●● 2004年2月3日 1時40分 ●●
●● 冬木教会、門前 ●●●
敵対する二陣営の間に生じる膠着は、大きく二種に分けられる。
両陣営の力が拮抗している場合と、優位に立っている側が何らかの理由で動かない時──衛宮士郎が現在直面しているのは、明らかに後者だった。
「合わせなさい」
インカムマイクに掛かりきりなイリヤに気付かれないように、遠坂凜が小声で囁く。
「次に彼女が動いたタイミングが勝負よ。
セイバーにはバーサーカーを抑えさせて。私はありったけの宝石をマスターにぶつけるから、衛宮くんは──」
「ああ、俺も
「違う」
小声で応じた士郎を、鋭く否定する凜。
「あなたは後ろの門を乗り越えて、教会に戻りなさい。教会内は非干渉地帯、聖杯戦争はリタイアになるけど、彼女もマスターなら手出しはできないわ」
「な、なんだよそれ! だったら遠坂も、」
「私はまだリタイアする気ないもの。かくし球のアーチャーもいるし、一人ならこれくらい切り抜けるのは簡単──」
「そんなわけ、あるか!」
思わず、声を荒げる。同時に、こんな時なのに再確認してしまう。
被っていた猫の内側に驚かされてなお、遠坂凜はやっぱり士郎が憧れていた通りの人間なのだ。
「アーチャーはさっきセイバーから受けた傷で、戦える状態じゃないんだろ。サーヴァント無しで此処に残るなんて、死ににいくようなもんだ!」
「……そんなの、やってみなきゃ分からないじゃない。それにどのみち、このままじゃ共倒れよ」
「なら俺が、」
「アンタが残って私が教会に、てのは却下だからね。そんなの時間稼ぎにもならないし……衛宮くんには、桜さんがいるんでしょう」
思いついた打開策を封じられ、臍を噛む。ここで桜を出すのは反則だと思いつつ、その言葉自体には納得する。だから俺も遠坂もセイバーも、全員が助かる方法を見つけだすのだと士郎は考える。
考えて、考えて、考えて、必死に頭を回転させ──
「えっ、ちょっとシグマ! あーーー、もう、何やってるのよ!」
けれどその思考は、イリヤの声に断ち切られる。
今までとは異なる、苛立ちを含んだ声音。それは彼女のインカムの向こう──新都ビル方面で行われている戦闘に動きがあったことを示していた。
身構える士郎。宝石を握り直す凛。二人を守るように、不可視の剣を構えるセイバー。
それらを気にする素振りすら見せず、イリヤはプクリと頬を膨らませる。
「ごめんね、お兄ちゃん。ちょっと用事ができちゃったから、今日はこれでお暇するわ」
あっけらかんと言い放つ彼女を、抱え上げたバーサーカーは肩の上に座らせて、
「次はちゃんと殺すから──楽しみにしててね♪」
そのまま放たれた矢が如く、新都ビルの方向へ跳び去る。
「………………助かった、のか?」
「ええ、そうみたいね」
「周辺に他のサーヴァント、マスターの気配は見当たりません」
脅威が去ったというセイバーの言葉に、息をつく士郎と凛。
「っていうか……なんなのよあれ! あんな化け物をバーサーカーとして召喚するなんて!
