『小鬼皇一体百人の命に釣り合う』という諺が存在する。
小鬼皇とはゴブリンキングの別称であり、それの戦闘力や統率力及び影響力、そしてそれに裏打ちされた討伐する事の意義を端的に表現した言葉として現代でも語り継がれている。
ゴブリンキングはそれ単体の戦闘力もさることながら、統率するゴブリンの数も最低でも十体を超える。ゴブリンキングを倒すという事はそれに付き従うゴブリンの危険性を奪う事にも繋がる。
それは冒険者ギルドも正式に認めている事だった。ゴブリンキングを討伐した事が証明されれば特別な報奨金が支払われるのである。
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「━━━━ふぅ。これで完了だ・・・・・・・・。」
ゴブリンキングとの戦いを終えた哲郎は後処理と言うべき作業に取り組んでいた。それは魔物を討伐した証拠として耳を切除して保管する事である。
ゴブリンキングやゴブリンは頭があり、両腕両足があるが肌も顔付きも人間とはかけ離れているが生物である事に変わりは無い。その身体に刃を入れ、切り離す事は哲郎の精神に無視出来ない負荷を掛けた。
しかしそれでも淀みなく達成する事が出来たのは、アンリミテッドに挑む前に教わった諺が支えとなったからだ。
(『
ゴブリンキングはその
ギルドがそこまで力を入れてゴブリンキングに関する取り組みを行っている理由はその影響力にある。ゴブリンキング一体倒す事が出来れば、それだけで群れのゴブリンの危険性を大きく下げる事が出来る。故にゴブリンキングを倒した際の報酬はそれ単体に加えた特別報奨金が出るのである。
しかし、哲郎にとって金銭に関する話はそこまで重要では無かった。重要なのは生物の命を奪うという行為に対するせめてもの正当性である。
自分の修行の為と言っても、それで多くの人の命が救われると言っても、生物の命を奪っている事に変わりは無い。ならばせめて自分のやっている事が無駄では無いと思えるだけの確信を求めているのだ。
(このゴブリン達は、見方を変えれば僕の修行の為に犠牲になったとも言えるよな。まぁ、ギルドの人達はそうは思わないんだろうけど・・・・・・・・。)
このゴブリンキングの耳を持って帰ればギルドの人々からは強く感謝されるだろうが、自分がそれを心の底から誇る事は無いだろう。
(うん。何度も思ってた事だけど、今こうして改めて
アンリミテッドに挑む前、冒険者の心得や魔物の被害の実態を学び、魔物を倒す必要性や意義は十分に理解していると思っていた。
しかしそれは机上の空論と言うべき思い込みでは無いかという懸念があったが、今なら断言出来る。
魔物は容赦無く人間に牙を剥く。そこに悪意も罪悪感もなく、ただ生きようという本能だけがあるのだと。それが人間の権利を損なわないようにする事こそ冒険者という職業の本質なのだと。
手の平に乗った二つの耳を、自分が魔物の命を奪ったという証拠を握り締め、哲郎は歩を進めた。二体のゴブリンの死体は横に寝かせておいた。本来ならば冒険者ギルドの為に素材として回収するべきだが、故郷であるこの山の中で眠って欲しい。それが哲郎に出来るせめてもの弔いであり、敬意の表現だった。
***
哲郎がゴブリンキング達の耳を回収してから思考し、再び歩き始めるまでの一部始終を見ていた者が居た。
その者は哲郎を《転生者》と知り、臟に代わって彼の首を取る為に出向いて来た。そして今、魔物の巣窟である山の中に居る。
(・・・・・・・・《適応》の捨て身をぶつけてゴブリンキングを危なげなく倒すとは。あれが《CHASER》の強さの本質か。
強さは本物。今や脅威度は《INFERNO》に並ぶという評価も納得出来る。だが勝算は十分にある。
臟の仇という訳じゃないが、あいつには出来る限り苦しんで死んでもらわなくちゃいけない。その為に必要なのは・・・・・・・・!!)
その者は哲郎の姿が消えたのを見届け、不敵に口角を釣り上げた。その目には哲郎のゴブリンキング達への敬意も唯の自己満足にしか映っていない。
その手には《転生者》としての能力が、哲郎の息の根を止める凶器が
アンリミテッドという依頼を利用した魔物相手の武者修行。哲郎が自分に課したそれが穏やかには終わらない事を、彼はまだ知らない。