今日は仕事で忙しくて滅多にこれないお父さんが病院にやって来た。私はつい楽しくて色々とお話をする。それはこの頃の事で、何か重大な事を忘れている気がする。
「かなで、そのヒカルとは誰だい?」
「あっ」
そういえば、お父さんにはヒカルの事を伝えて居なかった。殆ど毎日来てくれていたから気にもしなかったけど、大丈夫かな?
「ひっ、ヒカルは囲碁のプロの人で……」
「プロの人なのか? いや、それ以前に先程の話だとよくここに来ているようだね。まさか、男だったりしないだろうね?」
お父さんから何か凄く怖い気配が漂ってくる。
「おっ、男の人だったら……?」
「男なのか……病院だと思って安心していたらこれか。私の大切なかなでに近づく悪い虫は排除しないとな……」
「ひ、ヒカルは悪い虫じゃないです! 私の“大切な人”です!」
「大切な人だと!?」
あれ? 師匠であり、同じ道を行く私の理解者だから大切な人で間違いないよね? なのになんでこんなに怒ってるんだろ?
「かなで、今日も打ちに来たぞ」
病室の扉が無遠慮に何時ものように開けられてヒカルが入ってくる。私とお父さんは当然、そちらを見る。
「あっ、えっと……何かまずかったか? ちょっと出直して……」
「貴様かぁあァァァァァァァァっ!!」
「うわっ!?」
お父さんがいきなりヒカルの首元を掴んでに殴ろうとしている。
「止めてっ!!」
「っ!?」
だから大声で静止の声を掛ける。お父さんはなんとか拳を止めてくれた。
「ヒカルは私の大切な人なの! 傷つけないで!」
「ゆっ、許さん! 許さんぞ貴様っ!! このロリコンめ!!」
「違うわっ!? というか、何か絶対勘違いしてますってお父さん!」
「誰がお義父さんだっ!! 誰にも娘はやらんぞ!!」
どっ、どうしよう! ここどうすればいいの!? えっと、確かドラマで見た台詞でいいよね。きっとこれで大丈夫。
「私はヒカルが好きなの! ヒカルを傷付けるお父さんなんて嫌いっ!!」
「か、かなで……父さん幻聴が聞こえたんだが……」
「父さんなんか大っ嫌いっ! ヒカルは大好きっ!」
「ぎざまぁ……」
「お前もう黙れよ!」
「?」
なんでだろう? ヒカルを擁護したはずなのに黙れとか言われちゃった。不思議としゅんってなっちゃう。
「ややこしくなったじゃないか……えっと、かなでのお父さん、こっちで話しましょう」
「あっ、あぁ……」
ヒカルがお父さんを連れて出て行っちゃった。なんだか寂しい。ヒカルの馬鹿。もういいや、ネット碁で憂さ晴らししよ。
ヒカルが買ってくれた携帯電話を使って塔矢アキラにメールを打つ。それから同じくヒカルが買ってきてくれたノートパソコンを使ってサイトにアクセスする。それくらいになると返事が来たので待っている。するとAKIRAが現れた。勝負を挑んで憂さ晴らしがてらに全力で一刀両断してやる。他の人も同じで、このもやもやした気持ちを晴らす為にひたすら打っていく。
進藤ヒカル
今日、いつも通りにかなでの病室に来たらそこには知らないおじさんが居た。かなでの話から直ぐに両親だとわかったので色々と話したが、かなでの爆弾発言のせいで面倒な事になっている。
「つまり、君とかなでは師匠と弟子の関係だと?」
「そうです。一人で寂しそうにしていたので色々と教えてあげたのです」
相手の考えている事は逆だろうが、どっちが師匠でどっちが弟子かなんてわからない。年齢とかを考えて俺を師匠だと思うだろう。佐為の事で色々と嘘をついてきたが、真実に嘘を織り交ぜたりしていくとバレにくいというのは体験で理解しているし、この程度は問題無い。
「仕事のせいであんまり来てやれないからな……」
「事情は伺いました。なので出来る限り来ているんです」
「あの携帯電話やノートパソコンも君が?」
「はい。俺……私も色々と勉強になって助かってますのであれぐらいは構いません」
「悪いね。無理させて。プロに子供の相手をさせるなんて……」
「かなでは天才ですから既にプロ並の実力を身につけています」
「そうなのかい?」
「はい。しばらくして退院が出来たらプロアマの大会があるので推薦して参加しようと話している所です」
「そうか。その、かなでは笑っているかい?」
「私と打っている時は笑っていますが……」
「そうか、なら良かった。いや、かなでは前から感情があまり出ない子でね。笑う事なんて滅多にないんだ。私も数度しか見た事が無い。元から身体も弱くて入退院を繰り返していたせいかも知れないが……」
