小説なんて書いたこともありません。
でも、みんなの小説が面白くて、こんな風に自分も書きたいなと思いました。
初投稿のド素人ですが、一生懸命頑張ります。
よろしくお願いします!
第一話
第一話『虎がお手玉できないように』
自分が周囲の人間と違うと気づいたのは割と早い時期だった。
才能に溢れた姉貴が親友と呼ぶ、子供ながらにして類稀なる女傑、『鬼龍院 皐月(きりゅういん さつき)』の武勇伝を聞くたびに、俺は胸を熱くしたものだった。
だってそうだろう?
男の子は絶対無敵のヒーローに憧れる生き物なんだから。
邪魔者を蹴散らし、己を律し、血を流すことを厭わず、ただ前進あるのみ。
絶対強者。常勝無敗。帝王のカリスマ。
『鬼龍院 皐月』は間違いなく俺にとってのヒーローだった。
だから会いたいと思ったし話てみたいとも思った。
強者たるを体現する少女、俺の憧れ、無敵のヒーロー。
姉貴から聞かされる彼女は壮絶な修業を経て、高みを目指す。
他人に厳しい彼女は誰に対してよりも、己にこそ厳しかった。
すでに比べる相手すらいなくなっても、ただ、鍛え続けた。
その彼女の在り様に、引っ張られるようにして、姉貴や彼女と共に歩くことを決めた者たちもその才能を開花させていった。
俺の目には、どんな英雄譚も霞む一大叙事詩が写っていた。
未だ見たことのないヒーローと会う日を夢見て、俺も置いて行かれないように、鍛錬をはじめたのだ。
姉貴が話す、『鬼龍院 皐月』がいかに素晴らしい人物であるかを聞いた俺は、今の自分では到底話すことも、顔を合わせることも、おこがましいことではないのかと、なんの根拠も理由もなく思っていた。
おそらく、勝手に『鬼龍院 皐月』という人物を神格化していたのだと思う。
なんでもできる姉貴が自分よりもすごくて素敵な親友だという。
俺は姉貴が好きだった。
だから姉貴の、子供じみた肥大化した誇張を、親友ということもあってか、なお過剰に美化された『鬼龍院 皐月』の孤高に俺は魅せられたのだ。
『鬼龍院 皐月』に宗教じみた熱意を抱き始めたのは間もなくだった。
神に謁見するには資格がいる。
俺が禊のために選んだ手段は武道だった。
『鬼龍院 皐月』は剣を使うという。
その腕は幼くして、達人と呼ばれる剣道高位有段者ですら歯が立たぬほど。
剣を使うなんて、滅茶苦茶かっこいいじゃないか!
『鬼龍院 皐月』に憧れていた俺も剣を使おうかと迷ったが、結局武器を使わない武術にしようと決めた。
『鬼龍院 皐月』の模倣が、徹底的に俺という人間と合わなかったからだ。
有体に言えば、俺は武器が使えなかった。
俺は恐ろしいほど不器用だった。
これなら、一輪車をこぎながら綱渡りをしたほうがましだ。
ありとあらゆる武器は俺にとっての足かせだった。
俺の手足を超える道具なんて無かったのだ。
残念だとは思ったが、その程度で諦められるほど、俺は『鬼龍院 皐月』以外に興味を持てなかった。
幸い、俺の五体は頑丈な鈍器だ。
練り上げれば、巨大ロボだってイチコロさ。
なら、鍛えるべきは俺そのもの。
盛り上がる大胸筋が拳銃だ。
姉貴に唯一負けてない、姉貴を助けてやることだってできる俺だけの。
姉貴は面倒見のいい姉だった。
もっと小さい頃は、ベビーシッターなんていらないぐらい俺を可愛がってくれた。
ずっとずっと覚えてるんだ。
母親のまたぐらより産まれ落ちたその時から、世界を把握するのなんて容易かった。
その頃から姉貴との付き合いが始まったんだ。
俺に優しさを教えてくれたのは姉貴だった。
俺に喜びを教えてくれたのも。
姉貴は、あまり会うことのない母親よりも母親だった。
姉貴の親友『鬼龍院 皐月』。
まだ会ったこともない『鬼龍院 皐月』に、俺という人間が認められることはどんなに誇らしいことか。
その欲求は俺の心に火をつけたのだ。
それからは夢中だった。
俺の家はカネがあった。
土地を買って新事業を起こそうとしていたのか。
そんな土地の中に、人の住まない山がある。
修行といえば山籠もり。
俺は休学して山へと入る。
限界まで自分を追い詰める日々が続いた。
山は俺の血となり肉となった。
人里の食いものは口に合わなくて、自分でもぎ取った自然の一部を咀嚼する日々。
両親は寛容だ。もしくは放任主義の極みだったのか?
