病んで愛して魔法少女!!   作:ガラン・ドゥ

6 / 16
夜月の下で甘い誘惑を(後)

 両親を失った時、俺は引き取ってくれた幼馴染の家で毎日泣いていた。

 当たり前に昨日までいてくれた人がどこにもいない喪失感は、本人にしか分からないものだろう。

 そうやって部屋の片隅でうずくまってる俺を外に連れ出してくれたのが──アイシャだった。

 明るく前向きな彼女のおかげで、落ち込んでいた俺も次第に自分を取り戻していった。彼女がいなければ俺はどんな大人になっていたのだろうと思うと、アイシャには感謝してもし切れない。

 

 そんな俺達が遊び場として使っていたのは、彼女の実家の裏手にある山の中だった。アイシャの親父さんが遊具をいくつも作ってくれていたこともあり、退屈することは全くなかった。

 しかしある日、不意にアイシャから「もっと奥まで行ってみよう」と提案され、俺も周りの子供と変わらない好奇心を持っていたものだから着いていくことを決めてしまう。

 1時間程歩き続けると、周りは鬱蒼と生い茂った木々に囲まれ、昼間だというのに太陽の光さえ届かないところまで入り込んでしまった。俺は段々と不安になってきてもう戻ろうとアイシャに提案しようとしたところで、不意に低い唸り声が聞こえてくる。すると、横の草むらから出てきたのは当時の俺達より遥かに大きい獣であった。

 気付かれないようにこっそりと逃げれば良かったのだろう。しかし、俺達にはそんな心の余裕なんてなく、反射的に悲鳴を上げてしまった。

 声に驚いた獣はこちらに気付くとまっすぐに襲いかかってきて、2人共慌てて来た道を引き返した。野生動物の足に、舗装されていない山道で人間の子供が敵うはずもなく、一瞬で近付いてきた足音に反射的に振り向けば、彼女に向けて大きな口を開けているのが目に入ってしまう。

 その光景に俺は咄嗟に彼女を突き飛ばすと、直後の肩への痛みで気絶してしまった。

 

 次に意識が覚醒したのはすっかり日も暮れた病室のベッドの上。隣にはアイシャとその両親が付き添ってくれていて、俺が目を覚ましたことに安堵の表情を浮かべていた。

 俺達が襲われた時、たまたま山へ入っていた近所の人が獣を追い払ってくれたらしい。アイシャは俺に対して何度も謝っていた。俺が大怪我を負ったのは自分のせいだと。その時になって初めて彼女の涙を見たと思う。

 その時から、俺は強くなろうと心に決めた。アイシャが泣かなくても良いように、彼女を守れるようになりたいと思ったから。

 アイシャもその日から変わった。治療を終えて病院から帰ってくると、彼女が難しい医療の本を熱心に読んでいた。

 

『どんなに怪我しても、あたしがロトのことをすぐに癒やしてあげる』

 

 そう話す彼女の気持ちが嬉しくて、同時に彼女とハッキリとした繋がりを持てたようにも感じられた。

 それから俺は魔導師として、アイシャは医療従事者としての道を歩むことを決める。未知のことばかりで苦しい思いも何度も味わったが、2人で支え合って乗り越えてきた。

 これから何があってもアイシャが隣にいれば何でもできるんだと、あの時は本気でそう思っていたのだろう。

 だから15歳になった時、一大決心をして彼女に一緒に住まないかと告白して、彼女がそれを受け入れてくれたことは本当に嬉しかった。2年間何の問題もなかったし、いずれは式を挙げることになるんだと当たり前のように信じていた。

 ……信じていたのに。

 

 

 

 毎日過ごしてきた部屋の中で彼女を待っていると、ようやく玄関のドアを開いた。俺は入口のドアのちょうど真正面に座っており、彼女もすぐにこちらに気が付く。

 

「ただいま~ってどうしたの、そんな風に固まっちゃって? あたしの料理を待ってたとか? ごめんね、今作るから」

「いや、いらない」

 

 自分でも聞いたことのない冷たい声が出る。

 彼女はこっちの様子がおかしいこと驚いて、コートを脱ぐ手を止めると振り向いた。

 

「え、何かあった?」

 

 彼女に返事はせず、俺は胸ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルに置いた。上から覗き込んだ彼女の顔が見る見るうちに青ざめていくのが分かる。

 それを見た俺は「ああやっぱり」という気持ちが湧いてきて、足元から冷たくなっていく感覚に襲われた。

 写真に映っているのはアイシャと、俺の知らない男が肩を並べて歩いている場面。彼女は恐る恐るといった風に俺を見てくる。

 

