守矢の魔女   作:すだチ

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 この世の何より、本が好きなのだと彼女は言った。
 読書をしている間が至福の時間、それ以外は何も要らないのだと。
 そんな彼女が、成人向け同人誌に出遭ったらどうなるだろう?
 ましてやそれが、自身と従者のセ●クスを描いたものであるなら。
 恐らく読書の愉しさと性的興奮は掛け合わさり、彼女の肉体に抗い難い快楽を与えることだろう。
 事実、彼女は虜となり、今や完全に同人誌に依存してしまっている。
 ならば、彼女を救うためには──。
「こんなことで治るのかしら」
 不安げに呟くパチュリーに「大丈夫です!」と早苗は答え。
 力一杯、魔導書の角で彼女を打った。
「痛ぁっ!」
「まだまだこれからですよ! 本を嫌いになるまで続けますからね!」
「い、痛いってばっ……あっ……くぅっ……!」
 堪らず悲鳴を上げるパチュリーを、早苗は容赦無く打ち据える。
 そう。早苗が考えた解決法とは、「本嫌いにすること」だった。だから本で叩く。いささか乱暴な手段と思いながらも、彼女を救うために心を鬼にした。
 ひたすら叩き続ける。何度でも、何度でも。ただ、彼女が心折れるまで。
「ほらほらぁ! 嫌でしょ、痛いでしょう!?
 そろそろ嫌いになって来たんじゃないですか? 辛いでしょう、苦しいでしょう?
 これが貴女の愛した本の正体なんですよ! 固くて分厚く角が尖ってて、そして重い! 正直ぶつのも疲れます!
 さあっ! そろそろ破り捨てたくなって来たでしょー!!!」
「──どちらかと言うと、貴女を消し炭にしたくなって来たんだけど」
「…………」
(失☆敗☆しちゃった♪)
 涙目で睨み付けて来るパチュリーを見て、早苗は方針変更を余儀なくされた。
 考えてみれば、本が人生の全てという彼女からそれを奪ってしまえば、後には何も残らない訳で。生き甲斐を失ってしまった彼女は、何をしでかすか分からない。それは自分にとっても不幸な結果をもたらすだろう、と早苗は悟った。具体的に言えば、人生の終焉である。
(パチュリーさんを本嫌いにするのはほぼ不可能。
 ならば逆の発想……本以上に大切なものを見つけられれば、或いは)
「そう。例えば友情パワァッ!」
「え? 何か言った?」
「何でもないです! それよりパチュリーさん!
 もうこんな時間ですし、今日はウチに泊まって行きませんか?」
「え? 時間って、まだ日も傾いてないけど」
「いいから」
「いや、いいからって貴女……ちょ、ちょっと」
 有無を言わさぬ口調で告げ。
 困ったように呻くパチュリーの手を取り、早苗は自分の部屋へと歩き出した。
(ふっふっふ。今こそ切り札を使うべき時のようですね。
 ぎこちない友人関係を打破し、一気に親密な関係へと持って行くとっておきの手段!
 すなわち、パジャマ☆パーティーを──!)


第2話

 すっかり夜も更けた守矢神社。

 神様達が寝静まった神殿からは、ただ風が戸板を叩く音のみが聞こえて来る。

 鳴く虫の居なくなった、静かな初冬の夜。

 冷気に火照った身体を冷やされ、早苗はぶるっと身を震わせた。浴衣の上にどてらを一枚羽織っただけではさすがに寒い。風邪をひかないようにしなければと、宿舎へと急ぐ。

「あら。もうお風呂上がったの?」

 部屋の戸を開けると、パジャマ姿のパチュリーが出迎えてくれた。

 緑地に青色の水玉模様が施されたパジャマである。早苗が外の世界に居た頃着ていたお古だが、小柄なパチュリーにはぴったり合っているようだ。主に胸の部分が。何気に生地には耐水性の霊符が縫い込まれており、霊的防御効果もあったりする。

「ええ。いい湯加減でしたよ。出汁が良く利いてて。

 パチュリーさんももう一風呂どうですか? まだお湯残ってますけど」

「出汁? ……いえ、やめとくわ。湯冷めしそうだもの」

 寒いのだろう。パチュリーは布団に足を入れて、魔導書を読んでいた。どこに隠し持っていたのか、黒縁の眼鏡を掛けている。こんな時まで本、か。余程好きなんだなと感心しながら、早苗も隣に布団を敷いた。

「ねぇ。パチュリーさんって、本ならどんな本でも好きなんですか?」

「ええそうよ。本は知識の源泉だもの。私の知らない色んなことを彼らは教えてくれるわ。それは、何も魔導書に限った話じゃない」

「なるほどー。あ、私も外の世界に居た頃は結構読んでたんですよ?

