苺禍が菰里の後をついて行く形で場を離れた後、彩奈は部屋に戻るより先に虎徹に質問を投げ掛けた。
「…………あの、蕺喬さんってどんな人なんですか?」
「なんじゃ主。興味があるのか。」
「い、いや、興味があるというか、こんなすごい所に来るようなお医者さんが居るんだなって思っただけで…………」
「そうじゃな。経歴や素性の一切を公表しておらんが、兎にも角にも腕の立つ医者じゃ。」
「そ、それはさっき聞きましたから、その、どんな姿なのかとか、男の人なのか女の人なのかとか、そういうのを教えて欲しいんですけど…………」
「そうか。其れすらも知らんのか。
奴は女じゃよ。尤も、この儂と競える程上背があるがな。」
「なんじゃ娘等。妾の事で盛り上がっておるのか。」
「そうそう、こんな風な女じゃよ
「ッ!!!?」」
そこまで話してようやく彩奈と虎徹は自分達の前に女性が立っている事に気が付いた。
白い着物に身を包んだ黒髪の女性だ。黒い髪は長く、その表情は能面の笑みの様に張り付いていた。
「な、な、何ですかこの人…………!!!?」
「おや、今の話を聞いて分からんのか、娘よ。」
「えっ!!? まさか…………!!!」
「………初めまして と言うべきかのう。蕺喬女医。」
「妾は
「……………!!!」
虎徹と蕺喬は殆ど変わらない身長だった。
その二人の女性の対面は年端の行かない少女である彩奈にとってはかなりの迫力だった。
彼女の目には二人の間に張り詰めたような何かが走っているように見えた。
「し、蕺喬様! あまり先に行かないで下さい!」
「君達! どうしてまだ外に居るんだ!! 早く中に入らないか!!」
「あ、す、すみません!! すぐに………!」
「構わぬ。妾が呼び止めたのだ。時に、」
「!!?」
蕺喬が出し抜けに彩奈と顔の距離を詰めた。その目は彩奈の顔や肌を凝視していた。
「娘よ、其方は怪我は無いか? 鳳巌の阿呆の襲撃を受けたと聞いておるが。」
「あ、はい! 大丈夫です………」
「そうかそうか。
万一怪我や病気があったら妾に言えよ。この場で会えた縁で安く診てやっても良いぞ。」
「は、はい。ありがとうございます…………」
彩奈の頭の中は困惑の一色だった。
年上の女性と話すだけでなく、顔を至近距離まで近づけさせられた事は彩奈にとって初体験の出来事だ。
そしてこの状態に終止符を打つと言わんばかりに苺禍が口を開いた。
「では蕺喬様、鴻琴被告はこの奥の突き当りにある留置所に居ますので、ご案内します。
その事で一つ我々からご提案があるのですが、蕺喬様の病院に警護の者を配置したいと思うのです。」
「む?
苺禍は遂に蕺喬に対して本題を口にした。その提案に蕺喬は少しばかり怪訝そうな表情を浮かべた。
「其れは儂等じゃよ。
鴻琴の爺の口が封じられるやも分からんから警備をつけるべきじゃと思っての。」
「……気持ちは有難いが要らん世話じゃな。妾の病院の安全如き妾自身でどうにでもできる。」
「えっ!!? そ、そんな事…………!!」
「……………
そうかそうか。不毛な節介というやつじゃったのか。ならば良いのじゃ。
………ただし、万一鴻琴の暗殺を許すような事があったならば、主がどの様に始末をつけるのか儂には見当もつかんがのう。」
「………………………!!!」
「ちょ、ちょっと虎徹さん…………!!」
辛うじて保たれていたその場の均衡は、蕺喬と虎徹の売り言葉と買い言葉によって完全に凍り付いた。
***
《鳳巌の根城》
(………ふぅ。ここに居ればしばらくは見つからないだろう………。
彩奈さんはあのことをちゃんと伝えてくれた頃かな。虎徹さんに相談すれば、何かしら良い方法を教えてくれるとは思うけど………。)
哲郎は様々な方法で鳳巌の配下からの追跡を逃れ、地下(というよりは今までいた場所よりさらに下の階にあった場所)にある空間に身を隠した。
その空間の広さは四畳半ほどであり、中には様々なものが置いてあった。
(………ここって多分、倉庫か何かだよな。きっと使わなくなったけど捨てないようなものをこの部屋に詰め込んだんだな………)
「ん?」
様々なものが埃を被って無造作に詰め込まれている中で、哲郎の目は一つのものに注目した。
そこには一際埃を被り、古くなっている一冊の本があった。
(なんだこれ。本? っていうよりはノートみたいだな)
「ッッ!!!!?」
その本に書かれていた内容を見た瞬間、哲郎の喉から微かな声を含んだ息が漏れ出た。
しかし、哲郎はそれを間違った事だとは思わなかった。寧ろ
(な、な、何なんだこれは…………!!!!
なんで鳳巌の所にあるノートに
その本の中には帝国の暦で数十年程前の日付と鬼門組総監の《凰蓮》の名前が記してあった。
それを見た瞬間、哲郎はこの本が鳳巌の幼少期の日記なのだと理解した。