●● 2004年2月1日 6時50分 ●●
●● 衛宮邸 ●●
弓道部に復帰してよかったことの一つは、桜と一緒に登校できることだと衛宮士郎は考えている。
先に出た大河を見送って、朝食の洗い物を二人で済ませる。
急須で入れた煎茶で一息ついてから、連れ立って出た玄関の鍵を閉める。
朝練に合わせた時間のせいで人気の少ない街道を並んで歩きつつ、
「すみません、先輩。明日からしばらくは、お家にお邪魔できなくなると思います」
「え、──ああ、うん。分かった」
思い出したような桜の言葉に士郎はうなずいた。
少し返答を詰まらせたことを誤魔化そうとして、
「というか、毎日ウチに来なきゃいけないってことはないんだぞ。桜には桜の生活があるんだから」
「じゃあ先輩は──私が行かなくても寂しくないんですね……」
「いや、そんなこと、」
あるわけがない。
辛そうに俯いた桜に誂われていると承知の上で、士郎は声を上擦らせる。彼の狼狽に満足したのか桜はすぐに顔を上げ、
「ごめんなさい、ちょっと意地悪を言いました」
とペロリと舌をのぞかせた。
「それに、大丈夫です。私、趣味はお料理と弓──それに先輩だけですから。
ちなみに将来の目標は先輩を超えることで、弓ではまだ敵いませんけど料理はもうすぐ射程圏内です」
「確かに桜はメキメキ腕を上げてて、最近洋食では俺の方が見習う点も多いような……
──あ、毎日家に来てるのも、うちの秘伝を学んでいたってことか?」
「はい。和食のほうも近いウチに追いついてみせるつもりです」
「うーん、そりゃ俺もうかうかしていられないなぁ」
「でも、」「まあ、」
「スイーツ作りだと舞弥さんには全然敵わないんですけれど」
「スイーツ作りだと母さんには全然敵わないんだけどなぁ」
悩ましげな声に続けた溜息までもが重なって、士郎と桜は笑い合う。
半月ほど前から家を開けている久宇舞弥は料理こそあまりしないものの、お菓子作りについてはプロ並みの腕前だ。聞いた話では、大河の祖父である雷画の『親』や『兄弟』筋に当たる組織にもファンがいるらしい。
「それで家に来れなくなるっていうけど、その間は部活も休むのか?」
「はい、たぶん。御爺様に言い付けられている用事があって、もしかすると学校もお休みするかもしれません」
桜の言う『御爺様』──間桐臓硯は、桜と慎二の祖父。たしか不動産関係の事業を手掛けていて、長らく冬木を留守にしていたため士郎は顔を合わせたことがないが、最近こちらに戻ってきたらしい。
「学校も休むかもって、なんか大変そうだなぁ」
桜たちの両親は既に亡くなっていて、臓硯にとっての親族は桜か慎二しかいない。だから家業の手伝いとかも色々あるのだろうなぁ、と分からないなりに納得する士郎は、ついでに自身の家についても考えを巡らせる。
自分は養子だし間桐家のように事業をやっているわけではないが、衛宮家にも『魔術』という説明しづらい事情がある。養父である切嗣から教わったそれは秘匿が原則とされていて、だけど恋人にも隠し続けるのは違う気もする。まぁ、言って信じてもらえるのか、という問題もあるのだが、、、
──他に唯一事情を知るかあさんに今度相談してみよう、と士郎は問題の棚上げに頷いた。
「臓硯さんに言われた『用事』っていうのはわからないけど──俺に手伝えることがあれば言ってくれよ」
「はい。そのときは──よろしくおねがいします」
彼の思考を知ってか知らずか、笑顔で頷いてみせる桜。
「それと先輩。そろそろ急がないと朝練に」
「あ、しまった。遅刻したらまた美綴に取っちめられる!」
話している途中で自然に緩めてしまっていた足を、二人は校門に向けて早めた。
●● 12時38分 ●●
●● 穂群原学園、生徒会室 ●●
「衛宮は間桐の妹さんとお付き合いを初めて、もうすぐ一年であったか?」
弓道部の朝練に滑り込み、午前の授業も無事こなし、昼休みに生徒会室を訪れた士郎に問いかけたのは部屋の長。
柳洞一成──押しも押されぬ生徒会長らしからぬ話題選択に、持参した弁当を広げつつ士郎は首を傾げる。
「告白されたのがあいつの入学式の時だから、正確には十ヶ月くらいだぞ」
