沙耶の唄は、いいぞ
「沙耶……」
沙耶が死ぬ。死んでしまう。
何故か耕司と一緒に居た──多分先生だ──その先生が投げた水筒を耕司が受け取り、沙耶にむかってかけやがった。どうやら中身は液体窒素だったらしい。沙耶の体は凍らされてしまい……それだけでも許せないのに、目の前に居る、僕が殺し損ねた先生が、手に持っていたショットガンを使って止めを刺した。
沙耶の体は半分以上が砕け、真っ白なキャミソールは血に染まり、シミ一つない小さな体からは真っ赤な血や内臓があふれ出て来る。
(もう……助からない)
そう確信した時、僕はこの世界で生きる意味を失った。
僕にとって、沙耶の居ない世界に意味なんてない。沙耶の居ない世界で生きる意味なんて何一つ無い。
やっと死んだ肉塊から手斧を引き抜き、ふと目の前を見る。
そこには一つのブヨブヨ動く肉塊。元々人に見えた肉塊。誰かなんて、もう興味が無い。その肉塊が生きていようが死んでいようがどうでもいい。
目の前で鉄パイプを構え、様子を見るかのように蠢く肉塊を無視し、僕は手に持った手斧を反転させて自分に向け、額の上に構える。
そのままゆっくりと頭を反らし、斧に向かって思いっきり叩きつける。
ゴッ……
鈍く湿った音と、激痛が走る。
だがまだ死なない。もう一撃加えないといけない。
このまま放っておけば、僕は死ぬだろう。
だが、沙耶の居ない世界。僕の愛しい沙耶を殺した世界に一分一秒でも居たくない。
そう思いながら、さっきよりもゆっくりと、頭を反らす。そして、燃え残っている生命の火を燃やし尽くすように、斧に向かって頭を叩きつける。
グシャリ……
先程よりも湿った音が体中に響く。
その音と最後に、僕は何も感じられない暗くて寂しい、だけど醜すぎるこの世界より綺麗な、暗く冷たい世界へと落ちて行った……
(郁紀……)
郁紀が死んだ。死んでしまった。
液体窒素で凍らされ、ショットガンで体の大半を打ち砕かれた私を見て、生きる意味を失った郁紀は自殺した。
私はもう助からない。
私の再生能力を総動員しても助からない。もし仮に、奇跡的に助かったとしても、郁紀が居ない世界に意味なんて無い……
もうすぐ死ぬ。
そう確信した私は、郁紀の方へ近づく。
肘から先が無くなった腕で地面を掴み、内臓と血があふれ出る体を揺らし、ほとんど使い物にならない足で地面を蹴って、郁紀に近づく。
「死ねよ……」
そんな時、上から怒気を孕んだ声がする。
郁紀の親友・・・だった人が、持っている鉄パイプの切っ先で私を小突く。
「ぅ……ぅぅ……!!」
痛い! 痛い!! 痛い!!!
彼は持っている鉄パイプで軽く小突いているつもりなのだろうが、それだけでも激痛が全身に走る。気絶しそうになる。
だけど私は、郁紀に近づくのをやめない。
「死ねよ! もう死んでろよ! これ以上、郁紀に近寄るんじゃねえよ!!」
鉄パイプが振り落とされるたびに、私の肉が潰れる。骨が砕ける。血飛沫が舞う……
もうなにも抵抗できない私に、彼は鉄パイプの殴打を叩きこんでくる。何か激しい思い込みをしているかのように、ここで私を止めないと絶対に駄目だと思いこんでいる様に。
だけど私は、進むのを止めない。
たとえ頭が砕けて顔がグシャグシャになっても。たとえ内臓が潰されて、真っ赤な血や脂を撒き散らしても。たとえ私が、見るに堪えない程に酷く醜い姿になっても……
そして、殴打の雨を耐え抜き、やっと郁紀の目の前まで来た。
「触るな! 郁紀に触るな! テメェは―――何様だってんだよ! あぁ!?」
彼は半泣きになりながらも、怒りに任せて鉄パイプを振り下ろすのを止めない。
先程とは比べ物にならない程の血飛沫が舞い、潰れて肉の塊となった内臓が辺りに飛び散る。
死ぬ。もうすぐ死んでしまう。
だけどその前に、私はやらなければいけない事がある。
(ふみ……のり)
上手く力が入らない肘を必死に伸ばして郁紀の肩に触れ、そして愛しむように、血で染まった顔を撫でる。
(もう、郁紀を一人にしないから……私がずっと傍に居るから……)
最後の瞬間、私はもう動かない郁紀に向かって、今出来る最高の笑顔を向けながら言った。
「一緒に……逝こう?」
そうして私は、暗く冷たい世界へと落ちて行った。
暗い。
ここはとても暗い。
寒い。
ここはとても寒い。
だけど、あの鼻が曲がる悪臭も、僕の親友だと言ってくるブヨブヨ動く肉塊も、目が腐るほど醜い世界も、何もない。
ただただ暗くて寒い。それだけの世界。
ただ……それだけの世界。
「沙耶……」
僕が嫌う物が全て無くなった代わりに、僕は無くしてはいけない、とてもとても大切なものも無くしてしまった。
事故で両親を失い、日常も狂気に染まっってしまったあの世界で出会った、僕の大切な人。生涯を賭け、身命を賭してでも守らなければならなかった存在。
だけど沙耶は、僕の目の前で無情にも砕け散ってしまった。
「僕は、これから一生一人だ。それが、僕の……罰だ。沙耶を守れなかった僕に対する、当然の罰だ」
全てを失い、何も守れなかった僕は、これから来る永遠の孤独に耐えようと、湧き出る後悔の念を押し殺そうと、グッと膝を抱えた。
(違うよ、郁紀)
その時、声が聞こえた。聞こえる筈のない、愛しい人の声が。
「幻聴……か? ははは……女々しいなぁ僕も」
そう言って僕は空笑いするが、幻聴は消えるどころか更にはっきりと聞こえて来る。
(郁紀はもう、一人じゃないよ)
そして次には、肩に微かな温もりを感じる。忘れない、忘れるわけがないあの温もりを……
「さ……や?」
そうして僕は肩の温もりに触れようとして、手を止めた。
これが幻で、触れてしまったら消えてしまうのでは? 消えたらもう二度と得られないのではないのか?
そう思うと、その温もりに触れるのを躊躇してしまう。
だが、その温もりは消えるどころか段々はっきりと感じられるようになり、更には柔らかな感触までも伴ってくる。
「あぁ……うぁぁ……」
肩に触れていた温もりは頬に触り、僕の頬を優しく、愛でるように撫でてくれる。
不意に、涙が出て来る。もう二度と得られないと思っていたあの温もりと、優しい感触が嬉しくて、涙があふれて来る。
そんな僕を見て彼女は、苦笑いをしながら涙を拭ってくる。そして、泣いている子供をあやすかのように優しく、包み込むように抱きしめてくれた。
そして僕も、彼女を抱きしめた。もう二度と放さない様に強く、強く……
「これからは私が、ずっと郁紀の傍に居るよ。だから……」
「あぁ……そうだね、沙耶。だから……」
そう言って僕は彼女を、沙耶を見つめる。そして沙耶も、ほんのり赤くなった顔で、僕を見つめてくれる。
そうして僕達は暗くて冷たい、だけどこれ以上に無い幸せな世界で。
「僕達はこれから、ずっと一緒だ」
「私達はこれから、ずっと一緒だね」
永遠を誓う、口づけを交わした。