エリリン劇場第四幕お楽しみ下さい。
その男の子は狼狽え、失神寸前だった。
当然だろう、母親から自転車に乗る時は人に気を付けるよう、口を酸っぱくする程注意されていたのに、女の子を跳ねてしまったのだ。
真っ青になって駆け寄ったら、女の子は血だらけで大怪我している。
それだけで心のキャパシティが一杯一杯だというのに、女の子が、震える手で自分の腕を掴んで後ろに隠れたと思ったら、鬼の様な形相をした男が現れて、自分に向かって叫んだのだ。
「もう逃がさんぞ、クソガキ、嬲り殺しにしてやる!!」後ろの女の子が服の裾を掴んでしがみついているので、逃げる事が出来ない。
追い詰められ、逃場を失った人間の恐怖に対する精神の耐性には限界がある。
それを越えてしまった時、何が起きるかは状況と人によって違う。
その男の子の場合は恐怖対象の排除だった。
所謂、窮鼠猫を噛むの状態となり、生命の危機との思い込みでリミッターが外れる。
「ウワアアアー」
その子は絶叫しながらタックルするように、ヒモ男の脚に体当たりした。
恵里の事しか頭になかったヒモ男には完全な奇襲となり、火事場のくそ力状態と相まって、ヒモ男を突き倒した。
倒れたヒモ男に練習に付いてきていた男の子の母親が子供用自転車を放り投げ、横倒しになったその上に乗って、警察に通報した。
最初に家の中で恵里が悲鳴を上げた時点で、近所の人から警察に通報されていたので、すぐに警官がやってきた。
血塗れの包丁をぶら下げていた母親は路上で遭遇した警官に既に確保されていた。
閑静な住宅街にパトカー、救急車、鑑識の警察車、野次馬、マスコミなどが次々に到着し、騒然となっていった。
一週間後、無事緊急手術を終えた恵里は、意識を回復し茫然としていた。
ヒモ男は強姦未遂、暴行、母親は殺人未遂、虐待、育児放棄などの容疑で逮捕されて取調べを受けている。
新聞やテレビ、ネットで大きく扱われ、もはや元に戻しようがなかった。
今後おそらく、ヒモ男は刑務所送り、母親は親権を剥奪されて精神病院送り、恵里は遠く離れた児童養護施設送りになるだろう。
それは恵里が光輝と同じ学校に通う未来が消え失せた事を意味していた。
(どうして、こうなった?
そうだ、ボクが驕り、増長していたからだ。
前回失敗した時だってそうだった。
情報収集の問題だと、枝葉の事で自分を誤魔化して本質を見ようとしなかった。
これで大丈夫、もう充分だって、ろくに根拠も無いのに楽観視して敗北した。
ボクはいつもそうだ、ちょっとうまくいくとすぐに手を抜いて同じ失敗を繰り返す。
ボクはこんなダメな人間だった)
恵里はフラリと立ち上がり、鏡の前に立った。
鏡には頬が痩け、目の下にひどい隈をつけた、ギョロリとした目の女の子の顔が写っていた。
希望が大きければ大きいほど、夢破れた時の絶望はより深い物になってしまうのだ。
恵里は躊躇う事無く、顔面を鏡に叩きつけた。
何度も何度も叩きつけて鏡が割れ、恵里の顔が血塗れになっても止めなかった。
恵里を助けた男の子は得意の絶頂だった。
マスコミの取材が来たり、警察から人命救助扱いで表彰され、時の人のようだった。
マスコミは親が追い返してくれたので、男の子の名前は出なかったが、噂は拡がり親戚などにも誉められた。(親からは危ない事する前に親を頼れと怒られたが)
今日は助けた女の子のお見舞いだ。
お見舞いして、お礼を言ってもらったら、後は何もしなくても、女の子は幸せに暮らしていくだろう。
そう思っていた、ドアを開け、女の子が血塗れの顔を壁に叩きつけているのを見るまでは。
その後、女の子は看護士達に拘束着を着せられ、治療のため連れて行かれた。
男の子は茫然としていた。
「ナンデ?ドウシテ?悪い人やっつけて、幸せになれたんじゃなかったの?」
そうこの子は9歳、小学3年生でしかない。
やっと絵本を卒業したお年頃である。
頭の中など「そしてその後ずっと幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし」程度の考えしかなくて当たり前だった。
原作で光輝が恵里を後のフォローなしで放り出しているが、 年齢を考えればむしろ当たり前の行動だったと考えざるを得ない。
問題は光輝が、恵里を「救った」という「成功」体験に縛られ、そうした行動をずっと繰り返し続けた点にある。
この「成功」体験こそが、光輝が「勇者」になってしまった原点だったのだろう。
輝かしい成功体験とは、謂わば麻薬のような物、ギャンブルで大穴を当ててしまった人間が、どんなにスッても金をつぎ込んで破滅するように、成功体験を繰り返そうとして破滅していった人間、企業、国家は数知れない。
大人でさえそうなのに、多感な小学生の時期に巨大な成功体験をしてしまった光輝が、行動を改める事は極めて困難な事だった。
異論は有るだろうが、では何が悪かったのかと言えば、巡り合わせが悪かったとしか言い様がない。
もしもあの時、恵里を助けたのが小学生でなく、せめて高校生ぐらい人生経験のある人間だったら、うまくいったのかもしれなかった。
そして血塗れの恵里の姿は、光輝とおなじ道を歩んでいたかもしれなかった一人の男の子の心に、生涯忘れる事の無い強烈な衝撃を刻み込む事となる。
「人を幸せにするって、とても大変な事だったんだ」
「そうよ、お花だって毎日水をあげたり、肥料をあげたりしなければ、枯れてしまうでしょう。
まして人間を幸せにするには、もっと色々な事をして、きちんと大人になるまで面倒を見てあげなければいけないの。
だから、親はとても大変なのよ。
わかった、ハジメ?」
人間はほんの僅かな巡り合わせの差で、人生を踏み外し「勇者」になってしまう生き物だと思っております。
なお、筆者は小学生時代、窮鼠猫を噛む状態を経験した事が有ります。
どっち側だったか?鼠に決まっているでしょう。