守矢の魔女   作:すだチ

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(な、何で)
 幾つもの疑問符が、早苗の頭の中に浮かび上がった。
 しかし彼女の疑問に答えられる人物(神様?)はここには居ない。季節は冬だが、頭が春な神様達は、今頃境内を駆け回っていることだろう。
(どういうことなの)
 とりあえず言えることは、あの二人が真剣な表情で読み耽っていたのは文々。新聞などではなく、その裏に隠し持っていた「ぱちぇ×こあ!」本だということだが。そんな事実も、新たに湧いた疑問の前には何の意味も成さない。
「どうして二冊もあるんですかコレェッ!?」
「……あら。一冊だなんて言った覚えは無いわよ」
 悲鳴に近い早苗の叫びに、応えたのは神様ではなかった。どちらかと言えば対極の存在、紅魔館の魔女である。
「むきゅー。朝から騒がしいわね。おかげで目が覚めちゃったじゃない。寒いからお昼過ぎまでゆっくり寝てようと思ってたのにー」
 眠そうに目を擦りながら、パチュリーは席に座る。その胸にはしっかりと「ぱちぇ×こあ!」本が抱かれていた。
「げ、三冊目」
(……いえ、昨日私が見た一冊目でしょうけど。まさか複数存在するだなんて)
「ちなみに全部で百八冊あるわ」
「多っ!?」
「恐らく煩悩の数に合わせてるのでしょうね。さすがに持ち切れないから、三冊だけ持って来たけどね……けどまさか、あの二人に見つかっていたとは迂闊だったわ。
 でも、これで分かったでしょう? 私が、幻想郷の危機だって言った意味が」
(た、確かに)
 コピーするまでもなく、既に百八冊の「ぱちぇ×こあ!」本がこの幻想郷に存在しているのだ。幸いにも、ここに在る三冊以外は紅魔館内に隠されているようだが。それにしたって、いつ誰かに発見されるか分からない。悪戯好きな妖精連中に見つかったりしたら最悪だ。
 加えて早苗が驚いたのは、その感染力の高さだ。昨日の今日で早くも、仮にも神格である神奈子と諏訪子が虜となってしまった。この分だと、「ぱちぇ×こあ!」本が幻想郷中に蔓延するのに、そう長い時間は掛からないかも知れない。そしてその時こそ、幻想郷は消滅するのだ。
(もっともあの二人は、普段からオヤジ臭いから『少女』には当てはまらないのかも知れませんが)
「状況は切迫している。合計百八冊の禁書、一冊たりとも流出させてはならない。全て焼き尽くすか、何重にも鍵を掛けて誰にも手の届かない場所に封印するか。一刻も早く、いずれかの方法を実行に移さなければならない。
 ──って、頭では理解しているつもりなんだけど。どうしても現物を見ると尻込みしちゃうのよねぇ。何だか勿体無くて」
(現に今も大切そうに抱いてらっしゃいますしね。汚れても知りませんよ?)
 理解はできても納得はできないということか。パチュリーは玉子掛けご飯をちゅーちゅー啜り、「私、どっちかと言えばソース派なんだけど」と文句を言って来た。
(てゆかそれ、私の朝ご飯なんですけどね!?)
 起きてから何も食べていないことを思い出すと、今更ながらお腹が鳴った。
「あ、一応誤解の無いように言っておくけど。
 私、小悪魔に対してああいう邪な感情を抱いたことは一切無いから。本当よ?」
「はあ。まあ、そういうことにしといてあげてもいいですよ」
「あー信じてない! 何よ、友達の言うことが信じられないっての?」
「あれ? 私のこと友達って認めてくれるんですか?」
「き、昨日あんたが無理矢理認めさせたんじゃない! もう忘れたの? ほんっと馬鹿な子!」
「あはは、忘れた訳ではないですよー。
 ただ、パチュリーさんの口から言ってくれたのが嬉しくて、つい意地悪したくなっちゃったんです。ねぇ、もう一度言ってくれませんか? 私のこと、友達だって」
「……ふん。もう二度と言ってやるもんか」
 不貞腐れてぷいとそっぽを向くパチュリーが可愛くて、早苗はつい笑ってしまう。この魔女との関係は、昨夜をきっかけに急速に進展した気がする。やはりパジャマ☆パーティーの効果があったのだと、早苗は確信した。
 それにしても良い雰囲気だ。この調子でより親密な関係になっていくことができれば、やがては穢れた魔女の魂も浄化できるのではないかと早苗は期待し、
「ちょっと早苗!? 褌姿のカレなんてどこにも居ないじゃない!」
「あーうー、みすちーも居なかったよー!」
 そんなささやかな期待は、空気を読めない(もとい、読む気すら無い)二人の神様によって、粉々に打ち砕かれた。


