【アオイ留守番を任される】
豊かに生い茂る枝葉の合間から、柔らかな日差しが差し込み、地上に照りつける。
「はぁ……。」
その木漏れ日が生み出す、エルフの森の穏やかな空気とは対称的な、地面の人影。
その正体は、今にも地中に沈んで這いずり回ってしまいそうなほどどんよりとした気配を漂わせた、まだ若干幼さの残る少女。
緑を基調とした機能性を重視したレンジャー風の衣装。背中には矢筒と弓を背負っている。
日差しに照らされるやはり柔らかな色彩の緑の髪は、前に長く垂れ顔の上半分を覆っていたが、それでも彼女の陰りに陰った表情を隠しきれていなかった。
頭の横に垂れる髪の隙間から伸びる、先端に向かって尖った耳が、彼女が森で生まれ自然を愛するエルフ族であることを示していた。
森の入口。外界からやって来た人間を迎え入れるスペースで、誰かを待ち受けるエルフの少女。依然沈鬱な雰囲気を醸し出したまま、1人もぞもぞ呟いた。
「ああ。どうしましょう。大事なお仕事を1人でこなさなければならないなんて。もし、失敗なんてしてしまったらどう挽回すれば良いのか……。うう、本当はこんなことムリムリの無理の助さんなのです……」
そして所在なさげにあちこちを彷徨くのだ。
とうとうその場にしゃがみ込み、地面に生えた草花と会話を始めだした。
「ふふふ……。やっぱりみんなと話していると落ち着きます。ずっとこうしていられれば良いんですけどね。え? ちゃんと与えられた役目を果たさないと駄目だぞ、ですって? ですよね……。いつ迄もこんなんじゃ、ギルドの皆さんにも、あの人にも見離されてしまいます」
草花までにダメ出しをされてしまったその時、向こうから落ち葉を踏みしめ鳴らされる、複数の足音がやって来た。
「わちゃ! だ、だ、だ誰かやって来た。隠れなきゃ」
とっさに手近な茂みに飛び込んで、音のやって来る方を伺った。
「鳥の鳴き真似でやり過ご……それは、この前やりましたから、今度は猫の鳴き真似で。ニャァ。ニャァ、ニャァ……ニャ♪ って違います。私がお出迎えしなければならないんでした!」
慌てて謎の招き猫ポーズを解くなり藪から飛び出し、佇まいを整えるエルフの少女。
プレッシャーの中、思考は目まぐるしく動いた。
「ええと。こんな時、どんな顔してお出迎えしたら良いでしょう。今みたいなキツイ顔していたら、相手がびっくりしてしまいますよね。リラックスリラックス。……そうだ。こういう時は心を落ち着けるために、深呼吸をしましょう!」
そう思いつくなり、実践する謎行動力の化身。
(息を大きく吸ってー)
スー
肺の中が、日々親しんできた草木の産み出した、澄み切った空気で満たされていく。
(ああ、心が落ち着いていきます……)
深く息を吸い込むに伴って背筋がしゃんと伸び、その凛とした佇まいが復調していく。こうして見ると年の割に中々の長身で端正な顔立ちだ。
上体を反らし、平たい胸を誇らしく天へと向ける。
(吐いてー)
ハー
(吸ってー)
スー
(吸ってー)
スー……
(まだまだもっと吸ってー)
スー、スー、スー
「はっ、ゲボっ。深く息を吸い込んで美味しい空気で身体を満たして心を落ち着けるのに夢中になって、そのまま息を吐くのを忘れていました。ゴホッ、ゴッホ……」
森の少女は1人むせた。
「あ、いたいたー!」
「あの子で間違いないのかな~?」
「そうだね。見覚えがあるよ」
エルフの少女の方を見て、そんなことを口々に言い交わす集団のメンバーたち。十数人程度からなる人間の団体だ。
そして心の準備を整え損ない凝固する、目隠しエルフの少女の手前で立ち止まった。
「君が今日森を案内してくれる【フォレスティエ】のメンバーさんですね」
人間の集団の中から代表者が歩み出て、この緊張で強張ったエルフの少女に挨拶をする。
「は、はいー! 間違いございません。私が今日担当させて頂く者にてございまするー! (ごきげんゴロゴロ五ざぶろーさんーー!)」
挨拶の後に続く素っ頓狂な叫びは、喉元のごく手前でカットアウトされた。
「ございまする」と叫ばれ一瞬キョトンとした表情を見せるも、目の前に「気をつけ」の姿勢で硬直するエルフの少女に対して、代表者は親しみやすく表情で語りかける。
「話は聞いているよ。今日は君が案内してくれるんだってね」
「はい、よろしくおねがいします」
叩頭。精一杯気持ちをこめて挨拶をする、エルフの少女。
代表者の後ろから、少女の姿を覗き込む若い女が口を挟んだ。
「この子が案内人なの? まだ小さいのに大丈夫かなー?」
「うっ……」
率直な感想を言われ、思わずギクッとなる。
