Fate/dear my family   作:和間

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桜はまだ高校に入学していないため、大河を「藤村先生」ではなく「藤村さん」と呼んでいます
……公式で、この時期の呼称がどうなってたかって出てたっけ?


【1年前】割れなかった皿と割れた玉子

●● 2003年2月16日 12時52分 ●●

●● 衛宮家、台所 ●●

 

 衛宮家の台所でその皿が割れなかったのは、藤村大河の運動神経の賜物だった。

 

 皿が自由落下を初めた瞬間にスライディング。台所の床上10cmで、伸ばした右手に見事キャッチしてみせたのだ。

 

「流石ですね、大河さん」

「はっはー、これくらいはお任せください、マイ姐さん!」

 

 床に伏せたまま左手でビシリッと敬礼する大河から、久宇舞弥が皿を受け取る。

 ちなみに皿が割れそうになったのは間桐桜が取り落したからで、彼女が青ざめた顔で立ち尽くしているのは舞弥が告げた言葉のせい。

 

「桜さんも再来月には高校生で、環境を変えるのにはいい頃合いでしょう。

 ですので──春以降、間桐慎二さんの妹であるあなたにはこの家を訪れることを禁じます」

 

 季節は冬。

 桜が初めて衛宮家を訪れてから半年、久宇舞弥に銃を突きつけられたあの日からは四ヶ月が経過していて、二ヶ月後の4月からは士郎が通う穂郡原学園に桜も入学することが決まっていた。

 

 

 

 桜にとってこの半年は、目まぐるしい日々だった。

 衛宮士郎に料理を学び、久宇舞弥からは掃除や洗濯の細々とした指導を受けた。

 藤村大河から──教わることはあまりなかったが、彼女といるだけで不思議と穏やかな気持ちになれた。

 

 クリスマスの夕餉では士郎の手伝いだけでなく、彼女独力でも一皿を拵えて皆を喜ばせた(出来そのものは、士郎の料理や舞弥のホールケーキに比べれば全然お粗末だったけれど)。

 

 冬休みは日中のほとんどを衛宮家で過ごし、勉学の復習と高校入試対策に取り組んだ。

 甲斐あって今月初めの高校入試では第一希望の穂郡原学園に無事合格――張り出された紙に自分の受験番号を見つけた時には、一緒に来てもらった士郎の腕に思わず抱きついてしまった。

 

 嬉しいと、楽しいと、心から思うことのできる時間。

 劇的な変容こそないものの、かけがえのない日々。

 

 それが桜に与えた影響の大きさは、魔術師であると兄に知られた二年前や、間桐家へ養子に出された十年前にも匹敵するだろう。

 

 この家で士郎といる時に、彼女はよく笑うようになった。

 そして舞弥といる時には、涙を見せるようにもなった。

 

 間桐家で行っている『魔術修練』については、まだ、話せていない。

『干渉しない』と言っていた舞弥も何かを尋ねることはなく、ただ二人きりの折に自身の生い立ちをぽつぽつと口にした。

 

【名も与えられぬ幼年兵】【輪姦による妊娠と出産】【精神(こころ)が壊れて永らえた生命(いのち)

 

 それは桜の境遇にも少し似て、でもきっともっと凄惨な過去。

 なぜ話したのかと問う桜に、知ってほしかったのだと思うと舞弥は言った。

 

 知ってほしい。彼女にそう思ってもらえたことが、衛宮士郎に褒められた時と同じくらい嬉しかった。

 彼女に認めてもらえて、10年前に失った『家族』というものを再び得られた気さえして、

 でも結局そんなもの、自分の勝手な思い上がりに過ぎな………………

 

「ふに────!」

「ファ、なニフォするンでフュか、藤村さん!」

 

 のそりと起き上がった大河に両頬を掴まれ引き伸ばされて、桜が抗議の声を上げる。

 

「いやー、桜ちゃんってばなんか深刻そうな顔してるもんだから……つい?」

「つい、で人のほっぺたを引っ張らないでください!」

 

 こぼれかけた涙を痛みのせいだと誤魔化して、憤然として見せる。

 

「でもマイ姐も、さっきのはあんまりだと思うっすよ?」

「そうでしょうか? 必要な情報は伝わっていると思いますが」

「だからって、もう少し言い方がーー」

「そういう機微には疎いので。それに今の状態が望ましくないことは、大河もわかっているのでは?」

 