俺のやることに口を出すことはしなかった。
代わりに、両親の秘書という大人が俺の要望を両親に伝えていると、その秘書が教えてくれた。
まあ、そんなことはどうでもいいとして。
とにかく俺は我が儘だった。
ただ、時折、姉貴に会いたいと思って、でもそれだけは叶えられなかった。
姉貴は忙しかった。
両親の期待を受けていた。
跡継ぎになるはずの男子である俺は奔放だった。
見限られたのかな。
それも仕方ないか。
でも、姉貴の成功を望むだけなら、いいよな?
すぐに山を下りねばならない事態になった。
両親が俺のもとにに呼んでくれた高名な武道の先生は役立たずだった。
俺の実力を見てみたいとかいうからさ、思いっきりぶん殴ったらいなくなってしまったのだ。
まあ、俺も子供だったとはいえ、大人げなかったんだと思う。
俺は小学生ぐらいの年齢だったけど、身長はとっくに先生より高かった。
体つきだって堂々としたものだ。イノシシだって殴って仕留める。
先生は、山を支配する俺を見て、勘違いしたのか、どの程度動けるのか試そうとしたんだろう。
俺も調子に乗って全力で拳を打ってみたのだ。
腕試しだ。
昔よりも大きくなった俺は、きっと強くなってるさ。
廻る金剛。
飛散する時間感覚。
天与の血肉を縮めて伸ばす。
骨は強度を変化させ、蜂蜜の柔らかさを持つ剣と為った。
剛柔は絡まり、此奴こそが世界の果て。
歴史上初めて、身体能力のみで人間がけものの領域を踏破する。
踏み込んで、人体の中心を。
その先を撃ち抜くように。
かつて、古代の日いずる圀、天を覆い尽くす八つ首のおおかがちを葬った、荒ぶる神を思わせて。
●
やるんじゃなかった、と思った。
山は住めなくなった。最低限、人らしい生活を送れる程度の細やかな私物は言うに及ばず。
なぜなら山が消し飛んだからだ。
山が無くなった代わりに深い渓谷と川が出来た。
来年は魚が捕れるようになるかもしれない。
そう思い、楽しくなり始めたころ、どこかから見ていたのか。
大きな音を響かせて、ヘリコプターが下りてきた。
両親の秘書だった。
俺を迎えに来たという。
山を壊したことを怒っているのだろうか。
秘書の人と、黒いスーツを着た大人たち。
誰も目を合わせてはくれなかった。
ごめんなさい、と。
俺は言うことが出来なかった。
でも解ったこともあったのだ。
俺は全力を出すことが出来ない。
気に入っていた山は動植物余すところなく、余すものなく、粉々になった。
頑丈が売りの運動靴はゴムが弾けて、布が千切れてみっともなくなった。
かつて人だったものはもうどこにもいない。
こんな、自分の力に振り回される体たらく、なんて有り様。
強くならなければ、絶対無敵の最強ヒーロー『鬼龍院 皐月』に顔向けできない。
いつか彼女に会った時、すごく強いんだなって褒めてもらいたいのだ。
その姿を姉貴に見てもらいたかった。
自慢の弟だ、と。誇って欲しかった。
憧れのヒーローに、そして姉貴に、認めてもらいたいのだ。
でもこのままでは抱いた夢が叶わない。
どうすればいいのかなんてわかるわけなかった。
俺は頭が悪かった。
そこで、考え方を変えてみることにした。
どうがんばっても、格闘技、武術、その類すべてに対して、俺という人間はとことん相性が悪かった。
望んだ結果なんて出せたことは無かった。
俺の身体では既存の武術における術理を再現することは難しい。
自分で思ったよりも、俺の身体が生み出す、『力』は桁違いなのだ。