それにサーヴァントへの魔力供給と同時に戦闘用使い魔の遠隔操作までこなしてたから──あのマスターも魔力量じゃ相当なものよ」
「──アインツベルンって、言ってたな」
呟いた士郎の言葉に、セイバーの肩が僅かに震える。
「ええ。錬金術を得意とする北欧の魔術名家。聖杯戦争にも毎回参加しているはずだけど──そういえば衛宮くん、なにか知っているの?」
「昔、かあさんが言ってたんだ。親父──養父が本当に愛しているのは、アイリスフィール・フォン・アインツベルンっていう人だって」
「………………………………はぁ!?」
「でもその人は、10年前に亡くなったって──だから、もしかすると彼女が前回の、」
「マスターってこと? 可能性としてはあり得るけど──でも『本当に愛していた人』のことを結婚相手に語らせるなんて、衛宮君のおとうさまも相当ね」
「いや結婚というか、かあさんとも籍は入れてなかったんだけど──でもオヤジはかあさんのことも、愛してたんだとは思うぞ」
胡乱げな遠坂に弁明する士郎だが、それを聞いた彼女は更にその目を細くして──
「なにそれ、それこそサイテーじゃない」
呆れたように呟いた。
「まぁ、いいわ。魔術のためにそーゆー関係を使う家も無いわけじゃないし。でも衛宮くんのおとうさまには、一度お話をお伺いしたいわね──セカンドオーナーに断りもなく冬木に居を構えていたことも含めて」
「それは無理だぞ。親父、もう死んでるし」
「え──それは、ごめんなさい」
「いいって、別に。もう5年も前のことだし」
あっけらかんとした士郎に、調子狂うわーと凛は目尻を揉む。
「でも私も、同盟も組んでもいない相手の身内情報を一方的に引き出そう、なんてのはフェアじゃなかったわね」
その自嘲気味な呟きは効率を重視する魔術師には不似合いで、けれどだからこそ彼女らしい。
「別に、俺は気にしないけど」
「衛宮君が良くても、私は気にするの! 一族の内情なんて、家によっては命を賭してでも隠し通すべき秘奥なんだから」
軽々しく口にするものじゃないのよ、と士郎に釘を刺し、さて、と気を取り直した凛はフワリとコートをはためかせる。
「それじゃ、私も行くわ。そろそろちゃんと自分のサーヴァントの治療もしなきゃいけないし──親切な乱入者さんについても対策を立てなきゃいけないもの」
「……そっか」
「ええ。次に会ったら敵同士だから」
そのまま颯爽と立ち去る──かと思いきや、足を止めた凛は振り返り、
「あと桜さんとのことは──衛宮くんのおとうさまみたいにテキトウにしたら、絶対に許さないんだからね!!!」
今日一番に鋭い語気で士郎に言い放つ。
「いや、なんで遠坂に許されなきゃいけないんだ?」
でもそんな物言いさえ彼女らしいと、士郎は凛を見送った。
「強敵、ですね」
彼女の姿が消えるのを待って、呟くセイバー。最上位の褒め言葉だろうそれに士郎は苦笑して、
「それに勘もいい」
「! マスターも気付いていましたか──あの乱入者に」
「ああ。単なる他の参加者だとしたら、乱入するタイミングが妙すぎだ」
イリヤと名乗ったマスターを、狙撃しようとした見知らぬ敵──にしてはあの乱入者は、攻撃が手緩すぎたのだ。
確実に仕留めるつもりなら、狙うのはバーサーカーの意識が最も
それなら仕損じても
素人マスターがよほど突拍子もないコトを仕出かさない限り、確実に訪れるはずだった好機。それを待たずに動いたのは──
衛宮邸に戻る道すがら、認識を確かめ合う二人。冬木大橋への近道である中央公園に足を踏み入れたところで、セイバーは【直感】に導かれた答えを口にする。
「あの狙撃のタイミングは、バーサーカーから私やマスターを守ろうとしていたようにしか思えない。マスターは、そんなことをする人物に心当たりがあるのではないですか?」
「ああ──……それは、」
「待ってください──」
言い淀む士郎を押し留め、彼の前に踏み出すセイバー。その双眸は彼ではなく、人気のない公園遊歩道の更に奥に向けられていた。
「結界が張られています。バーサーカーの気配ではない、全く別の何者かです」
話を中断した彼女の視線、その先に浮かぶ影。
目を凝らした士郎は息を呑み、
「美綴!?」
