「ねえヒナちゃん、おままごとしよー」
「え、やだ」
「なんでなんで……!? 」
子供の頃の思い出だ。思い出と呼べるものかもわからないけれど。この時私は「なんでも」と答えた。
今思えば、幼稚園児が言う台詞としては少々異様だったと思う。答えを出すのが面倒だったから、理由を訊かれると大抵それで済ませた。
──変な子ねぇ。
よく他の園児のお母さんにそう言われた。当時はまったく気にもしておらず、周りもそこまで深くは私を気にかけなかった。それでよかった。
小学校はまだよかった。私のことを知っている人が多く入学したから、いつもあんな感じの子なんだよと──頼んでないけど──代わりに説明してくれて、周りも変わった子だという認識でいてくれた。でも中学に上がると、人との交流が一気に増えた。
初めての自己紹介。小学生の時もやったけれど、あの時はメガネと本を携えて暗めの女の子を演じた。
けれど中学では、私の印象はまだ決まっていなかった。だから必要以上にイメージを悪くするのは避けたかった。
だから───
「○○小学校から来ましたー! 海老名姫菜でーす!よろしく~」
この時私は、
「海老名さん、一緒にマック行かない?」
「え、行く行くー! 今からー?」
今でもそれが、正しかったのか分からない。必要以上に言動に気をつけて、演じきるのにはすごく疲れた。
明るく元気で快活な海老名姫菜をやっている間はすごく疲れていると同時に、どこか安心もしていた。本性を知られていないどころか、これが素の私だと誰もが思っていたから。多分どっちでも良かったんだろうけど、中学では『いじめ』というものがあると知り、少なくとも標的になる側ではいけないと思った。
そんなある日、下駄箱を開くと一枚の手紙が入っていた。
「え? 嘘、ラブレター!?」
たまたまそこで挨拶を交わしていた、クラスではよく話す女の子が私が手紙を持っているのを見つけて声をあげた。
正直どうでもよかったから適当に誤魔化す。
「どうだろうね」
「絶対そうだよ。──でも誰なんだろね……」
彼女は心底中身を見たそうな顔をしていたけれど、私はさっさと鞄に入れた。
「あれ、見ないの?」
「後でね、ここじゃあちょっと……」
「あ、確かに……」
納得したようでも、顔には見たいと書いてあった。視線がずっと
はぁ……。
私は心の中で、深くため息をついた。だから早めに決着をつけるべきだと思った。
心底面倒だったけど、手紙に書かれていた屋上という、まあ告白ではベターな場所に出向くと、一人の男子が待っていた。彼は最初から扉に目を向けていたのか、私が現れると途端にあたふたし始めて、会話どころの話ではなかった。
「こんな所に呼び出してどうしたの?」
だから私は、彼が自ら話すように誘導した。正直ちょっとうんざりしていて、早く終わらせてほしかったから。
すると彼は意を決したように私を見つめて言った。
「この前の返事、聞かせてほしいんだ。ずっと保留だったけど、もう待てないよ」
やっぱりそういうことか、と私は内心ため息をつく。
その男子は同じクラスで、大人しそうな印象だけど外見はいいから、狙っている女の子は結構いた。
今からたぶん一ヶ月くらい前に呼び出されて私は告白された。あれは確か───どこだったっけ……。
引き伸ばして時効にしようと思ってたのにな。作戦失敗かな……。
まあ今くらいが潮時だと思って、私は彼に手紙を見せる。
「だから下駄箱にこれ入れてたんだ。名前は書かずに場所だけ指定して」
「海老名さんなら、きっと他の人には見せたりしないだろうから……」
彼は性格そのまま、細々と言う。
「折り畳んだものじゃなく、取り出さないと分からないものにしたんだ」
声には出さなかったけれど、そんな感じの続きを言うだろうと思った。
「ありがとね」
なんて無機質な感謝の言葉だろう。それを笑顔で言ってのける自分がちょっとコワい。
「でもごめん。付き合うとかは、今は無理かな」
私は掌を立てて謝る仕草をとる。最近わかったことだけれど、「今は」と付けると言われた相手は最低限「フラれた」とは口にしない。男の安いプライドは、本人でも傷つけたくはないのだから。
案の定、彼は乗ってきた。項垂れるように小さく頷いて、そのままそこに立ち尽くす。
「……わかったよ」
「ありがと、じゃあね」
そうして足早に屋上を出た。
こうすれば諦めもしやすくなる。何度もフるのは疲れるし相手もいい気はしないから、無理だと普段の日常で感じてもらうのが一番いい。無視とかではなく、ただ普段通りに振る舞っていれば、そのうち勝手に諦めてくれる。
そうすれば相手も変に私を意識しなくなるし、私も意識しないで済む。
この時の私は気づいたのだ。海老名姫菜こそが本当の私なんだと。自分が何者であるかをずっと演じ続けていたからこそ、何者でもないと気づくとあっけなかった。
だからそんな私を受け入れてくれた、
腐女子を演じていれば、男子は誰も私に告白なんてしてこない。そんな軽い、どこかやけくそのような気持ちで演じたこの