「こ、これ……、いつ……?」

「今日の昼間だ。ご飯を食べようと入った喫茶店から、お前が知らない男と並んで歩いているのを見たんだよ」

「うそ……、ロトは今日家にいるって言ってたじゃん!」

「昨日はやてに買い物の手伝いを頼まれたんだ。アイシャは夜合わなかったし、伝えるようなことでも無かったから連絡しなかっただけ。けど、それでお前が隠し事してたのが分かった」

 

 睨んだ俺に対して、アイシャはビクリと肩を震わせた。

 

「ち、違うの! ()()()()()何でもない!」

「今はって、つまり『これまでこと』は認めるんだな?」

「あっ、ち、ちが――!」

「アイシャ」

「……はい」

 

 力無く頷く彼女に、俺は何とか平静を保ちながら質問をする。

 男が誰なのか。きっかけは何なのか。いつからなのか、という3つだけ。しばらく無言を貫いていた彼女も、やがてポツリポツリと語り始める。

 男はまだ若いが既に医師として勤務している、アイシャの先輩であること。

 何度か彼女のミスをフォローしてもらって、真摯に働く姿に次第に格好良いと感じてしまったこと。そんな時に病院内の若いスタッフ達で慰労会が行われてその後に彼からホテルに誘われると、拒否することなく着いていったこと。

 そしてそれが1年前の出来事であること。

 そう、彼女の口から伝えられた。

 

「……そうか」

 

 どんなことがあったのかなんて、ある程度予想していた。しかし実際にアイシャの口から聞かされれば、返事がため息のように抜けていく。

 

「信じてもらえないのは分かってるけど……、今日は本当に仕事だったの。だけど相手から少し話がしたいって誘われて……」

「それで?」

「……それで、真剣に付き合ってほしいって言われて、もうこんなことしたくないからってハッキリと断ってきた。か、体の接触も一回だけ。遊びに行くことはあったけど、それ以外には何もしてないの!」

「そういう問題じゃない!」

「ひっ!?」

 

 身勝手な彼女の言葉に、頭が沸騰してテーブルへ拳を叩きつけてしまった。いつも2人で食事を取っていた、2人で初めて買った思い出の品には真っ二つになる程のヒビが入る。

 荒い息を強制的に鎮めようとフゥーッと息を吐く。割れたテーブルの先で彼女はただ震えているだけだ。

 

「……1回だけって、回数の問題じゃないだろ。俺に嘘をついて彼氏でもない男のところに行って、俺がそれをどんな気持ちで聞いてるのか考えもしないのか」

「ご、ごめん……。ごめんなさい……。あたし、自分のことしか考えてなかった。ロトの気が済むのなら何だってする。罰は受けるから、もう一度あたしにチャンスをください……」

 

 彼女は縋るような目付きをしているが、それを受け入れられる程俺は大人にはなれなかった。

 

「……正直、自分が今冷静じゃないのは分かってるが、そんなことしてアイシャとこれからも同じように生活するのは無理だ」

「そ、それは分かってる……。奴隷みたいに扱っても良いの……。ロトの望むことならどんなことしたって耐えるよ。だから、一緒にいさせてほしい……」

「……今日はもう終わりにしよう。今日はアイシャがこの部屋を使えば良い。俺はホテルでも何でも探して泊まるから」

「ロ、ロト……」

 

 それだけ言うと、俺は引き留めようとする彼女の横を通り抜けてマンションを出た。この辺りは住居が密集しているが、人通りの少ない向きに面して作られていたこともあり、道路に出ても誰もいない。

 マンションから影になっている場所の壁に寄りかかると、俺はその場へ力無く座り込む。

 ……俺は自分の最悪な予想が外れていてくれることを望んでいた。彼女には浮気のことを否定してほしかった。

 彼女の言ったことは嘘ではないのかもしれない。でもそれが何だと言うのだ。

 1日前の俺だったらアイシャのことは何でも信じられた。けど今は彼女が何を言ったとしても、「本当に?」「俺をまた騙すつもりなんじゃないのか?」などと疑ってしまうだろう。

 正直に言えば苦しい。心から信じていた女性へ、嫌悪感に近い感情を抱いてしまっているから。

 怒りで沸騰していたのに、外気に当てられて心が急速に冷めていく感覚に、俺は自分の体を抱きしめた。

 

 今思えば、浮気をした時から半年前までのことを振り返ると、彼女の不審な点に覚えがある。デートや買い物に誘って忙しいからと断られる頻度が増え、しきりにメールを気にしていたのを目にしていた。

 それでも半年前の彼女の誕生日を祝った時には、驚いたような、それでいて心から喜んでいる姿見せてくれたのだ。それ以降は以前の態度に戻り、むしろ積極的に2人の時間を作るようにしていたから、気にしないことにしていた。