第3話(最終話)

「大体、早苗には神を敬う気持ちが足りないのよ!」

「そうよ、あんたはコアックマ様の良さを何も分かってない!」

「育て方を間違えたのかしら? 昔のあんたは、神を騙すような不届き者ではなかったのに!」

「そうよ、あんたは全くもって不届き者だわ! コアックマ様は貧乳派なのよ! 乳はでかけりゃ良いってもんじゃない!」

「本当にあんたと来たら──」

「コアコアコアコア──」

(はぁ)

 余程森近霖之助とミスティアの痴態が見たかったのだろうか。神奈子&諏訪子のコンビに物凄い剣幕で叱られ、早苗は胸中で溜息をついた。

(面倒なことになりました。こんなことになるんでしたら、もっと現実に起こりそうなことを言うべきでした。例えば、博麗神社が直下型地震で倒壊したとか、魔理沙さんが妖怪茸を食べて八頭身になったとか。

 にしても、さっきからコアコアと五月蝿いですね──って。こあ?)

 そこまで思考を巡らせたところで。

 早苗は、「コアックマ」という単語に聞き覚えがあることに思い当たった。横目でパチュリーの方を見やると、彼女も気づいているらしく、頷きを返して来る。

「あのー、お二人とも? コアックマって、もしかして」

 余計な怒りを買うのは覚悟の上。確認しようと、早苗は恐る恐る神奈子と諏訪子に向かって口を開いた──が。

「良く考えたらこの子、あんたの血を引いてるんだったわね。諏訪子。所詮蛙の子は蛙、血は争えないものねぇ」

「風祝としての教育を施したのはあんただけどねぇ神奈子? 全く、あんたさえ居なければ洩矢の王国は千年安泰だったのに」

(って、あれれ?)

 睨み合う守矢の二柱。いつの間にか自分が蚊帳の外に出されていることに、早苗は気づいた。どうやら、火薬庫に火を点けてしまったらしい。

「あのー……もしもーし?」

「「うっさい! 早苗は黙ってな!」」

「…………」

 二人に黙っていろと言われてしまっては、それ以上何も言うことはできない。早苗はパチュリーを促し、今にも血の雨が降り出しそうな食堂を後にした。

 

 三冊ある「ぱちぇ×こあ!」本の最終ページを確認すると、そこにはいずれも同一の作者名が記されていた。

 コアックマ。すなわち、「小悪魔」と。

 

「信じられない。てっきり、外の世界の本だと思ってたのに」

 廊下を連れ立って歩きながら、呻くようにパチュリーは呟いた。それは早苗も同じ気持ちだった。まさか登場人物の片割れが作者だとは、まず考えもしない。だからこそ、今まで見過ごしていたのだ。

 しかし。仮にそうだとすれば、一応全ての説明がつくのだ。

「これは私の推測に過ぎませんけど。この本は小悪魔さんの、鬱屈した願望を描いたものなんじゃないでしょうか」

「小悪魔が私と、この本の中みたいな関係になりたいと願っていると? ありえないわ、そんなの。だって私はあの子の主人だもの。あの子にとっては、目の上のたんこぶみたいな存在でしょうよ」

「でも。もし小悪魔さんがパチュリーさんのことを疎ましく感じているのなら、百八冊もの同人誌を書いたりするでしょうか? しかもその大半は、彼女とパチュリーさんの間の肉体関係を描いたものなんでしょう? これらの事実は、小悪魔さんが貴女と元々親密な関係にあるか、或いは親密な関係になりたいと願っていることを意味していると思います」

