応援団が、かたずを飲んで見守る。
-ドシャアァッ!-
蛍が顔面から、倫平がヒジから落ちる、同時に。
全員が一斉に行司に注目する。勝ったのはどっちだ・・・?
「西!下山君の勝ち」
「なっ!」
桐仁が叫ぶ。だがそれ以上の言葉は出なかった。二人の副審が手を上げ、物言いをつけたからだ。
協議の間、桐仁は祈るような気持ちでいた。どう見ても今のは三ツ橋の勝ちだろう!
下山は手を付いたが、三ツ橋は顔面から落ちるまで粘ったのだ、そうだ絶対行司差し違えで・・・
「同体、取り直し!」
その言葉に桐仁は血の気が引く。まただ、またこの無情な裁定。去年のインターハイ準決勝の再現。
相撲の神様よ、あんたどこまで三ツ橋を-
「やった!まだチャンスはある!」
「三ツ橋先輩ファイットォーっ!
「相手もしんどいんですよ、頑張って!」
ダチ高一年の応援が、桐仁の悲壮感を打ち消す。彼らにとっては一度は相手に上がった軍配が
再び無効になるのはチャンス以外の何物でもないのだ。
そして、それに応えてうなずく蛍。顔面血まみれ土まみれになりながらも、後輩の前で
虚勢を張らないわけにはいかない。肩で息をしながら再び土俵に上がる。
倫平もまた、チームメイトや応援団から激励され、土俵に歩を進める。
その二人の姿に拍手、そして場内から応援コールが上がる。
「みっつはしっ!みっつはしっ!みっつはしっ!」
「しっもやまっ!しっもやまっ!しっもやまっ!」
行司の「呼吸を整えて」の声も聞こえないくらいの応援合戦。改めて礼をする両者。
そして蹲踞の姿勢に入った途端、応援が止み、静まる会場。それが相撲のマナー。
「手をついて!」
仕切りながら倫平は考える。もう俺も奴も体力は限界だ。こうなったら何も考えず
ぶちかまして体重差で押し切るしかねぇ、変化したら腕で叩き落とすまでだ!
「はっきよい!」
二人が激突する。蛍も、倫平も、頭から。
「勝った!」
そう思った倫平の目の前から、蛍が消える-
「なっ!?」
当たった瞬間、蛍はぶちかましの軌道を下にずらし、反転しつつ倫平の腹の下に潜りこんでいた。
「ウナギの如し!」
柚子香が思わず声を上げる。先日の部内戦の最終戦で見せた、ぶちかましからの高速変化。
蛍は倫平のマワシを担ぎ上げるように持ち、前のめりで自分にかぶさった相手の腰を
担ぎ上げようとする。
「百千夜叉落とし!」
レイナが叫ぶ。だがその表現は正確ではない。蛍には相手を担いだまま、片足をかけるほどの
膂力はまだなかった。3点投げではなく2点投げだが、鬼車と共に蛍が目指した
火ノ丸の必殺の投げ技、それを蛍は選択する。
「うがあぁぁっ!」
倫平が吼え、蛍の後頭部を押し付け、潰そうとする。しかしこうなっては最早勝敗は決している。
あとは蛍のヒザが倫平の体重に耐えさえすれば・・・
力強く伸ばされる蛍のヒザ。マワシを支点にして半回転する倫平。
-ズドォーンッ-
「勝負あり!東、三ツ橋君の勝ち!」
喜びを爆発させるダチ高相撲部。桐仁は目に涙を浮かべながらガッツポーズ。
涙を流して嗚咽する千鶴子を慰めながらもらい泣きするレイナ。
柚子香は思わず「かっこいい・・・」と漏らす。
長かった、本当に長かった三ツ橋蛍の『1勝』。永遠に届かないとすら思えた瞬間が
今、ようやくここに成ったのだ。
だが土俵上では、そんな感情は無縁だった。蛍は息を切らせながらも倫平に手を貸し、
一礼して勝ち名乗りを受ける。その表情は淡々として綻ばない。
土俵から降りる蛍を拍手で迎える一同。だが蛍は厳しい表情で返す。
「『まだ1勝』です、あと2番頼んだよ!松本君、桐仁!」
蛍の目は既に自分の勝利ではなく、団体戦の勝利に向いていた・・・かと思われた。
残り2番、松本も桐仁も勝利を手にする。しかし先の一番に熱をもらったか、
常磐第三の残り二人も実力以上の力を発揮し、二人を大いに苦しめたのだが。
勝利の後、流血した蛍は救護室で手当てを受ける。幸い鼻血だけで済んだようで
目立った外傷はなかった。
「先輩、初勝利おめでとうございます・・・って、あんまり嬉しそうじゃないですよね?」
帰り道すがら、付き添いの柚子香にそう聞かれる。
蛍はここで自虐的な表情を見せ、柚子香にこう言った。
「『まだ1勝』だよ、全然足りない・・・」
その言葉だけで察することが出来た。当時を知らない柚子香でさえも。
-全国大会優勝チームのレギュラーで全試合敗北-
それがどれだけ蛍の心の奥に深く刺さった棘であるのか、想像することが出来るだろうか。
楽しいこと、嬉しいことは涼風のごとく気持ちよく身を撫でていく。
だが辛いこと、悲しいこと、屈辱的なことは人の心の奥に深く刺さった棘であり、
永くその痛みを忘れることは出来ないのだから-
最後のくだりは、このSSのテーマのひとつ。
これもまた彼を強くするための重要な要素です。