ファンキル学園IF Beautiful Garden of Eden 作:宿木ミル
ピサールとのお風呂を境に、私は能動的に行動することを意識していった。
彼女が促してきた変化が正しいか間違っているかはわからない。
ただ、その発想で自分を甘やかしてしまったら、今までの私ではいられなくなってしまうと感じていた。
評価されていた頃の私を維持できなければ、捨てられてしまう。前みたいに、急に冷たい態度を取られてしまう可能性だってある。それが、ただ怖かった。
だから私は、ただ一心不乱に評価される為に行動を起こしていった。
洗濯、洗い物といった家事を即座に行う。
料理は三食作る。サボったと思わせないようにサラダも一から作っていった。
掃除も欠かさず、内職も過去のペース以上に実行していた。
なにもかも問題ない。
褒められることは、なによりの幸せだ。
評価されることこそが、幸福だ。
自分に言い聞かせて、生活を繰り返す。
休憩した方がいいという考え方は、甘えにしかならない。
あの日の私を惑わせた瞳に、掌の感触に、縋ってはいけない。
実績は嘘を付かない。そう信じて、私は夏の毎日を繰り返し生活していた。
……8月の中旬ごろの夕暮れ時。
私はアクセサリー作りの内職を淡々と繰り返していた。
本日分のノルマはもう随分前に達成済み。
だけれども、評価される為には努力を重ねないと意味がない。
他人でもできると思わせてしまうと、私の存在が不要なものになってしまう。
必要とされる為に、私は何回も繰り返していた。
ピサールが休憩している時も、眠っている時も、朝起きる前も。
ずっと作っていた。
ピサールが作ってくれている分については、別に関与はしていない。彼女は彼女らしく頑張っているはずだから、それについては問題ない。問題になるのは私のものだけ。
失敗しないように、多く作る。
数を重ねれば、きっと評価される。
私が行ってきたことが全部、評価されなければ、それで私は終わり。
ただ、それだけだ。
作る、作る、作る。
最近は時間間隔すらわからなくなってきた。
それでも、表情を取り繕うのは慣れていたから、ピサールの前では疲れを見せることはなかった。だからきっと、食事を作っている時も違和感なく接していけているはずだ。
淡々と、アクセサリーを作る。
評価される為に、私が私として認められる為に。
黙々と、作成していった。
……時間の確認をしようと、上を向こうとしたその時だった。
ぐわんと、世界が歪むような眩暈に襲われた。
その感覚に襲われて、私は姿勢を崩してしまう。
うまく立ち上がろうとしても起き上がれない。
苦しい。
このままではいけない。
自分を立ち上がらせようと、呼吸を整えようとする。
安定しない。
このままでは、迷惑をかけてしまう。
それなのに、私は体に力を入れることもできない。
このままではあの時と同じだ。
怖い。
捨てられてしまう。
整えようとしていた呼吸が激しくなる。
動機が激しい。
……私は、ただ、評価されたかっただけなのに。どうして、こんなに弱いのだろう。もっと、頑張れる人は、こんなことに音を上げることなんてないというのに。
自分自身に対する憤りの感情が胸を支配する。
捨てられてしまう。見捨てられてしまう。
考えるほど、頭痛が激しくなる。
もう、終わりだ。
襲い掛かる苦しみに、意識を保つことができず、私は作業室で気を失ってしまった。
……次にはっきりと意識が蘇った時に見えたのは白い天井だった。
今暮らしている住居の天井ではない。
手を動かそうとして、点滴をしてあったことに気が付いた。
意識を失ったあと、私はどうやら病院まで連れてこられたらしい。
「過労みたい」
声が聞こえた先を、顔だけ動かして確認してみると、ピサールが座っていた。
いつもとは違う、しっかりと外に出ても違和感のない服装をしていた。
「……すみません」
「大丈夫。今はゆっくり休んでね」
普段のゆったりとした声よりも、しっかりとした声色だ。
どこか、やさしさを感じる。
「もう、私は終わりです」
ただ、その優しさもただの形式的なものなのかもしれない。そう思うと、受け取るのが怖かった。
「どうして?」
「信用できなくなりましたよね」
「ミストルティンを?」
「こうして、迷惑もかけてしまいましたし、もう不必要な存在になってしまいましたよね。だからもう、価値のない存在となってしまいました」
諦めながら、そう言葉にしていく。
あの時と同じ状況。私が、急に体調を崩してしまって、それ以降何をしても軽蔑の目で見られてしまったあの日と、同じ状況に立たされている。
私は、また、同じことを繰り返してしまった。
「そんなことないよ」
「……そんなの、嘘に決まっています」
優しい言葉を貰っても、失敗は失敗。
これ以上、私に求められることはあるのだろうか。