普通の人間用の普通の武術では、そもそも俺の身体に合わない。
虎がお手玉できないように。鷹がリフティングをできないように。
ならば、俺は獣なのだろう。
獣が人間の動きをなぞったところでうまくいくわけがない。
だから、武術をやるのだ。
徹底的に合わないならば、都合がいい。
弱くなれば、強くなるだろう。
俺は強くなりたかった。
だから、弱くなることが必要だった。
それこそが、俺を人間にするだろう。
●
転機が訪れたのは、格闘の基本動作の真似がうまくなったと、自分なりに納得した体術を試してみたいと思い、とある格闘技ジムへ顔を出した時のこと。
小学校高学年だった俺の身長はそのころになると二百センチを少し超え、体重は丁度百キロ(筋肉が発達していたので体脂肪は六パーセントほど)までに成長していた。
子供料金が利用できる施設の類で、ほぼ不必要な出費を強いられる苦い思い出は数多い。
ともあれ。
俺の体格から類推したのか、自分の力に自信のある血の気の多い格闘技経験者と思ったのか。
俺の子供じみた挑発などただの呼び水にすらならなかっただろうけど、ジムの血気盛んな若者数人が(とはいえ、全員俺よりも年上なわけだが)俺の挑戦をうけてくれることになった。
ジムリーダーらしき男性も苦笑いで「手早く済ませろよ」と獰猛そうな丸刈りの男にグローブを放り投げる。
どうやら、この丸刈りの人相の悪い男が俺の対戦相手らしかった。
その格闘技ジムは立ち技主体の関節技、寝技ありの形式らしく、頭部保護のヘッドギアをかぶった後、早速二つある大きなリングのうち一つを使わせてもらえることになった。
軽く屈伸運動をしながら対戦相手を観察する。
身長はリングを囲む男達と同じくらいの、およそ百八十センチ。
体格はやや太め。しかし贅肉はない。よく絞られた金属を連想させる、日に焼けた体は、入念な準備運動を経て脂ぎっていて、室内灯を鈍く反射していた。
顔つきは頭部を短く刈り込んでいるため、露わになったその獰猛な目つきが俺を見据えている。
鋭い眼光が印象的な男だった。
単純に強そうだなと思った。
だからこそ望むところだった。
きっと強いだろうこの男相手に、俺の技がどれだけ有効なのかと期待を膨らませた。
男とおなじく貸してもらった指ぬきグローブを付けた俺は場の盛り上がりと共に知らず緊張していたのか手に力が入っていた。
気づけば襤褸切れに変わったグローブが手にこびりついていた。
いかん。また壊してしまった。
このころは体の成長と共に増加する膂力を持て余し気味だった。
気が付くと音がなかった。
いや、急に静かになったというべきか。
男たちは怖い顔をして俺を見ている。
「島、殺すつもりでいけ」
「・・・うす」
島、と呼ばれた男は開始の合図を待つことなく、低い姿勢で滑り込むように俺の懐に飛び込んできた。
破裂音。三発。
わき腹に痛痒。
問題なし。
格闘技入門書、専門書の通りに術理に習い、正拳突きをはなつ。
当然のように、避けられる?
くそ。
蹴り。
返された。
膝に蹴りを入れられ、バランスを崩す。
何が起きている。
「こいつ、へたくそだな」
島が笑う。
嘲りの笑いと理解できない俺は、ただ不愉快だと思った。
それ以上に自分に対しての怒り。
俺は、強くなったんじゃないのか?
あんなに練習したじゃないか。
弱くなって、でも上手くなったはすだ。
おれの獣は死んでいる。
肉体の枷はきれいにはまっているはずだ。
だが。
ちょっとおされた程度でバランスを崩すなんて。
なんて無様な!
