病んで愛して魔法少女!!   作:ガラン・ドゥ

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 はやて編の後編です。
 リメイクにあたってかなり修正を加えました(もう作り直した方が良いんじゃないかなって思ってるのは内緒です)


夜月の下で甘い誘惑を(後):リメイク

 両親を失った時、俺は引き取ってくれた幼馴染の家で毎日泣いていた。

 当たり前に昨日までいてくれた人がどこにもいない喪失感は、本人にしか分からないものだろう。

 そうやって部屋の片隅でうずくまってる俺を外に連れ出してくれたのが、アイシャだった。

 明るく前向きな彼女のおかげで、落ち込んでいた俺も次第に元の自分を取り戻していった。彼女がいなければ俺は暗い人生を歩んでいただろう。アイシャには感謝してもし切れないくらいだ。

 

 そんな俺達が遊び場として使っていたのは、彼女の実家の裏手にある山の中だった。アイシャの親父さんが遊具をいくつも作ってくれていたこともあり、退屈することは全くなかった。

 しかしある日、不意にアイシャから「もっと奥まで行ってみよう」と提案され、俺も周りの子供と変わらない好奇心を持っていたものだから着いていくことを決めてしまう。

 1時間程歩き続けると、周りは鬱蒼と生い茂った木々に囲まれ、昼間だというのに太陽の光さえ届かないところまで入り込んでしまった。俺は段々と不安になってきて「もう戻ろう」とアイシャに提案しようとしたところで、不意に低い唸り声を聞いてしまう。すると、横の草むらから出てきたのは当時の俺達より遥かに大きい獣であった。

 気付かれないようにこっそりと逃げれば良かったのだろう。しかし、俺達にはそんな心の余裕なんてなく、反射的に悲鳴を上げてしまった。

 声に驚いた獣はこちらに気付くとまっすぐに襲いかかってきて、2人共慌てて来た道を引き返した。野生動物の足に、舗装されていない山道で人間の子供が敵うはずもなく、一瞬で近付いてきた足音に反射的に振り向けば、彼女に向けて大きな口を開けているのが目に入ってしまう。

 その光景に俺は咄嗟に彼女を突き飛ばすと、直後の肩への痛みで気絶してしまった。

 

 次に意識が覚醒したのはすっかり日も暮れた病室のベッドの上。隣にはアイシャとその両親が付き添ってくれていて、俺が目を覚ましたことに安堵の表情を浮かべてくれた。

 俺達が襲われた時、たまたま山へ入っていた近所の人が獣を追い払ってくれたらしい。アイシャは俺に対して何度も謝っていた。俺が大怪我を負ったのは自分のせいだと。その時になって初めて彼女の涙を見たと思う。

 その時から、俺は強くなろうと心に決めた。アイシャが泣かなくても良いように、彼女を守れるようになりたいと思ったから。

 アイシャもその日から変わった。治療を終えて病院から帰ってくると、彼女が難しい医療の本を熱心に読んでいた。

 

『どんなに怪我しても、あたしがロトのことをすぐに癒やしてあげる!』

 

 そう話す彼女の気持ちが嬉しくて、同時に彼女とハッキリとした繋がりを持てたようにも感じられた。

 それから俺は魔導師として、アイシャは医療従事者としての道を歩むことを決める。未知のことばかりで苦しい思いも何度も味わったが、2人で支え合って乗り越えてきた。

 これから何があってもアイシャが隣にいれば何でもできるんだと、あの時は本気でそう思っていたのだろう。

 だから15歳になった時、一大決心をして彼女に一緒に住まないかと告白して、彼女がそれを受け入れてくれたことは本当に嬉しかった。2年間何の問題もなかったし、いずれは式を挙げることになるんだと当たり前のように信じていた。

 ……信じていたのに。

 

 

 

 毎日過ごしてきた部屋の中で、俺はジッと椅子に座って待っていた。辺り一帯が暗くなった頃に、玄関のドアが開く音がする。

 時間にすれば平日の勤務終了時間よりも少し遅いくらいだろう。

 「ただいま」といつもの調子で挨拶されるが、俺はあえてそれを無視した。

 そんな様子に違和感を覚えたのか、彼女らコートを脱ぐ手を止めてこちらを見る。

 