 舞弥に瞳を覗き込まれ、たじろぐ大河。

 大河がたじろいだという事実に桜が動揺し、動揺に気づいた大河がしまった、と額に手を当てて──

 

「ってちょっと、マイ姐さんどこ行くんですか!?」

「買い忘れていたものがあったので、隣町まで。二、三時間は戻りません」

 

 ちなみに休日の午後である現在、士郎はコペンハーゲンにて倉庫整理のバイト中。

 つまり、二人だけにするから後のフォローはよろしく、と屋敷の女主人は仰せなわけだ。

 本当にさっさと部屋を出ていく舞弥に目を丸くして、ウガーと天井に吠えかけつつも大河は桜に向き直る。

 

「ごめんねー、桜ちゃん。マイ姐ってああいうひとだから……って、なんで私がフォローしてるんだーって話なんだけどさ」

「──いえ。私なんかのせいでお二人の仲が悪くのなるなら、そちらのほうが申し訳ないです」

「お二人って、私とマイ姐の?」

 

 恐縮する桜に、首をかしげる大河。

 

「それこそ気にする必要無いわよ。仲が悪くなるも何も、私とマイ姐さんはそもそもコイガタ──おおっと!」

 

 うっかり口に仕掛けた単語を呑み込んで、ああうーん、でもそこを説明しないとゴニョゴニョ、と珍しく言葉を濁らせる。

 それでもすぐに腹を括って、桜をこたつに誘う彼女の右手には──琥珀色の液体が入った小瓶とグラスが握られていた。

 

「それって、こないだ舞弥さんが取り寄せたケーキ用の──」

「いーの、いーの。これは正当な報酬というか、必要経費というか──そう! 大河お姉さんにもシラフではしにくい話もあるのです!」

 

 とはいえそこで製菓用高級ブランデーを取り出すのは、明らかに舞弥への嫌がらせだ。

 

「で、だ。勘違いされるのは嫌だから最初に言っておくんだけどーー

 私は桜ちゃんがこの家に来るの大歓迎だし、それはきっとマイ姐も同じだよ」

 

 こたつに座って向かい合い、グラスに注いだ液体をチビリと舐めつつ大河は桜に直言した。

 

「ですが舞弥さんは、私はもうこの家に来ては駄目だって──」

「うん。正確には『間桐慎二の妹である桜ちゃん』には、ね」

 

 その指摘は、たしかに事実。

 大河は知らぬことではあるが──名前を出された間桐慎二は魔術の才を持たぬ一般人だ。舞弥が問題視しているのが桜の魔術師という属性なら、そんな兄の名など出さずに『間桐の娘』と言っていただろう。

 

 とはいえ現状、桜と衛宮士郎との関係は兄の慎二を介したものでしかない。

 それを禁ずるというのなら、彼女はこの家と全くの無縁になってしまう。

 そう指摘する桜に、大河はヌッフッフッーと、ブランデーを含んだ唇をくにゅりと曲げる。

 

「今は無いんなら、これからつくればいいじゃない」

「つく、る……」

「そう。つまり、だ

 ──You、告っちゃいなよ♪」

 

 告る……告白する:キリスト教で自分の信仰を公にすること。あるいはカトリックで、「洗礼を受けた後に犯した罪を──」

「罪を打ち明けてどうすんのさ!」

 

 大河渾身の空手チョップがズビシと桜の脳天に炸裂し、彼女の思考を再起動させる。

 

「気持ち──この場合は自身の恋愛感情を打ち明けて、相手に交際の可否を問うことに決まってるでしょーが」

「れ、れんあい──こうさいの、かひ」

 

 あ、でもまだちょっと挙動が可怪しいらしい。

 顔を赤くしてあぅあぅする桜をしばし愛でてから、大河はささやくように言う。

 

「シローのこと、誰かに取られちゃってもいいの?」

 

 そう例えば外国のお嬢様に見初められ、彼女の招待で定期的に外国へ行くようになって。

 あるいは寡黙な同級生が、いつも寄り添うように彼に付き従って。

 さらには元気で明るい年下の美少女が、ある日突然押しかけてきて。

 