「ふむ。それで彼女は毎日、舞弥さんもいるお前の自宅を訪れていると」
「──何が言いたいんだ、一成? 下世話な話だったら怒るぞ」
「下世話とは何か。世尊*1も三人の妃との間にそれぞれ一子を儲けておるのだ。そのような営みから目を背けることのほうが奇態であろう」
「い、営みって……」
細めた目で問う士郎だが、一成の返答に別の意味で顔を赤くする。
桜との関係をクラスメイトにからかわれることは珍しくないが、堅物な寺の子の発想はそれともまた隔たっていた。
「まあ衛宮と桜嬢の関係がどこまで行っているのかは知らぬが──まさか手を繋ぐだけというわけではあるまい。それで参考までに尋ねたいのだが……そういった機会に舞弥さんのような同居人の存在は、やはり気にかかるものか?」
「まさか一成、お前も恋人を自宅というか、柳洞寺に招き入れて──」
「む? ああなるほど、この質問ではそう取られてもおかしくないか。だが衛宮、むしろ逆だ逆」
「逆?」
「うむ。つまり
──────おっほん! これは宗一郎兄! どうしてこんなところに?」
衛宮の反問には落ち着いて応じようとしていた一成が、突如大きく咳払い。その動揺につられて振り向いた士郎が目にしたのは──何のことはない、社会科教諭である葛木宗一郎。
生徒会顧問でもある彼が生徒会室を訪れるのは何の不思議もないはずだが──
葛木に応じる一成は、横目で士郎に「口外禁止」と訴える。
「はい、それでは──
…………すまんな、衛宮。少々取り乱した」
プリントを渡しに来た葛木が職員室へと戻るのをわざわざ確認し、一成はふぅと息をついた。
「めずらしいな、一成がそんなに慌てるなんて」
「うむ、拙僧もまだまだ修行不足──とはいえ、話題にしかけた本人に急に顔を出されては、平静でいるほうが難しかろう」
「本人って、葛木先生がか?」
「うむ? そういえば士郎には話していなかったか。宗一郎兄──葛木先生は客分として柳洞寺に住まわれているのだが、先日先生の婚約者だという女性が寺に挨拶に来られてな」
「へー……って、婚約者!?」
「うむ。零観兄も彼女のことを気に入って、祝言までは柳洞寺に滞在してもらうことになったのだ──そういえば衛宮も、彼女とは面識が、」
「いや、面識も何も。葛木先生が柳洞寺に住んでいることも、婚約者がいるってことも初めて聞いたぞ!」
ふむそうであったな、と首を傾げる一成。なぜ衛宮が葛木の婚約者と顔見知りだと思ったのかは、不思議と思い出せない様子である。
「でもまぁ、さっきの質問の意図はようやく分かったよ」
つまり柳洞寺における一成(+零観、その他僧侶たち)は、『士郎と桜にとっての舞弥』と同じ立ち位置だ。士郎から見て気になる点や注意すべき振る舞いを確認したいのだろう。
「特に気にすることはないと思うぞ。むしろ、変に気を使われるほうが気になるし」
「ふむ、たとえば?」
「たとえば夕食の後とか、あからさまな用事を思い出して居間に二人きりにしてくれようとしたり」
「交際相手と二人きり、という状況は衛宮的に望ましくないのか?」
「そりゃ嬉しいけど、毎日のようにやられるとこっちも気が引けるというか……。それなら正直、藤ねえみたいに正面から誂ってくれたほうがまだやりやすい」
「正面から誂うのか、藤村先生は」
意外そうというよりはどこか納得した風な一成の言に、あははと乾いた笑いを漏らす士郎。
「まああと桜は、かあさんとも上手くやれているみたいだからな。月に一回は俺抜きで外出したりもしているし」
「衛宮抜きというと、桜嬢と舞弥さんで……なるほど、身内の伴侶としてではなく、まずはその人自身と向き合うことが大切だということか。
かたじけない、衛宮。勉強になった」
しきりに頷く一成に、こんなのでいいのか? と思いつつ士郎は弁当を片付ける。
「それで美術部のストーブは昨日修理できたけど、次はどこだ?」
「うむ、視聴覚室のを頼む。前から調子が悪かったそうだが、この度ついに天寿を全うされてな」
「天寿を全うしてたら直せないんじゃ?」
「そうなのだが、一応見てやってくれ。俺から見れば臨終だが、お前から見れば仮病かもしれん」