「ロト、どうかしたの?」

 

 何かに怒ってるのかな、という感じのあまり緊張感のない返しだったが、俺が胸ポケットから数枚の写真を取り出すと、それを覗き込んだ彼女の顔がみるみる青ざめていくのが分かる。

 そこに写っているのはアイシャと、少なくとも俺は知らない年上の男。2人とも私服姿で仲睦まじげとは言わないが知り合いである雰囲気は感じられる。

 

「こ、これ、いつ……?」

「今日の昼間。俺が行った店の中から、お前が通り掛かるのを見たんだよ」

「うそ……。今日は家にいるって言ってたじゃん!」

「はやてに買い物の手伝い頼まれたんだよ。お前が昨日夜遅くまで仕事してたから伝えられなかったけど、おかげで最悪なものを見られた」

 

 彼女は声を荒げるが、俺の落ち着いた声にすぐに狼狽えはじめる。

 

「ちがう、ちがうの! 今は彼とは何でもないの!」

「今"は"って、じゃあこれまでのことは認めるんだな」

 

 動揺しているおかげで言質を取ることができた。

 

「あっ、ちが――」

「アイシャ」

「…………はい」

 

 有無を言わさない圧力を掛けると、彼女はただうなだれるだけだった。何とか平静を保って質問を続ける。

 いつからなのか、男が誰なのか、きっかけは何なのか。

 しばらく無言を貫いていた彼女も、やがてポツリポツリと語り始めた。

 

 もう半年前のことであり、男はまだ若いが既に医師として勤務している、彼女の先輩とのこと。

 ちょうどその時期はお互い忙しくて中々一緒に過ごす時間が取れなかったのは覚えている。そんな時に何度か彼女のミスをフォローしてもらって、真摯に働く姿に次第に格好良いと感じてしまったらしい。

 そして病院内の若いスタッフ達で慰労会が行われてその後に彼からホテルに誘われると、拒否することなく着いていったことが始まりで、それから関係を続けていたことが彼女から語られた。

 

「……そうか」

 

 どんなことがあったのかなんて、ある程度予想していた。しかし実際にアイシャの口から聞かされれば、心臓を鷲掴みにされたように苦しい。

 

「信じてもらえないのは分かってるけど今日は本当に仕事だったの。だけどあっちから少し話がしたいって誘われて……」

「それで?」

「……それで、午後からちょっと職場抜け出して歩いて、真剣に付き合ってほしいって言われて。でもあたしにはロトがいるから……。もうこんなことしないってハッキリ断ってきたの」

「それならお前にだってその男がいるじゃないか。ずっといた俺よりもそっちを選んだんだろ?」

「ち、違う……! 遊んでたのも本当に最初だけで、ずっとロトが頑張ってるの見てたら相手よりもロトと一緒にいたいって思ったの! 遊んでたのもほんの数回だけで、もうずっと誘いは断ってた!」

「いい加減にしろ!」

「ひっ!?」

 

 身勝手な彼女の言葉に、頭が沸騰してテーブルへ拳を叩きつけてしまった。いつも2人で食事を取っていた、2人で初めて買った思い出の品には真っ二つになる程のヒビが入る。

 荒い息を強制的に鎮めようとフゥーッと息を吐く。割れたテーブルの先で彼女はただ震えているだけだ。

 

「……なんでそうお前は自分勝手なんだ。まるで過去のことだから自分は悪くないような言い分だな? 今の話を聞かされた俺がどんな気持ちか教えてやろうか? 言い訳ばっかりで謝罪もしないのに、自分だけは許されたいのかよ」

「……ごめんなさい。あたし、すごい最低だった。な、なにすればいい? ロトの気の済むことならなんだってするよ? お願い、罰は受けるからもう一度あたしにチャンスをください……」

 

 彼女は縋るような目付きをしているが、それを受け入れられる程俺は大人にはなれなかった。

 

「無理に決まってるだろ。どんなことしたって、俺はお前を汚いものにしか見えない。これから元通りなんて今は考えられないよ」

「そんな……。ごめんなさい、許して……。奴隷でもなんでもいいの。ロトの傍にいさせてほしい……。お願いします」

 

