哲郎が驚いたのは、
魚人武術とは元々、哲郎が非力な身一つで戦えるようにとラミエルから教えられた、言わば生き残る術である。哲郎は魔界コロシアムの場で初めてそれを実戦で使用し、完全に実用可能な主力とする事に成功した。
そもそも、ラミエルの手によってそれが選ばれた理由は大きく分けて二つある。一つは魔力を扱う敵が多い
しかし、著名で目立たないと言ってもそれは飽くまで一般の世界での話である。哲郎が身を置いている冒険者の世界においては魚人武術を主力に魔物と戦う冒険者は極めて少数派である。
魚人武術のみならず、この世界における全ての武術は、『魔法を使えない人間』が『魔法を扱える人間』と戦う為に作られたものである。それがどれ程成熟していようと、その技術の向かう先は飽くまで人間であり、魔物に向かう事は極めて稀である。
即ち哲郎が驚いたのは魚人波掌の音が聞こえた事でも、魚人武術の使い手がこの山に居る事でもなく、それを魔物に向けて使う者が現れたという事に対してだ。
*
魚人武術のみならず、マーシャルアーツを扱う冒険者が少数派である事を哲郎は前々から知っていた。それも、素手で戦うより魔法や武器を扱った方が非常に落命の危険が下がるという理由であり、哲郎もそれを即座に理解した。
冒険者稼業においてマーシャルアーツが通用するには並大抵では無い鍛錬が必要であり、魔物を身一つで倒せるかどうかでその熟練度が可視化される。故に哲郎の実力がその次元に達している事は客観的な事実として証明されている。
だからこそ、この魔物の巣窟と化している山の中で魚人波掌の音が聞こえた事に重要な意味があるのだ。それは音の主が卓越した技術の持ち主である事を示しているからだ。
(今のは、魚人波掌の衝撃音!? それを魔物に向けて使ったって言うのか!? それだけの実力者がこの山に━━━━!!!)
『ガサガサッ』
(!! 来るッ!!)
人が草木を押し退けて通る時特有の音を聞いて、哲郎は身構えた。相手の情報は現状、冒険者でありながら魚人武術を使い、魔物に有効打を与えるという事しか分かっていない。
相手が友好的であれば良いが、そうでない場合、例えば人の手柄を横取りしようとする悪徳な人物であった場合交戦は避けられない。
(相手が手柄を横取りするような人間だった場合は、きっとこのオークは宝の山か何かに見えるだろう。是が非でも奪いに来るに違いない!!
僕はもう『修行』っていう目的を達成してるから別に引き渡してしまっても構わないけど、それで相手が引き下がらなかった場合、戦うしかない・・・・・・!!!)
オークとの戦いの勝利から一転、哲郎の思考は目の前の見えざる敵に集中した。相手が人間だった場合、殺害は論外中の論外という前提で動く気ではいるが、心の片隅で昂っている部分もあった。
相手が仮に非道な人間であった場合、遠慮なく修行の成果を試す事が出来るからだ。哲郎が感覚的に得た気分になっているものが人間相手にも通用するという確信が得られれば、このアンリミテッドの修行で得なければならない最低限の根幹は磐石になったと言えるだろう。
(鬼が出るか蛇が出るか・・・・・・!!! 来いッ!!)
「いやぁ参った参った。完全に道に迷っちまった。
お!」
草木の陰から姿を現したのは一人の青年だった。肩甲骨付近まで伸ばしたであろう髪を頭頂で結び、草の繊維から作られたであろう衣服を身に纏っている。そして片手で巨大な魚の尾鰭の付け根を掴み、背負っていた。
特徴が
その青年の体は全身が海原のように透き通った青色をしていた。そして首筋に三対、細い三日月形の切れ込みが入っていた。哲郎はそれが何なのか、そして青年の正体が何なのかを一目で見抜いた。その答えが半ば衝動的に、口をついて出た。
「━━━━魚人・・・・・・?」
「何だこりゃ。これ、お前ぇが一人でやったのか?」
哲郎は見えざる相手が卓越された魚人武術の使い手であると見抜いていながら、
兎にも角にも、アンリミテッドの山の中で哲郎と魚人の青年は出会った。この出会いこそがこれから哲郎を待ち受ける、冒険者稼業の皮を被った修行の波乱、その始まりとなった。