「……勝手な想像だわ」

 早苗の推測が気に入らないのか、パチュリーはふん、と鼻を鳴らした。

 彼女の気持ちは分からないでもない。誰だって、自身の私生活についてあれこれ詮索されるのは嫌なものだ。ましてやそれが恋愛話(コイバナ)ならば、尚更である。

 しかし。もしかしたらこれが、事件解決の糸口となるかも知れないのだ。

「ねぇパチュリーさん。小悪魔さんと一度お話してみませんか?」

 思い切って早苗が提案してみると。

 パチュリーは一瞬露骨に嫌そうな表情をした後、ふと足を止めた。

「? パチュリーさん?」

「いいわ。私としてもすっきりしないのは嫌だもの。

 貴女の誘いに乗ってあげる。だけど」

 後悔しても知らないわよ?

 不敵に笑った彼女は、すっかり魔女の顔に戻っていた。

 

 

 宿舎に戻ると、パチュリーは新聞紙の上に魔法陣を描き始めた。

 恐らく畳を傷めないための彼女なりの配慮だろうが、文々。新聞の愛読者である早苗としては少し悲しいものがある。

「あ、星マーク良いですよね。私も好きです」

「私の呪術を貴女のチンケな奇跡なんかと一緒にしないで頂戴。

 それより、今更だから言うけど、神社の中に穢れを持ち込んで良いのかしら? まあもう手遅れなんだけどね」

「え? 何か問題あるんでしょうか。うちの神様ってある意味穢れまくってますから、今更多少増えても大丈夫な気がするんですけど」

「……ある意味、あんたが一番穢れてるのかもね。後で告げ口しておこうっと」

 などと無駄口を叩きながらも、パチュリーは筆を走らせていく。

 程なくして。西洋の魔術式に五行思想を取り入れた、彼女独自の魔法陣が完成した。

「さて、これで小悪魔召喚の陣は出来た訳だけども。

 彼女は人見知りする性格だから、貴女を見て怯えるかも知れないわ。いきなり弾幕を撃って来る可能性だってある。覚悟は良いかしら?」

「大丈夫ですよ。私、こう見えて結構頑丈なんです。矢でも鉄砲でもどんと持って来て下さい」

「そう? じゃあいくわよ」

 パチュリーは息を吸い込み、「ゴホッ、ゲホッ」と軽くむせた後、気を取り直して再度息を吸い込んだ。吐き出す息と共に、彼女は呪文を紡ぐ。

「りりかる・まじかる・きるぜむおーる、我は求め訴えたり!

 出でよっ、第一使徒・コアクマー!」

(あ、小悪魔って本名だったんですね。てっきり通称と思ってました。

 てゆか、色々とパクり過ぎですよパチュリーさん。著作権を何だと思ってるんですか)

 パチュリーがノリノリで叫んだ瞬間、ボンッと音を立てて新聞紙から煙が上がる。

 もうもうと立ち昇る白煙の中に、それまで存在していなかった気配が生まれた。果たしていかなる弾幕が襲い来るかと早苗は構え。

 ──直後。予想だにしていなかったモノを目撃し、唖然とした。

 

 晴れた視界に、小悪魔の姿が映し出される。

 同人誌で見たのと同じ、紅い髪に紅い眼をした少女だ。背中に生えた蝙蝠のような一対の翼は、彼女が人外の者であることを表している。

 そんな彼女が、新聞紙の上に立ったまま、自身の胸元と股間を押さえていた。隠すのも当然だろう。彼女はほとんど、全裸に近い状態だったのだから。華奢な体に似合わずたわわに実った双丘が、彼女の手の中でぷるんと揺れた。まるで西瓜だ、伊吹萃香に非ず。

 

 紅い瞳が、こちらを呆然と見つめて来る。自然と目が合った。

(何故に裸。い、いえ、そんなことを気にしてる場合じゃないよねっ)