 ここに来てからは手に入れ辛くなったのであまり読まなくなりましたけど」

「あらそう? じゃあ紅魔館に来ると良いわ。ウチの図書館に無い本なんて、この幻想郷にはほとんど無いんだから」

(やっぱり本の話題だと嬉しそうですね、パチュリーさん)

 普段愛想の無い魔女が見せた、束の間の微笑。

 その笑顔をいつか自分のためにも見せて欲しいと、早苗は願った。

「だけど」

「はい?」

「私の知らないこともまだまだ多いのね。今回のことで、それを思い知らされたわ。

 自分自身のことさえ分からないんだもの。きっと他人を理解することなんて、一生かかってもできないんだと思う」

「パチュリーさん……」

 いつに無く弱気な口調で、パチュリーはそう呟いた。

 どうやら早苗が思っていた以上に、彼女は苦しんでいるようだった。

「だから聞かせて? 貴女のこと、この神社のこと。それから、外の世界のことを。

 早苗。他の誰でもない、貴女の口から聞きたいわ」

 そして、自分を頼ってくれている。

 少しずつではあるが、心を開き始めてくれているのだと思うと、早苗は嬉しくなった。

「はい! 私で良ければ、喜んで!」

「ふふっ、ありがとう。

 ではまず、スリーサイズから聞かせて貰おうかしら」

「はい、では胸囲から──って、えぇえっ!?」

「ふふっ。冗談よ」

(思考回路がすっかりオヤジ化しちゃってますよパチュリーさん……やはりあの同人誌の影響を受けて……って)

 そこまで考えが及んだところで、早苗は気づいた。

「ぱ、パチュリーさん」

「ん? どうしたの? 私の顔に菓子粒でも付いてる?」

「今は付いてないです。それよりパチュリーさん、その本」

「え? この魔導書がどうかして──」

 早苗に言われるがまま、パチュリーは手にした魔導書へと視線を戻し。

 開いたページを目にした瞬間、硬直した。

 

『ぱちぇ×こあ!

 とつげき! ふうじんろく~まうんてん・おぶ・えくすたしー~』

 

 そこにははっきりとそう記されていた。

 またしてもギャル文字で。

「…………」

「…………」

 二人して無言で見つめ合う。

 何となく気まずかった。例えて言うなら、今晩のオカズを選別中に母親に見つかった男子中学生の気分だ。或いは、本番真っ最中に。逆に、母親の立場になってみても良いだろう。できれば何も無かったことにしてしまいたい、そんな気分。

 しかし。いつまでも、沈黙を保っている訳にもいかない。

 とりあえず早苗は、思い切って枕をパチュリーの顔面にぶつけてみた。

「むきゅー。いきなり何するのよぅ」

「やかましいです! 何でこんな所にこの本があるんですか!? 私、タンスの奥にしまっておいたはずなんですけど!?」

「いや、つい。ほら、無意識で」

「無意識と聞くとあの妹様を思い出しちゃいますからやめて下さい! どんだけ毒されてるんですか貴女!?

 没シュートです! 今度こそ、二度と手の届かない場所に封印します!」

「い、嫌! それだけはやめて!

 この本が枕元に無いと眠れないのよ、私!」

「問答無用です!」

「い、いやぁ……!」

 無理矢理奪い取ろうとすると、パチュリーはいやいやと身をよじって抵抗して来る。それでも身体能力ではこちらが上回っている。瞬く間に早苗は彼女を組み伏せた。

「さあ覚悟して下さい──って」

「…………」

(な、何この状況? これじゃまるで、私が押し倒してるみたいじゃない)

 諦めたのか、パチュリーは潤んだ瞳でじっと見上げて来る。見つめ合っている内に、自然と頬が紅潮して来た。

 布団の上、乱れた着衣。今正に取り上げようとした同人誌の中身を思い出し、早苗はどくんと心臓が高鳴るのを感じた。

 これだけは言える。この状況は、極めてまずい。

「ねぇ。早苗」

「な、何ですか」

「どうしても封印するの? 今夜だけでも、駄目?」

「あ、当たり前でしょう! 私は貴女の魂を浄化しなければならないんですから。それに、幻想郷の危機だって」

「そう……だったら」

 

 ──貴女が代わりに慰めてくれる?

