-バッチィィン!-
国技館が沈黙に包まれる。その光景を見た会場の全員が目を丸くして硬直する、なんだあれは?
「・・・え?」
思わずこぼす蛍の目前に、黒田の顔。
「起きとると!?」
「あ・・・はい。」
黒田はこの取り直しの一番、行司の「手をついて」の言葉と同時に、明らかに手付き不十分の
状態で蛍に突っかけた。
が、ぶちかますでもなく突っ張るでもない、なんと彼は両手で蛍の頬にサンドイッチビンタを
放った。響き渡る張り音とは裏腹に、それは蛍を動かすこともダメージを与える事もなかった。
代わりに与えたのは、蛍の意識の回復、それだけ。
ふっ、と息を吐いて手を放す黒田。主審の「キチンと手をついて」の警告に頭を下げる。
が、その主審もどこか救われたような表情で黒田から目を逸らす。
「三ツ橋を・・・起こしてくれたのか?わざわざ。」
思わず漏らす桐仁の言葉と同時、横から拍手。
-パチパチパチパチ・・・-
諸岡顧問がいい笑顔で土俵上に拍手を送る。もしあのまま立ち合っていたら三ツ橋君は間違いなく
無事では済まなかっただろう、そんな彼を気遣ってくれたその精神に感謝し、手を叩く。
それに応えて桐仁が、千鶴子が、幸田が、松本が、陽川に大峰、赤池に沼田に柳沢、小林が。
最後に手を噛み合わせていた柚子香がその手をほどき、拍手を送る。
事情を察した立花寺の選手たちが、そして立ち合う前からの蛍の異常に気付いていた
選手たちや、目の肥えたファンがその『心』に惜しみない拍手を打つ。
遠い2階席の名塚と宮崎も、鬼丸や清心道、佑真にレイナ、柴木山に大和国も事態を察し
それにならう。
-パチパチパチパチパチパチパチパチ-
ふぅ、と息をつく主審。行司を務める彼は先の一番が軍配差し違えで取り直しに
なったことにナーバスになっていた。判定を覆されるのは審判にとって恥であり、
面白い事ではない。
が、再勝負に当たって両選手の状態を把握するのはまた別の義務、三ツ橋選手の異常に気付かず
軍配を返そうとしていた自分の不徳を、対面の選手が止めてくれたのだ。
「大丈夫かね、君。」
今更ではあるが改めて確認する。ハイ!と目を見据えて答える三ツ橋選手、いけそうだ。
未だ鳴りやまぬ拍手の中、蛍は天を仰ぎつつ、心にじわっとした感動を覚えていた。
「(ちょっとカッコ良すぎでしょ、黒田さん・・・)」
その時だった。蛍の頭に思い浮かぶその言葉、遠い過去のその記憶を思い出す-
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『可愛い』と言われるのが嫌いだった。
ヒゲが濃い人が羨ましかった。
亭主関白に憧れていた。
ムッキムキになりたかった。
そう、『カッコよく』なりたかった。
でも周囲は皆一様に『可愛いね』と言うばかりだった。
文化祭の日、体育館で『彼ら』に出会った。
-これが相撲における『死』じゃ。どうじゃ、ぬるいか?-
小さな体をものともせず、真っ向から相手を倒し続ける同級生、名前は『潮 火ノ丸』。
-そんな勝ち方・・・俺にだってプライドがあらぁ-
他のクラブ代表との連戦の疲れを言い訳にせず、レスリング限定の戦法も使わずに相手を認める
名前は『國崎 千比路』。
-カッコイイなぁ、二人とも-
その日のうちに吹奏楽部を退部し、相撲部に入部した。そして僕は彼らを、ライバル達を
見続けた。
-僕もあんな風に『カッコよく』なりたくて-
いつからだろう、負け続けるあまり、勝つ事に執着するあまり、それを忘れてしまったのは。
カッコいいのは他人の領分、自分は無様でもいいからとにかく勝ちたい、チームの役に立ちたいと
変化をし、無礼な行為に身を染めて、後に残ったのは二度と消せない記録と、後悔。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「(ああ、そうだ。僕は・・・カッコよくなりたかったんだ。)」
小さな体で大相撲の世界をこじ開けた火ノ丸さんのように。
レスラーだった彼が、国宝『大包平』を真っ向から寄り切った國崎さんの様に。
そして、目の前にいる、体も心も大きな、屈辱を抱えてなお正道を行く黒田さんの様に。
-手をついて-
蛍は腰を下ろしながら、少しだけ目を閉じる。その先にいるのはフルートを持った
もうひとりの自分。彼はガッツポーズを示し『そうだよ、それだよ!』と満面の笑顔。
そうだ、僕は、僕達は・・・
-はっきよい-
「(カッコよく、なりたかったんだぁーーーっ!!)」
黒田が、蛍が、頭から激突する。左右に躱さない真っ向勝負!
当然の如く押し込まれながら、蛍は心で叫ぶ。自分の原点、相撲を取る一番の理由を。
-かっこよくなりたい!かっこよくなりたい!かっこよくなりたい!かっこよくなりたい!-
-カッコよくなりたい!カッコよくなりたい!カッコよくなりたい!カッコよくなりたい!-
押されながら、呪詛の様に唱え続ける。子供じみたその欲求を、心の底から、魂の叫びを。
そうだ、それだけなんだよ、僕が相撲を取る理由なんて。相撲が好きか?そんなことはどうでもいい、
かっこよく成りたかった、誰かに『カッコいい』そう言ってほしかったんだ!
