哲郎のこれまでの人生は、一言で言えば「未体験」の連続だと言える。
彼が一番最初に体験した未体験は、幼稚園時代の最初の転園だ。それが今まで当たり前のように会っていた友人や住んでいた家や地域からの離別である事をまだ幼かった哲郎の脳で理解出来たのは引っ越しを完了させた後だった。
当時の哲郎は積極的に友人を作る人間では無かった。寧ろ逆で、狭い友好関係を大切にする人間だった。故に当時の哲郎はその友人との離別を泣いて悲しんだ。これからも友人と交流できると信じて疑わなかったその未来は軽々と打ち砕かれた。
しかし、程なくして哲郎は視点を転換する。自分の意思ではどうする事も出来ない居住地の変更や友人との離別は確かに嘆かわしい事だが、それらは自分に未知の体験を提供してくれる と。だからこそ彼は短い時間でも他者と関係を形成できる能力を育て、積極的に関わり合いを持つ事の出来る人間になったのだ。
そして《転生者》として異世界、ラグナロクで生活を送る中でもその「未体験」は更に密度を上げて哲郎に降り注いでいる。親元を離れての生活、気の抜けない激闘の日々、紙の上の存在でしか無かった魔法や種族の存在、それらを実体験した哲郎はたとえ元の生活に戻ったとしてもこれ以上の衝撃は訪れないと考えていた。
しかし、その思い込みは目の前の敵によって軽々と打ち砕かれた。
*
哲郎は
ある時は
また、
だからこそ、
口が付いた心臓、としか形容の使用が無い異形の存在が目の前に居たのだから。
「だっはっは!!!
心臓
哲郎がその実物を見るのはこの時が初めてだった。否、目の前の存在は本物の心臓とは違うだろうが、兎に角濃いピンク色で正確な拍動を繰り返すその物体は心臓と言う他無かった。
まるで切り抜いた画像を雑に張り付けたかのように、心臓に口が生えて言葉を発している。人間は疎か、生物としての基本構造からも逸脱しているその存在は、自らを《
「………ハラワタ………………!!!?」
「そうとも、それが今の俺の名前だ。もう分かってるだろうが、廠桓は俺が殺した。この国をぶっ潰す為にあの身体を頂戴する必要があったからな!!!」
哲郎の仮説は当たっていた。首を切断されても攻撃を続けて来る以上、廠桓は《転生者》本体ではなく何者かに操られているという可能性に即座に思い至ったのはこれまでの激動の日々で培った強靭な精神力があったからこそだ。唯一の誤算は、その操っている本体がすぐ側に居た事だ。
しかしこれによって一つの謎が解けた。廠桓が血を操る能力を多用しても失血などの異常が見られなかった事がそれだ。廠桓がそもそも生きておらず、心臓である臟が動かしていたとなればそれだけで辻褄が合う。
「廠桓
「そりゃそうだろ。国の中枢に入り込めるなら誰でもな。偶々お誂え向きの奴が俺の前に居たってだけの話だ!!」
「!!!!」
廠桓、もとい敵の《転生者》臟が人の命を軽んじる人間である事など、鬼門組の隊員達の命を奪おうとした現場に直面した時点で分かっていた筈だった。しかし国を潰すという目的の為に、その目的に適しているという理由だけで廠桓を殺害し、それに悪びれもしない臟に激昂を通り越して戦慄すらしていた。
「おぉ。何でそんな事をって面だな。良いぜ。教えてやるよ。お前が他人の命の為にエリート魔人にもブチ切れる阿保だって事は分かってるからな。
━━━━元の人生を取り戻したいんだよ。」
「!!?」
「分かるだろ。俺にもお前等みたいに前世があった。あの時は全部が思い通りに行った。欲しいもんは何でも手に入った。飯も金も女も全てが自由だった。」
「……………………
(いわゆる親が太いって奴か…………)」
「だがくだらねぇやっかみに遭って、心臓をぶっ刺されて死んじまったんだ!!! それだけじゃねぇ!!! よくある異世界転生が出来たと思ったらこんなバケモンにされちまったんだぞ!!!!」
「!!!」
ラミエルは言った。敵の大玉は望まぬ転生を果たした《転生者》だと。目の前も臟もまた同じなのだと哲郎は悟った。
順風満帆の人生は突如として終わりを告げ、自分の意思とは関係のない転生をさせられた挙句に生きた心臓という、誰にも受け入れられない身体にされた。それまでの自適な人生、それによって膨れ上がった自尊心と相まって臟が受けた屈辱や怒りは哲郎の想像を大きく超えるものだったのだろう。
「だから俺はあいつらに着いた!!! あいつらに協力して、俺は必ず元の世界に戻る!!! 何としてでも元の身体と人生を取り戻す!!! その為ならこんなチンケな世界の人間が何人死のうが知ったこっちゃねぇんだよ!!!!!」