 

 何がいけなかったのだろう。魔導師として『騎士』と認められるくらいには強くなれた。恥ずかしいと言い訳しても、アイシャを守れる存在になれたと思えて本当は嬉しく感じていた。

 しかし現実はこれだ。

 しばらく放心状態で座っていると、不意に着信音が鳴る。名前を確認した俺はすぐに通話ボタンを押した。

 

『そろそろかなって思って連絡したんやけど、今大丈夫?』

 

 はやての顔が目の前に現れる。俺はうつむき加減に彼女へ返した。

 

「ああ、アイシャの話は聞いた。彼女は部屋に残って俺は外泊しようかと思ってるところだよ」

『そうなんや……。アテはあるん?』

「いやまだ。適当に探してるところだ」

 

 もちろん嘘だ。でも昼間ははやてに迷惑を掛けた。動揺するあまり昼食を取ることもなく、少ない言葉で別れてしまったものだから、彼女にこれ以上心配させるようなことはしたくなかった。

 しかし、はやては少し考える素振りを見せた後、俺の顔を見る。

 

『それなら、私の家に来おへん? 今日はリィンもシグナム達に着いていってもうたから私1人やから』

「え? ……いや、はやてに迷惑かけるからさ」

『私は全然気にせえへんよ。それに、ロト君まだ自分の家の近くにおるやろ』

 

 ズバリこっちの状況を当てられて言葉が詰まってしまった。あちらで映っている俺の後ろの背景が動いていないのだから、気付くのは当然か。

 

『1人でいたらきっと嫌なことばっかり考えてまうんやないかな。私と話して少しでも気ぃ紛らわせられたらええなって。迷惑やった……?』

「そ、そんなことない。はやての家に泊めさせてもらえるなら有り難い」

 

 少し不安そうな表情で提案してくれたはやてに対して、俺は申し訳無くなってしまい、反射的に返事してしまった。

 すると彼女の表情が微笑みに変わり、外出の準備をすると言って通信を切った。しばらく待っていると、こちらに近付く足音が聞こえてくる。音の方向へ視線を向ければ、路地の角からはやての姿が現れた。

 彼女は俺に気付くとすぐに駆け寄って来る。

 差し出された手を掴んで立ち上がろうとしたところ、凍るような冷気が思ったよりも体温を奪っていたせいで、上手く立ち上がれずに彼女の方へ寄りかかってしまう。

 はやては咄嗟にこっちの体を強く握りしめて、2人で倒れることだけは免れた。

 しかし密着した体勢のために、いつもより彼女の甘い香りを強く感じてしまったことで、ドキリと心臓が高鳴ってしまう。すぐに離れて彼女に謝った。

 

「す、すまない」

「ううん、気にせんといて。肩貸そっか?」

「だ、大丈夫……」

 

 俺を罵倒しても良いのに笑っている彼女に申し訳なくなり、丁重に断って足を動かす。

 寒空の下には2人の足音だけが聞こえ、昼間の時のような会話はない。

 

「……何も聞かないんだな。アイシャが何で浮気したとか、相手が誰なのかとか」

 

 俺の言葉にはやては自分の口元に人差し指を当てて、上目で考える素振りを見せながら答える。

 

「んー、そんなことしてロト君の気が晴れるん? ロト君が傷付くようなこと、私はしたくないから」

「……ありがとう」

 

 はやてはとても優しく真面目な女の子だ。度が過ぎるくらいに。

 だから人の気持ちの変化には敏感で、察するのが上手い。でも、良いこともあれば悪いこともある。

 自分よりも周りの気持ちを優先するものだから、自身の悩みは誰にも相談せずに1人で抱え込むことが多かった。それで平気な振りをして笑って誤魔化そうとしてしまうのが、俺には嫌だった。

 悩みを打ち明けられるなら俺に相談してほしいとは何度か言ってるため、少しは改善されているとは思う。

 アイシャのことは、彼女もきっとショックだっただろう。それなのに俺の前ではおくびにも出さない。我慢させていることを申し訳無く感じる。

 しかし、俺の方も今は心に余裕はなく、気の利いた言葉も浮かんでこない有様だ。だから今日だけは罪悪感を感じながらも、彼女の厚意に甘えることにした。

 

 彼女の家に着き、中に入るとリビングのテーブルに座っているように促され、彼女はキッチンから胴長鍋を持ってくる。そこには作ったばかりだと言わんばかりのシチューが入っており、はやてはそれを皿に手際よく盛り付けて俺の前に置いた。