 その誰に対しても、士郎は決してまんざらでもなさそうで──

 

「先輩はそんな人じゃありません!」

 

 思わずムキになった桜に、大河は意味ありげに微笑む。

 次いで、グラスに八割ほど残っていたブランデーをくいと一気に半分空けて、

 

「シローがそうじゃなかったとしても、そういう『誰か』は出てくるかもしれないよー。

 ──────だって現に、私は盗ろうとしてたもん」

 

 えっ、と顔を上げた桜から、大河は瞳を逸らしていて──

 いや、逸したのではなく。彼女の双眸は障子の向こう、庭に面した縁側の──今はもう腰掛けていない誰かへ向けられていた。

 

「桜ちゃんはさ、舞弥姐さんがなんで久宇舞弥なのか知ってる?」

 

 それが初めて作った偽造パスポートで使った名前だということを、桜は舞弥から聞いている。ただ大河が言っているのはそういうことではなく、

 

「シローは、衛宮士郎なのに」

 ──そして『衛宮切嗣の養子』である彼は、舞弥のことを『かあさん』と呼ぶのに。

 

「衛宮切嗣さんは知ってるでしょ、シローのお養父さん。

 あの人にはさぁ、好きな人がいたの。たしか、アイリスフィールさんっていう北欧のお嬢様。10年前にお亡くなりになったらしいんだけど、ただマイ姐ともそれ以前からの関係だった」

「それって、浮気──」

「アイリスフィールさんとマイ姐も面識があって、お互いに関係も全部知って納得していたっていうから、普通のそういう関係とはちょっと違うと思うけどね。

 でもだから、アイリスフィールさんが亡くなってここでマイ姐と暮らすようになってからも、二人は籍は入れてなかった」

 

 シローは養子にしたんだけどね、と懐かしげに言う大河は、あぁ当時のシローちっちゃくて可愛かったのよー、今度写真見せたげる、と笑う。それからちょっと躊躇って、グラスに残っていたブランデーを景気づけに流し込み、

 

「でもさー。一緒に暮らしてても結婚はしてない、ていう分かりにくい関係の二人でしょ。傍からは付け入る隙がありそうかもって見えちゃうのよね。

 当時、切嗣さんに一目惚れした美人女子高生がいてね。近所に住んでた彼女は勝手に家へ押しかけて、彼にはあなたなんかより私のほうがふさわしいんですー! っていっつもマイ姐に突っかかってた」

 

 そんな人が、と大河の話に聞き入る桜はその内容を反芻し、アレレそれって、と首を捻る。

 

「その女子高生って、もしかして──」

「うん。切嗣さんが亡くなられたあともちゃっかり家に入り浸り続けて。今も舞弥姐さんの妹分兼シローの教育係として、毎日ご飯を相伴になってる」

 

 赤く火照った顔をブランデーのせいだと誤魔化して、大河は桜に向き直る。

 

「切嗣さんのことは──うん、まだ、好きなんだけどさ。でも女性関係についてまで、シローに見習ってほしいとは私もマイ姐も全く思ってないのだ」

「でも先輩にとって切嗣さんは、命の恩人で憧れの人で──」

 

 だから、懸念する。

 士郎もまた切嗣のように複雑な女性関係を築き上げはしないか、と。

 

 いやまぁ現時点においては考えすぎだと思うけど、でも士郎にだって突然外国から金髪美少女が訪ねてきたり、才色兼備な学校の同級生が家に押しかけてきたりする可能性もなくはないわけで。

 

「でもそーいう時でも、すでに決まった人がいればそれ以上発展しないでしょ?」

 

 逆に今の桜のような曖昧な立場の人間が、毎日家に通っている状態は決して『望ましくない』。だから舞弥は春以降、『友人の妹』が家に来ることを禁じたし、

 

「私としては、桜ちゃんが『恋人』としてシローを繋ぎ止めてくれれば嬉しいなー、って思っているのよ」

 

 こたつ机からずずいと乗り出し、大河はほんのり紅潮した顔をコロンと傾ける。

 

「だめ、かな?」

 

 彼女の期待に、答えたいと思う。

 もちろん桜自身だって、そうなれたらどんなにいいだろうって思っている。

 

