広さ六畳ほどの病室は一瞬にして熾烈極まる戦場へと変化を遂げた。現在、病室には帝国の暗殺者 簸翠と鬼門組の隊長 苺禍、そして大病院《蕺》の院長 蕺喬が向かい合っている。
帝国の命運を左右する一夜の戦いの火蓋は切って落とされるその瞬間を今か今かと待っている。
「……姿を化かして奇襲を仕掛け、剰え複数人で襲い掛かろうとは、誇り高い鬼門組には卑劣な連中しか居ないのか。」
「黙れ下郎が。貴様のような血に飢えた獣に手段を選ぶ義理があると思うのか。」
「血に飢えた だと? 徒に殺すような気の触れた奴等と一緒っくたにするのは止めろ。
俺は依頼された奴を殺すだけだ。そしてそんな奴等は生かしておくような値打ちの無い奴だと相場は決まっている。例えば、此処に居る鴻琴だとか、『裏賭博に出入りするような奴』とかな。」
「ッ!!!! 貴様……………ッ!!!!」
簸翠が例に挙げた話は言うまでも無く在りし日の鳳巌が起こした違法賭博場を狙った『強盗殺人事件』だ。帝国の歴史の中で賭博という職業を選ぶ人種は恨みを買い、暗殺者の対象になり続けた。実際に簸翠も賭博場を仕切る人間の暗殺を成功させた事実がある。
そして苺禍の叔父も『賭博場の客だった』という事実のみで鳳巌の凶刃に倒れるという憂い目を見た。叔父に落ち度が無かったとは思わなかったが、苺禍はその理不尽を許さなかった。故に彼女は鬼門組に進むという決断をした。
簸翠は苺禍の心の傷を抉ったつもりだったが、苺禍が激昂して向かって来る事は無かった。一気に距離を詰めて来る苺禍を斬り捨てるという簸翠の企みは実現しなかった。
(……甚だ面倒な。組に身を置いて日の浅い唯の餓鬼がと思っていたが、無駄に理性の働く奴だ。無駄に奴の神経を逆撫でしただけだったな。だがこれで奴は是が非でも俺を殺しに来るだろう。
そうなってくれればやり易い。反撃を合わせて一撃で息の根を止めるだけだ。)
「━━━━この病室は些か手狭だが、貴様の年貢の収め場としては丁度良いだろう!!!」
(!!! 来たか!!!)
苺禍は地面を蹴り飛ばして簸翠との距離を詰めた。傍目には感情が昂ったが故の突発的な行動の様に見えるが、簸翠の目にはそうは映らなかった。簸翠は苺禍の情報を前もって把握していた。
(苺禍は俺のような妖術使いじゃない。唯 身体能力に任せて刀を振るうだけだ。
だが、真っ向から襲い掛かるような愚図でもない。ならば━━━━━━━━)
「ぬぅんっ!!!!」
「!!!」
苺禍の攻撃は彼女が持っていた刀の射程の外で炸裂した。刀身の倍程の距離の地点で刀を振り下ろし、その動きのままに刀を投げ付けた。しかし、苺禍の搦め手を予測していた簸翠は最小限の動きで迫ってくる刀を躱した。
その動きのままに簸翠は地面を蹴り飛ばして手に持つ短剣の射程に飛び込んだ。
『━━━━━━━━ガァンッ!!!!』
「!!!」
部屋の中央で簸翠が持つ短剣が炸裂した。しかしその刃は苺禍の急所には届かなかった。苺禍が懐から出した小型の刃物によって阻まれた。簸翠はその刃物の名前を知っていた。
「━━━━其の『苦無』がお前の本命か!! まるで《忍》
「忍とは闇に紛れて輩の命を断ち切る者だ。貴様の方が似合いだと思うがな。
尤も、金に目が眩みその手を地に染める貴様如きでは到底不揃いな二つ名だがな!!!」
「ヌッ!!!」
部屋の中央、刃と刃がぶつかり合い周囲に火花が散った。しかし、互いの身体には一つも傷が付かない。それ程までに両者の技量は拮抗していた。
(━━━━この餓鬼!! 俺との体格差をものともしない!! これが鬼門組の為せる技か!!!)
(何という事だ!!! この私が傷つける事すら叶わんなどと、そんな莫迦な事があるのか!!!)
簸翠はこの病室など一瞬で脱するつもりでいた。しかし彼の頭にあった二人を一撃で沈め鴻琴の居場所を聞き出すという算段は完全に潰えた。簸翠にとっては正直に苺禍達に付き合う必要は無かったが、彼は脱出の方法を思い浮かべられなかった。
彼が持つ空間に干渉する
*
この病室における両者の勝利条件の難易度は異なる。
簸翠は苺禍と蕺喬を撃破し鴻琴の居場所を聞き出し、彼を殺害して依頼を達成する事。対して苺禍ないし鬼門組は簸翠の仮面を剝ぎ取りその素顔を晒せば鴻琴の生死は別問題としても簸翠を捉える目的達成に大きく近付く。
そして状況でも鬼門組は有利を取っている。簸翠は窓から脱出する方法も危険だとして斬り捨てていた。既に外には敗走した自分を狙う鬼門組の隊員が居るだろうという事を予測しているからだ。
帝国の命運を左右する一夜の戦いの火蓋は切って落とされ、そして新たな局面を迎えようとしていた。