破裂音。衝撃。相変わらず痛みはない。
しかし、自分よりはるかに弱い相手に手も足も出ない。
「素人かよ!」
にやついた表情を顔に張り付けて島が迫る。
反撃に出るも尽くが空振り。
なぜだ。
どうしてあいつの攻撃が当たって、俺は外すんだ。
先生には当たったじゃないか。
ああ。
うぜえ。
もういい。
むかつくぜ。
俺の血液は暴れる。
早く解放しろと俺を責める。
そうだ。
ここにいたって、俺は自分の、大きな勘違いに気が付いた。
なぜ、武術を使うのか。
なぜ、使わなければ、いけないのか。
熊は太極拳を使わない。
狼は空手を使わない。
獣は己が身体能力と、独自の技術。
そして、闘争本能で戦うのだ。
ならば。
俺はどうなのか?
人間ではある。
だが、もはや人の域に収まらないこの力。
獣と同等。
もしくはそれ以上の。
わかった。
ようは、普通の戦い方じゃあ、ダメってことだ。
熱い。
俺の体は人間を辞めたがっていた。
関節もしかり。
骨も、血も。
脳髄も。
唐突に思い出した。
家でのことだ。
俺はちょっとした不注意でドアノブを握りつぶしてしまう。学校では体育で使うバットもボールも俺が使った後は次の人が使えないくらい破損した。
姉貴が気に入っていた猫の人形は、ゴム製の団子に成り果てた。
姉貴に泣かれたあの日から、俺は枷を自らはめたのだ。
だが、それは日増しに増大する筋繊維の脈動と共にどうしようもない息苦しさをもたらした。
有体に言ってしまえば窮屈だったのだ。
決して全力を出してはいけないというのは、育ち盛りの男の子にとって拷問に等しかった。
ああ。
体の奥底に眠っている衝動は、簡単な切っ掛けで、暴れ狂おうと俺を誘う。
ひどく、ああ。なにかが。溢れて。
漸く、この実家から離れた町にある場所で、俺は抑えつけていた『なにか』を解き放つ機会に巡り合えたのだ。
けっして家族には見せられない。
理由も解らないそれを俺は漠然と理解し、抑えつけていた安全弁を。
空想のハンマーで、殴りつぶしたのだ。
そして、もう、ああ、なんて、ああ、ああ、あああ、
こんなにも、楽しいのか。
ああ。
しゃべるのめんどくせえ。
じゃあ、いこうか。
野獣のように。
そのあとのことはよく覚えてはいない。
ただ楽しかったということだけはこびりついて離れなかった。
家族に見つからないように家に帰ると、まず俺はシャワーを浴びることにした。
鉄の臭いが鬱陶しい。
時刻はもうすでに夕方を回っている。
今日は両親に用事があって、帰りは遅くなる。
姉貴は最近掛け持ちの部活が忙しいし、『鬼龍院 皐月』との付き合いもあるので遅くなるだろう。
問題は着替えだった。
もう二度と着ることは無いこんな汚れきった八つ裂きのジャージなんて、うまく処理しないと、ただ捨てただけでは家政婦に見つかってしまうだろう。
俺だってこんな体で、普通の学校に行くことは諦めたけど、それでも一般常識は持ち合わせているのだ。
この服を見られるのは、とてもマズイというのは何となくでしかないけれど、わかった。
考えあぐねている俺は、とくに理由もなく振り返った。
なんで振り返ったのか。
今でも理由はわからない。
でも振り返ってはいけなかったのだ。
だから見ることになった。
姉貴がそこにいた。
はじめてみるかおだった。
俺はそのかおを、一生忘れられないだろう。
俺は自分が普通じゃないって、その時になって、本当の意味で。
やっとわかったんだ。
テレビには昼間に行った格闘技ジムがニュースで流れていた。
爆弾テロだとか。ガス爆発だとか。
そんなのはどうでもいいことだった。
家族での食事はなかった。
両親は帰りが遅くなるので外で食べるそうだし、姉貴は部屋から出てこなかった。
家政婦が用意したポトフを食べると、姉貴の部屋に向かった。
あのジャージは姉貴が処分してくれた。
お礼を言いたかったのだ。
言わなければいけない気がした。
言わなければ終わってしまうと思った。
なにが終わるというのか。
なんだ。
わからないけれど。
ひとまずはノックだ。