蛍の足が俵にかかる、黒田は圧殺して押し出さんと胸を合わせにかかる、両者の距離が近づき
蛍の手が黒田の下手マワシに届く。それを掴み、足で俵を握りしめ、胸を合わせたまま腰を落として
懸命にこらえる。
黒田の巨体が蛍の体を起こしていく、重心が俵に近づいていく、決着の時が近づいていく。
蛍は全身の力を集中し、心から『想い』を振り絞る。
-僕は-
「(カッコよく、なりたいんだあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
その時だった、黒田の巨体が、その足がふっ、と浮く。
「「吊ったあぁぁぁぁぁっ!!」」
ダチ高の面々がその光景に絶叫する、拳を握りしめ、血液を沸騰させながら。
「「なんやとぉぉぉぉっ!!」」
立花寺の一同が、ありえない光景に慟哭を吐く、そんなことが、あるのか!?
79kgの蛍が135kgの黒田を吊り上げる、それだけでも異常な光景ではあるが、
ダチ高相撲部員にとって、それは初めて見る三ツ橋部長の『吊り』のシーンだった。
いかに相手が寄りかかってきたとはいえ、俵を掴む足で踏ん張りがきいているとはいえ、
あの三ツ橋がこの巨体を吊り上げるなんて!
「三ツ橋ぃぃぃぃっ!!」
「部長おぉぉぉぉっ!!」
叫ぶ大太刀。彼らはわかっている、今の蛍は相手を持ち上げるだけでいっぱいいっぱい、
吊ったまま寄る事はおろか、体を回して土俵外に出すことも、横倒しに吊り落とすことも
出来ないという事が。
だから声を出す、その頑張りに、その『心』に。
「クローっ!寄りかかれ、浴びせろーーっ!」
「暴れろ黒田、相手を落とせーーーっ!!」
吠える立花寺。そうだ、つまづいたらまた立って歩きだせばいい、団体も個人も
もう優勝は無いが、そこからまた勝ちを積み重ねて行けばきっと届くんだ、草薙に。
だから、勝てよクロぉっ!
そして、二人の体が、ふっ、と傾く。
土俵の外側に。
まるでスローモーションのように倒れ込む二人。蛍は歯を食いしばったまま、その蛍火の様に
らんらんと輝く目を黒田に向けたまま。
黒田もまた、尊敬と敬意と敵意をたたえた目で、蛍を見下ろしながら。
-どどぉっ-
蛍が背中から、黒田がその上に覆いかぶさって、土俵下に転落する。
その瞬間の歓声は、知らない人が聞けばこれが決勝戦では無く、3位決定戦であるなど誰も
信じないだろう。そんな大歓声が会場に鳴り響く。
-寄り倒しで西、黒田の勝ち!-
黒田がまず立ち上がり、蛍に向けて手を差し出す、いけっか?と声を掛けつつ。
蛍は寝ころんだまま相手を見上げ、大丈夫です、と返す。下敷きになったかに見えたが
しっかりと『かばい手』で蛍を潰すのを防いでいてくれたから。
黒田の手を借り、体を起こす蛍。ほんとカッコ良すぎだよ、この人は。
土俵の東西に分かれ、礼をして降りる両者。蛍を最初に迎えたのは千鶴子だった。
消毒液をしみこませたガーゼを蛍の割れた額に当てる。
桐仁がお疲れ、と肩を叩く。続いて蛍の正面に立つのは、柚子香。
彼女は潤んだ目で一言、こう告げる。
「カッコ良かったですよ、蛍部長。」
その声を聴いた蛍が、一瞬ポカンとした表情を見せる。そのまましばし固まっていたが、
やがてその目から涙が、まるで蛍火のようにぽろぽろと零れだす。
「・・・ありがとう。」
届いた。報われた。願いがかなった。ついに立った自身のゴールで、蛍は涙を流す。
そんな彼の前でダチ高の面々は顔を見合わせて笑顔になる。
「つーか、今までカッコよくないと思ってたスか?」
「そうですよ、そんな小兵で大型選手をあんだけ薙ぎ倒しておいて。」
・・・え?
「ワイを散々手玉に取っといて、カッコわるかったらワイ立場無いわ。」
「国宝『蛍丸』って羨ましすぎですよ、俺もそんな言われたいッス。」
・・・あれ?
「私はずっと思ってましたよ、カッコいいな、って。」
「ずいぶん基準が高いんですねぇ、カッコ良さの。」
・・・ちょ、ちょっと待って!まさか。
蛍はごしごしと涙をぬぐうと、顔を上げて真顔で皆に問う。
「もしかして・・・声に出てた?」
その問いに、全員の絶望の返事。
「「思いっきり叫んでましたよ!」」
石化する三ツ橋蛍。周囲は皆、爆笑である。
「叫んだから力出たんやないか。」
「会場中に響き渡ってましたよ『カッコよくなりたいんだー!』って。」
「TV中継も入ってるから日本中に届きましたねー、」
「いやいや今はネット世界だから、ワールドワイドに知れ渡りますよ。」
青ざめた蛍の周囲で嬉々としてはやし立てる仲間たち。桐仁に至っては苦しそうに顔を伏せ
蛍の肩に手を回して笑いを吐き出している、完全にツボに入ったようだ。
「忘れろーーーっ!」
顔を真っ赤にして皆を追い回す蛍。が、顧問の諸岡の鶴の一声で一同ぴたりと止まる。
「こらこら、じゃれるのは試合の礼が終わってからだ!」
土俵の東西に整列する両チーム、主審の声が高らかに響き渡る。
-5-0で西、立花寺の勝ち!-
やはり春の覇者は強かった。誰もがもう一歩の勝負ではあったが、ギリギリの所で
立花寺はダチ高を上回って見せたのだ。
大太刀高校相撲部、全国団体戦4位。
蛍の、桐仁の高校相撲は、こうして終わりを告げた。
ようやく、ようやくここまで来ました。
こんな長い話になるとは・・・