哲郎の胸中は『期待』と『不安』に満ちていた。今、自分が信頼する人間と自分が脅威に感じている人間が真っ向からぶつかり合おうとしている。
片やは帝国に産まれた哲郎に協力する《転生者》虎徹。彼女はあらゆるものを無力化し、世の理すら捻じ曲げて思いのままにする墨汁の能力の持ち主である。哲郎は何度もその能力による御業を目の当たりにし、その度にその能力の無法さに驚かされていた。
片やは帝国の政治関係者の皮を被りその転覆を図る悪しき《転生者》廠桓。彼は自らの血液を操作する能力の持ち主である。その能力による芸当は多岐に渡り何度も帝国や哲郎達に牙を剥いている。哲郎は心の中で明確にその応用力は自分より上だと認めてしまっていた。
今、その二人が真っ向からぶつかり合おうとしている。哲郎の胸中には虎徹ならどうにかしてくれるかもしれないという『期待』と彼女も無事では済まないかもしれないという『不安』が混在していた。
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「━━━━分かっておるとは思うが予め言っておくぞ。儂の
無駄じゃとは思うが言っておく。其れが嫌ならば直ちに降伏しろ!!!」
虎徹は廠桓を指差しながらそう言った。その指先は黒く染まっている。爪の内側には《墨汁》が溜まり、何時でも発射する準備を整えているのだ。
「降伏? 態々陸華仙を離れてまでやる事が唯の勧告とはな。鬼門組の一員にでもなったつもりかよテメェは!!!」
「新聞で何度か面を見たが、其の印象からは随分とかけ離れておるな。其れが主の本性か。
随分とその実を纏う鎧を信頼しておるようじゃが、肝心な事を忘れておるぞ。主が儂等を見ておるという事は、其の隙間から墨を注ぎ込む事が出来るという事じゃ!!!!」
「!!!」
廠桓の血の兜の視界を確保している縦に開いた数個の隙間。そこを狙って虎徹は自分の能力、《墨汁》を噴射した。そのまま《墨汁》が眼球を直撃すればそれだけで彼の視界を潰し、無力化出来る。それは他でも無い哲郎が実体験していた。
(こ、このまま目を見えなくすれば、それで終わりだけど━━━━!!)
「甘いな。」
『!!?』
虎徹の墨汁は廠桓の血の兜に当たった瞬間、びちゃびちゃと音を立てながら周囲に散った。一見すれば兜の隙間に墨汁が入り込んだように見えるが、そんな甘い話は無いと哲郎が真っ先に理解していた。
その攻撃の結果は彼の鎧の変化が示していた。
『!!』
「━━━━あのなぁ、この国で《転生者》と戦うってなったらお前が立ちはだかって来るなんてガキでも分かるだろ。だったらその能力を俺が対策してない筈がねぇだろ!!!」
廠桓の血の兜は血液凝固を解いて流動化していた。虎徹の墨汁は流動化した血液に混ざりはしたが廠桓の身体には一滴も触れていない。
「対策じゃと? 儂の能力は主の兜に触れておるのじゃぞ。其の墨で主の兜を剥がす事くらいは出来るぞ!!」
「━━━━
『べちゃっ』『!!?』
廠桓の兜から墨汁の混じった血液がずり落ちた。同時に廠桓の兜の現状も露わになる。顔面に相当する部分は流動化し、目の隙間は完全に埋まっていた。
そして三人は同時に、廠桓が何をしたかも理解していた。墨汁が付着した兜の表面は確かに虎徹の支配下に置かれている。故に廠桓は兜の裏に新たな血液を作り、墨の混じった部分を捨てたのだ。
「…………成程な。道理で儂を前にして不敵で居れる訳じゃ。」
「でも、きっとあれも長くは続きませんよ。鎧の隙間を完全に覆っているなら空気は入って来ない。すぐに息をする為に隙間を開ける筈です!!」
「━━━━否、其れは望めんじゃろう。」
「えっ!?」
哲郎の目には目の前の廠桓が血液に覆われて呼吸出来ていない姿に映っていた。しかし虎徹がその仮説を否定する。哲郎がまだ知らない能力を虎徹は見抜いていた。
「どうして!? 今彼は身体中を
━━━━━━━━あっ!!!」
「…………そうじゃ。『赤血球』じゃよ。」
赤血球
哲郎はつい先程その単語を頭で思い浮かべていた。
赤血球には酸素を放出して身体中に酸素を送り届ける役目がある。廠桓が血液を操作出来るならば、本来体内で起こるその現象を自由に発動させるなど造作も無い。
そうすれば完全に隙間を埋めた鎧の内側に酸素を充満させる事が出来る。哲郎はそれに気付いた。
「………赤血球の酸素ボンベって訳か……………!!!」
「そう思ってくれて良いぜ。これで分かったろ? お前等はこの鎧を破らない限り俺に傷は疎か汚れ一つ付けられねぇって事だ!!!」
虎徹と廠桓の戦いは緩やかな始まりを見せた。虎徹の能力の優位性は揺らいでいないが、廠桓は見事にその脅威から逃れて見せた。己が能力を限界を超えて活用させる、《転生者》同士の戦いは既にその本領を見せていた。