ヒロトがリク達にモビルドール・イヴを託した日の夜、彼がベランダで仲間たちとメッセージのやり取りをしているといつものように隣の部屋からヒナタが出てきた。
「こんばんは、ヒロト」
「ヒナタ」
二人はお疲れ様と手を軽く振り合って、ベランダに寄り掛かったいつもの姿勢になる。
ヒナタは今日の昼頃にすれ違った二人の事を話すつもりでいた。
「今日の昼、廊下で小さい女の子を肩に乗せた人とすれ違ったけど――――」
「ああ、リクとサラさんだ」
「だよね!二人共あっちと見た目がほとんど一緒でびっくりしたよ、サラちゃんは縮んでたけど」
GBNの中にはアバターの外見をほぼ弄らないダイバーが一定数は存在する、リクやヒロトはそのパターンに当てはまる。逆にこだわりが強くなってくるとカザミの様に体格を変更したり、ファンじゃないと理解できない様な仮面を着けたりもする。他にも獣人型アバターを使用するダイバーもそこそこ居る、加えて着飾れる服装も数多くの種類がある。そんなGBNでは当然ながら外見に統一性などある訳がない。
ヒロトは楽しそうに笑っているヒナタの話に相槌を打つ。
「うん、リクは俺と一緒でアバターの外見にあまり興味が無いんだろうな」
「えー、せっかく色んな格好になれるんだから、もうちょっと遊んだらいいのに」
ヒロトはリアルでも服装にこだわりをあまり持たない。勿論おかしな格好をしているとは思わないがどっちの世界でももう少し外見にも気を遣えばいいのに、とヒナタは思いながら笑う。
ヒロトはヒナタのその言葉を聞いて、イヴにも似たような事を言われたことがあるのを思い出していた。
そう言ってた当の本人は別れるまで服装を変える事は無かったが、その訳も今のヒロトにはなんとなく想像がついた。
恐らく、服装データを購入・変更が気安くできない状態かそういう心境だったのだろう。
そう考えるとあのイヤリングを送った時、彼女は確かにすごく喜んでいたがそれと同時に彼女が自分に課したルールを冒していたのかもしれない。
もしかしたら、もしかしたら、と今になってヒロトはイヴの行動の理由が気になって仕方がない。
これからも本人と話して確かめたい事は山ほど出てきそうだな、とヒロトは感じた。
ヒロトがそんな風に思いを巡らせていると、ヒナタは彼がまたどこか別の場所を見始めている事に気が付いた。
学校や家で話している時ふとした拍子にヒロトは目の前に居る自分ではなく、別の事に、別の人に目を向けている。最近この様子は特に多くなってきた。
その目の先に居るのが誰なのか、ヒナタはもう察しがついていた。
声をかけるかどうかを彼女が一瞬戸惑っている間に、ヒロトがふと戻ってきた。
「ヒナタ、2週間後の週末なんだけど」
「え、うん、その日がどうかしたの?」
「正午過ぎにGBNにダイブできる?」
「出来ると思うけど……?」
どうしたの?とヒナタが首をかしげるとヒロトはどこから話したいいかを考えながら答え始めた。
イヴが今どんな状況で、ヒロトが何をしているか、ヒナタにはほとんど説明していなかった。
「イヴが帰ってこれるように手を貸してほしんだ」
「あ、あの子見つかったの?」
それはよかった、とヒナタはホッと一息をつく。
ヒロトはそんなヒナタに首を振る。
「まだ見つかってない、簡単に言うと今はイヴの身体は無いんだ」
「……え?」
「最近GBNでいろいろやってたけど、ようやく目途が立ったんだ。全部話す、ちょっと長いけど聞いて欲しい」
ヒロトがそれから話した内容はヒナタが聞いたこともない話だらけで、彼女は色々な事に驚くことになった。
ヒナタはイヴの身体がデータ片になり四散している事を知らない。ヒロトとイヴの間に何かあった事は察しはついていたが、彼女の身に何が起こったのかまでは分かる筈もないので当然だ。
その事だけでも十分に驚く情報だったが、それを超える驚きをもたらしたのはヒロトの行動力だ。
BUILD DiVERSの皆に応援されて、イヴを救う決断をした。