真面目な顔で頷く一成に促され、生徒会室から視聴覚室へ。彼に請われた学校備品修理は、すっかり士郎の昼の日課となっている。
掃除機・加湿器に照明器具。修理対象は多岐に渡るが、冬場に多いのはやはりストーブ。特に十二・一月と酷使されたこの時期は故障する台も増え、衛宮も学校のあちこちで工具を振るっている。
とはいえ、それが気に食わない人間もいるもので、
「なに、衛宮。まだ生徒会の太鼓持ちなんてやってるの?」
と途中の廊下で声をかけてきた弓道部副部長・間桐慎二はその代表格である。
「衛宮は役員でも何でもないんだから、無関係な雑用はしなくていいんだよ」
「無関係ではないだろう──学校の備品は俺たちが使っているものなんだから。
それに新しい備品が買えないのは、臨時予算を弓道部の全国遠征に回してもらったことも一因なんだぞ」
「だからって、それで弓道部の活動がおざなりになったら元も子もないだろう」
「別におざなりにしているつもりはないぞ」
事実、士郎が生徒会の手伝いに当てているのは昼休みだけ。朝練の参加率ならば、最近サボりがちな慎二よりもずっと高い。それを承知している慎二も一瞬言葉を詰まらせるが、
「いいや、おざなりだね。げんに部室と更衣室、最近散らかり気味だろう? 手入れがなっていない弓も多いみたいだし」
「それは衛宮の責任ではなかろう。むしろ慎二、副部長たるお前が皆を指導すべき問題で──」
「ああ、そうだよ。だから今こうして衛宮を指導してるんじゃないか。
部活に入っていない柳洞には分からないだろうけどさ、去年入部しなおした衛宮は一年と同格の扱いなんだ。副部長の僕が、散らかった部室の片付けを後輩に命じる──ほら、なんにもおかしいことはないだろう?」
「そんな屁理屈が、」
「いや、いいんだ一成」
こめかみを引くつかせる一成を、士郎はあっけらかんと遮る。
「俺もそろそろ、しっかり掃除しないとと思っていたから。とりあえず弓と矢の手入れは、今日の部活後にやっておくよ」
士郎の言葉に両目を小さく見開いた慎二は、何故か苛立ったように舌打ちして、
「あっそ。じゃあチャッチャと片付けちゃっといてよ」
「ああ、やっておく。あと桜が『明日から部活を休む』って言ってたけど、慎二はどうなるんだ?」
「はぁ? 桜が休むって──あーあ、そういうこと。
そのことなら心配ないさ。桜が言われたのはチャチな雑用で、僕には何の関係も無い。
まあ僕は僕で他にやらなきゃいけないことが色々あるから、また部活に出れなくなることもあるだろうけど──その時には美綴あたりに衛宮からテキトーに言っといてよ」
「いや、そういうことはちゃんと自分で言えよ。
あとお前の家の事情はよく分からないけど、桜のことも大変そうだったら手助けしてやってくれよな」
「はっ! そんなこと──」
言うだけ言って立ち去ろうとしていた慎二の足取りが、士郎の言葉で不意に止まる。
振り向いた彼の顔にはそれまでの皮肉や嘲りとは別種の感情が張り付いていて、
「お前なんかに言われなくても、分かってるよ」
あるいは殺意にも似たその情動は、彼が珍しく吐露した本音にも聞こえた。
──そしてこれが、衛宮士郎が聖杯戦争前最後に見た間桐慎二の姿となった。
次に二人が出会う時には、その意味合いは今とは全く異なっていて、
それでもこの時の慎二の言葉を士郎が解せるまでには、更に長い時が必要だった。
なお宣言通り、慎二はその日の部活を無断欠席。
その責任を感じたわけでもないが、部活後に残った士郎は道具の手入れと弓道場の清掃・片付けに手を付けた。とはいえ自身の竹製と異なるカーボン弓の扱いに予想以上に手間取って、その日はほとんど道具整備に終始。放課後の部活が中止になった翌日に、やりかけだった道場掃除を一人で再開させた彼は──────
下校時刻もとうに過ぎた夜更け近く、校庭から響く剣戟の音に身体を震わせることとなる。
慎二と桜、加えて祖父の臓硯からなる間桐家。
祖父が不動産関係事業を営む冬木市の名家──というのが表向きの事情。
裏の顔を含む「②」以降については、聖杯戦争が始まってからになります。
次回、
【1日前(裏)】おにいさん
……staynight以外の人物が登場します。