 今日は午後から何も食べていなかったし、ほのかな湯気と香りが食欲をそそる。

 スプーンで一口分掬ったところで、はやては今日これを1人で食べようと作ったのかと思い、手を止めた。シグナム達はまだ帰ってくるまで時間が掛かると聞いており、リィンもそれに同行している。

 かなりの量であるし、はやてが1人で食べ切れるとは思えない。

 

 ……もしかしたら、彼女は俺を待っていてくれたのだろうか。俺がここへ来く確証なんてなかっただろうに。

 でも、俺とアイシャの話し合いの結果がどうであれ、連絡するのは彼女の中では決まっていたことなのだろう。俺が断るなんて全く気にしていないことが、彼女の性格を如実に現している。

 心の中で彼女に感謝しつつシチューを口に運んだ。今は落ち込んでいるからこそ、はやての作った料理の優しい味に癒やされる。

 スプーンを動かす手が止まらず、結局おかわりまでしてしまった。

 

「ふう、ごちそうさま」

「おそまつさまです」

 

 結局3杯もおかわりしたところで満足感に浸っていると、同じく食べ終えたはやては席を立って後片付けを始める。流石に手伝おうとしたが、彼女は俺を制止して台所へと向かった。

 鼻歌を歌いながら皿を洗っているはやての姿に、俺はまだ家族がいた頃の記憶を思い返す。

 俺はずっと母さんの作るシチューが好きだった。それを父と3人で食べることも。アイシャとその両親には引け目を感じて話したことはなかったが、はやてにはふとした時に零したことがあって、それから彼女に食事を誘われた時に幾度か味わせてもらっていた。

 母さんとはやてが似ているということはないが、はやても家庭的で包容力のある女性だから、それが2人を重ねて見ている理由かもしれない。

 

(はやてのような女の子が一緒だと、きっと毎日が幸せなんだろうなぁ……)

 

 そんなことを考えた俺は、すぐに自分を恥じた。アイシャのことがあってすぐに違う女性に目を向けるなんて、俺はこんなにも短慮な人間だったのかと。

 

「んー? どうかしたん?」

「い、いや、何でもないよ。ただ夕食が美味しかったなあって思って」

「そう? ロト君にそう言ってもらえると嬉しいなあ。そろそろお風呂湧いてると思うから、先に入ってもええよ。シャンプーとか勝手に使って大丈夫やから」

「そ、そうか。じゃあお言葉に甘えることにしようか……」

 

 少し不審がられたが、何とか誤魔化せた。これを機に雑念ごと汚れを洗い流してしまおうと考えて、彼女の言葉に従う。

 シャワーを使った後で風呂に体を沈めた。ミッドチルダではこうやってお湯に浸かる習慣はあまりないのだが、気持ちを落ち着かせられるから俺は好きだった。

 見も心もスッキリさせると、彼女から男用の部屋着を渡された。ザフィーラのものかと思ったのだが、それにしては一回り小さく俺にピッタリである。

 なんでこんなものが、と疑問を感じたが間違いか何かあったのだろうと余計な詮索は控えておいた。

 

 はやてに一言挨拶して客用の部屋へ入り、すぐにベッドに潜った。今日のところは何も考えず明日に備えようと思ってのことだったのだが……全く眠ることができない。

 1人になると、アイシャのことが頭に浮かんできてしまう。

 明日また会って、そこで何を言えば良いんだろう。冷静になればなるほど過去の出来事を思い出し、これからの人生プランが壊れるだろうことを後悔する。

 そもそも1年前に何があったのだろうかと、次第に思考がそちらへ寄っていった。確かに忙しい時期が重なって帰りが深夜になる日々が続いていた。でもそれは彼女の方も同じで、帰りが遅くなれば俺だって慣れないながらも夜食を作って用意していた。

 忙しくてお互いの時間が合わなくても、気持ちが繋がっていれば大丈夫だと根拠もなく信じていたのに。

 ……そもそもそれが間違いだったのかもしれない。仕事にかまけて彼女に会わない内に次第に彼女の心が離れていたのだろうか、とふと考えてしまう。でも浮気する方が悪いじゃないか、という自分もいて段々と頭が混乱してきた。

 悲しい。気持ち悪い。辛い。

 

 負の感情から逃れるように何度も寝返りを打つが、それで余計に眠気が遠のいてしまう。

 時計を見やれば、とっくに日は跨いでおりため息が出た。

 どうしたものかと思っていると、部屋の扉が開く音がしてそちらに体を転がした。

 

「あっ起こしてもうた……?」

「いや、眠れなくて横になってただけだよ」

 

 そこには手を自分の胸に当てた部屋着姿のはやてが立っており、心配そうにこちらを見つめている。今の自分を見せたくなくて、仰向けになると腕で目を隠した。

 

「そっか」

 