けれど二年生の後半になると、各々が真剣に将来について考え始めた。付き合いも減り、三年になるとあまり遊ばなくなった。特に
だからそのわだかまりが、私の足を自然とそこへ向かわせた。
偶然だった。本当にたまたまだった。たまたま気分がよくなくて急いで
「ややっ!」
扉を開けると丁度死角になる日陰のところで蹲り、習字でも書くように目線を下に向けて彼は何やら書いているようだった。正直見られる前でほっとしたけれど、今からする気にはなれない。しかしこのまますっ、と帰ってしまうのもスッキリしないと思った。
視線を向けるとだらだらと額に汗を滴らせている。汗っかきなのかと思ったけれど、この暑い季節にコートを着込んで指ぬきグローブをはめているから「ああ、そういうことか」と納得して話しかけた。
「何やってんの?」
「えっ、あっ、うっ……」
普通に聞いたはずなのにしどろもどろした反応しか返ってこない。ありゃ、顔に出ちゃってたかな、これは。
ちょっと近づき、それを覗き込む。
「何か書いてるの? レポート? いけないなあ」
なんてことはない軽い冗談だ。とっつきにくい相手にはちょっと強めに接して主導権をとる。けれど表情は穏やかに。
「あっ、いや、これはその……」
熊みたいな体格のわりに気は小さいみたいだった。けれど何か言いたそうだったから待ってあげた。
「小説というものでして……」
改まった口調にまたわからなくなる。そんなわかりやすいかな、私って。そうでもないと思うんだけど。
けれどまあ、人畜無害そうだから普通に話しかけた。
「へえー、小説。はじめてみるー、ちょっと見せてよ」
そんなちょっとテンションをあげて彼の書きかけの小説を無理やり見た。
「あっ、いやまだそれは途中で……」
彼の訴えを無視して文章に目を通した。
すると見えてきたのは──意味の分からない文字の集合体。カタカナ語が文章の三割くらいを占め、女性キャラが脱がされるシーンにはやけに熱がこもっていた。ちょっとアッチ系の小説かと思ってしまうくらい。
「ふーん」
「ど、どうなのでしょう……」
恐る恐る聞いてくる彼に私は答える。
「まあまあなんじゃない? 描写の細かいとこがやけに偏ってたけど、読める分には読めたよ」
「えっ……、ホント……ホントに?」
「うん」
ちょっと、いやだいぶかなりあまーい評価だったけれど、否定だけはしないようにしている。やんわりと褒めておけば、変に付きまとわれたりしないだろうし。
そう思っていたけれど、彼はそこだけは予想外だった。
「うおっしゃー!」
声高々に叫ぶと、ガッツポーズを空中に向かってビュンと伸ばす。
そして叫び終えると、さっきまでのヒヨった様子から一変、なにやらがさごそと後ろの鞄から束の原稿用紙を取り出すと、ほくほく顔で差し出してくる。
「よろしかったらこれも読んではくれないでしょうか!」
そんな、ちょっとべっちょり汗の滲んだ原稿用紙。タイトルを見ただけでさっきと同様の文字列が思い浮かんでしまうような感じだったけれど、この熊みたいな体格が目の前にあるとやっぱりそれなりに迫力はあって、それにこれはたぶん間違いないのだろうけれど、彼はオタクであり、その特有の暑苦しさがひしひしと伝わってきた。
「いいよ。でももう昼休み終わるからさ、また今度でいい?」
言うと、彼はむーんと考え込んで、小さく頷く。
これで一時はしのげるかなと安心してると、けれど彼は聞いてきた。
「海老名殿は、明日など来られるか?」
あー、これは面倒くさそうなやつだ。仮に無理だと答えると、彼はずっとここで私が来るのを待つのだろう。ならばここは早めに関係を終わらせるべきだ。私はうんと頷く。
「いいよ、明日ね」
言って私はその場を後にした。その時少しだけ気持ちがすっきりしていることに若干の疑問を感じながら私は教室に戻った。
翌日の昼休み、私は屋上に向かった。最近は
すると先に来ていた彼がまた日陰でペンを動かしている。彼も
「やっほ」
声をかけると彼は執筆の手を止めて近寄ってくる。その手には昨日見たタイトルの原稿があった。
「あの、これ……」
「あー、はいはい」
やんわりと受け取って中身を見る。
予想通りそこにはカタカナ語の文字列がたくさんあった。けれど何度もブラッシュアップしたのか、前よりかは幾分か読めた。
とりあえず区切りのいいところまで流しで読んで、適当な感想を述べる。
「うん、まあいいんじゃない?」
「ぐ、具体的にどの辺が……」
メモ帳を片手に聞いてくる。ちょっと悪いなと思い、もう一度軽く読み返してから私は感想を伝えた。
「また女の子が脱がされるシーンはいつも通りだね。でもちょっと横文字が多いかな。わざわざ天界を『ヘヴン』って読んでる意味がちょっとわからない」
「ふむふむ。あとは?」
あとは?……まだ読ませる気かとちょっと頭に血が上ってしまったけれど、そこは冷静になり断る。
「今言った点を全部直してきたらもう一回見てあげるよ」
言って、私は心の中で首を傾げる。……もう一回? これっきりでしょ?