 椅子から立って頭を下げる彼女だったが、そんなものを見ても俺には何も響かなかった。

 

「もう別れよう。今はお互い冷静じゃない。一回距離を取ってから考える時間を作るべきだ」

「ロ、ロト……」

「……今日はもう終わりにしよう。部屋はお前が使えばいい。俺はホテルでも何でも探して泊まる」

 

 それだけ言うと、俺は引き留めようとする彼女の横を通り抜けてマンションを出た。この辺りは住居が密集しているが、人通りの少ない向きに面して作られていたこともあり、道路に出ても人影は見られない。

 ……もう限界だった。

 俺はマンションの向かいのコンクリートの壁により掛かると、そのままズルズルとへたり込む。

 幸せだと思っていた。周りの仲間にも恵まれて、それにいよいよアイシャが医者になる直前だと思って自分のことのように喜びもした。

 全て順風満帆に進んでると思っていたのに、現実は全くの逆だった。

 

 俺が悪かったのだろうか。前線部隊として忙しい身でありながらも、何とか家庭の時間を作る努力はしていたつもりだ。料理はできなかったとはいえ、家事の手伝いもちゃんとやっていた。

 これ以上俺に何を求めるのだ。

 思えば、アイシャが料理をし始めたのも半年前なら、それは浮気相手へ振る舞う為のものに違いなかった。そうとも知らずに幸せそうに食べていた自分が憎い。

 もう駄目だ。悲壮感が体中を支配してとても動けそうにない。

 いっそこの寒空の下でただボーッと動かなくなっていくのを待つのも良いとさえ思い始めた。しかし、不意になった着信音のせいで意識を落とすことも叶わない。

 

『ロト君、今平気?』

「うん。……ああいや、全然平気じゃない」

 

 通話ボタンを押すと、はやての顔がモニターを通じて現れる。

 

『アイシャちゃんはなんて……?』

「……浮気してたって認めたよ。もう怒りに身を任せる前に部屋を飛び出たところ」

『そっか……』

 

 はやてから短い返答がなされる。何と声を掛ければ良いか悩んでるように見えるが無理もない。俺も同じ逆の立場に立ったらきっと考え込んでしまうことだろうから。

 

『今から行く宛はあるん?』

「いやまだ。ちょっと体の力抜けちゃってさ」

 

 俺がそう言うと、はやては少しだけ考える素振りを見せた。

 

『それなら、私の家に来おへん? 今日はリィンもシグナム達に着いていってもうたから私1人やから』

「え? ……いや、はやてに迷惑かけるからさ」

『私は全然気にせえへんよ。ロト君のことの方が心配やもん。今から行くからちょっと待っとってね』

 

 はやてはすぐに外出の準備をしながら通信を切った。相変わらず決断が早いな、とボンヤリ考える。

 昼間は結局食事もしないまま飛び出してしまったので、これ以上はやてに迷惑を掛けるのもいかがなものかと思っていたのだが、温和で人一倍気遣いのできる彼女は気にしないでいてくれたようだ。

 その優しさに今は甘んじようと思う。

 しばらくすると車のエンジン音が聞こえてきて、脇道のすぐ横からはやての姿が見えた。

 彼女はこちらを見つけるとすぐに手を差し出してくれる。外にいたせいか否か、握った彼女の手はとても暖かくて氷のように冷たかった心も少しだけ熱をもらえた。

 助手席へ入ると、はやてが車を発信させる。

 彼女の家まで付く間、車内は静まり返っており、我慢できずに俺は彼女へ話しかけた。

 

「……何も聞かないのか? アイシャがなんで浮気したのとか」

「んー、今は特に聞きたいことあらへんよ。それよりもロト君のことの方が心配だから」

「……ありがとう」

 

 はやてはとても優しく真面目な女の子だ。度が過ぎるくらいに。

 だから人の気持ちの変化には敏感で、察するのが上手い。でも、良いこともあれば悪いこともある。

 自分よりも周りの気持ちを優先するものだから、自身の悩みは誰にも相談せずに1人で抱え込むことが多かった。それで平気な振りをして笑って誤魔化そうとしてしまうのが、俺は嫌だった。