 いきなり召喚され、彼女も混乱しているに違いない。できるだけ彼女を刺激しないよう注意しながら、早苗は口を開く。

「あのー」

「…………」

「その、何と言いますか。

 素敵なおっぱいですねっ」

「……っ……!?」

 とりあえず胸を褒めてみると、小悪魔の顔がみるみる真赤に染まった。照れているのだろうか。効果は抜群だと早苗は判断し、更なる攻勢に出る。

「それに可愛いお尻、腰のくびれ具合も理想的ですねー。いやー羨ましい限りです。私なんて最近無駄なお肉が付いて来て、神奈子様達に鍛え方が足りないって毎日言われてるんですよ? いいなー憧れちゃうなー」

 早苗が一言発する度に、小悪魔の身体がびくんと震えた。こちらを見つめる双眼が、涙に濡れて実に色っぽい。調子に乗って早苗は、今度は下着を褒めてみようと口を開きかけ。

「……い」

「はい?」

「いやああああああっ!!! 見ないでえええええええっっ!!!!!」

 絶叫と同時に解き放たれた超高速弾幕に、全身を撃ち抜かれていた。

 

 

 それから数刻が過ぎた。

 パチュリーが部屋に戻ると、早苗が布団に横たわったまま、しくしくと嗚咽を漏らしているのが見えた。

「ううううう。身体中が痛いですー」

「だから気をつけろって言ったのに。あの子は恥ずかしがりやなんだってば。

 どれ、怪我を見せてみなさい」

 そう言いながらパチュリーは、早苗の巫女装束を脱がし始める。どうやら痕に残るような痣は無さそうだが。

「あんっ」

「あ。痛かった?」

「あ、いえ。どちらかと言うと気持ち良かったと……あいたぁっ!?」

 無言で頬っぺたをつねると、早苗は堪らず悲鳴を上げた。

「全く、巫女ってのはどいつもこいつもふざけた思考回路の奴ばかりなのかしら。折角人が心配してあげたってのに」

「むー、私を霊夢さんと一緒にしないで下さいっ! これでも外の世界に居た頃は才色兼備で通ってたんですよ?

 あーでも、心配してくれたのは嬉しいです。ありがとうございます」

「ふ、ふん。今頃お礼言ったって遅いのよ」

「あーっ、パチュリーさん照れてる。可愛い」

「ば、馬鹿。何言ってんのよ、もうっ」

 可愛いと言うなら、サラシ一枚だけの今の早苗も十分に可愛いと思いながら、パチュリーは冷やしたタオルを彼女の額に掛けてやった。

「あー冷たくて気持ち良いですパチュリーさん」

「そう? 冷やし過ぎてないか心配だったんだけど」

「大丈夫! その場合は人肌の温もりで──あいたたた」

 言い掛けて。痛みに顔をしかめ、早苗は身をよじった。

「うーん。サラシがきついのかしら」

「あ、そうかも。ちょっと緩めて貰ってもいいですか?」

「いいけど。変な気、起こさないでよ?」

「……普通それって、される方が言う台詞だと思いますが」

 早苗の望み通りに緩めてやると、色白い胸元が露わになった。普段巫女服に包まれている部分だけあって、まるで日に焼けていない。素肌に浮かび上がった青白い血管を見て、パチュリーは思わず溜息を漏らしていた。

「はぁ。綺麗ね」

「え?」

「何でもない。どう、少しは楽になった?」

「はい、おかげさまで」

 そう応えて、早苗はにっこりと微笑んでみせた。その笑顔がパチュリーには眩しく映る。警戒心の欠片も無い、無垢なる微笑。この子は自分とは違うのだと、今更ながらに思い知った。

(友達。そう、友達なのよ早苗にとっての私は。

 でも……私は……)

「ところで、小悪魔さんのことなんですけど」

「そうよ……私は、この子のことを」

「? パチュリーさん?」

「あっ……な、何かしら?」

 名前を呼ばれ、パチュリーはハッと我に返る。

 今のは危なかった。危うく本心が口から漏れるところだった。

「ああ、小悪魔ならさっき還ったわ。貴女には申し訳無いことをしたって謝ってた」

「そうなんですか。……あ、いえ、そうじゃなくてですね」

「ああ。例の本のことならね──」

 だが幸いにも、早苗は自分の気持ちよりも小悪魔のことの方が気になっているようだった。そのことに胸中で安堵しつつ、パチュリーは先刻あった出来事を語り始めた。

 

