食事を終え、勉強会は後半に入ろうとしている。俺は依然変わらず雪ノ下からの課題に追われ、由比ヶ浜はなぜか新たな諺を作るという試みをしようとしている。ただ、自ら進んでそうしているというわけではない。そうなってしまう、それがどれだけ異常で、恐ろしいことか。
「だーかーら、何で『馬の耳にチーバくん』なんて奇っ怪な諺ができるんだよ」
「だって、馬っていうとチーバくんしか思いつかないんだよぉ」
…由比ヶ浜、お前の頭の中には千葉しかないのか? 今どき千葉県民でもそこまで千葉愛のある奴はなかなかいないぞ。
「じゃあこれだ、猿も?」
「うーん……」
なぜ考える。
「犬も……?」
「──転ぶ!」
はあぁぁぁぁ……。
雪ノ下がこちらを見ている。「あなたでも……やっぱり無理なの……?」と眼で語りかけられている感じがする。……かもしらん。
「……ちょっと休憩しないか?」
俺はたまらずそう提案する。
「そうね、食後は少し眠くなると云うし」
「さんせー」
しかし、休憩に入ったはいいものの、何をしようか考えていなかった。
少し時間が経つと、雪ノ下が鞄から本を取り出した。そして由比ヶ浜はケータイをいじり始める。
俺もその流れに乗り、二人が来るまで読んでいた小説を手に取った。
奉仕部の部室ではそれなりに会話はあると思うが、今日は俺だけじゃなく、二人も緊張しているということなのだろうか。
いや、これも訓練されたボッチだからこそできることだ。休憩というと誰かと喋って時間を潰す奴らを思いつくが、俺たちのようなボッチはそれをしない。
「………何してんの、お兄ちゃん」
しばらくして扉を開けた小町が、なぜか意味不明という顔をしてこちらを見ている。
「何って……休憩だよ、休憩」
そう答えると、小町ははあぁぁぁぁと深くため息をついて、がくんと顔を下ろす。
「……もしかしたらとは思ってたけど、まさか雪乃さんも結衣さんもそっち側だったとは……」
またため息をつく。
「小町さん、そっち側とはどういう意味かしら」
強い目で我が妹を睨み付ける雪ノ下。
「……あっ、いえ……別に深い意味はありませんよ?」
小町は萎縮しているように見えるが、「でも」と言葉を付け足す。
「私の知ってる人たちが皆、そうなんだと思うと、ちょっとクるものがあるというか……うっ」
涙を拭う仕草をする。
「おい待て、戸塚は違うぞ」
重要なことなので補足しておく。
「比企谷くん、今は小町さんの涙の原因を考える方が先決でしょう」
いや、泣いてないし。
「そりゃあ俺らがボッチだからだろ。ボッチでいることに慣れすぎたせいで、非ボッチには理解できないところまで来ちまったんだ」
そう、これこそボッチ流【ザ・ゾーン】。
「──ちょっと待って! 何かあたしまで仲間みたいになっちゃってない!?」
由比ヶ浜がはっと気付きそんなことを言う。
「そりゃそうだろ。むしろ、すげえ馴染んでんぞお前」
「いやいや違うし! いつもこんなんだし!」
そんな論争とも言えないちいさな喧嘩はしばらく続いたが、それを破ったのは小町だった。
「──ちょっと待ってください!」
視線が小町に集中する。
「皆さんは人の家に来た時の過ごし方がまったくわかっていません。兄も含めて」
俺の時だけ一段と残念そうなのは気のせいか?
いや、今はそんなことより──。
「何で俺が入るんだよ。ここは俺の家だろ」
「おもてなしの心がないんだから当然でしょ。まあお兄ちゃんが誰かを家に呼んだのなんてこれが初めてだし、仕方ないけどっ」
「……今、何かとても悲しいことをさらっと言わなかったかしら」
雪ノ下が反応する。できれば気づいてほしくなかった。
「とにかく! 皆さんにはもっと楽しそうに過ごしてほしいんです。そのために必要なのは──」
必要なのは……。
「ズバリ───みんなで楽しめる何かです!」
「だがな小町、俺はそういう類のものはもたない主義なんだ」
「遊ぶ相手がいないから?」
「違う。必要としないからだ」
ものは言い用ね、と雪ノ下が追い討ちをかける。
「それで、何するの?」
由比ヶ浜が訊ねる。
「まあちょっと付いてきてくださいよ」
小町はなぜか俺を残して二人を連れていった。
しばらくして帰ってきた時、二人の様子がどこかおかしかった。
「おい、こいつらに何見せたんだ?」
「ん? 秘密」
コイツ……。
「由比ヶ浜、何を見たんだ?」
「……へ? ………ん、いやあ……なんにも見てないよ……?」
あからさまに怪しい。怪しすぎる。
「怒らないから教えてくれ」
俺がそういうと由比ヶ浜ではなく小町が前に出てきた。
「……それホント? お兄ちゃん」
「ああ」
「何をしてても怒らない?」
「怒らねえよ」
そこまで言うと、小町は笑顔で白状した。後ろ手に隠していたものを前に出す。
「これだよ。お兄ちゃんと小町の『アルバム』」
俺は数秒固まった。
そして雪ノ下と由比ヶ浜を見て訊ねる。
「お前ら、これ見たのか?」
「……ええ。まあ」
「見たというか、見えちゃったというか、見せられちゃったといか……」
アハハと最後は笑いでごまかそうとする。
そうはいくか。
「つまり見たんだな」
俺は由比ヶ浜を見る。
「……うん、ごめん」
怒っていると思われているように見えたので、一応伝えておく。
「別に怒ってるわけじゃないから安心しろ」
すると由比ヶ浜が安堵の表情を見せた。
「それで、それで何するんだ?」
小町に事情を聞くと、まだ二人はそのアルバムの一冊目の数ページしか見ていなかったらしい。それで、雪ノ下がこれ以上見るなら俺に断りを入れた方がいいんじゃないかと提案したそうだ。
「なるほどな。まあ別に見られて減るもんじゃないから別にいいけどな」
「──いいの!?」
由比ヶ浜が突然反応を見せる。そこまで驚くことか?