人影──所属している弓道部部長、美綴綾子に呼びかけた。
深夜の公園に佇む、制服姿の同級生。その顔色には遠目にも生気がなく、足取りも覚束ない。
「お前、どうしたん──」
「いけません!」
違和感よりも彼女への懸念で駆け寄ろうとした士郎を、セイバーが制止。
それに反応するように美綴は宙へ浮き上がり──否、美綴を抱き上げた虚影、サーヴァントが実体化する。
黒を基調としたタイトなドレスに、身を包んだ女性。
足元まである濃紫色の髪を靡かせて、バイザーに隠されているはずの瞳で士郎を睨めつける。
蠱惑的な笑みを湛えた口がほんの僅かに開き、チロリと覗いた舌が付着していた血を舐め取る。
そう、血──魔力供給の媒体を成すと同時に、体内を循環し人を生存たらしめる体液。
抱きかかえた美綴綾子の首筋から、吸血種と思しきサーヴァントはそれを啜っていた。
驚きと焦り──その両者を、意志で抑え込む士郎。美綴がどれだけの血を奪われたのかは、分からない。だが彼女を救うため、いまの士郎に必要なのは狼狽ではなく冷静さで──
「──驚いたなぁ」
けれどそんな士郎の自己制御は、木陰から現れた新たな人物に打ち砕かれる。
「誰かと思えば、衛宮じゃないか」
士郎とセイバーに対峙しつつ、顎をしゃくってサーヴァントに美綴を歩道へ降ろさせる。
どう見紛えてもマスターと断じざるを得ないその人物は──
「──慎二」
衛宮士郎の恋人である少女の兄だった。
●● 2004年2月3日 1時58分 ●●
●● 雑居ビル区画、路地裏 ●●●
混乱度合いだけで比するならば、実のところ今のイリヤは衛宮士郎と大差ない。両者を隔てるのは彼女の自信──いざとなればバーサーカーがどうにでもしてくれるという確信だけ。
とはいえ、イリヤにも言い分はある。
弟分扱いな使用人が魔術使いの返り討ちに合いかけたので、「まったく仕方ないわねシグマは」とバーサーカーで駆けつけてみれば、当の本人が──
「言ったじゃないですか──死んだらダメですよ、って」
「ああ。すまない」
なんて緊張感のない会話を見知らぬ少女と交わしていては、混乱するなと言うほうが無理な話だ。
「なによ、シグマ。そいつ知り合いなの?」
「いや──だがそういえば、イリヤには話したか」
常と変わらぬ、淡白な返答。そこから彼に暗示の類が施されていないことを確認し、バーサーカーを顕現させたまま続きを促す。
「昨日、街を歩いている時にも会った、」
「ああ、いきなり『死んだらダメ』って注意されたっていう──それで今日は、本当に助けられちゃったってわけ?」
使用人の不甲斐なさに、脇に手を当て立腹するイリヤ。ちなみにシグマに駆け寄って蹴飛ばさないのは、恩人である少女の眼前であるからと──未だ接続中であるデータリンクで、屋敷にいるセラが罵詈雑言の限りを尽くしているからに他ならない。
「アインツベルン家が継嗣、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと申します。
我が家の使用人を助けていただいたそうで──失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
「はい──間桐桜です」
「──へぇ。あなたがマキリの、」
『フォン』を冠する貴族に相応しい口上とカーテシーで礼を表するイリヤだが、相手の答えに目を細める。彼女の空気が魔術師のそれに切り替わったことに、桜はまるで気付かぬ様子で──
「はい、マキリの悪い虫さんです。
あっ、でもマスターじゃありせんよ──サーヴァントは兄さんに取られちゃいましたから」
ワシャワシャと両手の指を蠢かすジェスチャーと共に、朗らかに微笑んで見せた。
アインツベルンがシグマを獲得したのが5年以上前。
それ以来の付き合いであるイリヤとシグマは、それぞれ弄られすぎた肉体の成長が止まっていて、
シグマの実年齢 > イリヤの実年齢 ≧ シグマの外見年齢 > イリヤの外見年齢
……外見的にも実年齢でもシグマのほうが上なんだけど、『イリヤの実年齢 ≧ シグマの外見年齢』が成立しているせいで、イリヤは時折シグマのことを弟扱いしています。
次回、
マスター同士