佐為と融合する事で笑うようになったのか? 佐為の囲碁好きは凄まじいからちょっと納得できてしまうな。
「そうだ。君にお願いがある」
「なんですか?」
「君がかなでを大切に思ってくれているなら、すまないがかなでを預かって欲しい」
「え?」
「私はかなでの治療費と妻の事故の慰謝料を払う為に家も売り払って仕事場で寝泊りしたり、国外に出張をしたりしているんだ。身体が弱く、介護の必要な今のかなでを国外に連れて行く訳にも行かないだろう?」
「そうですね」
「親戚も居ないから施設に預けるか、ヘルパーでも雇おうかと思っていたのだが、どちらも非常に心配でね。君なら少なくともさっきの様子からかなでは君を嫌っていないだろう。君もかなでを大切に思ってくれている。だから、こんなお願いを無理を承知で頼んでいる」
佐為であるかなでと一緒に暮らすのか。前みたいにずっと碁が打てる。でも、かなではまだ小さいとはいえ女の子だ。どうする……って、悩む理由もないな。あの子は佐為だ。なら、かなでが自由に囲碁の出来る環境を整えるのも俺の役目だな。
「分かりました。責任を持って預かります」
「ああ、よろしく頼むよ。それと出来たらかなでの写真を送ってきてくれ」
「それぐらいなら構いませんよ。生活費の方もこちらで出しますし」
「いや、それは流石に悪いよ」
「大丈夫です。教育費だけ出してくれれば問題ありませんから。それよりも早く完済して一緒に住んであげた方がいいと思います」
「そうだね。じゃあ、振り込むだけ振り込むから何かあったら使ってくれ」
「はい」
詳しい内容を話して、決めておく。かなでのお父さんはあと数日で日本を立つそうで、かなり忙しいようだ。
「っと、もう行かないとな。かなでの事を頼むよ」
「はい」
帰っていく彼を見送ってから俺は病室に入る。そこには不機嫌そうにほっぺたを膨らませてノートパソコンで碁を打っているかなでが居た。ふと気になって携帯を見ると着信履歴が塔矢で埋め尽くされていた。
「……」
仕方無いので病室から出て屋上に行き、塔矢の携帯にかけてやる。
『やっと出たか進藤!』
「どうしたんだよ?」
『どうしたもこうしたもあるか! 今日のsaiはどうなっている!』
「ネット碁をしているみたいだったが……」
『そのネット碁で問答無用に対戦者を一刀両断しているんだ!』
「あ~すまん。ちょっと機嫌が悪いみたいだな」
『それはまあ、いいんだ。問題は強すぎるんだ。いつも以上に容赦が無く、冷徹に的確に急所を見つけて抉ってくる。早碁で既に16人倒されてる』
「早いな……わかった」
『このままだと相手が居なくなるぞ』
「ちょっと機嫌取りに行ってくる」
『頼む』
塔矢との電話を終えて売店に向かう。そこでアイスクリームを買ってから病室に戻る。かなでは相変わらず不機嫌そうに打っている。
「かなで」
「ぷい」
そっぽを向いて囲碁を打つかなで。
「にゃろ」
「ひゃぁ!?」
俺はアイスクリームをそのほっぺたに押し付けてやった。するとビクッと震えて飛び上がった。
「ひ、ヒカル……」
「拗ねるなよ。かなでのお父さんと色々と話し合わないといけなかったんだよ。ほら、アイスやるから機嫌なおせ」
「アイスなんかで機嫌が直るなんて思わないで……」
そういいつつソフトクリームの蓋を外してペロペロと舐め出して美味しそうに食べるかなで。
「こんな美味しいものがあるなんて信じられない……ぺろっ、ぺろぺろ」
「佐為には食べさせてやれなかったからな。でもかなでの知識にはあるんだろ?」
「知識はあっても体感しないとわからない」
「そんなもんか」
「そんなもの」
「ああ、それとこれからの事なんだが、俺と一緒に暮らす事になった」
「わかった。家はどうする?」
「和谷みたいに丁度自宅を出ようと思ってたし、出来れば借りたいんだけどバリアフリーでセキリュティがしっかりしている所がいいな。かなでは女の子だし、何かあったらかなでのお父さんには申し訳ないしな」
「気にしなくていいのに……」
「駄目だ。はっきり言って、かなでの容姿は整っていて誰もが美少女と思えるほどなんだ。そんな子が車椅子に乗って一人でいたら誘拐されたり襲われたりする……らしい」
「お父さんがそう言ってた?」
「ああ」
まあ、かなでが美少女だというのも納得できるし、実際にそうだと思うけどな。
「でも、高いよ。ほら」
