燃えている。
家が、燃えている。
人が、燃えている。
空が、燃えている。
紅の焔が地表を覆い、全てを舐め取り焼き尽くしている。
だから、きっと自分も燃えている。
だって友達も、両親も、過去の記憶さえ焼け付きて、なのに自分だけ燃えずに残っているなんて
だけど、これは過去の光景で。
このあと切嗣に助けられた自分は生きてこの夢を見ているのだと、衛宮士郎は本当は分かっている。
それを嬉しいと感じてしまうことが、悔しくて恥ずかしい。
辛いと感じてしまうことが、申し訳なくて情けない。
だからそんな思いを克服したくて、助けてくれた切嗣のようになりたいと憧れた。
彼がなりたかったという「正義の味方」を、自分も目指すのだと決めた。
だからここはきっと、衛宮士郎の原点だと──その終着駅である黒い太陽を見上げて思う。
夢の終わりにいつも見る、宙に浮かんだ虚無の穴。
泥のような炎を溢れさす、災厄の始点にして象徴。
いつもなら目覚めが近いことを知らせるその存在に、今日は不思議と魅入られる。
士郎が見つめるその穴も、何故か士郎に優しく微笑みかけている気がして──────
●● 2003年10月4日 16時50分 ●●
●● 衛宮邸 ●●
「──ロウ。起きなさい、士郎」
「んぅ……。 あぁ、かあさん」
聞き慣れた声で目を覚ます。頬に張り付くビニールシートに、ここが土蔵だと理解する。
見下ろす舞弥の無表情に呆れの色を見出して、士郎は慌てて身を起こす。
「ゴメン、寝てた」
「見れば分かります。あなたたちは──よく似ていますね」
「え?」
「あの娘も寝ています。起こしてあげなさい」
端的すぎる説明だけで土蔵から立ち去る舞弥を、士郎は慌てて追いかける。
今日は土曜日で部活も休み──なのに舞弥が早朝から桜を外に連れ出して、残された士郎は昼食後からストーブ修理をしていたのだ。
土蔵の外に出た士郎を、照らし出す夕日。その眩しさから見ていた夢を連想し、ブルブルと首を振る。ようやく意識を覚醒させた士郎が発見した桜は──舞弥の大型バイクに横付けされたサイドカーで、ヘルメットのままスヤスヤ寝息を立てていた。
「桜―、起きろー、風邪引くぞー……。
──────お客さん、終点ですよ」
「え、嘘!? 乗り過ご、、、って、先輩!」
身を乗り出そうとした桜がフロントガラスに頭をぶつけ、ヘルメットを抑えた彼女に士郎が小さく吹き出す。頬を膨らませた桜が大仰に拳を振り上げて──
「士郎、今日の夕食はどうしますか──桜さんも、食べていくんでしょう」
恋人たちのじゃれ付きに、男の義母が声をかける。
「いえ──今日は御暇させていただきます」
と答えた桜は僅かに頬を染めつつも、シュッと畏まっている。
「家で、夜までにやっておきたいことがあるので」
「じゃあ俺は、桜を送ってくる。ついでに夕飯の買い物もしてくるから」
「分かりました。大河には夕食は遅めになると伝えておきます」
弓道部顧問である大河は、部活が休みの本日も学校に出勤中。新人戦敗退によって余った寄付金の処理を、生徒会と折衝しているはずだ。
夏のインハイでは全国まで進んだ弓道部男子団体は、けれど先日の大会では地区予選敗退と不甲斐ない結果に終わっていた。
「それでは失礼いたします」
と礼儀正しく桜が一礼、衛宮邸を後にする。
その一連の動作に未だ残る緊張を読み取った士郎は、気遣うように彼女の隣、歩道の車道寄りに位置取った。
「無理してないか、桜」
「無理、ですか?」
「いや、今日もかあさんが強引に連れ出してたし。嫌ならちゃんと、断っていいんだぞ」
士郎が桜と正式に交際を始めてから、舞弥は月に一度ほど彼女を連れて外出する。どこで何をしているのか、尋ねても「女同士の秘密」とはぐらかされるだけ。ただ帰路で寝入った本日然り、戻ってきた桜は疲れ切っていることが多い。
「舞弥さんには、すごく良くしてもらっています。無理しているように見えたなら、それは私が勝手に緊張してるだけですから」