そうしてリビングに全てのアルバムを用意しようとしていたが、ここで小町からの笛が入る。
「ちょっと待った! ここじゃなくて兄の部屋で見ましょう」
それが真に正しいアルバムと見方……らしい。
なんじゃそりゃ。
部屋の前までやってきた時、俺は原因不明の緊張感に苛まれていた。
思えばこれまで小町以外の女子を部屋に入れたことがない。家に来たことがないのだから当然なのだが。
それにしても、ここまで緊張するものなのか?
俺は由比ヶ浜と雪ノ下の方を見る。
こいつらも、緊張……してるのか?
少し安心した。
しかしいつもとは違う感覚で俺は扉を開ける。
わりとこいつらの第一声が気になる。「ひどい」とか言われると泣く自信もある。
「へー、ヒッキーきれい好きなんだねー」
「まあ……それなりにはきれいね。というか物が無いのかしら」
思っていたよりは良い評価だった。
「兄には物欲がないんですよ」
小町がそう言うと、二人は頷いて納得した。
「それじゃあ、さっそくアルバム鑑賞会始めちゃいましょう!」
小町が元気よく腕を上にあげる。
由比ヶ浜は相変わらず乗せられるように「おーっ!」と腕を伸ばす。なぜか雪ノ下も腕を脇ほどまで上げて、しかし雪ノ下を見ている俺を見るとゆっくりと腕を下げた。
三人はベッド近くの床に座り、俺はベッドの上からそれを見下ろすように眺めている。
しかし、人に写真見られるのって、意外と恥ずかしいもんなんだな。
そう思っていた時だった。
「ヒッキー赤ちゃんのときも目つき悪いね」
なんでだよ、すっげー可愛いじゃん。パン〇ースのCM狙えちゃうよ、この子。
「あ、でも小町ちゃんはかわいいね」
「同じ遺伝子を持っていてもこうも違うことがあるのね」
「いやー、照れるなぁ」
照れるなよ、擁護しろよ。
「まあ兄の目つきの悪さはある意味チャームポイントというか、それがないと兄じゃないので」
「死んだ魚の目がチャームポイントとは、さすが比企谷くんね」
あ、これは誉められてないわ。
「アルバム鑑賞会というより、俺を貶める会になってない?」
薄々感じていたことを伝える。
「そうね、それじゃあアルバム鑑賞会を始めましょう」
こいつ。
さっきの時間は何だったんだ。
***
アルバム鑑賞会を終え、雪ノ下の「そろそろおいとまするわ」という発言から俺たちは一階へと下りてきた。
玄関につき、二人を見送る。
「今日は、その……ありがとう。助かったわ」
ドアノブを掴んだ雪ノ下が突然振り返り、そう礼を言う。
「期待に答えられたかは、正直不安だけどな」
由比ヶ浜の学力を少しでもあげられたか、今でもわからない。後半はほぼ遊んでいた。
ああ、そうだ。
「……俺の方も、まあそれなりに楽しかったし……」
言い淀んでいると、横から小町の肘が当たる。
「ちゃんと言った方がいいよ」
わかってる。
「まあ、また来てくれてもいいっていうか……」
頭を掻く俺を由比ヶ浜と雪ノ下が見る。
「ヒッキー……」
「比企谷くん……」
二人は顔を見合せ再び俺を見る。そして同時に──。
「また来るわ」「また来るね」
振り返りドアを開ける。
瞬間のことだった。
ビュオオオ………!!という風が部屋の中に入ってきた。
いつの間にか、外は大嵐になっていたらしく、その雨風を直に受けた二人が無言で玄関に留まり、雪ノ下が音もなく扉を閉める。
「……小町さん」
「はいっ!」
がらりと変わった雪ノ下の雰囲気に小町は緊張を覚えたらしい。命令でも受ける前のような緊張が俺にも伝わってくる。
「大変申し訳ないのだけれど……」
あれほど爽やかというか、良い別れ方をしたにも関わらず、突如現れた異常な嵐は俺の、いや俺たちの一日をまだ終わらせてはくれないらしい。
「……今日、泊まらせてもらえないかしら」
人生初の、お泊まりが決まった瞬間である。