そう言ってかなでが見せてくれたのはアパートやマンションのページだ。どうやらネット碁を終わらせてこっちに合わせてくれるようだ。
「うわっ、高いな……」
「どうする?」
「……こうなれば最終手段だ」
「?」
長く綺麗な銀色の髪の毛を揺らしながら小首を傾げるかなでに俺は堂々と外道な手段を言ってのける。
「お金はある所に出して貰えばいいんだよ」
「ヒカル……?」
「まあ、任せておけって。きっと乗ってくれるさ」
俺は携帯を取り出して直ぐに連絡を入れた。連絡を入れたのはお金の持っていそうな二人だ。
しばらくしてヒカルが病院から一時的な外出許可を貰ってきた。普通は家族しか取れないのだけど、お父さんがヒカルに私の事を任せるという委任状を書いていたので問題はない。役所でも手続きをヒカルがしたそうで、ヒカルは私の後見人だ。
「ねえ、本当にここ?」
「ああ、指定されたのはここだな」
ヒカルに連れ出された私は古き日本の伝統的な老舗である料亭の前に居た。見た感じ、日本庭園まであり、かなり高級なお店だと分かる。
「とりあえず入るか」
「うん」
ヒカルが車椅子を押してくれて店の中へと入っていく。店の中も綺麗に整えられ、綺麗な音色が響いてくる水のせせらぎにカポーンという鹿威しの音まで聞こえてくる。私の中の佐為の部分が何とも言えない懐かしさを醸し出せてくれる。
「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」
「あ、すいません。進藤ですけど……」
「はい。進藤様でございますね。お話は伺っております。どうぞこちらにお越し下さい。車椅子の方は車両をお洗いしますか、こちらでご用意致しましょうか?」
中居さんの言葉で私はちょっと考える。
「部屋は遠いですか?」
「いえ、そこまで遠くはありません」
「ならいいです。ヒカル、抱っこして」
「おいおい……」
「駄目?」
上目遣いで見詰めてみる。車椅子の移動ばかりでお尻が少し痛いし。
「……まあ、いいか。かなでは軽いしな」
ヒカルは私をお姫様抱っこしてくれた。私はヒカルの首に手を回して抱きつく。
「おっ、おい」
「? 抱きつかないと落ちちゃう」
「わかったよ」
「クスクス、それでは御案内致しますね」
「お願いします……」
「よろしくお願いします♪」
久しぶりに高くなった視界から除く景色は綺麗で新鮮でした。でも、少し歩いていくと離れにある部屋の前で中居さんが止まりました。どうやら到着したようです。
「お客様、お連れ様がご到着なされました。開けてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
中から渋い声が聞こえてきます。中居さんが襖を開けて横にずれてくれて、道を開けてくれました。
「失礼します」
「お邪魔します」
中には着物姿のおじさんと、白いスーツ姿の怖いお兄さんがいました。この人達は佐為の記憶で覚えています。
「進藤、なんだその娘は」
「この子が今回の要件に必要な人ですよ」
「そうか、その子がsaiか」
「先生、何を言って……いくらなんでもこんな小さな娘が……」
「緒方先生、ごめんね。この子がsaiなんだ」
「初めまして藤原かなでです」
私の挨拶に緒方さんは胡散臭そうにして、塔矢さんはかぶるので行洋さんとしておこう。とりあえず、二人が居ました。ヒカルの言っていた通り、確かにお金をもってそうです。
「進藤、いい加減にしろよ?」
「緒方君、打ってみれば分かるよ」
「そうそう。どっちから打ちます?」
「では、私から打とう。緒方君はまだ疑っているみたいだしね」
「ちっ、しまった……先を越されたか」
「あはははははは」
爛々と輝く行洋さんの瞳に自然と私も楽しくなってきます。
「ヒカル」
「わかってるよ」
ヒカルが用意された碁盤の前にある座布団に私を座らせてくれました。
「塔矢先生すいません、こいつまだ足がまともに動かなくて正座ができないんですよ」
「ああ、楽にしてくれて構わないよ」
「ありがとうございます……じゃあ、始めましょう」
「ああ。白は私か。いくつだね?」
「偶数で」
「12だ。そちらが先行だな」
「分かりました。それでは……参ります」
私は碁石を握って、碁盤に置こうとすると、するっと碁石が抜け出して逃げていっちゃった。
「「……」」
「ヒカルぅ~~~」
私は涙目になりながらヒカルを見つめる。
