東方然々羽転譚 作:ラムネ頭
これは、私たちだけが知っている、小さな男の子の物語です。
男の子の名前は、森羅くんといいました。もともとは捨て子で、霧の湖の前で独り置いてけぼりになった彼を、私は拾って育てました。
森羅くんは、初めから特別な力を持ってはいませんでした。
どこにでもいる、普通の人間の男の子で。私が見つけなかったら、きっと妖怪に食べられちゃってたと思います。
人間の成長はあっという間で、気が付けば私と同じくらいの大きさになって。やんちゃで、元気いっぱいで、いつも動き回ってて。
取るに足らない、人間の捨て子。
だから、私たち以外は誰も気づきませんでした。
森羅くんが、誰よりも自然に愛されていたことを。
誰よりも、自然と向き合ってきたことを。
あまりにも当たり前に向き合っていたから、誰もが見逃してしまって。
だから、森羅くんは――
――間に合わなくて、ごめんなさい。
◆◇◆
太陽が水面を照らした時のようにキラキラと、彼が見上げた空は輝いていた。
「空飛ぶの反則だぞー!」
「飛べない方がワルいんでしょ!」
跳ぼうと、手を伸ばそうと届かない。空に飛んで行った蒼穹のような髪色の少女は、ほらほら~、と宙でくねくねと奇怪な動きを見せる。
調子に乗られている。その事実に、彼は眉根を寄せて拳を握りしめる。
周囲に視線を走らせる。
件の少女は、青いワンピースの裾をひらひらと振るわせて、いまだに意味の分からない踊りを見せている。無駄に腰の入った動きであることも、感情を逆なでするのに一役買っている。
少女のすぐ隣には湖が。反対側には背の高い木々が広がっている。少女が今いる場所よりも、さらに高い木だ。
(これならいける!)
森の中に一直線に駆け出して、自然の中に潜り込む。
少女はまだ気づいていないのか、相も変わらずへんてこな踊りを披露している。
(この木が、一番近いはず!)
木の幹の小さな出っ張りに足を引っかけ指をかけ、勢いのままに駆け上がり枝をつかみ、鉄棒で逆上がりをするように回転して枝の上に着地。息も吐かずまた同じように、小さな出っ張りを利用して、上に、上にと登っていく。その様はまるで、四足歩行の獣が木の幹という大地を疾走するかのような迫力があった。
登りながら、生い茂る緑の隙間から彼女の位置を確認する。ほとんど同じ位置で、彼のことを忘れたかのように、変な踊りもやめて風を泳ぐように宙を舞っていた。
彼女と同じ高さでは、その体に届かない。木と彼女の間には少しの距離がある。だから彼は、彼女よりほんの少しだけ高く登ると。
木の枝を勢いのままに蹴りつけて、自然の中から宙にその身を投げ出した。
「あれ、何で暗くなって――」
「捕まえたァァァ!」
「ぐぇ!」
宙を泳いでいた少女に抱き着いて、その勢いのまま彗星のように墜落していく。
不意打ちを食らった少女に態勢を立て直す余裕などなく。
ドポン、と小さくない水柱を立てて、二人仲良く湖にたたきつけられるのであった。
「森羅くん、チルノちゃん」
ニコリ、と太陽のような笑みを浮かべている緑髪のサイドテールの少女。ひまわりのようなリボンが大自然のような緑の髪とよく映え、雲のようなシャツの上から空色のワンピースを着る。
街娘というよりは、牧歌的な印象を受ける少女の名前は大妖精。虫とも鳥ともつかない羽は、彼女が妖精たる証であり、今はピタリと動きを止めていた。
対するは、所々土のついて汚れた茣蓙の上に正座をする彼、森羅と少女チルノだ。
先ほどまで一緒に遊んでいた二人は、仲良く下着姿のまま正座をさせられている。そしてお互いに、熱くもないのに背中にじわりと汗をにじませていた。