 悩みを打ち明けられるなら俺に相談してほしいとは何度か言ってるため、少しは改善されているとは思う。

 アイシャのことは、彼女もきっとショックだっただろう。それなのに俺の前ではおくびにも出さない。我慢させていることを申し訳無く感じる。

 しかし、俺の方も今は心に余裕はなく、気の利いた言葉も浮かんでこない有様だ。だから今日だけは罪悪感を感じながらも、彼女の厚意に甘えることにした。

 

 彼女の家に着き、中に入るとリビングのテーブルに座っているように促され、彼女はキッチンから胴長鍋を持ってくる。そこには作ったばかりだと言わんばかりのシチューが入っており、はやてはそれを皿に手際よく盛り付けて俺の前に置いた。

 今日は午後から何も食べていなかったし、ほのかな湯気と香りが食欲をそそる。

 スプーンで一口分掬ったところで、はやては今日これを1人で食べようと作ったのかと思い、手を止めた。シグナム達はまだ帰ってくるまで時間が掛かると聞いており、リィンもそれに同行している。

 かなりの量であるし、はやてが1人で食べ切れるとは思えない。

 

 ……もしかしたら、彼女は俺を待っていてくれたのだろうか。俺がここへ来く確証なんてなかっただろうに。

 でも、俺とアイシャの話し合いの結果がどうであれ、連絡するのは彼女の中では決まっていたことなのだろう。俺が断るなんて全く気にしていないことが、彼女の性格を如実に現している。

 心の中で彼女に感謝しつつシチューを口に運んだ。今は落ち込んでいるからこそ、はやての作った料理の優しい味に癒やされる。

 スプーンを動かす手が止まらず、結局おかわりまでしてしまった。

 

「ふう、ごちそうさま」

「おそまつさまです」

 

 結局3杯もおかわりしたところで満足感に浸っていると、同じく食べ終えたはやては席を立って後片付けを始める。流石に手伝おうとしたが、彼女は俺を制止して台所へと向かった。

 鼻歌を歌いながら皿を洗っているはやての姿に、俺はまだ家族がいた頃の記憶を思い返す。

 俺はずっと母さんの作るシチューが好きだった。それを父と3人で食べることも。アイシャとその両親には引け目を感じて話したことはなかったが、はやてにはふとした時に零したことがあって、それから彼女に食事を誘われた時に幾度か味わせてもらっていた。

 母さんとはやてが似ているということはないが、はやても家庭的で包容力のある女性だから、それが2人を重ねて見ている理由かもしれない。

 

(はやてのような女の子が一緒だと、きっと毎日が幸せなんだろうなぁ……)

 

 そんなことを考えた俺は、すぐに自分を恥じた。アイシャのことがあってすぐに違う女性に目を向けるなんて、俺はこんなにも短慮な人間だったのかと。

 

「んー? どうかしたん?」

「い、いや、何でもないよ。ただ夕食が美味しかったなあって思って」

「そう? ロト君にそう言ってもらえると嬉しいなあ。そろそろお風呂湧いてると思うから、先に入ってもええよ。シャンプーとか勝手に使って大丈夫やから」

「そ、そうか? じゃあお言葉に甘えることにしようかな……」

 

 少し不審がられたが、何とか誤魔化せた。これを機に雑念ごと汚れを洗い流してしまおうと考えて、彼女の言葉に従う。

 シャワーを使った後で風呂に体を沈めた。ミッドチルダではこうやってお湯に浸かる習慣はあまりないのだが、気持ちを落ち着かせられるから俺は好きだった。

 見も心もスッキリさせると、彼女から男用の部屋着を渡された。ザフィーラのものかと思ったのだが、それにしては一回り小さく俺にピッタリである。

 なんでこんなものが、と疑問を感じたが間違いか何かあったのだろうと余計な詮索は控えておいた。

 