 

 泣き叫び、出鱈目に暴れた挙句、紅い少女は凍った湖の上に倒れ伏していた。

 寒さと恐怖で全身をぶるぶる震わしながら、彼女は何とか立ち上がろうとする。だが右足に走る激痛に、再び倒れた。太腿に撃ち込まれた楔型弾の傷痕から、じくじくと血が溢れ出している。

「全く。手間を掛けさせないで頂戴」

「──っ──!?」

 背後からの声に慌てて振り返るも、そこに居たのは先程の巫女ではなかった。

「……パチュリー様……」

 見慣れた主人の顔を見、小悪魔はほっと胸を撫で下ろし掛けて。

 楔弾を撃ち込んだのが他ならぬパチュリーであることを思い出し、慌てて後ずさった。

「賢明な判断ね。そうよ、私は怒っているわ」

「ひっ……!」

 氷よりもなお冷たい視線を向けられ、小悪魔は堪らず悲鳴を上げる。咄嗟に逃げようとするも、立つことさえ満足にできない今の身体で魔女から逃れられる訳もなく。

 パンッ、と頬を叩かれた。

「今のは早苗の分。どう、少しは落ち着いた?」

「うっ……」

「全く、貴女って子は。馬鹿ね。ほんとに馬鹿」

「ご、ごめんなさ」

「その言葉は早苗に言ってあげなさい。それに貴女には、他に言うべきことがあるはずよ。

 こあ。貴女、この本に見覚えは無いかしら?」

「…………?」

 そう言ってパチュリーは、一冊の魔導書を取り出した。

 小悪魔は悪魔だが、魔法の類が得意な訳ではない。そんな自分に何故パチュリーが魔導書を見せるのか分からず、戸惑っていると。

 次にパチュリーは、本のページをめくり始めた。一ページ一ページ、何かを確認するかのように丹念にめくっていく。

 やがて、あるページに辿り着いた時。パチュリーはふと、めくるのを止めた。

「っ!? ああっ……そんなっ……!?」

 そこに在るモノを見て、小悪魔は思わず叫びを上げる。

 その反応で何かを確信したのか、パチュリーは溜息を一つついた。

「やっぱり。これを描いたのは、貴女だったのね?」

「……はい」

 確認するように訊いて来るパチュリーに、うなだれて小悪魔は応える。認めるしか無かった。既に王手は指されていたのだから。

 そのページには確かに、自分の描いた同人誌が挟み込まれていた。

「何故こんなものを描いたの? しかも主人である私に黙って。

 答えなさい、小悪魔」

「そ、それは」

 言いたくなかった。質問に答えることはそのまま、主への秘めたる想いを告白することに等しかったから。けれど使い魔である自分には、主の命に逆らうことはできない。

「わ、私は」

 震える唇で、小悪魔は言葉を紡ごうとし。

「ああ。無理に答えなくても良いわ」

(──え?)

 その唇を指で塞がれ、それ以上続けることができなかった。

「私は貴女の主人よ? 聞かなくても、貴女の表情から推察することはできる。

 知らなかったわ。まさか貴女が、私のことを好いていてくれたなんて、ね」

(あ……)

 よしよしと頭を撫でられる。いつの間にか、パチュリーは微笑んでいた。

「ごめんね、こあ。貴女の気持ち、気づいてあげられなくて。

 そしてありがとう。私を愛してくれて」

(……パチュリー様……)

