こちらに近づいてくる二つの影に向けて、俺は精一杯の作り笑いをした。
「よ、よう。おかえり」
「うん……」
並んで歩いてきたうち、小町が小さく頷く。
何をやっていたのか、聞きたい気持ちはあったが、聞ける雰囲気ではなかった。
まず、俺よりも事情が気になるであろう彼女が、黙って弟を迎えているのだから。
「飯でも食って帰るか?」
「いや、いいよ。十分楽しませてもらったし」
提案を断り、川崎は大志に向き直る。あんたもそれでいい? と小さく呟きかけているのがわかった。大志は頷き、おれの方を向く。
「今日はありがとうございました。なんか……おれたちだけ遊んじゃって」
「べつにいいよ。こっちも色々と楽しめたしな」
言うてこーひーかっぷだけなのだが、俺としてはあれだけで此処に来た意義が果たせたと言っていい。
「そうですか」
大志はほっと息をつくと、目を細めて笑う。
「じゃあまた明日」
「おう」
そうして、川崎たちは一足先に帰路に就いて行った。
「……コーヒー飲むか?」
俯いた表情の小町にそう言うと、うん、と小さく頷いたのでダッシュで自動販売機まで走る。洗練された動きで財布から硬貨を取り出しボタンを押すと、出てきた缶を抱えて素早く戻った。
見ると、小町はベンチに腰を下ろしていた。念のため、コーヒーとポタージュスープを買っておき、どちらが良いか聞いてみる。
小町は指で、ポタージュの方を指した。もしかすると、さっきはただ頷いただけなのかもしれない。まあ結果オーライということで、プルタブを開けて手渡す。
ふーっふーっと息を吹きかけ傾けた。そしてほっと一息、普通なら顔が緩む。
しかし小町の表情は落ち着いただけだった。口を閉じ、現在成長中の薄い胸が起伏する。
「……なんかあったのか」
ポケットに手を突っ込みながらコーヒーを傾けた。見る限り自然体を演じて訊ねる。
小町はとんとんとベンチを叩いた。座れということらしい。
まあ話し合いは並んでした方がいいだろうと、俺は冷たいベンチに尻を押し付ける。
早く話せと強要する気はない。そのまま話さないでも良いと思う。
「……恋愛ってさ、もっと希薄なんだと思ってた」
ふと呟かれた言葉に、俺は驚きながらも頷いた。
「ふむ……」
「友達同士での恋愛とか、クラスが同じなかで偶然好きになったとかあっても。それは意外と遊び半分で、本気じゃないんだなあって見てて思った」
俺は小中高とぼっちだったから、そんなこと感じたこともないが。一応頷いておく。
「中学とか特にさ。付き合ってた人達が受験期に別れるのとかよくあったし。それが普通なんだと思ってた」
「勉強に集中するには、恋愛してる場合じゃないって気合いを入れる必要があったんだろうな」
「うん、そうだと思う」
小町は頷いて、また缶を呷った。
「でも、そうじゃない恋愛もあるんだなって……」
初めて何かを知ったような顔だった。
「ねえ、お兄ちゃんは雪乃さんとのこれからを考えたりしてるの?」
そうして向けられた質問に、俺はまともな答えを返せるだろうか。……否である。
「……いや、もともと恋愛なんて経験なかったし。今でも恋愛が何かって聞かれて答えられる自信がない。成り行きとか状況とか、色々と複雑だったからな」
すべて、言い訳だと思う。それ相応に本気なら、きっと真剣に将来のことについて考えたりしていたはずだ。リアリストな俺が、そんな過ちを犯すはずがない。だから強引に押し切られたというのが正しい結末なのだろう。
「うん、たぶん大抵がそうなんだと思う。けど将来的には結婚するのが普通で、その時付き合ってた人としか結局は結ばれないから、それまでに誰か付き合うことに関して、正直よくわかってなかったんだ」
言われてみるとそうだろう。経緯はどうであれ、付き合ったから結婚するという考えには当然行きつく。けれど世の中には、成人する前に付き合っている者も大勢いる。果たして、その相手と生涯を共にするとも限らないわけで。
そう考えると、俺と雪ノ下の関係も、あるいはまだ、進んではいないのかもしれない。