 はやてが近付いて来る足音の後、ベッドの片側が少し傾く。

 

「やっぱりアイシャちゃんのことが気になっちゃうよね」

「……ああ」

 

 声が少し遠いから、直接見なくても彼女がこちらに背を向けて語り掛けているのが分かった。

 その後に続く言葉を探していたが、なんたか5年前に、はやてと初めて出会った時とは逆の立場になったな、とボンヤリ考えていた。

 あれから「悩みがあったら何でも吐き出せばいい」と俺から言っているのに、その逆は無かった。だから少しだけ吐き出してみようと考えるのも自然だったのかもしれない。

 

「……これからどうすれば良いんだろうって考えてた。アイシャがいない生活なんて想像してなかったし、お先真っ暗で前に進める自信もなくなってきて」

「うん」

「彼女の気持ちか離れたのは、俺にも問題あるんじゃないかって考えると、現状維持でも良いかって思えて……」

 

 俺が思いを言葉にすると、はやては少し間を開けてから自分の意見を口にした。

 

「ロト君はこれまで通りアイシャちゃんと過ごせるん?」

「それは……」

「ロト君は優しいから、怒っても気ぃ使っちゃうと思う。アイシャちゃんだって罪悪感で言いたいこと言えなくなっちゃうやろね。それじゃあいずれ『別れよう』ってどっちかから必ず切り出すことになるよ。ロト君はそれでええの?」

「駄目、だな」

「うん。やから、今は別れてしばらく距離を空けるべきやって思うんよ。そしたらお互いの気持ちもハッキリしてくるんやないかな」

 

 責めるようではなく、あくまでも諭すようなはやての口調に、俺にはそれが最善だと思えてきた。

 別れるという選択肢は当然自分の中にもあったが、幾分当事者からは遠い位置にいる彼女の方が冷静だろうし、それが現実的なことだろうと納得する。

 

「……そうだな。それが一番良いんだよな」

「ごめんな。ロト君に何も気の利いたこと言えへん。でも──」

 

 頬に柔らかい感触が伝わってくる。はやては手で温かく俺の顔を撫でた。

 

「私はいつでもロト君の味方。ロト君が望むことなら何だってする」

「はやて……」

 

 腕をどかせば、はやての顔が目の前にあった。俺と目が合うとフワリと微笑む。

 

「もう休もっか。仕事も休んでええんよ?」

「いやそれはできないだろ。でも、ありがとうな」

 

 感謝の意を告げると、彼女はゆっくりと離れて部屋を出ていった。明かりが消えても、さっきよりは幾分か気持ちが楽になっている。

 それでも好調とは呼べないが、アイシャに別れ話をする覚悟を決めてもう一度目を閉じた。

 

─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ―

 

 アイシャの浮気現場を見てから1週間が経った。

 次の日に仕事へ行ってから2年間過ごした部屋へと戻ると、そこにはすでにアイシャが待っていた。割れたテーブルを見つめて姿勢良く座っている。

 俺に気付いて「おかえり」と挨拶する彼女にどうしても「ただいま」とは言えず、「ああ」とだけ返して向かいへと座った。

 そこからお互い無言になったのは数秒もなかったとは思うが、少しの躊躇いの後、俺は意を決して口を開いた。

 

「別れよう」

 

 アイシャは若干目を見開くが、前日とは打って変わって反論することしなかった。しかしそれを皮切りにアイシャの目から涙がとめどなく流れ、顔を濡らしていく。

 あんなに元気だった彼女の痛々しい姿に、俺は胸が締め付けられるようだった。それでも彼女からは「はい」と返事が返ってきて、そこで俺達の関係は終わった。

 彼女の両親へは浮気のことは話さずに、穏便に済ませようと思っていたが、アイシャは自分から2人に全て話すと言って、その後連絡をして彼女は電車で15分のところにある実家へ帰っていった。

 すると次の日になって両親が来て早々に、謝罪をされてしまった。「娘が大変なことをしてしまった」と。

 今までの恩があるので、彼女をあまり責めないでほしいとだけ伝えた。

 あまり納得はしていなかったが、俺はこれからも彼らとの交流は続けていきたい思いがあった。恩人であり、第2の親になってくれた彼らに下手に出られるのが嫌だったのだ。

 

 この1週間平気だった訳ではない。1人でいれば悲しい気持ちがぶり返してくるし、仕事中にボーッとすることがあった。

 その度にはやてにフォローしてもらう始末で、流石にゲンヤさんも俺の異常に気が付いたようだ。

 休暇を勧められもしたが、はやてのおかげでだいぶ持ち直せている。本当に彼女には頭が上がらない。

 今日もいつものように隊員達の訓練を行って、その休憩中に後輩が俺の所に寄ってきた。

 