皆と一緒に、彼女を助けるための手段を模索した。
その手段の一部として動画を投稿して、ダイバーたちの注目を集める為に動いた。
そうした努力が実を結び、大きなフォースが力を貸してくれるようになり、運営とも掛け合った。
今も少人数規模の話ではあるが、協力者を地道に増やし続けている。
仲間からの後押しがあったとはいえ、全てはヒロトの決断で動き始めていた。
いつの間にか準備を済ませた状況になっている事実自体は、彼の周到さをよく知っているヒナタにとってたいして驚く事ではない。
驚いたのは、ヒロトが動かした人の数だ。
カザミの力を借りてアップロードした動画ページを見せてもらった時に、その事を強く実感した。
「……今までの話、全部イヴさんの為にやったの?」
ヒナタは衝撃に包まれながら分かり切った事をつい聞いてしまう。
ヒロトは彼女の言葉にキョトンとして、首をかしげる。
頷いてくるだろうと思って居た彼が予想外の反応をしたことで、ヒナタも首を傾げた。
「違うの?」
イヴの為に今までの全ての行動をしたのか?と聞かれた時、ヒロトはすぐに頷くことができなかった。
今までイヴの事を思い返したり、その行動理由について考えた。コアガンダムからの警告のおかげで、イヴが自分を責めている事に気が付く事が出来た。
自分の行動は彼女の為になるとは思うが、その思いも仲間たちと一緒に推測を立てた後にきっとそうだろうと感じただけに過ぎない。
「うん、違うと思う。……自分の為だ」
「……ヒロトの?」
イヴは自分に救われたいとは思ってないかもしれない、そういう可能性もある。今こうしてヒロトが改めて考えてみて気が付いた可能性。
その可能性に気づいても、彼の気持ちは何ら変わらなかった。話したい事、聞きたい事、見せたい物、やりたい事は何一つ変わらず、数を増やしていくだけだ。
もしかしたらまた痛みを伴う結果に終わるかもしれない、それでも彼は怖くなかった、仲間たちが背中を押してくれたから目を逸らさずに見ていられる。
変われない自分が少しずつでも変わる為に、何より自分がもう一度イヴに会いたいから。
それは紛れもなくヒロトの、自分の為の行動だった。
「俺は俺の為に、イヴにもう一度会いたい。手を貸してほしい」
「ぁ」
ヒロトは自分の為に、彼女に会いたいとはっきりと言葉にした。
彼は変わった、とヒナタは強く実感する。
あの日から自分に関心を抱かなくなってしまったヒロトが、自分の為に動くと言い切った。
ヒナタの感情は強く乱れ、言葉が詰まった。
グッと、自分の気持ちを押し殺して、彼女は笑った。
「――――応援するよ」
「ありがとう、ヒナタ」
自分の言葉で嬉しそうに微笑むヒロトの姿が、ヒナタにとって今夜は少し辛かった。
◆◆◆
夕刻、クガ・ユリコは家事を済ませていた。
少しの量の皿洗い、お茶を飲んだ後ついでにやり始めた事だった。
洗い物をしていると、玄関とリビングを隔てる扉が開いた。
最近この時間帯でヒロトが帰ってくることはない、オサムは少し前に仕事に戻ったばかりですぐに戻ってこない。
「ヒナタちゃん、お帰り」
「ただいま、お邪魔します、ユリコさん」
見なくともヒナタだとわかったが、声にまるで元気がない事にユリコは気が付いた。
洗い物をしながらちらりと彼女に視線をやってみると、放っている雰囲気がどんよりと重たい物であることに気が付いた。
ヒナタが明らかに何かで思い悩んでいる、そうユリコは感じ取って、その内容も薄々察した。つい先週にヒロトの話を聞いて、その時の息子の顔を見て、遅かれ早かれこの時が来るとは思っていた。
ヒナタはソファの方にふらふらと移動していき、座り込んだ。
ユリコは手早く洗い物を切り上げ、ヒナタの隣に座る。
「隣、良い?」
「……」
ヒナタは何も言わない。
彼女の中で感情と思考がどれほど揺れているのか、完全に把握する事はできない。ともかくユリコは彼女の隣に黙って座り続ける事にした。
ヒナタの今日は散々だった。
