鬼ヶ帝国に来てからというもの、哲郎は虎徹の能力に驚かされてばかりだった。《墨汁》で塗り潰して無力化すると言うだけでも十二分に強力なのに、その上新たな性質を書き込んで付与するという全能的な能力まで備わっているのだ。
その能力の最も恐るべき点は、虎徹の発想次第で戦法が無限に湧いて出てくるという点にあると、哲郎は自分の感情を分析していた。
《墨汁》が人体にとっての血液も同然で、多用は禁物であるという欠点を差し引いてもその驚異性は一切揺るがない。仮に虎徹が敵対関係にあったならば対抗策が浮かばなかっただろうと、そのような確信に近い恐怖心すらあった。
そして今、その能力に対する驚愕の念は最高潮を叩き出した。哲郎の主観的な認識では、
その生物と相対している臟は勿論の事、蚊帳の外から見ていただけの哲郎もだ。
***
「おいおいおい・・・・・・・!!!」
臟は顔色を変え、険しい表情を浮かべて目の前の漆黒の生物を凝視していた。
虎徹の《墨汁》で塗り潰された鳳厳の左腕が、それを核として変容していく。噴き出した墨汁が練り固まり、尾を、爪を、角を、そして牙を形成していく。
身体は蛇のように長く畝り、掌を覆い尽くすように固められた墨汁は鰐のような強靭な顎を携えた頭部を形成した。
哲郎の記憶では、その外見の生物を表す名前は一つしかない。そして、哲郎と同じ世界を生きた臟も同じ事を考えている筈である。
墨汁で形成された『龍』が戦場に召喚された。
「━━━━ゼロから命を作り出すとは、全くどうしてデタラメな能力だな!!! 神サマにでも成ったつもりかよ お前は!!!」
「散々他者を利用し潰してきた主が何を抜かすか。たった一匹相手が増えた程度で喚き散らすなど、罷り通りと思っておるのか!!!」
先程体で受けた龍の業火は、鳳厳の肉体には差したる攻撃にはならなかった。しかしその龍の存在による臟の精神的な効果は重大だった。
虎徹はその龍をたった一匹と謙遜したが、目の前の龍に対する言葉としては余りにも力不足だった。
『グルオオオオオオオッッッ!!!!!』
「ぐぅっ!!!!」
墨汁の龍が攻撃の意志を咆哮として口から吐き出し、臟へ襲い掛かった。臟は右手に持った薙刀と、左手に携えた鮮血の野獣の二段構えで迎え撃とうとする。
しかしその武装も龍に対しては心許無かった。龍はその五体に
『ギィン!!!! ガァン!!!! ズガン!!!!』
「!!!」
計三つの、耳を劈くような金属音が同時に鳴った。龍は両手の爪と口に携えた牙の、計三つの刃物を一斉に臟に向けた。
対する臟も薙刀と野獣に加え、前もって噛み切っていた舌から吹き出した血液で龍の攻撃を全て防御する。
その防御が臟の龍の一騎打ちであったならば、及第点を貰っていただろう。しかしこの場に居るのは龍だけでは無い。
「ぐぅっ!!!」
哲郎が自分の方へ走り込んでくる光景を視認し、臟は顔を顰めた。臟が龍の相手に手一杯になっているのを見るや、自分の追撃が非常に有効になると瞬時に判断したのだ。
(ぼんやりと突っ立ってるな!!! 今こそがチャンス!!!
この場に入り込んで一気に畳み掛けるんだ!!!)
「このっ!!! 鬱陶しいガキがァ!!!」
臟は力任せに薙刀を振り上げ、龍の攻撃を弾き飛ばした。これで手持ちの武器が全て流に集中していた現状は改善され、薙刀は哲郎の迎撃に使用出来る。
しかしそれは哲郎も予測していた。臟がこのまま無防備に自分の攻撃を受けるなどとは毛頭思っていない。それならばここまで戦いは長引いていないし鳳厳が彼の毒牙に掛かる事も無かっただろう。
臟が選んだ攻撃は最短距離を行く、薙刀の刺突だった。哲郎はそれに反応して身を屈め、次の瞬間には臟の手首を両手で掴む事に成功する。
哲郎の十八番である投げ技を放つ構えだ。その十八番を確実に安定して成功させる為に何度も試行を繰り返し、その度に洗練されて来た動きだ。
「何度も同じ事を繰り返す思考停止のガキが!!! もう俺の体に投げでダメージを与えることなんざ出来ねぇぞ!!!」
「えぇ。分かってますよ。だからもうあなたを
「!!?」
哲郎は身体を翻して臟を投げ飛ばした。それは紛れも無い哲郎の十八番、先程放ったものと同じだが相違点が一つある。
それは手を離すタイミングが先程よりも早かったという事だ。それによって生まれる結果は大きく異なる。臟の体は地面に激突する事無く、地面と平行に吹き飛んだ。
(地面が狙いじゃない!? こんな事して何に)
「今です!!!」
(!!! そういう事かよクソッタレ!!!)
哲郎の言葉と、その視線の先に居た人物の姿を見て臟は哲郎の意図を理解した。
投げ飛ばされた先で凰蓮が武器を構えていた。空中で無防備な臟を凰蓮が刺す、それが哲郎の作戦だった。