「小さいって言っても、立派な【フォレスティエ】のメンバーさんで、間違いないですよ」同行者の言葉を嗜める代表者。
「そうだぜ。あのミサトさんから直々に任命されたんだぜ。任せておけば間違いないって」
後ろにいた団体の一員の筋骨隆々のイカツイ男も、少女に対して助け舟を出した。
「え、ええ。もちろん、大丈夫ですとも」気勢を立て直し、そう請け負う【フォレスティエ】の少女。勢いよくまくし立ててしまい、思わず語尾が裏返ってしまう。
「はは。頼りにしているよ」
代表は笑みを見せると、
「では、今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
一同あらためて挨拶をする。
目の前の一同に頭を下げられ、恐縮してしまう。そんな気弱なエルフの少女は、彼らに対して、名乗りを上げるのだった。
「そ、それではー皆様ー! きょ、今日案内する場所へと、この私、【フォレスティエ】のアオイがお連れいたしましゅ!」
「しゅ?」
「しゅ?」
一同は目を丸くした。
さて、このエルフの少女。エルフ族の住む森を管理、守護する由緒正しきギルド【フォレスティエ】のメンバー、アオイが、如何なる理由でかようなプレッシャーを背負い込みながらギルドの業務を遂行するのか。
それについて説明するには、しばし時を遡る必要がある。
「ふぅ。今日も異常なしでした。明日も頑張るさんです」
その日のお昼。ギルドの日課である森のパトロールを終え、村に帰ったアオイ。
夏は既に真っ盛りで、パトロールの最中も木々の合間からもさんさんと照りつける日差しが、アオイに存分に照りつけた。
レンジャー服は肌から滲んだ汗でぐっしょり濡れそぼり、額や二の腕からも汗が湧き出て滴となって垂れ落ちた。
「汗をいっぱいかいてしまいました。全身ぐっしょりでジメジメしますね。シャワーを浴びて服も着替えてさっぱりしましょう」
更衣室に入ったアオイは、ロッカーの前でレンジャーのジャケットを脱ぎ去ると、続けて肌着の裾に手をかける。
そのまま一気にまくり上げ――
「やっほー、アオイちゃんー!」
「ひゃあぁぁ」
肌着を頭までまくり上げ、脱ごうとするさなか。とつぜん後ろから声を掛けられた。
慌てて後ろを振り向いて声の相手を確かめようとするも、
「ひゃう? 前が見えません!?」
それはそうだ。目の前がまくり上げた肌着で塞がっているのだから。
その場で意味もなく身体を前後左右にゆらゆら揺さぶるのだけども、無論意味はない。
相手からはへそ丸出しの、珍妙なお化けもどきの扮装をして腹踊りを踊るアオイの姿が目撃されていることだろう。
「はう……」
なんとか肌着を元の位置に降ろして視界を取り戻すと、声の相手を確かめた。
果たして目の前にいたのは
「アオイちゃん、大丈夫か~? 急に振り向いて踊りだすから、バランスを崩しそうで。危なっかしかったよ~」
目を丸くして心配そうに尋ねる天真爛漫美少女。アオイにとっては【フォレスティエ】の先輩にあたる、ハツネであった。
「わぁ、驚きました。ああ、良かった。ハツネさんですね。ってひょええ。何ですか? その格好」
挨拶をして早々。目の前のハツネの格好を見てあらためて驚いてみせる。
「えへへー。これ何だけどね。んっとその前に1から事情を説明する必要があるのだ」
「な、何か事件でもあったのですか」
「それは無いから大丈夫だよ~、安心して~。ただねー。んと、アオイちゃんには、大事な仕事を頼みたいのだ」
「は、はい。何でしょう」
『仕事』というと当然ギルドのそれだろう。先輩からの言いつけとあってかしこまるアオイ。
「それじゃあ説明するね。えっと、ミサト先生がこの前から出張しているのは、アオイちゃんも既に知っているよね」
「はい。えっと、【ギルド管理協会】の要請で、海の近くの学校の特別講師をすることになったのですよね」
「うん、そうだよー」
「それで私とハツネさんの2人でこうして【フォレスティエ】の仕事を分担で任せられた訳ですが……。ハツネさんの今の格好が、それと何か関係あるのでしょうか?」
アオイの視線が心持ち下向きに、じっと目の前の先輩の肢体に注がれる。
というのもこのエルフ美少女の今の格好。
肌を存分に露出した上下セパレートの衣装。
下はフリフリだが丈がごく短い、腰に大きなリボンの付いたプリーツスカート。
上は胸元を辛うじて覆った、大胆なブラトップ。
それだけを身につけるばかりだから、今のハツネはおへそどころかお腹まで丸出しの格好なのだ。
(ハツネさんはあんな格好をしていて平気なのでしょうか?)