消沈した様子にクラスメイトにはずっと心配をかけていたし、ヒロトにも自分が良くない状況になっている事に気づかれかけた。彼からの気遣いを今受けたくない、受けたら余計におかしくなりそうだった。必死で平然とした雰囲気を取り繕ったが、正直上手くできていたかはわからない。部活の日だったが部室に入った途端に帰らされた。
授業を受けながら、考えずにはいられなかった。
昨日の夜にヒロトが話した事とその時の表情や雰囲気、それらが示す事について。
最近のヒロトの行動力は、一緒に過ごしたヒナタから見ても群を抜いている。
彼はそれを自分の為だと彼は言う。
自分の為にもう一度イヴに会いたいと言う。
それがどんな気持ちから来る思いなのか、分からないほどヒナタは鈍感ではなかった。
ヒナタが思い出すのは、あの雨の日の事。
ずぶ濡れで帰ってきたヒロトは、その日はヒナタの呼びかけには応じず、まるで人形になったかの様にぎくしゃくと家に帰っていった。
それからもしばらくふさぎ込んで、碌にご飯も食べずいたが、急にヒロトが普段の生活パターンをなぞり始めた。
両親や自分に心配をかけるわけにはいかないと、無理矢理身体を動かしているようにも見えた。
意気消沈し、まったく笑わなくなり、それでもとりあえず日常へと戻っていった。
自分への関心が消えて、辛い気持ちがマヒしてしまったのかもしれない、と今にしてヒナタは思う。
結局、彼女との間に何があったのかはヒロトからは聞けなかった。
深い傷をもう一度開く事になりそうでヒナタは怖かった。
別れ際に酷い喧嘩をしたのかもしれない。
イヴがどのような状況で消えてしまったかなんてヒナタにはわからない、そういう事もあるかもしれないと考えた。
ただ急に別れただけとはとても思えなかった。
仮に喧嘩をして、結果あんなに深く傷ついて、それでも彼女にもう一度会いたいと、ヒロトは言う。
つまりそれは彼女に対する複雑な過去と気持ちを彼は飲み込んで
――――それでも、彼女が好きだと、ヒロトはそう言っていたのだ。
それがどれほど強い思いなのか、ヒナタには把握できない。
彼の気持ちは遠くに行ってしまった、自分ではもう手が届かない場所、彼女の元へと進んでいった。
一人で家に居る気にもなれず、今日もヒロトの家に来てしまった、どこか納得ができない自分がきっとこの家へと足を運ばせた。
涙が勝手に零れた、少し悔しかった。
「あの子、ちょっとずるい」
ヒロトはヒナタにとってヒーローだった。
幼いころから賢い彼は、ヒナタのピンチ、友達のピンチをあれこれ考えて切り抜けさせてくれた。
そんな他人の為に頑張れるヒーローが、自分の為にと彼女を求めて動いている。
その唯一に長く一緒に過ごしてきた自分はなれなかった。
嫉妬にまみれた小さな自分が、応援するとすぐに返事をしなければならないのに口を重くさせた。
自分の為に頑張るとヒロトがようやく言ったのに、純粋な気持ちで応援できない自分が嫌だった。
「……ぅぁ」
ヒナタがぽつりと呟いてから泣き始めると、ユリコは彼女を抱き寄せた。
長い間息子の事を想ってくれていた大事な『娘』にかけれる言葉はいくつでもある。
この状態は鈍感な息子が招いたことに間違いはない、もっと文句を言う権利が娘には有る筈だ。
息子の心をさらっていったあの子に対しても、言いたい事はある筈だ。
全部言って楽になっていい、そう告げる事はできる。
だがそれは甘さだ。
子供を作ろうと決めた時、夫婦二人で決めたルール。
何があっても自分達の子供の味方であり続ける、自分達の子供の意思を尊重する。
これは親として決めたルールだ。
ヒナタを甘やかせば、そのルールを破る事になる。
そして感情を言葉で吐き出させるという事は、今すすり泣きながらそれでもこれ以上は二人に対し、悪し様な言葉を並べまいとするヒナタの優しさを侮辱する事にもつながる。
ユリコは何も言わずに、ヒナタに寄り添い続けた。
長く長く、日が暮れても、ヒナタが落ち着くその時までずっと。