 でも──だめだ。

 藤村さんがそんなことを言えるのは、本当の私を知らないから。

 身体(からだ)中をマキリの蟲に侵され、精神(こころ)ではそれを恥じ入りながらみっともなく生き足掻いている。

 穢れた己を周りから隠して、みんなを騙して平気な顔で一緒に笑顔を浮かべている。

 卑怯で、醜く、淫靡な、自分勝手で、そんな恥知らずで最低な人間が、先輩に相応しいわけ──

 

 ──────ズキリ、と、側頭に電流を流された気がして。

 強引に呼び起こされた記憶の奔流が、桜の思考を中断させる。

 

 

 

 ──物心ついた時にはもう、銃の扱いを覚えていました。それで命じられた人間を撃てば、その日の食事が保証されることも。

 ──『初体験』というのをしたのも、多分そのころ。『入れられる大きさ』にまで成長した女の子は、大人たちに毎晩輪姦されていましたから。

 ──初潮が来てすぐ妊娠して、でも産んだ子はすぐに取り上げられて、名前もつけてあげられませんでした。

 

 

 

 洗い物をしながら。あるいは洗濯物を畳みながら。

 桜と二人きりになった折に、舞弥が淡々と語った言葉(過去)

 

 ああ、そうか。そういうことか。

 なにが「知っておいてほしかった」だ。

 

 あれは、呪いだ。間桐桜を真っ直ぐ立たせて、前へと踏み出させるための。

 

 だってあの人は、衛宮先輩の母親で──母親として、相応しくないはずがなくて。

 でもそれを認めてしまったら、あの人よりずっとマシな経験しかしていない自分のことも、先輩に相応しくないと定めるなんてできなくなる。

 

「ヒドイ、こんなの──」

「えっ、あっ、ゴメン! 桜ちゃん! 私、ちょっと調子に乗りすぎた!?」

 

 両手で覆った顔を俯ける桜に、こたつ机越しの大河が慌てて身を寄せる。

 イヤイヤするように首を振る桜の、手の隙間から大粒の涙がボロボロ溢れ出る。

 

「ぃが、ぅ──ちがう、んです。やさ、しくて。藤村さんも久宇さんも、こんな私なんかのためにすごく優しくしてくれて」

「もー、『こんな』なんかじゃないよ、桜ちゃんは。すっごく良い子なんだから、優しくしたくなるのは当たり前じゃない」

 

 だからほら、泣かないでー、と桜を抱きしめて、大河は幼子をあやすように彼女の背中を擦る。その感触が心地よくて、申し訳なくて、なのに嬉しくて。恥ずかしくて、やるせなくて、もう頭の中がぐちゃぐちゃで。それでも声だけは押し殺して、桜は大河が貸してくれた胸に顔を押し付ける。

 

 五分ほども、そのままでいただろうか。

 やがて跡切れ跡切れになった桜の嗚咽が、肩の震えと共に止まる。

 

「ごめんなさい、お洋服を──」

「いーって、いーって、これくらい。こっちこそゴメンね、好き勝手に私の願望だけ言っちゃって。ほら」

 

 ゆっくりと身を離した大河が、桜の頬に残った涙をハンカチで拭う。それでも、

 

「うーん、ちょっと跡が残っちゃうかな?」

 

 泣きはらした桜の目尻は赤く腫れてしまっている。

 

「そうだ、桜ちゃん。お化粧って、したことある?」

 

 いたずらを思いついた子供のように、大河は顔を輝かせ、

 

「ちょーっと、待っててねー」

 

 と立ち上がった彼女にとって、ここは勝手知ったる他人の家。

 家主がどこに化粧品を保管しているかくらい、その恋敵である冬木の虎はちゃーんと把握しているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●● 2時間後 ●●

●● 衛宮家、玄関 ●●

 

 鍵を使わず、戸を開ける。

 

「ただいま」

 

 という言葉に返事が戻ってくることを、衛宮士郎が期待するようになったのは数ヶ月前からだ。

 

 母親代わりの久宇舞弥は一年の半分は家にいないし、あれでも教師である藤村大河の帰りは大抵士郎より遅い。だけどまだ中学生である慎二の妹は、学校が終わるのも彼より早くて。誰かが迎えてくれる家に帰る、という習慣は、切嗣が臥せって家にいるようになったあのころ以来のことだった。