力んでいたのかドアに穴が空いてしまった。
穴からのぞくと部屋は薄暗かった。
ベッドの蒲団が膨らんでいる。
姉貴は蒲団で寝ているのか。
呼びかけたが返事はなかった。
もう一度呼びかけた。
今度は優しく。
もし寝ていたら驚かせてしまうかもしれない。
これでも俺は常識人なのだ。
学校なんかに通わなくても勉強はできるし、一般常識は姉貴が教えてくれる。
たまに来る姉貴の家庭教師にだってたまに聞いたりしているのだ。
もう一度呼びかけて反応がなかったら諦めよう。
仕方がないからな。
姉貴、
「もうやめて!」
「姉貴、ジャージ」
「あんた、普通じゃないわよ!」
「ジャージを」
「出てってよ!」
「――――・・・」
「出ていけ!」
それからは何度呼びかけても反応してくれはしなかった。
俺は姉貴を失ったのだとわかった。
●
さらに数年が過ぎた。
あれから俺は両親にお願いして遠い学校に移った。
両親の表情が変わるのを見たことがないが、喜んでくれていることだけは何となく解った。
新しい住処は親戚の家。
雪が降れば完全に道が閉ざされて、春が来るまでは備蓄の食糧で凌がなければならないような山奥。住み慣れた都市に比べれば、はるかに不便な土地だった。
寝るための家は小さく、荒れてはいたものの、戦国時代で見られるような城だった。
内部は、特に荷物もなく、一部の部屋に寝泊まりできるだけの寝具と、小物が置いてあるのみだった。
首に巻いた巨大な数珠と、長い年月をもって使い込まれた道着だけがおっさんの持っているすべてだった。
俺を預かった親戚のおっさんは変わり者だった。
初めて会った俺の図体になんの感想もなく、というか未だに声を聴いたことすら無いほど寡黙だが、とにかく俺を受け入れた。
おっさんは俺と森に入ると、見上げるほどの大樹の根元に腰を下ろした。
河原の石を組み合わせて作られたと思わせる筋肉に覆われた太い腕をゆっくり持ち上げ、ある一点を指で指し示す。
川だ。
快晴の木洩れ日を受けて輝くせせらぎははるか入道雲とともに俺の胸を突いた。
居ても立っても居られずに、俺は着ている服を脱ぎ捨てて、川へ飛び込んだ。
源流が近いのか、水は驚くほど冷たかったが、逃げる川魚を捕まえる欲望が俺の背中を強く押した。
俺が造ったあの谷底に流れる川を思い出した。
いつぐらいぶりだろう。
こんなに涙が流れるのは。
いや、初めての事なのか。
塩辛い。
おれの、はじめて、ながす。
あつくて。
火傷をしそうだよ。
気づけば空が赤くそまるまで、おれは森に棲む一匹の人だった。
おっさんはそんな俺を、じっと見つめ続けていた。
俺はおっさんに感謝した。
もう、何も考えたくは無かったのだ。
今更、誰かに関わるのはひどく煩わしいことだった。
目標が無くなった俺は、転校手続き以来、一度も行っていない学校のことすら忘却し、ひたすらに山野を飛び越えた。
『鬼龍院 皐月』はもう文字だけの存在となって俺の心の片隅に置いてある。
元から文字だけだったともいえるが。
少なくとも、姉貴を失った俺に、『鬼龍院 皐月』と会う理由はない。
やっと気づいたのだ。
姉貴が全力で支えてあげたいという、『鬼龍院 皐月』。
俺は姉貴を通して彼女を見ていた。
顔も知らない彼女を超えることで、俺も姉貴に褒めてもらいたかったのだ。
姉貴が認めた彼女を超えることで、姉貴に振り向いてもらえるんじゃないかって。
なにがヒーローだろうか。
憧れはあったが、俺をここまで走らせたのは、実は姉貴だったのだ。
『鬼龍院 皐月』を理由にしたのは、単なる照れ隠し。
男の子の見栄みたいなものだ。
だって恥ずかしいじゃないか。
姉貴が好きだったなんてさ。
初恋だったんだ。
まったく。
ガキだぜ。
く。
くくく。
くはっ。
あっはっはっはっは。
突然笑い出した俺をおっさんは静かに見つめ続ける。
かつて失われた人の言葉をニューロンとシナプスを使って手繰り寄せながら。
たどたどしくても舌は踊ってくれた。
なあおっさん、聞いてくれよ。
俺、姉貴が好きだったらしい。
それも初恋だったんだぜ?