 はやてに一言挨拶して客用の部屋へ入り、すぐにベッドに潜った。今日のところは何も考えず明日に備えようと思ってのことだったのだが……全く眠ることができない。

 1人になると、アイシャのことが頭に浮かんできてしまう。

 これからどうすればいいんだろう。愛する人も帰る家も失ってしまった。彼女はあの部屋で俺を待っているのかもしれないが、俺には戻る気はさらさらない。

 新しい道を歩もうと思っても、これまでの人生はアイシャと一緒に生きていくことを思って選んだものだ。それを今更変えていくなんて、そんな度胸が俺にはなかった。

 もはや何もかも投げ売ってしまいたいくらい悲しい気持ちになっているが、そんなことをできる筈もない。

 悲しい。気持ち悪い。辛い。

 

 負の感情から逃れるように何度も寝返りを打つが、それで余計に眠気が遠のいてしまう。

 時計を見やれば、とっくに日は跨いでおりため息が出た。

 どうしたものかと思っていると、部屋の扉が開く音がしてそちらに体を転がした。

 

「あっ起こしてもうた……?」

「いや、眠れなくて横になってただけだよ」

 

 そこには手を自分の胸に当てた部屋着姿のはやてが立っており、心配そうにこちらを見つめている。今の自分を見せたくなくて、仰向けになると腕で目を隠した。

 

「そっか」

 

 はやてが近付いて来る足音の後、ベッドの片側が少し傾く。

 

「やっぱりアイシャちゃんのことが気になっちゃうよね」

「……ああ」

 

 声が少し遠いから、直接見なくても彼女がこちらに背を向けて語り掛けているのが分かった。

 その後に続く言葉を探していたが、なんたか5年前に、はやてと初めて出会った時とは逆の立場になったな、とボンヤリ考えていた。

 あれから「悩みがあったら何でも吐き出せばいい」と俺から言っているのに、その逆は無かった。だから少しだけ吐き出してみようと考えるのも自然だったのかもしれない。

 

「……これからどうすれば良いんだろうって考えてた。アイシャがいない生活なんて想像してなかったし、お先真っ暗で前に進める自信もなくなってきて」

「うん」

「もう、頭の中がグチャグチャなんだ。どうすればいいかもわからない。こんな時、親が生きていれば頼れたりしたのかな……」

 

 何とか言葉を選んで喋ってはいるが、自分でも支離滅裂になっているのは分かっている。

 その間、はやては無言であったのだが、急にベッドがギシリと揺れる。そして俺のベッドの周りが沈み込むのを感じ取れた。

 慌てて手をどければ、目の前にははやての顔。大きな瞳は潤んでいて揺れ動いている。

 

「は、はやて……?」

「なら、私に頼ればいいと思う」

「え?」

「どうすればいいかわからないなら、私がロト君を助けてあげる」

 

 焦る俺を尻目に、はやての顔がどんどん近付いてくる。それと共に彼女の甘い匂いが全身を包み込み、脳がクラクラしてきた。

 

「寂しかったんよね? 誰かに頼りたかったんよね? ……私がロト君ののぞみを叶えたげる」

「待ってくれ。いくらはやてでもこんなこと……!」

「アイシャちゃんのことでロト君はいっぱい傷付いたよね? なんでロト君ばっかり悲しい気持ちにならなあかんの? ロト君に今ほしいのは癒やしやと思う」

「でも……」

 

 まだ言い淀む俺に対して、はやては更に顔を近付けた。そしてピットリと頬同士をくっつけて耳元で囁く。

 

「大丈夫、大丈夫。ロト君は何も心配いらへん。――私にいっぱい甘えて?」

 

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ―

 

 朝になって、同時にはやてと起きた俺はまず謝った。いくら傷心していたとはいえ、まさか彼女に手を出してしまうなんて思って見なかったから。

 とても魅力的な女性であるとは思っていたが、それでも俺にはアイシャがいたからそんな感情を芽生えさせたことは一度もなかった。

 それに、彼女は初めてであったようで、それを奪ってしまった罪悪感も募っていく。

 しかし、そんな俺の謝罪とは裏腹に、彼女は「嬉しかった」と応えた。

 

「私は、ずっとロト君のこと好きやったから」

 

 その言葉で頭が真っ白になる。

 ……いつから? なんで?

