蕺喬に向けて投げた筈の苦無が自分の肩に突き刺さった。その事実を認識した瞬間、簸翠は自分が何をしなければならないのかを瞬時に理解した。
それは苦無が刺さった理由を考慮する事でもなく蕺喬や苺禍に追撃を加える事でもなかった。
「ッ!!!!」
『!!!』
簸翠は手に持っていた短剣で苦無が刺さっている肩の部分、その周囲の筋肉を纏めて切除した。簸翠がそのような行動を取った理由は彼が持つ苦無の特徴故だ。彼が持つ苦無の刃には猛毒が塗ってあり、それは掠っただけでも生死に関わるほどに強力である。しかし、その加工を行ったのは他でもない簸翠自身だ。故に彼はその猛毒から逃れる方法を知っている。
それは、猛毒の効き目が全身に回るより早く刃が触れた部分、即ち毒に侵されている部分を切除する事だ。
全く接点の無い人間から依頼を受けて暗殺を実行する簸翠にとって戦況下での優先順位は目まぐるしく変わる。依頼達成を優先する事もあれば戦線の離脱や眼前の敵を撃破し、少しでも状況を有利にする為に動く事もある。場合によっては自分の身を守る為に行動する事もある。今回の肩の肉の切除がその最たる例だ。
しかし、苦無の毒から逃れる為のその行動も唯の悪足搔きに過ぎなかった。自らが調合し苦無の刃に塗った猛毒から逃れる為に消費されたその一瞬が、簸翠の運命を分けた。
「!!!!」「終わりだ。」
ドゴッ!!!! 「!!!!」
肩の筋肉を無理矢理切除した激痛から強引に意識を前方に向けた時には既に病室の一戦の決着を告げる一撃が始まっていた。苺禍が身体を浮かせ、その足を簸翠に向けて振り上げている。そして体重と遠心力を纏めて乗せた渾身の蹴りを簸翠の顔面に撃ち込んだ。
顔面という急所が集中する部分に蹴りをまともに食らった簸翠の身体は吹き飛び、病室奥の壁に背中から激突してそのまま意識を失った。
苺禍は苦無の位置が突如として変わった事態に対応したという事実に息を切らしながら驚き、蕺喬は簸翠には目もくれず彼が自ら切除した肩の筋肉を苦無に刺して拾い上げ、値踏みするように見つめていた。
「………………終わった のか。」
「その様じゃな。此の下郎は最早縄で縛っておけばよかろう。
其れよりも問題は
医者である蕺喬にとって切除された人間の筋肉は料理の際に調理する動物や魚の肉と同様に身近なものである。蕺喬が簸翠の身柄より肩の肉に注目した理由はそれに詰まっている情報だ。
「……蕺喬様、如何されましたか。」
「やはり妾の目算通りじゃった。此の肉片は情報の塊じゃ。ほれ。」
「!」
簸翠の両手首を縄で縛っていた苺禍は蕺喬が見せた肩の肉片を見て目を丸くさせた。苦無が刺さった肉片は緑と紫の斑模様に染まっていた。
「此れを見れば分かるであろう。苦無の刃に毒が塗ってあったという事じゃ。いかにも下郎の思いつきそうな事じゃ。加えてこの特徴的な模様、間違いなく《ハラブカズラ》という毒草を煎じて作ったものじゃ。其の毒は強力で即効性も強く、消化器官や血管に入る事で一瞬の内に症状が出て死に至る。其処迄言えば何故此奴が真っ先に肩に刃を刺したのか合点が行くであろう。
そして其の毒草は陸善地方の北部にしか生えん。其のような掘り出し物を何故奴が知っていたのか、至極興味があるな。」
「……………!!」
「さて、此の肉片から得られる情報は此れで全てじゃ。
…………いい加減、もう一つの問題に触れねばならんな。おい、姿を見せろ。」
「!?」
蕺喬が何もない空間に声を掛けた瞬間、壁に面する空間が不自然に歪み、上部から液体が垂れるかのようにその人物の姿が露わとなった。
「!!! な、何故………………!!?」
「ほほう。此れはとんだ伏兵が居ったものじゃな。」
「……苺禍さん、蕺喬さん…………!! 上手く行って良かったです……………!!」
その人物とは、本来別室で庇護を受けている筈の杏珠だった。そもそも彼女がここに居る事自体が異常事態だが、二人、特に苺禍が目を引いたのは彼女の腹部に記されていた
そこには大きく『隠』の一文字が記してあった。
「一体どういう事だ!!? 何故君がこのような場所に居る!!?
それに『上手く行った』とはどういう意味だ!!?」
「!!!」
「これこれ。
「ほう。其処迄見抜いておったとは、流石は実力のみで医療の頂点に立っておるだけの事はあるな。」
「!!?」
その言葉と共に病室へと姿を見せたのは虎徹だった。そしてその指先は黒く染まっている。能力である《墨汁》を使用したが故の現象だ。
「何が起きたかは言わんでも分かる。儂が仕掛けた罠は寸分の狂い無く発動したようじゃな。
此の不埒の輩を捕らえて離さん罠がな。」