「でも、それがたぶん、そうじゃなかったとしたらさ。付き合ったから結婚するんじゃなくて、結婚したい人を探すために付き合うんだと思んだ」
小町の恋愛観は、俺以上に進んでいるように見えた。
「いま付き合ってる人は、将来結婚してなくても自分が結婚したいと思うべき人を見つけるための手助けをしてくれた人で。決して練習台とか、今だけの関係じゃないんだと思う。……だってさ、世界には70億人の人間がいるわけじゃん? 仮に異性の相手を見つけるだけでも、35億人の中から見つけ出さないといけない。それに一発勝負って、どう考えても無理だと思うんだよね」
宝くじ何回当てられるんだよって話だと、小町はけらけらと笑った。
「だから、どこに相手がいるかわからない状況で、好きじゃなけど付き合うことを批判する理由はどこにもないんだと思う」
「今まではそうじゃなかったのか?」
「まあね、批判ってほどじゃないけど。うちにはほとんどの人が手を焼きそうな問題児がいるから。相当の覚悟じゃないと送り出せないですよ」
「おっしゃる通りで。……けどね、その人もその人なりに努力してらっしゃるんですよ? その頑張りだけは、評価してあげても良いじゃないですかね……」
「無理無理。こんな端から見たら不良物件に、雪乃さんっていう超高級買取主が現れたってだけでも奇跡なんだから」
そこまで言わなくても……。お兄ちゃんちょっと悲しいよ?
「まあでも、小町は誰が相手でも送り出すつもりだったよ。……あ、今の小町的にポイント高い!」
人差し指を掲げて見せてくる小町に、俺はおそるおそる聞いてみる。
「……雪ノ下じゃなくてもか?」
「うん。まあ、相手は吟味するだろうけどね。ちゃんと任せられる相手かどうかは見てみないとわかんないし」
姑かよ……。でもまあ、俺も似たようなことしようとしてたし。お互い様か。
「……で、お前はその好きでもないけど付き合うことに合意したのか?」
さりげなく聞くと、小町は小さく首を振った。
「返事は今じゃなくて良い……って言われちゃってさ。今色々と悩んどるわけですよ」
「相手が真剣だからこそ、足並みをそろえるのも大変ってことか」
「愛は深いですなあ……」
何を堂々と恥ずかしいことを。
「でも、だからこそそこまで思い詰めなくてもいいのかなって」
「納得してるんなら何よりだよ」
ふん、と俺は鼻息を吐く。.……本当に。
気づくと、コーヒーは空になっていた。
「でもやっぱり、緊張はするかも……」
「誰だってそうだと思うぞ。……たぶん」
言うと、小町はそうかなあと身体を揺らす。
「お兄ちゃんもそうだったの?」
「……わからん」
だって普段からよそよそしいんだもん。お互い。
「そういう形もあるのか……」
「覚えなくていいと思うぞ。たいぶ特殊な例だと思うから」
「それもそうだね」
けらけらと小町は笑った。
立ち上がって、俺は視線を向けて聞いてみる。
「何か土産でも買っていくか?」
「ううん、いいよ。もう買ったから」
さいで。てことは俺の分のお土産もあるのでは? いやある、絶対ある。だってお兄ちゃんだもん。
「何買ったんだ?」
聞くと、小町はうーんと伸びをして答えた。
「雪乃さんと結衣さんへのお土産かな」
「え? 俺のは? 俺もいちおう先輩なんだけど」
「いやあ、お金が無くって。買おうとは思ってたんだけどさ」
小町は頭を掻いてそんなふうに宣ってきた。
なんなのその理由。悲しすぎて涙出そう……。
「あ、みかんならあるよみかんなら。……家に」
剥いてあげるよと、せめてものサービス精神を見せてくる。いらん。
「いや、いいよ。残しとして正解だ。土産なんて、ただのご近所付き合いみたいなもんだしな」
そんなことより、いつかもっと必要な場面がやってくる。その時のために、残しておくのは当然のことだ。
「ま、こういうのも経験だと思って、がんばりたまえ若者よ」
そう告げて、俺は歩き出した。
誰かに道を指し示せるほど、経験を積んだわけでもない若者の分際で。
やっと終わった。次回のプロットはまだできてないんですけど、義父(ぱぱ)のんが出てくる予定です。てなわけで、また二か月ほどドロンします。