人間の命をあろうことか脆いものであると断定した。鳳巌のその言葉を聞いた瞬間、哲郎の心は一瞬ではあるが、確かに沸騰した。
しかし、その激昂に身を任せて行動を起こすという愚は犯さなかった。鳳巌の言葉が全くの的外れではないと思える心当たりがあるからだ。
「…………なんだ其の顔は。何か思い出したか。」
「!!!」
哲郎には
一人はある日突然、交通事故によって命を落とした。もう一人は病気に身体を蝕まれ、遂にはその息の根を断ち切られた。故に哲郎は人間の命の尊さを心の底から理解した。しかしその一方で、人間は何かの拍子で突然破壊されるものであると心のどこかで認識していた。
その観点から言えば、目の前の鳳巌は自分とは逆に人間の《尊さ》よりも《脆さ》を、自分より遥かに強烈に思い知ってしまったがために生まれた成れの果てであると言う事もできる。
故に哲郎は鳳巌に激昂しつつも冷静さを保つ事が出来た。そして同時に恐怖もした。
悲しみに圧し潰されない強い心が無かったら自分もこの心の底から嫌悪する悪漢と同じ段階まで落ちていた未来があったかもしれないと思うとその他全ての感情を食い潰して恐怖が全身を埋め尽くしてしまうような感覚に襲われた。
しかし、その懸念が現実になる事は無かった。奇しくも鳳巌の言葉がそれを阻止した。
「………貴様が此処迄我に逆らう以上、此れ以上貴様をここに置いておく訳にはいかんな。」
「!?」
「そうであろう。大人しくしていろと言うても当然の如くに脱しこうして我の前に顔を晒す。
其の様な危険な小僧である貴様を此れ以上我の手の近くに置いておくわけにはいかん。この時より、貴様を外に出す。」
「!!
…………解放してくれるって事ですか?」
「此れは叩き出すというのだ。」
鳳巌は今、哲郎をこの根城から遠ざけると言った。この言葉からも有力な情報を得た。それはこの根城にはやはり鳳巌の核心に関わる情報があるという事だ。しかし、哲郎は敢えて従順に行動する事を選択した。
「………………分かりました。ここから
ただ、僕をどこに解放するかくらいは教えてくれませんか。」
「黙れ。どの口で命令をしている。貴様が何処にいるかなど
「………………」
***
数分後、哲郎は両手両足を麻縄で縛られていた。鳳巌が直接、部屋に置いてあった縄で哲郎を縛り上げたのだ。
「………どうやら今度は嘘ではなかったようだな。後は貴様を眠らせれば終いだ。」
「………………」
鳳巌が哲郎の心中を推察出来た根拠は紛れもなく哲郎を
その懸念が現実とならなかったが故に鳳巌は己の仮説を確信に変える事が出来たのだ。
「………此れで最後だ。本当に我に従う意思があるならば、此れを飲め。」
「!」
鳳巌は懐から盛られた白い粉を取り出し、それを哲郎の前に置いた。
「それは眠り薬だ。万一に備え、山の薬草を煎じて拵えたものだ。其れを全て飲めば貴様の意識は闇に落ち、安全にここから叩き出される事が出来る。」
「………………これが毒である可能性は?」
「我が貴様を
「………………分かりました。
ただ、万が一僕が目覚めなかったら、その時は覚悟してもらいますからね。」
「………………」
この言葉は全くの虚言だった。仮にこの薬が毒であったとしても、哲郎の命を断ち切る事は万に一つもないだろうという確信があった。
***
(…………………どうやら毒ではなかったようだな(もしかしたらその上で《適応》したかもだけど)。
どのくらい眠ってたかは分からないな。あんな薬、《適応》にそう時間はかからなかっただろうけど。)
哲郎の意識は薬による昏倒から覚醒した。その上で現状把握に全神経を注ぐ。
(…………暗い。というよりは何かに目を塞がれてるって感じだな。
空気はジメジメしてる。外ではないな。匂いも
それにこの定期的な揺れ、これは、台車か…………)
哲郎は闇の中でも尚、あらゆる情報を総動員させて自分の現状を完全に把握した。そしてこの台車は自分を安全圏へと送り届けると同時に貴重な情報源を奪うものなのだ。
*
一時間か数時間か経った頃、哲郎は草が敷き詰められた地面の上に転がされた。
安全を考慮して数十分経った頃に哲郎は自分が何処にいるかを確認した。
しかしそのころ、この帝国の命運を左右するもう一つの戦いが幕を開けようとしていたのだ。