「先輩、彼女さんが来てますよ。訓練所の入り口のところで待ってるって」

「え?」

 

 後輩の言葉に俺は耳を疑った。

 職場ではゲンヤさんとはやて以外に彼女と別れたことを知る者はいない。そうなれば嘘をついているとも思えず、自分で確かめなければいけない。

 

「10分後に再開するから全員にそう伝えておいてくれ」

「えっ、はい、分かりました」

 

 返事を背に入り口へ向かうと――確かにアイシャが立っていた。

 仕事に行く時の格好ではなく、セーターと黒のホットパンツ、その上にロングコートといつもデートで着ていた服装に身を包んでいる。俺に気が付くと、バツの悪い顔で深々と頭を下げた。

 

「何か用?」

 

 意識していないのに、彼女にはどうしてもぶっきら棒な態度になってしまう。

 それを彼女は気にせず、こちらに目を合わせると随分とやつれたようで今までの様子とは程遠い。

 

「突然来ちゃってごめんね。今少しだけ時間もらえる……?」

「……5分だけなら」

 

 その言葉に休憩室と時計を交互に確認して一先ず外のベンチまで移動した。

 

「それで、何でここに来たんだ?」

「うん、今日でこの街離れるから最後にロトに謝らないとって思って」

「……え?」

 

 何か面倒事じゃないかと考えていた俺は、アイシャの言葉に思考が停止する。

 

「最後って、どういうことだ? 病院は!?」

「もう辞めたよ。あそこにいたって、もう辛いだけだから」

「何で……。医者になることがアイシャの昔からの夢だったろ!」

 

 俺の言葉にアイシャは首を静かに横に振った。

 

「子供の頃にロトが守ってくれたからあたしは医者を目指したの。どんな時でもロトを癒せるようにって。それなのに、このままじゃ何のために勉強してるのか分からなくなっちゃったから」

「それでも、街を離れるって。そこまでする必要ないだろ……」

「だって、ここにいて偶然でもロトがあたしと鉢合わせることになったら嫌でしょ? 場所は言わないけどすごく遠い場所に引っ越すことにしたから安心して」

「そんな心配はしてない……」

 

 一気に勢いがしぼんだ俺に、彼女は困ったような笑みを浮かべた。彼女が笑っているところを見たのは久しぶりな気がして、実際そう考えてしまうくらい長い付き合いだと自覚する。

 

「ロトは優しいね。優しすぎるよ。でもこれはあたしが馬鹿だったせいだから。1年前は本当にどうかしてた。少し優しくされて格好良いって思っちゃうんなんてね。本当に想って()()()()彼氏が隣にいたのに。

 でも半年前に、ロトが誕生日を祝ってくれてそれで目を覚ませたのは良かったことなのかな。プレゼントだけじゃなくレストランまで予約してくれてて、ロトがいるのに今まで何してたんだろって急に冷静になっちゃった。だから必死に償いをしてた気分だったけど、そんなことしてももう遅いのに馬鹿だよね。……だから、貴方を傷付けてしまって本当にごめんなさい。そしてこんな身勝手なあたしの彼氏になってくれてありがとう」

 

 隣でまた頭を下げたアイシャに、俺は引き止めたいと思ってしまった。でもそれでは別れた意味がない。今寄りを戻しても今までのような関係ではいられないのだから。

 それでも、もう会えなくなるかもしれない彼女を引き止められるなら、とも考えてしまう。

 急がないと間に合わなくなると口を開こうとしたが、それはアイシャ自身に止められた。

 

「──それじゃあ、さようなら。会ってくれてありがとうね」

「あっ……」

 

 彼女は勢いよく立ち上がると、俺に背を向けて走っていった。二度と振り返ることはなく、俺が伸ばした手は宙を彷徨って自らの足に落ちる。

 しばらく俯いていたが白い衣装が目の端をチラつき、見上げると栗色の髪をした少女が立っていた。

 

「……はやて」

「ごめんな。()()()に纏わり付かれてるんやないかと思って、ロト君のあと追っちゃった」

「彼女はそんなんじゃない」

「うん、知っとるよ」

 

 はやては頷きながら俺の隣に座る。その彼女の顔を見ることが俺にはできなかった。

 

「アイシャちゃんのこと、まだ諦められないんやね」

「うっ……」

 

 加えて彼女に心情を当てられたことで目を逸らしてしまう。俺の様子に彼女を大きく息を吐いたのが聞こえた。

 

「……ズルいなぁ。彼女だったってだけでそんなにロト君からそんなに想われて。悪いのは全部あっちやのに」

「そんなこと──」

 

