珂豚
その名前は今や陸華仙に要る者ならば誰でも知っている名前だった。それは隊員ではない彩奈も例外では無い。
彩奈が最初にその名前を知ったのは陸華仙に入った時だ。苺禍が取り調べていた鴻琴という男に彼と接触している疑惑が向けられていたのだ。
そしてその疑惑は確信へと変わった。珂豚が口封じの為に、鴻琴へ向けて簸翠という暗殺者を雇い、差し向けたのだ。
しかしその暗殺は彩奈達の活躍もあって未遂に終わった。その現状において、珂豚が陸華仙の前に姿を現すなど天地がひっくり返っても有り得ない事の筈だった。
「か、珂豚だと・・・・・・!!? どういう事だ、襲撃のつもりか・・・!?
まさか、そいつも操られて正気を失っているのか!!?」
「い、いえ、そのような様子は無く、それに武器を身に付けているという情報も確認されておりません。」
「自分の意思で丸腰で来たと言うのか!?
・・・・・・否、分かった。警戒態勢を敷くから此処に連れて来い。言うまでもないとは思うが相手は金に汚い凶悪犯だ。一瞬たりとも気を抜くなよ!!!」
「はっ!!!」
こうして、今や影の戦場となった陸華仙に現れた珂豚の為の場が設けられた。
*
相手を迎え入れると決めてからの展開は早かった。机や椅子を並べ、まるでこれから裁判が始まるかのような気迫が漂っている。
そしてその中心に、腰縄を巻かれた太った男が立っている。珂豚の姿を彩奈が目の当たりにしたのはこれが最初だった。彩奈がこの場に立ち会う事が出来たのは簸翠の暗殺を阻止した功績があったからこそだ。
「・・・・・・先ずは単刀直入に聞く。態々丸腰でこの場に現れた意図は何だ?」
今この場における最高権力者である苺禍が珂豚に向けて言葉を発した。その語気に自分から無抵抗で現れた珂豚に対する考慮の意図は無く、唯々凶悪犯の一人としての扱いしか無かった。
「・・・・・・そりゃあお前、一つしか無いやろ。あいつらに殺されへんためや。」
その次に語られた珂豚の話は以下の通りである。
哲郎と鳳厳の一件で一命を取り留めた後、彼は組織での立場を失い仲間、特に他の幹部格の男達からの私刑から逃げ惑う事を強いられた。
その彼にとって幸運だったのは、鬼門組の奇襲が即座に行われた事である。彼等が鳳厳に破滅願望がある事など知る由も無かったのだ。
元々逃げ惑い、根城の僻地にまで身を隠していた珂豚は鬼門組の奇襲にも即座に反応し、一早く逃走する事が出来たのだ。
しかし彼はそこで本当の脅威を目の当たりにした。全身に青筋を浮かべ、猛獣のように狂った男達の姿をだ。臟はこの時既に逢魔ヶ宮殿を狙って準備を進めていたのだ。
この時、珂豚は理解した。自分を狙っている者達の中で一番の脅威は鬼門組では無いという事を。鬼門組は法律上、自分の命を積極的に狙う事はしないが男達を操っているであろう人物はその限りでは無いと言う事を。
「・・・・・・それで我々に捕らえられた方がまだ良いと判断したと言う事なのか?
先に言っておくが、此の行為によって減刑を望んでいるならば期待しない方が良い。違法賭博の運営に手を染め、口封じの為に簸翠を雇ってけし掛けたその罪、この程度で雪げる物では無いぞ。」
「そんな事は分かっとるわい。あいつらに殺されるくらいやったら死ぬまでぶち込まれる方がマシや。それ以上は望んどらん。」
「・・・・・・・・・・・」
珂豚は抵抗の意思を示す事はしなかったものの、言葉の節々にふてぶてしい態度が見て取れた。
そもそもこの行動自体が珂豚にとっては不本意なものであり、自分の安全を確保する為にはこのやり方が最善だったというだけの事である。
彼とて自分の立場を守る方法があるなら迷わずその道を選んだだろう。暗殺者を雇ってまで守ろうとしたその立場をだ。
『ズガァンッッッ!!!!!』
「!!!!? な、何や!!!!?」
「・・・・・・貴様に教える必要は無い━━━━ と言いたいところだが自ら出頭してきた事に免じて教えてやろう。
早い話が烽鰐だ。例の状態になった奴が陸華仙を襲ったから急遽拘留している。
ある意味では貴様はそうなる事を逃れた訳だ。賢明な判断だったと言えるだろう。」
「・・・・・・・・・・!!!」
苺禍の無機質な一言によって珂豚の頬に冷や汗が流れた。下手をすれば自分も同様の憂い目に遭っていたかもしれないという事は容易に想像出来る。
そして鬼門組も、珂豚の所在が判明した事は強力な情報だった。この贅肉の塊であっても臟の血で操られて暴れれば脅威に成りえただろう。
「隊長!! 苺禍隊長!!!」
「何だ一体!? また緊急事態か!?」
「は、はい。その通りでして。
上空に黒い飛行体が現れました!!!」
(!!! 虎徹さんだ!!!)
鬼ヶ帝国の運命を左右する戦いの局面は刻一刻と変化している。虎徹が陸華仙へ舞い戻った事でそれはより顕著になった。