「それってやっぱり、かあさんを苦手にしてるってことじゃないのか?」
否定する桜に、食い下がる──別に先日美綴から吹き込まれた【一般的な嫁姑問題】を思い出したわけではないが。
「苦手だけど、嫌じゃありません。舞弥さんのことは尊敬してるし、私もああいうふうにならなきゃって思っています。でも上手くできないことも多くて、だから私は舞弥さんのことが──好きだから苦手なんです」
「そりゃまた、難儀な性分だな」
でもそれなら良かったと、伸ばした右手で桜の頭をポンポンと撫でてやる。
そこには桜を労うのと同時に、彼女を独り占めしていた舞弥への嫉妬心も混じっていて。
そんな士郎の気持ちを知ってか知らずか、桜も士郎の掌に額をグイグイ押し付ける。
じゃれ付く桜の前髪から、士郎の指が彼女の頬、次いで首筋へと移る。
「くすぐったいです」と微笑う彼女が猫みたいに可愛くて、ああこれ以上はヤバいと引っ込めた右手を桜の左手が搦め捕る。
ドクン、と、心臓が跳ねて、その振動が彼女に伝わりやしないかと心配になる。
そんな士郎の緊張にまるきり気付かないように、桜は繋いだ二人の手と手を嬉しそうにブンブン振るう。彼女が何が楽しいのか分からないのが楽しくて、大きな歩幅で踏み出た士郎は繋いでいる手をグイと引く。惹き寄せられた桜はそのまま士郎の腕を抱きかかえ、コクンと傾げた自身の頭を彼の右肩にあずけた。
気恥ずかしさすら心地よく、そのまま無言で歩む二人。
西洋建築が立ち並ぶ丘の緩やかな上り道を辿り、間桐邸が見えてきたところで桜がそっと身を離す。
「そういえば──」
右手から離れた体温の名残を惜しむかのように、士郎は桜に問いかけた。
「最近、慎二の様子はどうだ? 部活では気落ちしているようには見えなかったけど」
士郎の言葉は私見ではなく、弓道部における共通見解──だがそれ故に、慎二を案ずる部員がいるのも事実である。
夏に勝ち進んだ全国大会、二回戦での敗退を最も悔しがったのが慎二だ。しばらく大いに荒れた彼はそれから人一倍猛練習、その熱心さは美綴の目さえ見張らせるもので──けれど先日の新人戦では、彼の連続失中が原因で男子弓道部団体は地区予選で姿を消した。
にもかかわらず落ち込んだ様子も、荒れ狂う素振りも見せない慎二──夏の大会後の彼を見知っている部員たちからすれば、今の姿は逆に異様だ。嵐の前の静けさか、と恐々するものがいるのも当然と言えた。
「先輩も、心配しているんですか──兄さんのこと」
「いや、実はそうでもない」
士郎の意外な返答に、問うた桜が首をかしげる。
「最近の慎二は、何かやるべきことを見つけたように見えるから。
試合で落ち込まなかったのも、その『何か』が弓道とは関係ないからじゃないか?
まぁ俺の勝手な想像だし、もしそうなら弓道部員としてはちょっと残念だけど──」
でも慎二自身が決めたのならば仕方がないだろう、と当たり前のように頷く士郎。
確かにそうかもしれません、と彼の言葉を肯定しつつ、桜は顔を翳らせる。
「兄さん──最近は家でも部屋に籠もっていて。何をしているのかは教えてくれないんです」
「そうか。ああでも、もしまた桜に対して何かしようとしたなら──」
引き締めた顔で、桜に向き直る士郎。気分屋な慎二は、かつて鬱憤解消のため桜へ暴力を振るっていた時期があった。
「大丈夫、です」
胸の前に突き出した両手をギュッと握りしめ、桜は士郎の杞憂を晴らす。
「その時はちゃんと先輩に言いますし──それに兄さんがもしそうしようとしたら、私より先輩のほうが先に分かるんじゃないですか?」
「俺が?」
「はい。今だって兄さんが『やるべき何かを見つけた』こと、ちゃんと理解していましたし」
互いに分かり合っているみたいでちょっと灼けちゃいます、と頬を膨らませてみせる。
冗談めかしたその口調に本音が混じっていることに、気づいた士郎は頬を掻いた。
「だいたい先輩は、雰囲気ってものが分かってないんです。
さっきの起こし方だって──なんですか、あれ!