 あまり言わないでくれ、と口に出す前にはやての手が俺の手に重ねられた。それによって俺の動きも止まる。

 彼女を見ればすぐに目が合った。

 

「私じゃ、駄目かな……? 私だってずっとロト君のことが好きやったのに、ずっとロト君の為に行動してたのに、アイシャちゃんだけズルいよ……」

「はやて……?」

 

 はやての顔が徐々に近付いてくる。それに伴って甘い香りが俺の判断に鈍らせた。

 

「私やったらロト君を裏切らない。ロト君がいるのに浮気なんて絶対しない。ロト君の隣でいつでも助けられる。だから、私を見て欲しい……」

 

 もう彼女の顔は目と鼻の先で唇が触れる寸前──俺は手のひらでそれを遮った。

 無意識ではあったが、やはり自分にも譲れないものがあったのだろう。

 

「……はやてから告白されたのは嬉しいよ。でも、ごめん。そんなにすぐには決められない。もう少し気持ちの整理をさせてほしいんだ」

「そっか。そうやんね。……でも、私は諦めへんから」

 

 はやてはすぐに離れて俺に微笑みかけてきた。すぐに椅子から離れると、そう言い残して訓練場へと戻っていく。それを見ていると、脱力感に襲われて背もたれに乗っかかってしまった。今動く気には到底なれない。彼女の言葉が脳裏から離れない。

 はやてとはこれからも変わらない関係だと勝手に思ってしまっていた。それなのに、あの笑顔は全て吹っ切ったような表情にも見える。

 1週間前にはやてが別れるのを勧めたのも……? いや、はやてはそんな性悪ではないのは分かっている。

 でも、もしもを考えればどうしても吹っ切れない自分がいた。

 

 もう悩む必要もないと思っていた俺に、2人の女性の顔がチラつく。

 これからどうなっていくのか。どうやら俺の心配の種はまだまだ尽きないらしい……。

 

       ・

 

       ・

 

       ・

 

 彼の傍を一旦離れても、彼の手の感触が顔から消えない。

 ()()()のせいで素の自分を抑えられなかったけれど、結果的に彼へ好意を示せたのは嬉しい誤算だ。

 彼に助けてもらった時から、私は恋をしてしまった。それに気が付いたのはシグナム達がこちらに引っ越して来てからのこと。

 彼に良くしてもらっていても、どうしても1人でいる時の不安感は拭えなくて、家族でまた食事をできるようになったのが嬉しかった。それでつい舞い上がっていたんだろう。

 

『フフッ、はやてちゃんは最近ロトさんに夢中なんですねー』

『えっ……?』

 

 リィンの言葉に私は動揺を隠せなかった。シグナムも隣で頷いている。

 

『ああ。主が彼のことを話題にする時はとても楽しそうだ。1人で主をここに行かせた時は不安もあったが、彼がいてくれれば心配もない』

『も、もう、シグナムまで、何言ってるんや……」

 

 そんなに彼のことばかり話していたんだろうか。でも、彼が褒められていると私も嬉しくなってしまう。それから彼を見る目が変わっていった。

 私と彼には親がいないけれど、彼は強かった。力だけでなく心も。

 一緒にいればいるほど彼の良いところを発見して、想いは強くなるばかりだった。

 彼なら私のことを理解してくれる筈だ、と彼に見初められる女になる為に幼いながらも自分磨きに全力を尽くした。

 ……その時になって初めて彼に『彼女』がいることを知る。

 

 彼が自ら紹介してあの女と対面した。あの時の衝撃は絶望と表現するのが相応しい。

 初めは居ても立っても居られなくて、彼らの仲を引き裂いてしまおうと考えたこともあった。

 だからあの女と遊ぶ名目で観察することにした。ミッドチルダに来てから人の醜さをこれでもかと見せつけられたのだ。だから友好的な彼女にだって絶対裏の一面があると考えていた。

 それなのに、明るく気さくで私のことを彼から聞いて親身に接しくるし、医者を目指しているだけあって頭も良く、私は彼女との差は歴然だった。

 更には幼馴染であることも聞かされて、逆立ちしても勝てないと悟る。

 

 彼の隣に立てるのならそれは幸せだろう。けど、彼が彼女のことを話す時に本気で好きなのを感じて、私は引き下がることしかできなかった。

 無理やり恋人関係を解消すれば、彼はすごく苦しむだろう。私の幸せの為にあの笑顔を奪う選択肢は決して取れない。

 惨めな私は彼と肩を並べていられることに満足して、この関係を維持できることに縋るしかなかった。それで彼が幸せなら、彼を祝福してあげたい。

 完全に負けてる分、言い訳もなく諦めがついたと言い聞かせて、1年前までは家族と一緒に平穏に生活できる土台を作るために、仕事へ専念していた。

 

