自分の体は起きてしまっている、相手が頭を低くして突っ込んでくる!
絶体絶命のピンチに、蛍の積み重ねてきた稽古が、相撲勘が、考えるより早く
行動を起こす。
「フッ!」
短い『溜め』から素早く身を踊らせ、相手の突進を躱して背後に回り込む。
「八艘飛び!」
「ここで使うか!」
辛うじて黒田のぶちかましを躱し、土俵中央に着地する蛍。そんな彼を
もうひとりの三ツ橋蛍があざ笑う。
(ほらね、所詮僕はそんな程度さ。真っ向勝負で勝てないから変化に逃げる。
そんな僕が相撲を好きなわけがないんだ。)
一方の黒田は逆に驚愕を隠せないでいた、バカな!ここで変化とは!?
「(あの目を・・・かつての俺の様な、自分を罰するようなあの目も、この変化の伏線だと!?)」
ここまでの真っ向勝負、『圧切長谷部』の自分に対し、あの小さな体で真っ向から、
額を割ってまで挑んできたのも、このためだと言うのか!
「(そうだ、彼も俺と同じ、屈辱と言う泥沼から這い上がって来た男だ・・・)」
黒田の意思が、目線が、三ツ橋蛍に集中する。自分が戦っているのは今は草薙でも、
先の相撲で不甲斐ない醜態を曝した自分でもない、目の前の国宝『蛍丸』!
黒田の目に明確な光が灯る。自分が辿り着く場所に行くために、目の前の敵に全てを尽くして
倒す、勝つ、必ず!
土俵際で体を残した黒田が再度、蛍に突進する。蛍もまた腰を割り、すべるように黒田の
足元に向かって出る。
(無駄無駄、相手は相撲に人生賭けてるんだよ、所詮僕じゃ・・・)
「(ちょっと黙ってて!)」
蛍が蛍を怒鳴りつける。今はそれどころじゃない、あの国宝『圧切長谷部』が自分を倒すべく
全精力をぶつけてきてる最中だ、自問自答なんかしてるヒマなんかあるもんか!
蛍をそう覚醒させたのは他ならぬ黒田のその目だ。相手の目を見ての心理戦を諸岡から教わり
身につけていた蛍は、その目を見ることで勝負に意識を全振りせざるを得なかった。
相撲に没頭していくにつれ、心の中の自分が消えて行く、考える余裕がなくなっていく
「(後にしろ、後に!)」
そして蛍の目もまた、らんらんと蛍火の輝きを灯す。
-ドカァッ!-
蛍が身長の低さを生かして、下から『十字かち上げ』を放つ。だが直撃はしたものの、
それだけで止まるような突進ではない。浮かされた上半身を再度沈めつつそのまま蛍を
飲み込む大波の如く前進する。
次の瞬間、黒田は首根っこを上から下に押し付けられる。何だと・・・何が!?
-叩き込み『大引波(おおうねり)』-
蛍は相手をかち上げた後、すかさずバックステップしてジャンプし、突っ込んでくる黒田を
上から下に叩き込みつつ、八艘飛びで再び飛び越したのだ、まるで体操選手の様に。
「うまい!」
「上にカチ上げて、すかさず下かよ!」
意気上がるダチ高応援団。黒田の上半身がまさに波のように上下し、土俵に落ち・・・
「こおぉぉぉっ!」
落ちなかった。どう見ても限界の体勢から、それでも足を出して土俵内に踏みとどまる。
「うそぉっ!アレを残すの?どんだけよ!」
柚子香が驚愕の声を上げる。『叩き込み』といえば彼女も県大会の決勝、宿敵の池西檸檬に
『三角落とし(トライアングルストライク)』を決められた経歴を持つ。
それに劣らぬ完璧な体勢で決められた叩き込みを残すなんて、あの巨体で、あの前傾姿勢で!
それは黒田が、あくまで『三ツ橋蛍』と相撲を取っているがゆえの凌ぎだった。
そう、相手は草薙じゃない、変化の蛍丸だ。彼に勝つには『彼に勝つため』の相撲を
取らなきゃならない、集中しろ、目の前の相手に。
体制の崩れた黒田に蛍が突進する。狙いは一つ『蛍火の如し、潜』で懐に入り、
得意の潜る相撲で勝負に出る!
-ゴッ!-
蛍の頭が黒田の頭を跳ね上げる、だが次の瞬間、蛍の顔もまたカチ上げられ、割れた額から
血しぶきを舞い上げる。
-かち上げ『棚斬り』-
自身の低いぶちかましを万が一くぐられた時に使う黒田の裏の技。ぶちかましと
腕でのかち上げの2段攻撃で相手を自分の懐から引きずり出す!
「『蛍火の如し』が破られた・・・初めて見たぜ。」
「なんかもう、三ツ橋君のために用意されたような技だよね。」
荒木と沙田が驚愕の声を出す。あんな真似されたら黒田の懐に潜るのは不可能と言っていい。
「圧切長谷部・・・もともと名の由来は、織田信長が無礼を働いた小僧を棚ごと『圧切った』
からって言われてるわ。まさに彼に、いえ、この対決にぴったりね。」
土俵を見つめ、そう解説する名塚に、カメラマンの宮崎が反論を返す。
「誰が小僧だって?あれはむしろ『牛若丸』だよ。」
突進する黒田に対し、蛍は張り手で応戦する。顔面を捕らえるが無論、その程度では止まらない。
蛍はそこで体を反転させ、なんと背中から黒田にぶち当たっていく。
「鉄山靠(てつざんこう)かよ!」
そう吐き捨てたのは格闘技マニア、館林南の内山だった。中国拳法にあるその技は
即興で出来るような簡単なものではないのだが・・・
蛍はまるで車に撥ねられるように体を回す。そう、背中から当たったのは決して体当たりが
目的ではなかった、体を回すことで相手の突進をいなし、『後の先』を取る事が真の狙い。
コマのように1回転した蛍は見事に黒田の背中に取り付いていた。
「ウナギの如し、久々に来た!」
回転しながらぬるっと相手の背後を取った蛍を見て松本が叫ぶ。2年前の部内戦で
幸田に決めた『蛍火の如し』の原型となった動き!
両マワシを掴んだ蛍が、なんと前のめりにバランスを崩す。黒田は蛍に後ろを取られたまま
なんと俵に沿って土俵際を円を描いて走り始めたのだ。すり足ながらそのスピーディな動きに
蛍は踏ん張ることも出来ずに引きずり回され、ついにマワシを体ごと振り切られる。
「いよっしゃ、離した!」
「見失うなー!捕(と)まえろーっ!」
「まだだ、徹底的にかき回せぇ!」
「突進来るわよ、対処してーっ!」
意気上がる立花寺と大太刀の面々。熱戦ならなおさら、その先に自分たちの大将の勝利が欲しい!
目に同じ光を灯す両力士が何度目か分からない激突に向かう。
と、蛍の頭に自身を自虐する、もう一人の自分が浮かぶ。
黒田の脳裏に『草薙』が、あの静謐なオーラを纏った力士が浮かぶ。
二人は同時に心でこう一喝する。
「「引っ込んでろ!」」
いわゆるミックスアップ。