 

 その瞬間、確かに。

 くすりと、彼女は嘲笑(わら)っていた。

 

 早苗は思い出す。この人は魔女なのだ、と。

 もし、同人誌など関係無く、最初から穢れているのだとしたら。

 浄化を引き受けてしまった時点で、自分は彼女の罠に掛かっていたことになる。

 演技だったのか?

 今までの、何もかもが。

 

「それも冗談、ですか?」

「さて、どうかしら。

 ただ、興味はあるかもね。神に仕える巫女が、どんな風に乱れるのか」

「……悪趣味ですね。だから私を選んだんですか?」

「それは、貴女の想像に任せるわ。

 ただこれだけは言える。私は、巫女が大嫌い」

「くっ……!」

 平手で彼女の頬を張った。

 やってしまってから、それこそ彼女の思い通りだと気づくがもう遅い。

 張った手の痛みが、後悔へと変わる。もう、後戻りはできない。

「何? 泣いているの? みっともないわね」

「わ、私は」

「無様ね。そんなだから博麗の巫女に敗れるんだわ。あの子はこの程度の誘惑には微塵も揺るがなかった。それどころか、私の存在自体眼中に無かったわ。

 だけど貴女は私を受け入れてしまった。それが貴女の敗因ね」

「だって、私は」

「他者に依存しなければ生きていけない貴女に、他者を救うことなんて決してできやしない。なのに、私を救うと? 思い上がりも甚だしかったわね。

 さあ、このゲームはもう終わり。私の勝ちよ」

 あくまでも冷静な口調で勝利を宣告する彼女が、今はこの上なく憎らしく思えた。自分がこれまで必死になって取り組んで来たことは何だったのか。全ては無駄だったのか? 何も、彼女には伝えられなかったのか──そう思うと、悲しくて、堪らなくなって。

「私はっ……友達だと、思っていたんですよ……?」

 とうとう、早苗は己が感情を爆発させていた。

 

 

「私はっ……友達だと、思っていたんですよ……?」

「…………」

 そう言って、早苗は涙目で睨み付けて来る。

 パチュリーは、そんな彼女を真っ直ぐに見上げていた。

「友達だから、助けるのが当たり前じゃないですか。

 それじゃ駄目なんですか? 私は、間違っていたんですか?」

「そんなの」

 駄目に決まってるじゃない。

 言い掛けた言葉を飲み込み、パチュリーは早苗の頬を撫でた。

 透明な雫が垂れ落ちて来る。七曜を操る魔女には、それが純粋な悲しみの涙であると分かっていた。

 だからこそ美しく、そして儚い。

 当の昔に自分が失ってしまったものを、この巫女は持っている。

 それは何者にも縛られず、故に何者にも平等に接する博麗の巫女にも無い物だ。

 

 今日一日で、痛い程に理解できた。

 だから早く終わらせようと思った。羨ましかったから。

 終わらせなければ、殺してしまうと思った。その時点で、自分の敗北は確定だった。

 

 幸いにも、その前に終わらせることができた。だから今回は勝ち。

 だけど本当は──救われたかったのかも知れない。

「私は、巫女が大嫌いだけど」

「…………?」

「東風谷早苗の人間性は、認めているつもりよ」

「え? それって」

「……悪かったわね」

 視線を逸らし、パチュリーは呻くようにそう呟いた。頬が熱くなるのを感じながら。

 それを聞いた途端、早苗の表情がぱぁっと明るくなった。つい今しがたまで泣いていたのに、現金な娘だ。

「ぱ……ぱちゅりーさあああああん」

「なっ!? ちょ、ちょっと、急に抱きつかないでよ!?

 私にも心の準備ってものがっ……!」

「私嬉しいです! パチュリーさん、私のこと友達だって思っててくれたんですねっ」

「へ? そんなこと言った覚え無いわよ」

「いーえ言いました! 私ちゃんと聞いたもん!