 そんな私にチャンスが来た。

 あの女が、彼を裏切ったのだ。

 別に見たくて見たわけじゃない。それは家族のご飯の食材を買い出かけていた休日でのこと。重い買い物袋を引きずっていた私の前を、あの女は知らない男と一緒に通り過ぎていった。

 あちらは私に気付かなかったようだけれど、仲良さそうな様子に違和感を覚えたので、すぐに彼へ連絡を取る。

 一応彼女と遊びに行く名目でそれとなく動向を聞いたのに、あの女は仕事で部屋にはいないのだと伝えられた。

 

 それで私は浮気を確信することができ、すぐに彼女のことを伝えようとして、辞めた。

 研修医になるだけあって、彼女の頭の回転は早いだろう。決定的な証拠を示さないととぼけられる可能性を危惧してのことだ。

 だからその場は一旦彼との通話を切って、探偵まがいのことを始めた。彼がいない中での作業は苦痛の一言だったけれど、それで彼と結ばれるのなら我慢できる。

 十分な証拠を集めたところで彼に報告しようと思ったが、急に怖くなってしまった。

 

 私が彼を傷付ける要因を作ってしまうのかと考えれば、足が動かなくなる。他人にどう思われようと何とも思わないが、彼だけは別。

 彼にとっての私は、性格が良くて誰にでも手を差し伸べる聖女のような女の子でなければならない。そのために彼の前では演技を欠かさなかった。

 そうしないと彼が私を評価してくれないんじゃないかと思えて、恐怖で震えてしまう。

 だから、偶然を装う形で私と彼が、あの女がデートしているところを目撃できるように仕向けられるよう、出掛ける日が被るのを待つことにした。

 そのために隙を見てあの女のコートに盗聴器を仕掛けた。これで動向を探れると思ったのに、それは失敗だったかもしれない。

 

 半年前になって、彼女は男と会うのを()めた。理由は彼から誕生日で心からの祝福を受けたこと。

 それで慌てて献身的な自分を演じるようになったのだから浅ましい。

 しかし許せなかった。彼を騙しておいて、自分だけのうのうと普段通りに過ごすなんて、どれだけ私達を馬鹿にすれば気が済むんだろうと。

 だから内密に浮気相手の医者に接触した。浮気しているのを病院側にバラすと言えば喜んで頷いた。

 

 それから医者は何度も彼女をデートに誘ったが、彼女が乗り気でないのは盗聴器から分かる。しかしそんな態度すること自体が彼への裏切りだ。

 彼を本気で想っていたのなら最初から浮気なんてしなければいい。どんな男にでも尻尾を振る醜悪さがらあったからこんなことになってるのだと肌で感じさせなきゃいけない。

 ようやく2週間前になって男とのデートを了承した。元々関係を終わらせる旨を伝えるつもりみたいだったけど、そんなのはもう遅い。

 

 それから1週間後に私は彼を外に連れ出した。なるべく彼女の向かう先を選んで行動すると、彼女にとっては最悪のタイミングで彼に見せることができた。

 その日が駄目でも、苦渋の想いで彼に浮気の証拠を全部晒すつもりだったのに杞憂で良かったと思う。

 夜に彼に連絡すれば酷いショックを受けたようだった。未だに信じられない様子なのは見て取れたが、そこで私が優しく接すればすぐに折れた。

 

 あんなにキラキラと眩しかったロト君が、私に縋っている。

 ──かわいいなぁ。

 傷付いた彼を見て不覚にもそう思ってしまった。だってこんなに怯えてるロト君が頼れるのは唯一私だけ。私だけが彼の味方でいられるのだ。

 私の甘い言葉に釣られて子犬のように擦り寄ってくる姿が、愛おし過ぎて見が悶えそうになる。

 こんなに幸せな気持ちは生まれて始めてだ。彼の隣を手に入れるまで長い年月を費やしたが、このゴールにたどり着けのだと思えば何ということはなかった。

 

 今日のところは彼に良い返事をもらえなかったけれど、それはもう予想済みである。

 誠実な、絵に描いたような理想の私の『騎士』様が、すぐまた彼女を作るのはありえない。それが分かるくらいの付き合いをしているのだから当然だ。

 それに何回かボディタッチをして、ロト君が私に女を意識してるのは明白だった。いずれは私の誘惑に逆らえなくなる。

 それまでは彼に甘い言葉を吐き続けよう。そして甘い未来を想像させよう。

 ロト君が心配することなんて何もない。私がいれば幸せだってことを永遠に教えてあげないと。

今回の話は面白かったですか?

  • 面白かった
  • 面白くなかった
  • 改善の余地あり
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。