「まず、チルノちゃん。遊んでいるときにルール破っちゃダメだよ? 森羅くんは飛べないんだから。空にいるチルノちゃん捕まえようとしたら、また今回みたいなことしちゃうよ?」
「うっ――」
歯切れ悪く声を出したかと思うと、チルノは視線を下に迷わせる。あれでもない、これでもない、と何かを探すように動かして。大妖精が次の言葉を口にするまで、声を出すことはなかった。
「森羅くんは人間。たまたま、今回は湖に落ちたからいいよ? でも、地面に落ちちゃったら、死んじゃうかもしれないから。森羅くんは、『1回休み』じゃなくて『ゲームオーバー』なんだよ……?」
「わ、わかってるけど……飛ばなかったらすぐ追い付かれるじゃん」
「森羅くんの手の届く高さで飛ぶこと。それなら、公平だよね?」
「……ごめんなさい」
大妖精の声に、ついにチルノが折れる。謝罪の言葉を、大妖精ではなく、しっかりと隣の森羅に向けて。それでも視線と肩は落としたまま、彼と目を合わせようとはしなかった。
「次は、ルール守ってくれればいいよ。……ボクも、危ないことしてごめんなさい」
「危ないこと? ……ふふん、あたいはさいきょーだからね! 森羅が何を謝ってるのか、ちっともわかんないけど。危ないのは全部、あたいが追っ払ってあげるわ!」
ほのかに膨らむ胸を張り、正座のまま腰に手を当て鼻を鳴らす。大きく構えた様子はすっかりいつもの彼女のペースで、それを見た大妖精は微笑みを浮かべた。
「でも、チルノ姉ちゃんが来る頃には全部終わってるよ?」
「それは森羅が助けを呼ばないからじゃない! 助けて、って声がしないんだから危ないかもわかんないし!」
「逃げるくらいならボクでもできるし。それに声出したらどこにいるかバレちゃうじゃん」
「ぐぬぬ……! なら、次こそあたいが颯爽と助けてあげるわ! それであたいがどれだけ頼りになるか、身をもって知るといいわ!」
ついには立ち上がり、森羅のことを力強く指差した。得意そうに口角を上げているが、一体どこからその自信が湧いてくるのか。
「じゃあ、次があるなら待ってるから」
「待たせないから大丈夫! どこに居ようと、声さえ出せば……ううん、声を出さなくても、あたいが見つけて、助けるんだから!」
鼻歌を口ずさむかのように、チルノはすらすらと言葉を紡ぐ。そうして言い切れば、彼女はくるっと森羅と大妖精に背を向けた。
雪の結晶のように透き通った肌の上には、じっとりと溶け出すように玉の雫が浮いている。芯の通った背筋は一本の木のように凛として。一歩動けば、透き通る水色の髪に隠れた白いうなじがちらりとのぞく。
「……」
その後ろ姿に、吸い寄せられるように視線が向かう。妖精たちのいたずらにでも掛ったようにぼーっと見つめるのも、彼女がパッと振り返ると同時に終わりを告げる。
「それじゃ、あたいはこの後大事な勝負があるから! 大ちゃん、森羅、またねー!」
大樹の洞を入口とした住処から、チルノは冷たい風を残して飛び立った。二人の服は住処にしている大樹の枝に引っ掛けてあり、まだ生乾きのそれを持って行ったのだろう。
「森羅くん」
彼女の後ろ姿を見送っていた森羅を現実に引き戻したのは、小鳥のさえずりのように柔らかい大妖精の声であり。
そんな彼女の顔を見た時に、「あっ」と彼は思わず声を上げた。
「少し、お話しがあります」
「……はい」
ひまわりのようにきらびやかな笑顔だというのに、それを見たとたんに森羅の体は地面に縫い付けられたかのように動かなくなる。耳馴染みの良い声は、頭の中にはっきりと言葉を刻みつけてくる。
そんな調子で、おおよそ二時間に及ぶ説教が終わった時。
彼は足が痺れて立てなくなり、別の意味でその場に縫い付けられてしまうのであった。
マイペースに投稿していこうと思います