無関係な一般人の身体の自由を奪い、己が傀儡に変える。哲郎はその行為の卑劣さと脅威性を十分過ぎる程理解している。しかし、それを理解した体験は鬼ヶ帝国の地を踏む以前まで遡る。
それを哲郎に教えた最初の人物は哲郎が初めて敵対した悪しき《転生者》、偽ラドラ・マリオネスこと
幸運にもその能力によって命を奪われた一般人は居なかった。しかしそれは飽くまで偶然であり、里香には彼等の身の安全を慮る意思は微塵も感じられなかった。人間の命を自分の道具、或いは武器としか思っていないその思考回路に哲郎は強く憤り、そして同時に莫大な手数を一切の消耗無く繰り出せるその行為の強力さに戦慄させられた。
そして今、哲郎にとって最悪と言えるその攻撃が再び行われようとしている。それを行おうとしているのは里香ではなく、鬼ヶ帝国の崩壊を目論む《転生者》、廠桓である。里香がその能力によって人を人形に変えるのに対し、廠桓は血を操る能力を応用し相手の体内に己の血を注ぎ込み、自身の傀儡に変えるのだ。
*
「ギアッ!!!」
「アガッ!!!」
「ウガアッ!!!」
『!!!!』
哲郎の眼前に広がる光景は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わった。それは必ずしも比喩表現ではなく、悲痛な絶叫が何度も哲郎の鼓膜を震わせていた。
ある者は肩を、ある者は腕を、ある者は脚をくすんだ赤色の矢に貫かれていた。それ程の大規模攻撃を行ったのはたった一人の人間、廠桓である。彼は身に纏っていた赤い血の鎧を変形させ、無数の矢を無差別に放ったのだ。
それは事情を知らない者の目には無差別な殺傷行為に見えただろう。しかし、哲郎は矢に貫かれた彼等の命を思ってはいなかった。それは決して不人情故では無く、廠桓の目的が別にあると理解していたからだ。
矢が放たれてから僅か数秒でその準備は完了した。それを告げたのは無数の咆哮だった。
「完了だ。」
『グルアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!!!』
『!!!!!』
それは、廠桓の悪魔の一手が達成された証明。それは、哲郎の前に無数の敵が現れた証明。鳳巌の根城という栓上の勢力図が廠桓の有利という一色へと塗り替えられた事を告げる報せの声だった。
大広間全体を文字通り揺らすような咆哮が止んだ直後、その場に居た全員、鬼門組の隊員達も鳳巌の下に就く犯罪者達も一斉に哲郎と凰蓮に急襲を掛ける。それだけが廠桓の血が彼等の身体に許した行動だった。
「凰蓮さん!! 僕に掴まって!!!」
「!!」
自分達の状況が著しく悪化した、その事実を理解した瞬間、哲郎は行動を起こした。凰蓮の腕を掴み、今この場で最も安全な場所へ視線を向ける。それは大広間において哲郎以外誰も行けない場所、天井だった。
(今までやって来た重力への《適応》に加えて、凰蓮さんの体重にも《適応》する!!!)
「!! これは━━━━!!」
凰蓮は自分が置かれている状況も忘れ、自分の身に起こった現象に目を丸くしていた。哲郎の身体が浮かび上がり、剰え自分の巨体を持ち上げていたからだ。
鎖国国家 鬼ヶ帝国に住む轟鬼族に取って、空中を移動する手段は著しく限られている。翼を持つ魔物の背中に乗る程度が関の山、それが常識となっている凰蓮の目に哲郎の芸当は極めて特異に映った。
(其れも貴方の能力が成せる技なのですね…………!!)
「空中へは僕しか行けない!! このまま安全な場所まで移動して、何かしらの対策を━━━━」
「おいおい、
「ッ!?
!!!!!」
廠桓の余裕綽々の言葉に咄嗟に視線を後方へ向け、哲郎はそこに広がる光景に愕然とした。
瞬時に認識出来たのは本来の距離よりも遥かに近くに居る廠桓の傀儡達の姿だった。その理由を即座に理解した。
ある者がある者の上に乗り、またある者がその上に乗る。それを幾度も繰り返し積み重なった人の山をまたある者が登り、遥か高くに居る哲郎へ到達しようとしているのだ。
翼を持たぬ者が空中に居る敵へ到達するという目的を果たす上で、この方法は合理的と言える。しかし、それ以外の一切、例えば人々の身の安全を全く考慮に入れていない策だとも言えた。
「あ、あんな方法で……………………!!!!!」
「不味いですね。あそこ迄積み重なれば、一番下の人に掛かる重さは馬鹿にならない。それこそ……!!」
「それは、轟鬼族の身体の頑丈さを計算に入れてもですか……!?」
「ええ勿論。寧ろ私は其れ以外の肉体を知りませんよ。」
「…………………!!!」
凰蓮が脳内で思い描く懸念を察知し、哲郎は強く憤った。廠桓は己が傀儡にした無関係の人々の身の安全など一切考慮に入れていないのだ。
そして同時に、廠桓がこの時この場所を哲郎との決戦の場に選んだ理由を理解した。鬼門組と鳳巌率いる犯罪者達が入り乱れるこの場所こそが彼にとっての最高の選択だったのだ と。