そんな、ちょっとした自分への苛立ちを感じていると、彼は大声で言う。
「あいやわかった! 明日までに必ず!」
そんな、暑苦しいほど前向きな言葉に、私は少したじろいでしまう。……ていうか、そんな口調だったっけ。
少し訝しんでいると、しかしその威勢の大きさも次第にしぼんでいき、またしょぼしょぼと聞いてくる。
「なので、明日見てくれなどしないだろうか……」
ちょっとしつこいと思って断ろうと思ったけれど、ふいにあの教室を思い浮かべて、私は言葉を飲み込む。
「……いいよ」
ちょっと暇つぶしに付き合うくらいの軽いノリだった。彼らとのつながりが薄れ始めて、私は少し焦っていたのかもしれない。
「それは真か!?」
「う、うん……」
いきなり眼鏡をギラギラと光らせて彼は確認をとってくる。口調はもうどうでもよかったけれど、少し暑苦しかったからつい驚いて私は頷いてしまった。
すると彼はバンザーイとばかりに両手を振り上げて喜びを表現する。
「やったー!」
喜びを爆発させる彼を見て私はなんだか居たたまれなくなり、急いで踵を返した。
「じ、じゃあ先行くね……」
「うむ、待っておるぞ」
キメ顔でサムズアップしてくるのを見るだけに留めて、私は急いで扉を閉めた。
階段を下りてすぐの死角の影で、私はこのモヤモヤの正体を確かめようと壁に背中を預けてんこれまでの行動を振り返った。
これまでにもこういうことは何度かあった。誰かに頼み事をすることも、頼まれることも。
けれど今回のは、それらとは感覚が違った。一方的な、私の自己満足だ。
彼の頼み事を聞くフリをして実は、私は彼に不安を忘れさせてほしかった。
変わっていく彼らとの関係性は、私の好きだった頃にはもう戻れないと知って。
私は──諦めてしまったのだ。簡単に。今まで通りに。
思い返してみればこれまでも、私は諦めて続けてきた。周りとのコミュニケーションも、本音で語り合うことも、誰かと向き合うことも一度としてしてこなかった。本当の自分というものをいつからか捨て去って、
そしてやっとつかんだ関係性も、時が経てばこうして変わっていく。それでいても、友達という本質は変わっていないかもしれない、昔の
だから諦めてしまった私は、一人取り残されてしまったのだ。いや、残ることを選んだ。それしか選択肢を知らなかったから。
だからその時、私には何もないのだと、改めて悟った。やっと手に入れたものでさえ、ずっとそのままにしていたくて。皆進んでいこうとしているのに、けれど停滞を選んだから。
変わっていく彼らの姿を遠目で見ながら、それでも変わってほしくないと思って何もしなかった私は、結局のところ、何も持ってはいないのだと知った。
だからこそ、存在を求めた。今の海老名姫奈を認めてくれる存在が、まだどこかにあると思って。
そして彼を見つけた。本当に誰でもよかったのだ、最初は。
けれど彼を手伝う体で実は、私は彼に助けられていた。私の醜さ、そして弱さを紛れさせるために、私は彼を利用したのだ。
だから、このままこの関係を続けるべきではないことはわかっている。彼に依存することで解消する不安は、結局のところ一時的なものでしかない。もし彼が私の意見を必要とせずに文章が書けるようになってしまえば、私はまた居場所を無くす。
その時、私はやっぱり取り残されて、また失うのだ。
私はため息をついて天井を仰いだ。
……いつから、私はこんなにも醜くなってしまったのだろう。誰にも頼ってこなかったがために、いつしか誰とも向き合えなくなってしまった。進んで成長して、変わっていく彼らと違って、私はいつまでもあの時の――自分を諦めてしまったあの頃の私のままだ。それを変えるチャンスは、きっといくらでもあっただろうに。
だから、私には彼も眩しく見える。ひたむきに努力する様を、私は素直にかっこいいと思った。
だから私は彼を見て、今度こそ探して見ようと思った。誰とも向き合わなかった私だからこそ、今度こそ本気で向き合って、新たな私というものがあるなら、私はそれになりたい。
何か変なことになってきましたが、とりあえずお付き合いください(とうに当初の流れからは逸脱している……)。