 そんな気持ちが芽生えてくるが、彼女はそれ以上のことは言わず、朝ごはんの支度をしに去ってしまった。その後もまるで昨日の出来事などなかったように振る舞うせいで、なおさら混乱してしまう。

 モヤモヤとした感情のまま仕事に出ることになり、もう帰りの身支度をしようとしていたところで、メールが入っていた。

 発信者を見ると、そこに書かれているのは『元』彼女の名前。

 

『最後にもう一度だけ会いたい』

 

 そう書かれていた。

 正直もう会いたいとは欠片も思っていなかったのだが、一応最後ということだ自分を納得させて元の自分の部屋に戻ることにした。

 そこにはアイシャと、アイシャの両親がいた。

 彼らはまず早々に謝ってくる。「娘が大変なことをしてしまった」と。3人で頭を下げる姿に、なんともいえない罪悪感が生まれる。

 しかし、次に父親が発した言葉で俺の心は再び凍りついた。

 

「もし君が許してくれるのなら、娘にチャンスを与えてやってくれないか?」

 

 許すとは? もしかして今の謝罪で許してもらえると思っていたのだろうか。もう彼女とは言葉だけで信頼しあえる関係にはない。

 だって彼女は俺を今まで言葉で騙してきたのだろう? 昨日のことだってどこまで本当かわからない。それにまたやらない保証どこにある。

 結局彼らは俺のことよりも自分の娘の方が大事なのだ。浮気した女を引き取ってくれる別の男が現れる保証もないから俺に頼み込んでいる。

 今まで親のように接していた彼らが急に冷たい他人に見えてきた。しかしこれまで育ててもらった恩もある。

 だからできるだけ穏便な言葉で否定の意思を告げ、俺は部屋を出た。

 自分の中の情熱が急速に冷めていくのがわかる。彼らの言葉が決定打となって、俺は俺の人生の全てが台無しになったのだと悟った。

 これからどうするべきか。とりあえず新しい部屋を探さなければいけない。そうして……何を目標にして生きていけばいいのだろう。

 わからない。

 フラフラと目的もなしに足を進めれば、その先にははやての家がある。

 また戻ってきてしまった。

 はやては、彼女だけは暖かかった。傷付いた俺を優しく癒やしてくれて、今またそれを求めてしまっている。彼女は許してくれるのだろうか?

 そう思っていると、家のドアが開く。

 

「おかえりなさい、ロト君」

 

 満面の笑みで迎えてくれるはやてに、俺はただ機械のように引っ張られてしまう。彼女の言葉を聞いていると、もう何も考えられないくらい。

 

       ・

 

       ・

 

       ・

 

 やったやったヤッタ。

 ついに彼を手に入れることができた。

 あれから、彼は毎日のように私を求めてくる。あんなにキラキラと眩しかったロト君が、私に縋り付くしかない。

 ──かわいいなぁ。

 傷付いた彼を見て不覚にもそう思ってしまった。だってこんなに怯えてるロト君が頼れるのは唯一私だけ。私だけが彼の味方でいられるのだ。

 

 彼に助けてもらった時から、私は彼に恋をしてしまった。それに気が付いたのはシグナム達がこちらに引っ越して来てからのこと。

 彼に良くしてもらっていても、どうしても1人でいる時の不安感は拭えなくて、家族でまた食事をできるようになったのが嬉しかった。それでつい舞い上がっていたんだろう。

 

『フフッ、はやてちゃんは最近ロトさんに夢中なんですね~』

『えっ……?』

 

 リィンの言葉に私はキョトンとしてしまう。シグナムも隣で頷いている。

 

『ああ。主が彼のことを話題にする時はとても楽しそうだ。1人で主をここに行かせた時は不安もあったが、彼がいてくれれば心配もない』

『も、もう、シグナムまで、何言ってるんや……」

 

 そんなに彼のことばかり話していたんだろうか。でも、彼が褒められていると私も嬉しくなってしまう。それから彼を見る目が変わっていった。

 私と彼には親がいないけれど、彼は強かった。力だけでなく心も。

 一緒にいればいるほど彼の良いところをまた発見して、想いは強くなるばかりだった。

 彼なら私のことを理解してくれる筈だ、と彼に見初められる女になる為に幼いながらも自分磨きに全力を尽くした。

 ……その時になって初めて彼に『彼女』がいることを知る。

 