 

 とはいえ、本日はちょっといつもと違うようで、

 

「お、おかえりなさい、先輩」

 

 と応える桜の声は、なぜか若干上ずっている。

 

 なにかあったのかと思いつつ、原因に検討はついている。

 休日である今日は大河も家に来ているはずで、だから彼女は今度は何をやらかしたのだろう、とため息まじりに玄関へ上がり、

 

「あ、おかえりー、シロウ。早かったじゃない」

「ああ、バイトの倉庫整理が順調に終わって。ついでに買い物もしてきたんだけ、ど──」

 

 息が、止まった。

 スーパーの袋が右手からすり抜け、クシャリと音を立てて床に落ちる。

 そういえば購入品の中にはSサイズ鶏卵10個パックも入っていた、なんてどうでもいい思考がよぎる。

 

「せ、先輩?」

「あ、ああ」

 

 おそるおそるの桜に、かろうじて頷く。うなずいて、誤魔化して、曖昧にやり過ごす、つもりだったのに、

 

「今日の桜は──なんていうか、すごい綺麗だ」

 

 桜に覗き込まれた士郎は、自然と口を動かしていた。

 

 

 目元の泣き跡をごまかすために、軽くファンデーションを叩いて。ついでにうっすら紅を引き、髪をいつもより丁寧に梳かす。あとはまつ毛を僅かに整えただけという大河が施したナチュラルメイクは、桜の魅力を十全に引き出していて──

 チークは使っていないその頬に、士郎の言葉が朱を入れる。

 

「あ、あの──その、ありがとうございます」

「いや、俺の方こそ変なこと言ってゴメン」

 

「ねー、桜ちゃん。大河お姉さんの言ったとおりでしょ?」

 

 オロオロとする桜の肩を大河が後ろからと掴み、嬉しそうにグイグイ揺さぶる。それに桜がコクリと小さく頷いて、そんな何気ない素振りにもゴクリと士郎はつばを飲む。

 

「でも、そうか。桜も4月からは高校生だもんな」

 

 自身の赤面に気づくまいと、誤魔化すように言う。

 

「来月の初めには15歳になるんだし、」

「え、先輩。どうして知って──」

「? かあさんから聞いたんだけど──3月2日だろ、桜の誕生日」

 

 なお、その誕生日ケーキ用にと仕入れたブランデーを呑み干した大河は、今夜小一時間ほど舞弥に説教される運命なのだが、それはさておき。

 

「そうだ、桜。誕生日プレゼント、なにか欲しい物とかあるか?」

「それならー」

 

 と割り込んだのは、ほろ酔い気分の高校教師。桜の耳元に口を寄せ、コショコショコショと何か吹き込む。きっと碌でもないその耳打ちは、既に朱かった桜の頬の血行を更に促進させ──とはいえ感情を出すことにあまり慣れていない彼女にとって、これは本当の本当にもう限界だったらしい。

 プシュゥという擬音と湯気を幻視させながら硬直し、そのままアウアウ呻きながら揺らめいて……ゴスン、と頭を壁にぶつける。

 

「いや、その、、、大丈夫か? 桜」

「あはは、ごめんねー、桜ちゃん」

「はい……いえ、、、ごめんなさい。やっぱりダメそうなので、今日はもう、帰ります」

 

 鼻を押さえて涙目で、それでもどこかのぼせた表情の桜が応える。

 そのままフラフラ、玄関のほうに向かう足取りを──けれど途中でハタと止めて振り返る。

 

「それと、藤村さん。さっきのお話は──前向きに、検討してみようと思います」

 

 そう言って一礼する桜の姿に引き締まったものを見て、だから士郎はほっとする。

 

 よく分からないが、桜が前向きになれたならよかった……こんな藤ねえでも、人の役に立つことはあるらしい。

──何をするつもりかは知らないけれど、がんばれ桜! 

と、当事者意識は微塵もなく彼女を応援する士郎。

 

 ちなみに彼が拵えたその日の晩飯のメインは、落として割れていた卵(Sサイズ10個パック)を使った特大サイズの卵焼きだった。




桜にとっての衛宮切嗣→→→正義の味方を自称する、女の敵

うん、まぁ、しょうがないよね。

次回:【10ヶ月前】入学式後の校舎裏
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