 徐々に、足の傷の痛みが和らいでいく。主人が治癒の魔法を掛けてくれているのだと気づき、小悪魔は胸が熱くなるのを感じた。

「けど、ごめんなさい。私は、貴女の想いに応えてあげられない。

 私にはもう、好きな人が居るから」

「…………」

 言われなくても、そんなことは分かっていた。この片思いは、決して報われることは無いのだと。分かってはいたけれど、本人の口から聞かされるとショックだった。

 ぽろぽろととめどなく、涙が頬を零れ落ちる。

「悪かったわね。着替えの最中に無理矢理呼び出した挙句、こんなことを聞かせたりなんかして」

 その涙を、パチュリーはそっと拭ってくれた。

「い、いえ、私の方こそ、びっくりして取り乱したりして、済みませんでしっ……くしゅんっ」

 謝ろうとして、空気を読めないくしゃみが出た。

 パチュリーは少し驚いたような顔をした後、笑って小悪魔を抱き寄せる。温かな彼女の熱が、冷え切った身体を優しく包んでくれた。

 自分の想いを知ってなお、彼女は自分のことを嫌いにならずに居てくれる。それが嬉しくて、小悪魔の瞳に新たな涙が浮かんだ。

「ううっ……パチュリー様ぁ」

「ごめんね。私にはまだやることがあるから、貴女と一緒に帰る訳にはいかない。

 でも、必ず戻るから。貴女は、紅魔館で待ってて頂戴」

 そう言ってパチュリーは、愛用の紫色のローブを小悪魔の肩に掛けた。

「え、これ、パチュリー様の服じゃ」

「私なら大丈夫。早苗が貸してくれた服があるからね。

 ああ早苗ってのはさっき貴女の弾幕モロに食らった子で、本当はそこの神社の巫女とかやってるんだけど、ええと」

「分かってます」

 主人が従者を理解したように、従者もまた、主人の気持ちを理解していた。今までずっと、誰よりも近くで付き添って来たのだ。誰よりも分かっていた。

「パチュリー様にとって一番大切な人、ですよね」

 にっこりと微笑んで、小悪魔はそう答えた。

 

 

「──てなコトがあってねぇ。サインまで貰っちゃったっ」

(人が痛みに苦しんでる時に、この人は)

 弾んだ声でサイン入り同人誌を見せて来るパチュリーを、早苗は恨めしく思った。

「てゆか、駄目じゃないですか。これじゃますます同人誌にハマっていく一方ですよ? 幻想郷の危機とか何とか言ってた割りに、案外暢気なもんですねー」

「あら、それなら大丈夫だと思うわよ?

 小悪魔はもう二度と描かないって約束してくれたし、それに私だって、もっと大切なものを見つけることができたしね。いつかきっと、百八冊全部を処分できる日が来ると思うわ」

 根拠でもあるのか、パチュリーは自信満々にそう宣言してみせる。

「大切なもの? 何ですかそれは」

「ふふっ、それは秘密よ」

(そんなこと言って、今度は『ぱちぇ×まり』本とか『ぱちぇ×あり』本とか言い出すんじゃないでしょうねぇ……でもまあ)

 悪戯っぽく微笑むパチュリーを見上げている内に、早苗は何だか、温かな気持ちに包まれていくのを感じていた。

(パチュリーさんが良いって言うんでしたら、この異変は解決ですね。

 ──あ。『さな×ぱちぇ』本だったら読んでみたいかも。なんて)

「ねぇ、パチュリーさん」

「ん? 何、早苗」

「何だか眠くなって来たので、その。

 膝枕とか、していただけないでしょうか」

「……それって私にずっと座ってろってこと?」

「あはは。冗談ですよ。嫌ですよね、そんなの」

 早苗が笑って言うと、パチュリーはすっと立ち上がり。

「ううん。嫌じゃないわ」

 そう応えて、早苗の枕元に正座した。

「え? パチュリー、さん?」

「何よ。してあげるって言ってんだから、さっさと頭上げなさいよね?