 彼が自ら紹介してあの女と対面した。あの時の衝撃は絶望と表現するのが相応しい。

 初めは居ても立っても居られなくて、彼らの仲を引き裂いてしまおうと考えたこともあった。

 だからあの女と遊ぶ名目で観察することにした。ミッドチルダに来てから人の醜さをこれでもかと見せつけられたのだ。だから友好的な彼女にだって絶対裏の一面があると考えていた。

 それなのに、明るく気さくで私にも親身に接しくるし、医者を目指しているだけあって頭も良く、私と彼女との差は歴然だった。

 更には幼馴染であることも聞かされて、逆立ちしても勝てないと悟る。

 

 彼の隣に立てるのならそれは幸せだろう。けど、彼が彼女のことを話す時に本気で好きなのを感じて、私ではとても勝てないことを知ってしまった。

 無理やり恋人関係を解消すれば、彼はすごく苦しむだろう。私の幸せの為にあの笑顔を奪う選択肢は決して取れない。

 惨めな私は彼と肩を並べていられることに満足して、この関係を維持できることに縋るしかなかった。それで彼が幸せなら、彼を祝福してあげたい。

 完全に負けてる分、言い訳もなく諦めがついたと言い聞かせて、家族と一緒に平穏に生活できる土台を作るために仕事へ専念していた。

 ……でも、そんな私にチャンスが来た。

 あの女が、彼を裏切ったのだ。

 別に見たくて見たわけじゃない。それは家族のご飯の食材を買い出かけていた休日でのこと。重い買い物袋を引きずっていた私の前を、あの女は知らない男と一緒に通り過ぎていった。

 あちらは私に気付かなかったようだけれど、仲の良さそうな様子に違和感を覚えたので、すぐに彼へ連絡を取る。

 一応彼女と遊びに行く名目でそれとなく動向を聞いたのに、あの女は仕事で家にはいないのだと伝えられた。

 

 彼を騙してまで別の男にしっぽを振るあの女に怒りを抱いたが、同時に私は歓喜した。

 やっぱり他人は信用できない。信用できるのはシグナム達やなのはちゃん達、そしてロト君だけ。利用できる輩は徹底的に利用することを覚えていた私は、比較的従順な隊員を使って証拠集めを始める。

 研修医になるだけあって、彼女の頭の回転は早いだろう。決定的な証拠を示さないととぼけられる可能性を危惧してのことだ。

 そうして隙を見てあの女がよく使っているコートに盗聴器を仕掛けた。何が悲しくて憎い女の声を聞き続けなければならないのかと思ったが、目的の地位を確実に確保できるのだと考えればそれも我慢できた。

 そうしてついに昨日、あの女が男と合う約束を取り付けたのを知る。

 その日は私も彼も休みだ。これを逃せばまたいつ決定的な場面を抑えられるかわからない。ただでさえ彼女は男と合うのを控えていたのだ。

 理由は彼から誕生日で心からの祝福を受けたこと。それで慌てて献身的な自分を演じるようになったのだから浅ましい。

 許せない。

 彼を裏切りながら自分だけは美味しい思いをしようとするなんて、どれだけ卑怯な真似をすれば気が済むんだ。

 だからそれ相応の罰は与えた。同時に彼にまで深刻な傷を負わせてしまったけれど、私がしっかりと癒やしてあげた。彼に初めてをあげられた時の嬉しさはこれまでに無いほどであった。

 

 心が壊れてしまった彼だけど、これからは私が付いている。私の腕の中でゆっくりと時間を掛けて癒やしてあげたい。

 それまでは彼に甘い言葉を吐き続けよう。そして甘い未来を想像させよう。

 ロト君が心配することなんて何もない。私がいれば幸せだってことを永遠に教えてあげないと。




 逆依存?系女子のはやてでした。
 リメイク前と大幅に結末を変えたので好き嫌いが分かれそうですね(´・ω・`)

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