『終点ですよー』って、私は仕事に疲れて花金で呑みすぎたOLさんじゃないんですよ!」
「いや、あれは桜がすごく気持ちよさそうに寝ていたもんだから、つい──」
「百歩譲ってそうだとしても──もっと恋人にするのに相応しい『つい』ってあると思います」
桜の言及はいつの間にか恋人へのダメ出しになっている。
たじたじの士郎はなるほどと考えてから首を捻り、
「ふさわしい『つい』って、いったいなにさ?」
「それは────はぃ、ええっと……」
答えようとして、口ごもる桜。その顔は赤くなっていて、
「わ、分かりました。お手本をお見せしますから、先輩は目をつぶってください」
それでも毅然と言い放ち、桜は士郎に向き直る。
何故か鬼気迫る様子の彼女に逆らえず、目を閉じる士郎。
丘の中腹ゆえ沈みきっていない太陽が二人を輝き照らし、瞼に映るその赤さにあの夢を思い出しかけた士郎は──
──両肩をグイと掴まれて、
────僅かに俯いた唇に、クチュリと生温かながら快い感触を押し付けられ、
──────次いでゴチンと、歯に硬い衝撃を受けて悶絶した。
「失敗、しまし、た…………」
慌てて目を開けてみれば、桜も士郎と同様に口を抑えて俯いている。
「桜、今のって──」
「お手本です、起こし方の! ちょっと勢いが付きすぎましたけど────
でも恋人同士なんですから、もっとこういう『つい』があってもいいと思うんです!」
力説する桜に、今更ながら起こった出来事を把握して、カァァと頬が熱くなる。
でも、まあ、正直に言えば、桜にそう言ってもらえることはすごく嬉しい。
「うん、わかった。頑張る」
「は、はひ。期待しています」
二人揃ってテンパって、互いの顔を直視できず、それでも士郎が上げた視線は桜の眼差しとぶつかって──自分以上に赤く染め上がっている恋人の顔に、士郎は本当に頑張ろうと決意する。
「それでは、今日は──ここで大丈夫ですから」
「うん、じゃあ──また明日な」
「はい。明日もよろしくおねがいします」
そう言って、間桐邸の門へと掛けていく桜。その後姿を見送りつつ、士郎は未だ若干痛む前歯へ無意識に手を当てる。
桜の同じ箇所と正面から衝突したのだろうそこは、今は痛みさえ心地よくて──でも同時に感じたあれは、流石に気の所為だろうと思う。
だってアレは、桜のじゃない。じゃあなんでそんなものを感じたのかと言われれば、そっちのほうがよほど問題である気もするが──
「それじゃ、俺も帰る──前に、買い物買い物」
頭を振って雑念を払い、いつの間に沈んだ太陽を探して地平線へと目を向ける。
顔を差す僅かな残照が、士郎に先程の感触を再び反芻させて──
──衛宮士郎の初キスは、養母がときおり燻らせている硝煙の匂いがした。
恋人である二人の、日常。
今回の改変点
・部活に復帰した士郎の活躍もあり、穂群原学園弓道部は夏の全国大会に出場。
ただし秋の新人生は、地方予選にて敗退。
……高校弓道部については簡単にググった知識だけで書いているので、大会日程その他誤りがあったら感想欄でご指摘いただけると幸いです。
・なぜか硝煙の匂いを燻らせている桜と、それが硝煙の匂いだと嗅ぎ当てられる士郎。
──だいたい舞弥さんのせいです。
次回、
【1日前(表)】間桐家の事情①
「序」はあと3話で終わります。
HFの映画を意識していることもありますが、桜メインでstaynightを書くとなるとやっぱり聖杯戦争以前の関係もしっかり描写したくなってしまって──なのでもうしばらく、お付き合いいただけると幸いです。