「はいはい、俺が代わりに打つよ。すいません、それでいいですか? まだ入院中なもんでネット碁くらいしかまともに打てないんですよ」
「構わないよ。私は打てればそれでいい」
「じゃあ、横から……」
ヒカルが横に座ろうとするけど、それじゃ面倒だし背もたれも欲しい。なら、する事は一つだけ。
「ヒカルが碁盤の前に座って、そこに私が座るから」
「おい……」
「お願い」
「わかったよ。でも、そっちの方が良いか」
ヒカルが私のお願い通りにしてくれる。背中にヒカルの体温が感じられて安心できる。緒方先生とかちょっと怖かったし……これなら十全に戦える。もともと佐為はともかく、諦めていない前のかなでは臆病で人見知りだからその分も入っているけど。
「右上スミ小目」
パチパチとヒカルと行洋さんが碁石を打っていく。相手の気迫を肌で感じられ、私は感激する。これだ。これこそが碁だ。ヒカルの傍で霊体として打つのよりもやはり生身で打つ方が断然いい。こればかりはヒカルには悪いが私にとってはこちらの方がいい。
「佐為?」
「……流石ですね。では、ヒカル」
「ああ」
私はヒカルに指示を出して乱戦に持ち込んでいく。
「確かに本物だ。私のリベンジに付き合ってもらうぞ」
「ええ、存分に来てください。そしてお互いに楽しみましょう」
「もちろんだ」
私と行洋さんの勝負は苛烈さを増していく。そして、結果は―――
「4目、届かないか」
「今の私は調子がいいですから、誰にも負けませんよ」
ヒカルが傍に居てくれて、生身である私はいつも以上に打てました。自分でもそれがわかります。
「次は俺だ!」
「どうぞ掛かってきてください」
「駄目だ」
「進藤!?」
「ヒカル?」
「塔矢先生と緒方先生にはお願いがあるんです。それを聞いてくれたらいいですよ」
「お願いとやらを聞いてやるから先ずは打たせろ!」
「分かりました。じゃあ、佐為いいよ」
「やった。打ちましょう打ちましょう♪」
それから緒方先生や塔矢先生と3局ずつほど打った。その全てに私は勝利した。一局だけ危ないのがあったけど、大丈夫だった。
「お料理をお持ちしてよろしいでしょうか?」
「ああ、頼むよ」
「はい、畏まりました」
「進藤君のお願いはご飯を食べてからにしよう」
「ありがとうございます」
出された豪華な会席料理を食べていく。高級日本料理はとても美味しい。辛いのも好きだけど、これはこれでいいの。
「ヒカル、次はそれ」
「ああ」
「あ~ん」
「ほら」
「ん~~美味しい~♪」
「進藤、甘甘だな」
「こいつ、まだ箸とか使えませんからね。リハビリ中なんで」
「その事と何か関係があるのかね?」
「はい。実は佐為……かなでを預かる事になったんですが、車椅子でしょ? バリアフリーのマンションやアパートを借りるとなるとその、お金が……」
「つまり、お前は私達に金を出せと?」
「その通りです。もちろん、稼いで返しますよ。何時かはわからないですけど」
「ふむ。構わないぞ。そうだな、佐為……いや、かなで君だったな。彼女と定期的に打たせてくれるなら問題ない」
「それくらいならお安い御用です。ヒカルが居ないと暇ですし、時間があえば何時でも来てくれていいですよ?」
ウェルカムと言っておきます。あってますよね?
「先生……」
「それになんだ、娘みたいで可愛いじゃないか。アキラは男だったから棋士として育てたが、明子も娘を欲しがっていた。たまに明子の相手もしてくれるならあいつも文句を言わんだろう」
「あっ、それすごく助かります。女の子の事ってわからないんで相談できるとかなり助かります。ちょっと両親には相談しにくいんで」
「はぁ~~わかった。俺も協力してやるよ。saiを囲い込めるならそれはそれでいいしな」
「いや、大会に出して行く予定ですよ」
「でますよ。そして賞金を持って帰ります」
「……洒落になってないぞ。まあ、先生の家の近くに新築のマンションがあったはずですし、そこを押さえましょう。進藤、退院は何時の予定だ?」
「再来週ですね」
「わかった。先生、いくら出せますか?」
「ちょっと相談しないとわからないな。いや、ここに呼べばいいか。ちょっと待ってなさい」
「じゃあ、一局打ちましょう!」
それから、明子さんも合流してお話をして許可を貰った。沢山抱きつかれたりしたし、服とかも用意してくれるらしい。退院したら一緒に買い物とかも連れて行ってくれるそうだ。それに家事も教えてくれるとの事なので、ヒカルの為にも頑張っていこうと思う。