鶯蘭
哲郎の口から出たその名前が鳳巌という虎の尾を踏み抜いた事は火を見るよりも明らかだった。
これ以上の深追いは危険だと判断するが、哲郎は強く確信していた。その鶯蘭という(十中八九)女性が帝国を救う鍵になり得る人物であるという事を。
しかし、そのあまりに危険な深追いを行う人物がこの部屋の中に居た。
「……お、おうらん?? 誰ですか? そいつぁ
!!!!?」
珂豚がその質問を言い切る直前、彼は自分の上半身に凍り付くような何かを感じ取った。
視線を下ろしてようやく、その感触の正体を理解した。
それは、鳳巌の薙刀の石突(柄の先端部分)だった。鳳巌の目にも止まらぬ突きが珂豚の心臓目掛けて襲い掛かっていた。
しかし、その突きが珂豚の心臓を打ち抜く事は無かった。哲郎が薙刀の柄を握り、寸での所で鳳巌の意思の実現を阻止した。
「~~~~~~~~~~~!!!!!」
「…………………」
「……随分と速く動くのだな。確実に屠る為に態々軽い方を使ったというのに。」
「……残念ですが、僕にその手の自慢は意味がないと思って下さい。」
哲郎は鳳巌の突きを横から阻止した。その上での哲郎の鳳巌の今の攻撃の評価は『とてつもなく速い』というものだった。
哲郎の目は、鳳巌が自分に突き付けていた薙刀を引いて回して持ち直し、再度珂豚に向けて突きを繰り出すという一連の攻撃の流れの全てを正確に捕らえていた。鳳巌がその動作を完了させるのに掛かった時間は僅か一秒未満だ。
しかし、哲郎は瞬時にその素早さに《適応》し、薙刀の柄を握るという防御策を瞬時に実行した。
それでも鳳巌の動きが速かった事は疑う余地も無い。防御が間一髪で間に合った事がその証拠だ。
「……其の技量は称賛するとしても、甚だ解せんな。
貴様のような小僧が何故其処迄して珂豚を庇う。よもや貴様が賭場の客という事もあるまい。」
「言ったはずですよ。僕は僕の周りで人を殺すのを許さないって。」
「…其れは貴様の欲か?」
「あなたにわがままを言ったところで、誰にも怒られないと思いますけどね。」
「……………………」
哲郎は鳳巌を前にしても一歩も引き下がる様子はなかった。
彼が唯一理解できたのはこの男の思考回路は自分とは根本から異なるというものだった。
(…………昔学校で、『自分と違う考え方の人とも仲良くするべきだ』って教えてもらった事があるけど、今だけは『嫌だ』って
平気で人を殺すような人ならなおさらだ!!!!)
哲郎はこの思考を浮かべた時、彼の脳内には二つの光景が浮かんでた。
一つは学校での光景、そしてもう一つは数時間前に読んだ悲惨な事件を書いた新聞記事の切り抜きだ。寅虎がそうであるように、鳳巌の犠牲になった人達が山の様にいるのは確実だ。
彼の思考を肯定する事はもちろんの事、この状況で怖気づく事すらその人達への侮辱になると、哲郎はそう確信していた。
哲郎がそのような事を思考している間に数秒程が経過していた。
その緊張状態は鳳巌の言葉によって終了した。
「………………何か言いたげな顔をしているな。」
「…………それはあなたの方でしょう?」
「………そうか。なら聞いておこう。二度目の問いだ。
……………………貴様、一体何者だ。」
「!!!」
その質問を聞いた瞬間、哲郎の頭に浮かんだのは《転生者》の事だ。
もちろんの事、鳳巌がその事を知らない事は分かっていたが、彼の質問の真意が分からない事もまた事実だ。
「……それはどういう意味ですか。」
「其の儘の意味だ。
我等に正面から挑み、我の命令を当然のように無碍にするその心の強さ。
五十羅貫(帝国に伝わる重さの単位。約150キロ)程もある我を投げ飛ばし、そしてその身に刻まれた外海の奇怪な技術体系。普通の餓鬼と考える事の方がおかしい。
……否、最早
「!!!!」
その鳳巌の言葉で、哲郎の全身の汗腺は遂にその容量を超えた。
『鎖国国家である帝国において、何者にもその正体を知られてはならない』という最優先の機密事項がこんな形で覆ろうとするとは、哲郎にとっても想定外だった。
「……其の顔は図星と捉えて差し支えは無いか。」
「……………………!!!」
「ならば聞きたい事は山の様に増える。
特殊な海流に囲まれているこの国に如何にして侵入した。何の理由でこの国に侵入した。
唯の餓鬼が此の国に入国する方法も理由も、持ち合わせている筈がない。
…………否、唯の餓鬼と考える事すら愚行になり得るか。」
「……………………!!!!」
「……随分と速く舌の根が乾いたな。先程までの不遜極まる物言いはどうした。
………………答える気はないのか。
ならば今一度聞くとしよう。