「期待されても、失敗して、信頼をなくして、最終的には評価されなくなる。だから、もう終わりなんです。……私よりも頑張れる方なんていっぱいいます。きっと、私なんかよりしっかりしている方も大勢います。私のような存在が、こうして助けられてしまうなんて、迷惑にしかならなかったはずです」
これで最後。
そう自分に言い聞かせながら、思っていたことを全て言葉にする。
自分でもよくわからないくらい、言葉が続いていく。
「……失望されるに決まっています。自己管理もしっかりできていないのに、家事全般を担当していたなんて。こうして運ばれるまで、自分の限界を理解していなかったなんて……」
私なんてもう、どうでもいい。
そんな気持ちで投げやりになっていた。
「……ねぇ、ミストルティン」
「……なんですか」
「ミストルティンがやってきて、わたしが嬉しかったことってなんだと思う?」
「そんなの、あるわけないじゃないですか」
「あるの」
優しい口調。
それは、あのお風呂で聞いた声によく似ていた。
……少しだけ、考えて返答する。
「……家事を手伝ったことでしょうか」
「ちょっと違うかも」
「料理を作ったこと、なのでしょうか」
「惜しいかな」
「……では、何が答えですか」
答えがわからなくなって、問いかけた。
すると、ピサールは微笑んで、返答してきた。
「冷たいお茶を作ってくれたこと」
その答えは、予想していないほど些細なものだった。
私がただ、趣味の一環として作ったお茶。それが彼女にとって嬉しいと思えたらしい。
「……それだけ、ですか」
「勿論それ以外にも感謝してるところはあるけど、一番はこれかなって思ったの」
そう言って、ピサールは、私に対して感謝しているところをいくつも口にしてきた。
食事のこと、洗濯などの家事のこと、内職のこと。
どれも、彼女は感謝していた。
それでも、どうしてお茶が一番嬉しかったのか、わからなかった。
「お茶が一番な理由は、なんでしょうか」
「お茶を作ってる時のミストルティンが一番、自然体っぽかったのと……あと、単純に美味しかったから」
「自然体……」
その時の私が、一番落ち着いていたというところだろうか。
「普段からしていることだから、気にしてないかもしれないけど……ミストルティンがミストルティンっぽかったんだよね、お茶を作ってる時に表情を見てたら」
「……ミストルティンっぽいって、なんですか」
「わかんない。でも、そういう風に感じちゃった」
何回も繰り返されてしまったから、少しだけ笑ってしまった。
「今の表情だよ」
「……そんないいものでしたか」
「ちょっと涙もあるけど、いい笑い方だったかなって」
そうやって言われるのは悪くない気持ちだった。
「正直に思ったことを言うね?」
「構いません」
少しだけ、心が落ち着いてきた。
もう、何を言われてもいいと思えるくらいには。
「ミストルティンは、頑張り屋だけど頑張りすぎだと思うの」
「……そうですか?」
「自分で加減が効かなくなる頑張り屋」
「やれる限りのことを頑張っているだけです」
「やらなくてもいいこととか、背負わなくてもいい感情とかも背負っちゃってる気がするの」
「それは……」
言い訳をするのは簡単だ。
だけれども、彼女が言っていることが事実でもあることは感じていた。
評価されたいという一心だけで動いていたのもあって、自分のことを蔑ろにしていた。
「……ピサールさんの言う通りかもしれません」
「やっぱり」
認めた方がいいと思い、頷いた。
こうなってしまった以上、隠し事なんてできないだろう。
「評価されないと私のいる意味なんてないって思っていたんです」
「必要ないって思われたくない、みたいなのよね」
「覚えていましたか」
「うん、印象的だったから」
無理に言葉を遮ってしまったことが、逆に彼女の心につっかえを残してしまったのかもしれない。それを考えると申し訳ない。
「……成果を得られないと、私という存在を評価してもらえない。私を認識してくれない。そんな場所で生きてきたものですから。……私自身という存在は、道具のように扱うものだと思っていたんです」
「使われたらそれっきりみたいな?」
「代わりはいくらでもいましたから」
過去の施設では、不必要とされたものは捨てられていた。
私も、一回の失敗が原因となって、最終的には捨てられてしまった。
私は不必要な存在である。そう考えていた。
「なるほどね。ミストルティンのことがなんだかよくわかったかも」
「今までは話すつもりもありませんでしたから」
「口が堅そうだしね」
「……そうですね」
数秒、病院のベッド周辺が沈黙に包まれる。
大きな声で会話をしていたわけではないので、静かなのは間違いなかったものの、静寂といった空気だった。
私からこれ以上何を話せるか。
なにか、言葉を繋ぐべきかと思っていたら、ピサールが先に口を動かしていた。
「わかっちゃった」
「……何がですか」
「ミストルティンに言ったらいい言葉」
視線を合わせて、彼女が私に一言、言葉にしてきた。
「めんどくさい」