 それとも何? 私の膝じゃ、枕代わりにもならないって言う訳?」

「い、いえ……」

 パチュリーの大腿部に頭を乗せると、彼女の体温が直に伝わって来た。そして、彼女の柔らかさも。少しドキドキしながら早苗が見上げると、パチュリーと目が合った。やはり彼女も気恥ずかしいのか、僅かに頬を赤らめている。

「あの、パチュリーさん」

「な、何かしら」

「ありがとうございます。私、嬉しいです」

「そ、そう。じゃあさっさと寝なさい。こうしてると疲れるから」

「は、はい……でも」

「何よ? まだ何かあるの?」

「……そんなに見つめられてたら、眠れないですよ……」

 

 こうして、二人の時間は過ぎて行く。

 移り行く季節と共に。

 

 

 秋の終わりは、同時に長い冬の始まりでもある。

 茅の輪の礼は本来、冬の間秋の神様にゆっくり休んで貰うための儀式だった。

「祓へ給へ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」

 なのに、代わりに潜るのは祟り神でもある洩矢諏訪子。

(何か釈然としないものを感じるけど、これが形骸化した祭りの有り様って奴なのかもねぇ。まあ、怖い神様のご機嫌取りも大事なことではあるんだろうけど)

 諏訪子が輪を潜る様子を遠目に眺めながら、パチュリー・ノーレッジは「むきゅー」(←※ふぅー)と溜息をついた。

「幻想郷最大の危機は去った。秋休みの儀式も終わった。

 なら、もう私がここに来る理由は無いのね」

「あら、そんなことは無いですよ? はい、お饅頭」

「むきゅ。ありがと」

 早苗に渡された饅頭を一口齧り、パチュリーは顔を緩ませる。

「美味しい! これ、貴女が作ったの?」

「そうですよ。夏になれば『饅頭祭』を催す予定なので、今から練習してるんです」

「ふぅん。変わったお祭ねー。神様と何の関係があるのかしら」

「無病息災を祈願するお祭なので、パチュリーさんにぴったりだと思いますよ? 是非ともいらして下さい」

「ふん。皆が言う程病弱じゃないわよ、私」

 ムッとしてパチュリーが文句を言うと。

「うふふ」

 何かおかしなことでもあったのか、早苗は笑みを零した。

「な、何笑ってんのよ。薄気味悪いわね」

「いえ、パチュリーさんと最初に逢った時のことを思い出しまして。

 あの時のパチュリーさんと今のパチュリーさん、まるで別人みたいだなあって」

「あら、それは早苗も同じじゃない。

 最初貴女、私のこと警戒してたでしょ? 少なくとも妖怪として見ててくれたわ。

 なのに今ではこの有様。一妖怪としては、ちょっと寂しいものがあるわね」

(でも、こういうのも悪くないかもね)

 春一番ならぬ、冬一番の木枯しが頬を撫でる。

 そろそろ頃合だろうと、パチュリーは思った。

「さて。これ以上寒くなると風邪ひいちゃうから帰るわね。

 お饅頭美味しかったわ。ご馳走様」

「えー、大祓までゆっくりしてって下さいよー」

「私に凍死しろって言うの?」

「案外冷凍保存できたりして」

「私はシベリアのマンモスとは違うのよ。とにかく帰るわ。紅魔館の皆も心配してるだろうし──小悪魔にも待ってて貰ってるしね」

「はい。では今度は、私からそちらに伺いますねっ。小悪魔さんにも宜しく言っておいて下さいっ」

「ふふっ。その時は紅魔館流の歓迎の仕方で出迎えさせて貰うわね」

 ふわふわと風に乗り、パチュリーは空へと浮かび上がる。彼女が独自に編み出した、「最も疲れない飛び方」だ。要は風任せなのだが、幸いにも今回は、風祝が麓まで運んでくれる。

 守矢神社の方を振り向くと、豆粒程の大きさになりながらも、早苗が手を振っているのが見えた。こちらも振り返すべきか迷ったが、結局は何もせず。ただ、

「またね」

 とだけ、呟いた。




 魔女が虚空へと消えた後、妖怪の山には雪が降り始めた。
 しんしんと積もる新雪は、やがては全てを覆い隠す。
 神社も、湖も。あたかもそこに、最初から存在していなかったかのように。

 けれど早苗は信じていた。
 たとえ全てが、幻想の内に消え逝く運命であったとしても。
 この手に残る温もりは、決して消えはしないのだ、と。


 了

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