 えへへ。やっと私、ここでお友達ができました」

(あ……)

 そういえば、と思い出す。この巫女は、元々外の世界の人間なのだ。

 幻想郷に来て日も浅く、周りに居るのは誰に対しても無関心な紅白巫女と、掴みどころの無い黒白魔法使い。友と呼ぶには、あまりにも薄情な奴らばかりだ。

 だからか。早苗がここまで、「友達」という言葉に拘り続けていたのは。

 

 愚かだ、と嗤う自分が居る。

 一方で、そんな彼女を眩しいと思う自分が居る。

 彼女は未熟だ。これから様々な経験を積み重ねていく内、人生には裏表があることを悟るだろう。その時までこの輝きを放ち続けていられるかどうか。

(ふふっ……見物ね)

 パチュリーはようやく理解した。

 終わったはずのゲームは、第二章の幕を開いていたのだ、と。

 

 

 翌朝の守矢神社。

 風祝であり巫女でもある早苗は、朝早くから両方の業務に追われていた。朝霧に包まれた境内を掃いたり、神より賜った霊水(※決して涎ではない)を撒いて清めたり。特に今日は、完成したばかりの茅の輪を鳥居に奉るという大仕事が待っていた。

「祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」

 昨日の諏訪子の言葉を思い出し、念のために潜ってみる。奉り潜るという行為自体が立派な神事であるため、唱え詞も忘れない。

「──うん。これで準備おっけーね」

 自分で潜ってみて、出来栄えに満足する。後は小祓の本番を待つばかりだ。

 うきうきとした気分で、早苗は社へと歩き出した。

 

 お膳を持って食堂に行くと、既に神様二人が座っていた。年の所為か、神様の朝は早い。

(思った通りというか何というか。パチュリーさんはまだ寝ているようですね。

 まあ昨晩は色々と盛り上がりましたからねぇ。パチュリーさんたらあんなに激しく……じゅるり)

 脳内で展開されるピンク色の妄想劇場のことなどはおくびにも出さず。

「おはようございます、神奈子様、諏訪子様」

「ああ。おはよう、早苗」

「おっはよーん」

 早苗が挨拶すると、二人はそれぞれ、読んでいた新聞から目を上げた。

「珍しいですね。お二人が文々。新聞を読むなんて。前に、天狗の書く話はミーハーだから嫌いだと仰ってませんでしたっけ」

「まあ、たまにはね。気になる記事があったものだから」

「そーそー。面白い記事があったのだよー」

 お膳を差し出しながら尋ねると、二人はにやにやと笑みを浮かべて応えて来た。

 余程面白い話でも書いてあったのだろうか。文々。新聞の熱心な購読者である早苗としては気になるところだ。

「へー、どんな内容なんですか? 私にも見せて下さいよ」

「いや、これは。見ない方が健全だと思うよ」

「てゆか、早苗にはまだ早いと思うよー。ほら、早苗って精神がお子ちゃまだし? カラダの方もまだまだだけどねっ」

(諏訪子様にだけは言われたくないですがっ)

「そう言われるとますます気になっちゃうじゃないですかぁ。もう、意地悪言わないで見せて下さいよー仲間外れは寂しいですよぅー」

「そう言われてもなぁ……あ、こら、覗き込もうとするな!」

「ほらね。そういうところがお子ちゃまだって言うんだよ」

(あーまた言った! 私、お子様じゃないもん!)

 諏訪子はともかく、神奈子までもが頑なに見せようとしないのが気になった。折角用意した朝ご飯を食べるのも忘れて、早苗はどうしたら読むことができるか考える。

 一瞬。そう、一瞬の隙さえ作れれば十分だ。そのためには。

「あっ、あんなところに褌一丁の香霖堂さんが!」

「ふっ。馬鹿だね早苗」

「そーそー。私らが今時そんな古典的な手に引っ掛かる訳無いじゃんねー?」

「罠に掛かったミスティア・ローレライを食べようとしてます! 主に性的な意味で!」

「「何ィッ!?」」

(駄目だこの神様達早く何とかしないと。なんてね)

 嘘にあっさり引っ掛かり外に飛び出して行った神様達を見送りながら、早苗は二人が読んでいた「新聞」を取り上げた。

「さてさて、邪魔者が居なくなったところで。どんなこと書いてるのかなーっと」

 期待に胸を膨らませて、彼女はページをめくり。

 

『ぱちぇ×こあ!

 とつげき! ちれいでん~じゅうかんぢごくへん~』

『ぱちぇ×こあ!

 とつげき! せいれんせん~せーいきにかけて!~』

 

 ……目にしたギャル文字の二大タイトルに、眩暈を覚えた。


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