「・・・あった。」
小雪の舞い散る流山星稜大学、大勢の人混みでごった返す掲示板の前で、
蛍は自分の受験番号が掲示板にある事を確認し、小さくガッツポーズする。
「よかったぁ~、受かった。」
大学受験、既に第二第三の志望大の受験に失敗していた蛍にとって、第一志望の
流星大の合格はまさに崖っぷちでの逆転劇ともいえる、あわやの浪人の危機をなんとか
回避することが出来た、とひと息つく。
とりあえずこの吉報を親に連絡しよう、ときびすを返し、人混みを抜けつつスマホを
取り出す。まだちょっと震える指で電話帳を開き、合格の報を伝える。
電話の向こうの両親もほっ、と胸をなでおろし、たいそう喜んでくれた。高校時代に
相撲部に青春を尽くした彼は、当然ながら成績は下降の一途を辿っていったのだ。
部活を引退してからの懸命の受験勉強がようやく実ったことに、家族一同安堵する、
スマホを切ってポケットに仕舞った時、蛍の目の前に一人の少女が立っていた。
「合格したみたいですね、おめでとうございます。」
白い吐息を吐きながら蛍を祝福したのは後輩の堀柚子香だ、カラフルなマフラーを首に巻き、
シックなコートに身を包んだ状態で笑顔を向ける。
「ゆず・・・来てたのか。」
なんでここに?とは流石に言わない、それは野暮というものだろう。
一応、付き合ってる彼氏彼女の関係ではあるのだが、夏までは部活で、それ以降は受験で
ほとんど構ってあげられなかった。そんな彼女が蛍の合否を気にかけるのはまぁ無理からぬ事だ。
「合格祝いにオゴりますから、そのへんでお茶しません?」
「あ”~~、本当に良かった、受かって。」
喫茶店のテーブルに額をつけて嘆き出す蛍、人生瀬戸際で辛うじて春を迎えることが出来た。
「はいはいお疲れ様。」
突っ伏した蛍の頭をなでなでする柚子香。端から見てると爆発しろ的な二人だが、まぁさすがに
今日はいいだろう。
注文した抹茶セットを味わう柚子香を見て、ミルクティーのカップを持ちながらふと思う。
「っていうか、相変わらず化けるねー。」
実に女の子らしいその恰好もそうだが、おしとやかに抹茶ケーキを口に運ぶその姿は
普段の相撲部で見て来た彼女とは似ても似つかぬ女の子らしさだった。
「むしろこっちが素ですよ、私は。」
愛想のいいウインクをしてアピールするゆずに、蛍は冗談でしょ、と笑って返し、
お約束の様に対面から頭を叩かれる、こういうやりとりももうすっかり馴染んできた二人。
「そういやお姉さん、複数合格してたみたいだけで、どこ行くの?」
ゆずの姉、千鶴子は第一から第三志望まで全て合格していた。いわばよりどりみどりな
状況なのだが・・・
「東京の大学。なんか雑誌のカメラアシスタントのバイトするとかで、会社に近いトコ
選んだみたい。」
ま、第一志望のトコなんでいいんじゃない?と付け加える。
「で、蛍は大学行っても相撲続けるの?」
その質問にえ?という表情をする蛍。目線を下に落とし神妙な顔つきを見せる。
どうだろう、どうしよう。
今日までひたすら受験受験で、その後のことを考える余裕は無かった。
かつてカッコよさに憧れて始めた相撲。1年目の悲惨な成績は今も心の棘として
蛍の奥底に刺さっている。
稽古、試合、合宿、後輩、全国。青春を注いだその競技に対する想い、思い出。
やり尽くした感じと、今さら他の事をするのか、という両方の思いが天秤を吊り合わせる。
そして・・・
「やっぱアレが原因ですか、鬼丸関のあのケガが。」
ぶっ!と吹き出す蛍。まるで心を読まれたかのようなタイミングで、蛍の相撲に対する
拒絶感の元凶を的確に指摘される。
「エスパーかっ!」
「これでも一応、彼女のつもりなんですけどー。」
柚子香は語る。あの日、国技館で顔を真っ青にしてトイレに走って行った蛍を見て
ああ、『もし自分だったら』って思っちゃったんだな、って。
「参ったね、なんでもお見通し、か。」
そう、あの一番を見て蛍は、相撲の怖さを骨身にしみて思い知った。自分が首藤戦で
ケガをした時よりも、はっきりと、鮮明に。
「火ノ丸さんは僕のヒーローだったんだ。その彼が、まさかあんな事になるなんて・・・」
心底怖かった。自分に当てはめたら悪寒が突き抜けるほどに。そしてそれを契機に
長年共に戦ってきた桐仁とも袂を分かった。
より相撲に積極的になった桐仁と、相撲から遠ざかった蛍。
「正直、怖いよ。カッコ悪いだろ、僕?」
自虐的な表情でそう言う。かつてカッコよくなりたいと願った。だがその夢は一歩間違えば