見ているアオイの方が、つい恥ずかしくなってしまう。
そう。ハツネの今の格好はチアガール。
うつむき加減のアオイの目に飛び込む、チアスカートから伸びる白い太腿が眩しい。
アオイに尋ねられ、エヘヘと笑みを見せるハツネ。
「実はだね。私もミサト先生の応援に行くことになったのだー! わー、ぱふぱふー」
「ってえええぇぇ!」ハツネの突然の宣言に驚きの叫びを上げる。「何でたって突然そんなことになるんですかー?」
「仕方がないのだ。ミサト先生が訪れた学校は随分と荒れているみたいでね。生徒のみんなを束ねるのに随分苦労しているんだー」
「荒れている……」
ほわわわわん――
「あー、板書を沢山消した黒板消しを、教室の中で心ゆくまではたいてやりてえぇぇ」
アオイの頭の中に、彼女自身の想像の範疇の不良が現れる。
「お、よー、よー、そこにいる姉ちゃん、お金持ってそうですね~?」
想起した不良にカツアゲされ、思わずその場でジャンプしそうになるアオイ。妄想モードに入った自分のことを心配そうに見つめるハツネの、ゆさっと揺れる胸が視界に入り、ハッと我に返る。
「はっ、私ったら何を」
「ごめんねー。怖くなっちゃったかなー? アオイちゃんは良い子だから、荒れた学校の話は刺激が強かったかもだね」
まぁ実際のところ、そんじょそこらの荒れた学校の不良など、ミサト先生の母性の前ではイチコロ。たちどころに陥落してすっかり大人しくなってしまったのだが。
そんなこんなで、今ミサトの前に立ちはだかるのは、ある部活動にまつわる青春物語な訳であるが……。それはアオイには関係のない話であった。
「分かりましたのです。……ただ、それじゃあ、【フォレスティエ】の仕事はどうなるのでしょう?」
肝心の話を切り出され、ハツネは答えた。
「それなんだけどねー。しょうがないからアオイちゃん1人に任せようかなー、っと」
「なるほどー。留守番で1人で仕事をこなすことになる、アオイさんは大変ですねぇ……って私ーー??」
「そうだよ~」
「無理無理。無理の助さんですー!」
先輩から仰せつかった役目を、拒否せんばかりに首を振るアオイ。
そんな後輩にハツネは笑みを絶やさず諭した。
「えへへー。でもねー。アオイちゃんの仕事私は心配してないんだよー」ハツネはそう請け負ってみせる。「だって外からやって来た人たちのガイドもばっちしだし。交易の見積もりのお仕事も、1人でこなせるようになったでしょう。もう大抵の仕事は慣れて来たんじゃないのかな」
「うう……。ハツネさんにそう言われましても……」
「きっとね。ミサト先生も『今のアオイちゃんなら、1人で全部任せても心配ないわ~』って言ってくれるはずだよ。だから心配しなくて大丈夫っ!」
「でもそれは、いざというときにハツネさんやミサト先生がフォローしてくれるって思っているからです……」
なおもアオイに、ハツネは
「本当に何かあったら私が超の……じゃなかった。魔法で飛んでくるから。万事大丈夫だよー。キラーン」
万事胸を叩いた。……もっとも彼女が超能力を利用すると、直後すぐに眠ってしまい、力にはならないのだが……。
「あっ、もちろん。私が来てくれるからって安心して、サボっちゃ駄目だぞ。ってアオイちゃんに限ってはそんな心配はいらないのだ」そして満面の笑みを浮かべてアオイに抱きついた。「ほれほれ~。アオイちゃんを激励しちゃうぞ~~」
「あう、ハツネさん!? ……ひゃう! くすぐったいぃぃ。あの、その。今は直ちに着替えさせてもらってよろしいでしょうかっ!」
そう言えば今のアオイは肌着を脱ぐ途中ハツネに呼び止められ、着替えを一時中断した状態だった。
なので今のアオイは上半身肌着一枚。しかも汗を吸った肌着が肌にじっとり貼り付いている。
その上からハツネに直に抱きしめられそのぬくもりを感じる。肌が敏感に刺激されてとてもこそばゆかった。
結局チアガールになりきったハツネは、その日の午後のうちにエルフの森を発ってしまった。アオイは【フォレスティエ】の留守番として、1人で森の管理を請け負うことになったのだった。