まったく、ガキだよなあ。
くあっはっはっはっはっはっは!
「オレも初恋は姉だった」
びっくりした。
おっさん、喋れたのか?
「たまにはな」
なんだそれ。
なんちゅう理由だ。くだらねえ。
また笑いがこみあげてきた。
無性におかしくて堪らなかった。
しばらく俺は笑い転げていた。
あばよ、姉貴。
●
そして。
おっさんは死んだ。
ありきたりにガンだった。
普通だった。
何かの極致に至った仙人じみた男は、最後に大多数へと還った。
古びた城だけを残して。
いや、もう一つだけ。
おっさんは格闘家だった。
かつて、忘れ去られた太古の拳術があった。
元が暗殺拳というそれは、永き研鑽の練磨を経て、しかるべき使い手がひとたび戦乱を往くならば、山を砕き、海を裂いたという。
俺は時折やってくる破壊の誘惑を抑えきれなかった。
牙をむく相手はおっさんしかいなかった。
逃げろ、と。
俺はそれでも飛びかかる。
そのたびに、おっさんの拳は俺の骨を圧し折り、蹴りは肉を千切っていった。
容赦ねえ!
俺は自分を苦も無く破壊する理に、心を持っていかれたのだ。
獣を素手で、人が凌駕する。
そんな奇跡をおっさんは体現していた。
再び使う機会もなく、それでいいとずぼらに思っていた、忘れかけた言葉を何とか思い出しながら、俺はおっさんに、その拳を教えてくれと請うた。
最初、おっさんはしぶって俺に教えなかったが、幾度かの衝突を経て俺が模倣し始めると、間違っている拳理を正していった。
俺は人に戻ったのだ。
おっさんの拳をうけて、俺が真似をし、そのたびに間違いを直される。
それはまさに、師と弟子の関係だった。
獣の身体に人の技。
本来ありえざる和合が俺に起こっていた。
真綿が水を吸い取るように、初めからそのために生まれてきたように。
俺はおっさんの拳を体得していった。
遠くのものを撃ち抜く波動の掌。
万物を薙ぎ払う豪脚の術。
天空を舞う龍を落とす拳の理。
奥義、と呼べるものを授かった時には、おっさんは人並みに寿命を使い切っていたらしい。
あっという間の出来事だった。
たった数時間でおっさんは死んだ。
予兆はあった。
だから取り乱したりはしなかった。
いまさら医者にかかろうとは思わなかったらしい。
俺もすすめることはなかった。
ただ、終わるその時まで、今までの分を取り戻すかのように話した。
人と話すのがこんなに嬉しいと思ったのは初めてだった。
悲しいと思ったのも、初めてだった。
全ての後始末を済ませた俺は、ふと思い出した。
そういえば遺言を預かっていたのだ。
おっさんの死後はおっさんの友人を頼れという。
おっさん、友達、いたんか。
ていうか、俺、友達いないじゃん。
なんてこった。
おっさんより寂しい奴なのか、俺は?
いかんいかん。考えないようにせんと。
それよりも、おっさんの友人のことだ。
宛先は、ああ?
何て読むんだ、この字。
「まとい?・・・纏、一身、か?」
ていうか、住所書いてねえじゃねえか。
まあいい。
纏 一身(まとい いっしん)を探すなら、ついでにやっておきたいことがあったのだ。
世界は狭いようで広い。
おっさんみたいな奴がいたのだ。
俺みたいな奴も、いるだろう。
そんな強者を、人間を、俺は見たかったのだ。
その可能性を。
俺は人に会いたいのだ。
やることは決まった。
俺より強い奴に、会いに行く。
キルラキルのシナリオに入るまで、まだまだ先は長いけど、頑張って完走します!
お目汚し、失礼しました。
てか、原作キルラキルなのにしばらくは描写がないとか。
・・・お、怒られないかな(ビクビク)。