……それは、彼女がいつも言っていた言葉だった。
「……やっぱり、私みたいなものは面倒ですよね」
「それもあるけど……ミストルティンはこれでも好きだよ?」
「どういうことですか」
言っていることがよくわからなくて、再び訪ねてみた。
「ミストルティンに足りないのは、めんどくさいっていってリラックスする気持ちかな~って」
「面倒だって言ってなにもしなければ怠惰じゃないですか」
「面倒だからってなにもしないわけじゃないよ? 面倒にしない為に、楽をする気持ちも大切ってことなんだから」
姿勢を整えて、ピサールは続ける。
「ミストルティンは、いつもどういうことを考えてるの?」
「次に行うべき家事や次の日の目標、献立なども考えてますが……」
「そんなの駄目よ~」
わざとらしいくらい、大胆な口調でそう言われた。
「どうしてですか」
「ずっと頭が動きっぱなしじゃない~」
頭にそっと触れてきながら、彼女がそう言葉にしてくる。
「……それで倒れるのは、努力が足りないからで」
「ずっと頑張っていられる人なんて、いるわけないじゃない?」
「……そうだとしても、です」
「ミストルティンも、もっと楽になっちゃえばいいのに~」
お風呂場の時のような甘い囁きのような声。
また、あの時の声が私の耳元に聞こえてきた。
ほっとするような、甘えたくなってしまう声。
「……駄目ですよ」
「どうして~?」
「私が頑張らないと、私は評価されませんから」
「いいのよ、大勢の評価なんて。ミストルティンが頑張っているのを見てる人はちゃんといるんだから~」
「それは」
「わたしだよ?」
身体には触れていない。けれども、近くにいる彼女の香りを感じた。
ふふっと、笑いかけてくる。
……彼女は私を癒している。なんとなく、そう思えた。
「……私は、楽になってもいいんですか?」
これはきっと、怠惰にさせようとしているわけじゃない。
いま、ようやく気が付いた。
「もちろんよ」
彼女なりに、私を助けようとしていたのだ。
それを私は、いままでと変わりたくないという一心で払いのけていた。
気が付くのが、ただただ遅かった。
「面倒だって言っても」
「なにもされなくなっちゃうのは嫌だけど~」
「……適度に手を抜くのは、構いませんよね」
「その方が楽だって思うならね?」
「……なるべく、善処していきます」
「わかった」
なんだか、心の重荷が取れたような気がした。
すぐに私を変えられるなんて、思っていない。それでも、今までの私から、何かを変えていけるような気がした。
「あっ、でも。冷たいお茶の準備だけは忘れないでね?」
「忘れませんよ」
「やったぁ。ミストルティンのお茶って美味しいから嬉しいの」
私という存在を認めてくれる。
日常から、私を見守ってくれている。
評価という概念とは別に、私自身を見てくれている。
その事実だけで、幸せな気持ちになる。
「……あっ、気分転換の練習みたいな感じに今度夏祭りにいかない?」
「随分と急ですね」
「今思い出したからね~」
そう言って、ピサールは懐から夏祭りのチラシを渡してきた。
点滴をしていない方の腕で受け取って確認する。
……夏祭りの時間は8月25日だった。
「ちょうど、私の誕生日の日ですね」
「えっ、ミストルティンってその日が誕生日だったの?」
「言ってませんが、そうです」
「じゃあ、誕生日祝いも兼ねてみたいな感じになるかな」
「祝われるような身分ではないかもしれませんが……」
「いいのいいの、お祝いの日は大切だから」
彼女に念押しされて、私は頷く。
「わかりました。一緒に行きましょう」
「いいの?」
「家でゆっくりするのも考えていたのですが……私が変わることができるきっかけになりそうですから」
無理をしたいというわけではない。
ただ、ピサールの厚意に応えたいという気持ちと、私自身の前向きになりたい気持ちが重なった。それだけだ。
「じゃあ、少しだけ用意しないと」
「着物などですか」
「もうあるんだけどね」
「準備はできてるじゃないですか」
「まぁ、適当に買ったのだからサイズが合うかはわからないけどね」
「……採寸次第では、買い直しでしょうか」
「そうかも」
彼女の言葉で、世界が広がっていく。
そんな気もした。
「内職も予め終わらせないといけませんね」
「あっ、それはそんなに気にしなくても大丈夫かも」
「どうしてですか?」
「余剰分は、こっちで調整してたから……それなりにサボれると思うの」
「……全部渡さなかったんですか?」
「下手にノルマ以上に送って、それがきっかけにノルマを増やされるのも面倒だな~って考えて、調整してたの」
「……ピサールさんらしいです」
評価を求めるだけが、生きるということではない。
自分を労わったり、気持ちを休めることだって時には大切。
私とは考え方も全然違う存在に、教えられた。
面倒ごとは、面倒だって思っていい。
甘えたっていい。
その言葉ひとつひとつが、私をなんだか安心させてくれた。