人生そのものを粉々に砕く危険な道であることを思い知ったから。
柚子香は肯定も否定もせず、蛍を見てふっと息をつき、マフラーを持って立ち上がる。
「少し歩こう、蛍。」
小雪の舞う道を歩く二人。小川にかかる橋の上、柚子香は蛍に向き直り、こう伝える。
「確かに、カッコ悪いよ蛍。」
「あ・・・」
ある意味辛辣な柚子香の言葉に少しヘコむ蛍。単に不甲斐ないと思われただけじゃなく
男性として愛想つかされたかな、とも思う。大学に進学し距離が遠くなる今は、
フられるキッカケにするにはいいタイミングなのか、と言う思いが胸からせり上がってくる。
「どうして、『ケガをしないような相撲』を目指さないんですか?」
雪を世界にまとわせた、日本人形のようなその少女は、蛍にそう『道』を示した。
その言葉を様々に咀嚼する蛍。言うだけなら簡単だ、でも目指すことが出来なくはない。
ケガの怖さを知り、それを回避することを常に念頭に置き、相撲を続けていく。
それはケガが怖いから逃げるんじゃない、怖いからこそそれを克服し、相撲と付き合っていく。
ケガを理由に相撲を嫌うんじゃない、ケガの可能性を含めて相撲を自分に取り入れる、
そうすれば自分は・・・
青春を、相撲を続けられる。
カッコいい自分を目指せる、過去の汚点をいつか栄光で塗りつぶすための挑戦を続けられる、
恐れたケガすら自分自身の方針で克服することが出来る、なによりあの円い土俵の上で
人生最高の瞬間を夢見ることが出来る、見続けることが-
「もう、何て顔してんですか。」
柚子香が蛍の両頬に手を当て、顔を近づけて言う。あ、という表情で我に返る蛍。
いつのまにか持っていたバッグを地面に落としている、その空いた手で蛍は
目の前の柚子香をぎゅっ、と抱きしめる。
「わ!」
いきなり公衆の面前で抱き着かれた柚子香が思わず声を上げる。
「もう・・・投げ飛ばしますよ。」
蛍に身をゆだねながら、その気の無い発言でそう続ける。やれやれ、やっとここまで来た、と。
「・・・ありがとう、ゆずと出会えて良かった。」
体を離し、肩に手を添えて、柚子香の目をまっすぐ見据えてそう告げる。優しい光を湛えた
その蛍火の様な瞳で。
「うん、カッコ良くなった。」
にっこり微笑んで柚子香が返す。常に全力で、自虐的なまでに無茶な挑戦をしてきた彼、
過去の傷に囚われ、捨て身で戦ってきた柚子香のヒーローが今、自分を大切にすることを知った。
あるいはそれで弱くなるかもしれない、蛍火の輝きが弱くなるかもしれない、それでもいい。
困難を飲み込み、さらに前に進む、それでこそ私の好きになった人。
雪の舞う午後、ふたりは今、新たなスタートラインに立った。
卒業式の日、桜の舞う大太刀高校。
式の後に部室に顔を出した蛍と千鶴子。何をするともなく思い出の部室を見て回る。
神棚、てっぽう柱、2面取られた土俵。彼らは今日、ここを巣立っていく。
二人が感慨に浸っていると、どやどやと在校生の相撲部員たちが入ってくる。
「あ、ゴメンゴメン。これから稽古?」
マワシを締め、熱気あふれる体の後輩たちに気を使い、部屋を出て行こうとする・・・が。
「何言ってるんですか、これから送別相撲ですよ。ダチ高恒例の、ね。」
幸田の言葉に、え!と固まる蛍。柚子香が頑張ってくださいね、とマワシを手渡す。
「ちなみに賞品はコレね。」
沼田が額縁にはめこまれた写真を見せる。
「ぶふぅっ!!」
思いっきり吹き出す蛍。そりゃそうだ、なんと写っているのは雪の舞う中、柚子香を
抱きしめている蛍の写真なのだから。
「うん、会心の一枚♪」
そう自慢する千鶴子の横で、柚子香は苦笑いしながら『この姉は・・・』と呟く。
焼き増しはしていないし、ネガも消去したからこれが正真正銘最後の一枚だ。
「条件は全敗でもいいから、全員と取ってケガをしない事!それが目標だろう。」
いつの間にか入室している諸岡顧問が親指を立ててそう告げる、あんたもグルですか、と
毒づく蛍の表情は、今までにない程の笑顔だった。
「さぁ、最初は俺ですよ、夏の部内戦の借り、返させてもらいます!」
陽川が土俵に上がる。受けて立つよ、とマワシを受け取る蛍。
-はっきよい-
今、最後に残った物語の主役たちが卒業する。
後に残された者たちの物語は、残された者たちで紡いでいく。いつかその報を聞いた彼らは
後輩たちの想像以上の活躍に目を細め、喜びを覚える事だろう。
最終回じゃないぞよ、もうちょっとだけ(略